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ニューロ・ダイバーシティ
ニューロ・ダイバーシティ(英: neurodiversity)は、教育や障害に対するアプローチであり、様々な神経疾患は普通のヒトゲノムの差異の結果として現れるのだ、ということを提唱する。この用語は、1990年代後半に、神経学的多様性は本質的に病的なものであるとする通説に対抗するものとして現れた。ニューロ・ダイバーシティは、神経学的差異は、ジェンダー、民族性、性的指向や障害と同様に、社会的カテゴリーとして認識され尊重されるべきであると主張する。神経多様性あるいは脳の多様性とも呼ばれる。
ニューロ・ダイバーシティ運動は国際的な市民権運動として存在しており、その最も影響力のある運動として自閉者の権利運動を含む。この運動は、障害者の権利のスローガンである「私たち抜きに私たちのことを決めるな」のもとに、メンバーのセルフ・アドボカシーを推進している。ニューロ・ダイバーシティの支援者は、神経学的に非定型な人々が、無根拠に受け入れられている「正常」の概念を採用したり、臨床的な理想像に適応したりすることを強要・強制されることなく、彼らの人生を生きることができるようにするための支援体制(包摂に焦点を当てたサービス、合理的配慮、コミュニケーションや補助のテクノロジー、職業訓練、自立支援)を支持する。この社会に蔓延している様々の社会規範やスティグマに対抗して、自閉、双極性、その他の神経特性を、病理や障害ではなく、ヒトの自然な変異として位置付ける。また、(運動の支持者たちは)神経学的差異をヒトの多様性、自己表現、存在の本来の在り方であると信ずるゆえに、それらは治療される必要がある(あるいは治療することができる)という考え方を退ける。
用語
シラキュース大学で開催された 2011 National Symposium on Neurodiversity によれば、ニューロ・ダイバーシティとは:
... a concept where neurological differences are to be recognized and respected as any other human variation. These differences can include those labeled with Dyspraxia, Dyslexia, Attention Deficit Hyperactivity Disorder, Dyscalculia, Autistic Spectrum, Tourette Syndrome, and others.
2011年の Pier Jaarsma によれば、ニューロ・ダイバーシティは「論争の的となる考え方」であり、それは「非定型神経発達を普通のヒトの差異と見做す」というものである。
Nick Walker(2012)は、ニューロ・ダイバーシティの概念はどんな神経学的状態にある人々も包含するものであるから、「神経学的に多様な(neurodiverse)人」などというのはありえないし、全ての人々はニューロ・ダイバースである、と論じた。Walker は代わりにニューロ・マイノリティ(神経学的少数派)という語を「神経学的に定型でない人々を指す、良い、病理化しない言葉」として提案した。彼は異なる神経学的な様態を持つ人々は「支配的な文化から周縁化され、十分に適応できていない」と言う。Walker は包括的な概念としてのニューロ・ダイバーシティと、パラダイムとしてのそれ(ニューロ・ダイバーシティを他の形の多様性と同様の社会的力学の影響を受けるヒトの多様性の自然な形として理解すること)とを区別することを提案している。ニューロ・ダイバーシティ・パラダイムは、ニューロ・マイノリティを神経学的に定型な多数派からの逸脱であるという理由で問題ある(problematic)病的な(pathological)偏りであると表現する病理学的パラダイムと対照される。
自閉者の権利運動
自閉者の権利運動(autism rights movement, ARM)はニューロダイバーシティ運動の中における社会運動で、自閉の当事者や支援者、および社会がニューロダイバーシティの視点(自閉を治療されるべき精神障害というよりも機能的な多様性として受け入れる立場)を取り入れることを奨励するものである。自閉者の権利運動は様々な目標を掲げている。たとえば、自閉的なふるまいを受容すること、自閉者に対してニューロティピカルな行動を強制するのではなく、自閉の特性に合わせたコーピングスキルを身につけられるようなセラピー、自閉者が自分らしく交流できるような社会的ネットワークやイベントづくり、また、自閉の人びとを社会的マイノリティとして認識することなどが含まれる。
自閉の権利やニューロ・ダイバーシティの立場からすると、自閉スペクトラムは遺伝的であり、それはヒトゲノムの自然な発現として受容されるべきであるとされる。この視点はよく似た次の2つの見方とは区別される:自閉は遺伝子の欠陥によって引き起こされるもので、自閉を引き起こす遺伝子を標的として対処されるべきである、とする主流な視点;そして、自閉はワクチンや汚染のような環境要因によって引き起こされ、環境要因に対処することで治療可能であるとする視点である。
自閉の権利を主張する当事者の多くは、自分たちのことを、「自閉」(autistic)や「アスピー」(aspie)といった、自閉の状態をアイデンティティに内在的(intrinsic)な部分として捉える呼び方を使う。「自閉のある人」(Person with autism)というような、人に診断がくっつく呼び方とは対照的に、「自閉」や「自閉者」(Autistic person)」という呼び方は自閉をその人のアイデンティティとして肯定する意味合いを含むため、自閉に対するスティグマを減らし、当事者のメンタルヘルスを向上させる効果が期待されている。英語圏では「自閉」「自閉者」(Autistic person)というアイデンティティファーストの呼び方を好む人が多数派であるが、他言語ではそうとは限らず、両者が混じり合った過渡期にあるようである。アメリカ心理学会ではそれぞれの場合に応じて偏見やスティグマの少ない呼び方を使うように推奨しており、不明な場合は当事者団体のガイダンスに従うこととしている。英語圏の代表的な当事者団体Autistic Self Advocacy Networkでは、アイデンティティファースト(自閉・自閉者)の呼び方を使うことを推奨している。
反治療的な視点
自閉者の権利運動に賛同する人々は、自閉を病気ではなく個人のあり方であると見なし、不必要な治療を施すべきでないと主張する。自閉と関連付けられる行動や言語の違いを「正そう」とする治療、例えば 応用行動分析を、単に的外れであるというだけではなく、反倫理的でもあると考える人もいる。
反治療的な立場の主張はたとえば「自閉症スペクトラム障害はそれ自体としては障害ではなく、自然に起こるばらつきである。神経の配線のバリエーションの一つであり、比較的少ない遺伝子発現の亜型だ」というものである。このように考えるなら、自閉は人間の個性のひとつであり、当たり前にいてよい存在で、必要ならサポートを得ることができ、受容されるべきあり方である。忌避され、差別され、抹消されるべきあり方ではない。自閉者の奇妙さやユニークさは他の様々なマイノリティと同様に容認されるべきであり、「自閉症を治そう」とする試みは、一般的な病気の治療と対比されるものではなく、左利きを治そうとするような時代遅れで馬鹿げた試みであるとの主張もある。ケンブリッジ大学教授で発達心理学者・自閉症研究者であるサイモン・バロン=コーエンも「自閉症の治療」というアプローチは乱暴であり、自閉者の良い部分まで消してしまう恐れがあると発言している。自閉者の権利運動は障害者権利運動の大きな流れの一部であり、障害の社会モデルを採用している。社会モデルは障害を個人の欠陥ではなく社会によって作られた制約とみなす考え方であり、その観点からすれば自閉者の直面する困難は個人の問題よりもむしろ、社会による構造的な差別であるといえる。
アドボカシー
2013年に自閉特性について当事者やその関係者にオンライン調査を行なったSteven Kappらは「自閉特性は欠陥ではなく違いであるとする見方は、自閉特性の手綱を取り本人の発達にとって利益がある方向へ進めることが重要であると主張する。この見方は、違いの礼賛と欠陥の治療という誤った対立を超えるものである」と結論づけている。
また、倫理学者のAndrew FentonとTim Krahnによると、ニューロダイバーシティの支持者たちは自閉症や自閉症をとりまく社会状況を再概念化することを目論んでいる。すなわち、神経学的な違いは必ずしも治療される必要があるわけではないと知らしめること、「〜状態、〜疾患、〜障害、〜病」といった言葉を用いる言語体系を変更すること、新しいタイプの自立のあり方を示すこと、神経学的な違いを持つ人が自分自身の治療についてどんな治療を受けるかあるいは全く受けないかなどをより自由に選択できるようにすることを目指している。
E.Griffinらは2009年に半構造化面接による調査を行い、自閉症やディスレクシア、運動協調性障害、ADHD、脳梗塞の既往のある学生27人を自分の特性をどう見なすかによってニューロダイバーシティグループと医学モデルグループに分けて分析した。調査の対象となった学生たちはそれぞれ学校において排除やいじめ、暴力を経験してきたが、41%を占めるニューロダイバーシティ派においては学業に対する自尊心や自分の能力に関する自信をもち、うち73%は具体的で明確な将来展望さえ持っていた。ニューロダイバーシティという見方を得ることができたのはニューロダイバーシティを提唱するオンラインのサポートグループに接することができたからだと学生たちの多くは報告している。
企業の側からの取り組みとしては、2013年に「エッジの利いたイノベーション」を追求するドイツのソフトウェア会社SAPが、自閉傾向のある人をソフトウェアのテスターとして積極的に雇用することを始めた。また、米国の住宅ファイナンス会社Freddie Macは、自閉特性のある学生を対象に、有給インターンシップの募集を行った。
歴史
Jaarsma and Welin (2011)によると、ニューロダイバーシティ運動は1990年代にインターネット上の自閉者のグループから始まった。そして、現在では、神経障害や神経発達障害と診断された人全ての人権を求める闘いとして知られている。ニューロダイバーシティという用語は、前世紀に唱えられた自閉症の「冷たい母親説」からも距離をとっている。
ニューロダイバーシティのパラダイムは自閉スペクトラム当事者によって主導されているが、次いで出現したグループでは、自閉スペクトラムではない人々、例えば双極者、ADHD者、統合失調症者、統合失調感情障害者、ソシオパス者、睡眠リズム障害者などによっても唱えられている。
ニューロダイバーシティという用語は、オーストラリアの社会学者であるJudy Singerが造った用語である。そして、出版物に初めて掲載されたのは1998年9月30日で、ジャーナリストのHarvey Blumeがオピニオン雑誌The Atlanticに掲載した記事で使われた。
神経多様性は、生物多様性が生物にとって重要であるのと同じように、人類という種にとって重要な概念かもしれない。どんな時にどんな神経配線が一番適しているか、全てお見通しにできる人などいるだろうか? 少なくとも、サイバネティクスやコンピューター文化においては、いくらかは自閉的であるマインドが向いていそうだ。
Blumeは、それ以前にも、1997年6月30日のNew York Timesで、ニューロダイバーシティという用語自体は使わなかったものの、「神経学的多元性」というアイデアについて記載していた。
定型発達が支配する世界に住んでいると、自閉者は致し方なく彼ら自身の慣習を手放さなくてはならない。でも、一方で、彼らは彼ら同士で新たな社会契約を結んだんだ。その中では、神経多元性を強調している。この契約は自閉者が集うインターネットフォーラムやWebサイトで生まれた。…定型発達こそ多様な神経配線のうちの一つだ。時に数が優勢であるというだけで、必ずしもベストな配線というわけではない。
Blumeはまた国際的なニューロダイバーシティ運動を盛り上げていくためにはインターネットが重要な役割を果たすということを予想していた。
インターネットでのつながりには政治的な意味合いがある。サイバースペース2000と呼ばれるネット上のプロジェクトでは2000年までにできる限り多くの自閉スペクトラム者を集めることを目指している。…そもそも、インターネットは自閉傾向を持つ人にとって自分自身の生活を向上させるために不可欠なものである。というのも、インターネット上の会話は、彼らがコミュニケーションを効果的に行うことができる唯一の方法であることがしばしばあるからだ。……私たちにとってますます切迫してくる課題は、オンラインやオフラインで、自分自身をこれまでとは違った仕方で見ること、つまり、ニューロダイバーシティを迎え入れることだ」
何人かの著作家は、最初期の自閉アドボケーターはJim Sinclairであると主張する。Jim Sinclairは国際自閉ネットワークの初代会長である。Sinclairは1993年の声明で「我々を憐れむな」と主張した。自分の子供が自閉症であると診断された親たちは自分の子が自閉症であることを「人生でもっとも傷ついた出来事」だと考えることがある。しかし、12歳になるまで喋ることがなかった自閉者であるSinclairは、
自閉的ではない人は自閉症を悲劇であると見なし、親たちは子供と家族のライフサイクル全般にわたって絶望と悲観を味わうものとされている。しかし、この親の悲観は子供の自閉症そのものに由来するわけではない。むしろ、親自身の、普通の子供を持ちたかったという願望や子供は普通の子として生まれるだろうという期待が裏切られたことに由来する。自閉症の底に「普通の子供」が潜んでいるわけではない。自閉症は一つの生き方であり、生き方全体に及んでる。自閉症は全ての経験・感覚・知覚・考え・感情を色付けている。そして、存在のすべての側面に関与する。自閉症だけを当人から引き剥がすことはできない。もしそんなことが出来たのであれば、自閉症を引き剥がされて残った人は元の人ではない。ーー重要なのでもう一度言いますよ。もう一度考えてみてください。自閉症は生き方です。自閉症と人を分けることはできません。
Sinclairは、1990年代初頭に「定型発達」という言葉を造ったことでも知られている。「定型発達」はもともと自閉的ではない脳を持つ人を表す言葉だったが、現在ではより広く、神経学的に典型的な発達をした人やそういった人の周りに築き上げられた文化を指す言葉となった。Sinclairも前述のSingerも、神経学的な差異を持った人に対する新しい見方を創造した。最初は自閉スペクトラムがその対象であったが、結果的に、より広い神経学的差異も対象とするようになった。
批判
ニューロダイバシティという概念は論争的である。障害に対する医学モデルを支持する人にとって、「障害・欠陥・機能不全」と結び付けられる心的な違いは、生活の多くの側面でインペアメントを引き起こす内的な違いと同一視されている。医学モデルからすると、ニューロダイバーシティに包含されているような心の状態は、治療することができ・そうすべきである医学的な状態である。対して、例えばDavid Pollakはニューロダイバシティを「全ての可能な心の状態が平等であることを示す」用語であると評価している。さらには、ニューロダイバーシティという用語を「依然として医学的すぎる」として拒否する人もいる。
自閉症におけるニューロダイバーシティという概念は、自閉症スペクトラム障害であるが「高機能な」人やそれほど症状が重症ではない人向けに作られた考え方であると批判されることがある。「低機能な」自閉者は、日常生活においてしばしば重大な不利益を被っており、発達した支援ツールをできる限り使ってもうまく生活を送れないことがある。「低機能な」自閉者の多くは自分自身の意見や希望をうまく表現できないため、誰が彼らの意見を代弁するか、何が彼らの利益になるか、という点が議論の的になる。自閉者でありドキュメンタリーAutism is a Worldに出演したSue Rubinは、自分自身は症状の治療を望んでおり、「高機能な自閉症者がニューロダイバーシティの反治療的立場を支持しがちである一方で、低機能な自閉症者は一般的には治療を望むだろう」と述べている。
2011年にJaarsmaとWelinは「ニューロダイバーシティの考え方を拡大して、高機能な自閉も低機能な自閉も包み込むようにすれば、それは問題含みだ。高機能自閉に限って主張されるニューロダイバーシティだけが道理にかなっている」と書いている。彼らはさらに、「“より高機能な”自閉者は精神医学的な欠陥ベースの診断では利益を得ることがないかもしれない。むしろ、自分にとっての自然なあり方が医学的に劣ったものとみなされることで、診断によって害を受ける者もいる。そういった狭い範囲であればニューロダイバーシティを主張することができる。また、いまより少し広い範囲でニューロダイバーシティを主張することはできるだろう。しかし、限度はある」という。
ニューロダイバーシティが主張する反治療的視点には批判が集まっている。医学生物学的な治療は、例えば自閉症や自閉症による様々な症状を治療のターゲットにし、現在はそれらを完全には治癒できないにしても、今後生活機能やQOLを明らかに向上させることができるようになるかもしれない。治療の開発には発明や投資が必要であり、臨床応用するにはしばらくかかるかもしれない。それでも、新しい治療は将来長きに渡って大きな利益をもたらす可能性がある。自閉症を「障害をもたらす発達の病気」とみなす人にとって、ニューロダイバーシティの反治療の視点は、患者とその家族の苦悩を軽視することとなる。
自閉症のライターでありブロガーであるJonathan Mitchellは、ニューロダイバーシティ運動に対する反対者であり、自閉症の治療研究を進めるべきであると主張する。彼は、ニューロダイバーシティを「難しい問題に対して、安易な答えを出している」「自閉症の障害としての側面を軽視している」と批判する。彼は、彼の症状が彼の人生にとってネガティブに働いてきたと考える。自閉症があることで「これまでパートナーを得ることを妨げられた」「協調運動がうまくできず、筆記に困難を生じた」「人とうまく交れなかった」「集中することが苦手で、物事をやり遂げることが苦手になった」と述べている。 Mitchellはニューロダイバーシティを「自閉症スペクトラム障害者にとっての“安全弁”である」と述べ、自閉症スペクトラム障害者にニューロダイバーシティが広範に受け入れられているというのは“思い込み”であり、大多数の自閉症スペクトラム障害者はだれかのブログで自分の意見を表明したりしてこなかったしこれからもしないだろうと述べている。さらに、ニューロダイバーシティは低機能な自閉症者にとって何の解決ももたらしていない、と主張する。さらに、彼は、Temple Grandinも「自閉症の症状や体験を過度に一般化し、私の苦悩を軽視するような書きぶりであった」と批判する。こういった主張をすることでMitchellはこれまでニューロダイバーシティ支持者から誹謗中傷を受けている。
脚注
注釈
参考文献
- Armstrong, Thomas (2010). Neurodiversity: Discovering the Extraordinary Gifts of Autism, ADHD, Dyslexia, and Other Brain Differences. Boston, MA: Da Capo Lifelong. pp. 288. ISBN 978-0738213545
- Armstrong, Thomas (2012). Neurodiversity in the Classroom: Strength-Based Strategies to Help Students with Special Needs Succeed in School and Life. Alexandria, VA: Association for Supervision & Curriculum Development. pp. 188. ISBN 978-1416614838
- Silberman, Steve. “Neurodiversity Rewires Conventional Thinking About Brains”. Wired. 2013年5月7日閲覧。
- Reitman, Harold (2015). Aspertools: The Practical Guide for Understanding and Embracing Asperger's, Autism Spectrum Disorders, and Neurodiversity. Deerfield Beach, FL: HCI Books. pp. 240. ISBN 9780757318542