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劉劭 (南朝宋)
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劉劭 (南朝宋)
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劉劭 | |
---|---|
宋 | |
皇帝 | |
王朝 | 宋 |
在位期間 | 453年 |
姓・諱 | 劉劭 |
字 | 休遠 |
諡号 | 無 |
廟号 | 無 |
生年 | 元嘉元年(424年) |
没年 |
太初元年5月4日 (453年5月27日) |
父 | 文帝 |
母 | 袁皇后 |
后妃 | 殷皇后 |
陵墓 | 無 |
年号 | 太初:453年 |
劉 劭(りゅう しょう)は、南朝宋の皇帝。字は休遠。父の文帝を殺害して即位したが、3カ月で廃位・処刑された。
正史である『宋書』では元凶劭という名で列伝に記されて、正当な皇帝とみなされていない。このため、一般的には南朝宋の歴代皇帝に数えられていない。
人物
元嘉6年(429年)、6歳の時に文帝の皇太子に立てられる。元嘉30年(453年)、劉劭が呪詛を行ったとして、文帝は劉劭の廃立を検討するが、その動きを察知した劉劭は異母弟の劉濬とともに挙兵、夜間宮殿に侵入し、父の文帝を殺害した。その後、自ら皇帝に即位し、元嘉30年を太初と改元した。踰年改元を行わないことは当時の慣例に違う行為であった。
3カ月後、弟(文帝の三男)の武陵王劉駿(孝武帝)が将軍沈慶之の支援の下建康城内に侵入、劉劭は捕らえられ、後に処刑され、遺灰は長江に投げ捨てられた。
宗室
妻妾
いずれも劉駿に処刑された
子女
- 男子:劉偉之、劉迪之、劉彬之
- 女子
いずれも劉駿に処刑された
伝記資料
- 『宋書』巻99 列伝第59
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