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掩体壕
掩体壕(えんたいごう)は、軍用機などの装備・物資や人員を、砲爆撃など敵の攻撃から守るために山に掘った横穴や、コンクリートなどで造った横穴状の施設。掩体の一種。掩蔽壕(えんぺいごう)、掩壕とも言う。旧日本軍では掩体壕の「壕」をしばしば省略して「掩体」と呼んだ(現在では使い分けるほうがよい)。
概説
山に横穴を掘って造る場合はトンネル状であり、平地に造る場合は鉄筋コンクリート製でかまぼこ型をしていることが一般的(少ない資材で大きな強度が得られるため)。第二次世界大戦時の日本軍は軍用機格納庫を兼ねた木造掩体壕も使ったほか、爆風・破片除けの土堤のみで屋根(天井)が無い簡易な無蓋掩体壕もある。
掩体は、陸上自衛隊では「掩体」と漢字表記、航空自衛隊では行政文書上は「えん体」とひらがな漢字混じり表記、運用上は「シェルター」と現代アメリカ英語で一般的な表現をカタカナにして呼ぶ。第二次世界大戦期などは英語では主にbunker(バンカー)、ドイツ語ではブンカーと呼ばれ、ロシア語由来のトーチカと指す範囲がかなり重なっている。
航空自衛隊の航空機用のえん体は主に戦闘機の防護を目的に設置される。一般に格納庫は脆弱な鉄骨造だが、えん体は鉄筋コンクリート造であり、1機ずつ分散して格納することで防護能力を向上できる。航空自衛隊の戦闘機部隊は全国の7基地に配置されており、そのうち、千歳基地(北海道)、三沢基地(青森県)、小松基地(石川県)の3基地に纏まった数の「航空機えん体」が設置されている。それ以外の、百里基地(茨城県)、築城基地(福岡県)、新田原基地(宮崎県)、那覇基地(沖縄県)の4基地への設置はあまり進んでいない。
陸上自衛隊では掩体壕や塹壕を構築するため掩体掘削機を配備している。
日本における戦争遺跡としての事例
日本軍が第二次世界大戦中に構築した掩体壕が一部に残されている。これは、コンクリート製の大型構造物であり、取り壊しが困難であったために残されたものである。近年では戦争遺跡として保存措置が講じられているものもある。
- 栃木県農業大学校(宇都宮市)敷地内に陸軍宇都宮飛行場のものが2基。同じく栃木県大田原市にあるゴルフ場(那須野ヶ原CC)内に金丸原飛行場のものが1基残る。
- 1939年(昭和14年)に開設された調布飛行場(東京都)の周辺に現在も遺構的に残存しており、飛行場に隣接する武蔵野の森公園ではフェンス越しに見学が可能。また、府中市白糸台の掩体壕も整備されており、フェンス越しに見学が可能。府中市が指定文化財(史跡)に指定。
- 千葉県茂原市には現在も10基の掩体壕が残っており、そのうちの最大の大きさを持つ1基は茂原市の文化財に指定。
- 海上自衛隊館山航空基地(千葉県館山市)の近傍に日本海軍洲ノ崎航空隊の掩体壕が1基ある。また、その近隣に零戦の試験射撃場跡があり、7.7mm機関銃弾の弾痕が残されている。
- 柏陸軍飛行場跡(千葉県柏市)の東側誘導路に沿って、6基の無蓋掩体壕が現存することが確認され、市民団体が柏市長などに調査、保存のための要望書を2009年10月5日に提出した。
- 千葉県印西市には印旛陸軍飛行場関連の無蓋掩体壕が、1982年の時点で36基残っていたが、2009年時点では1基がほぼ完全に残っているのが確認されているのみ。
- 千葉県の海軍香取航空基地跡地の北西角付近の北側田圃内(匝瑳市春海)に航空機用有蓋掩体壕が2基、同南東角の東側、鎌数伊勢大神宮(旭市鎌数)の駐車場脇に大型機用有蓋掩体壕がある(いずれも個人所有地内)。
- 旧下館飛行場(茨城県筑西市)南西角付近には、無蓋掩体壕3基と(北側の土盛りが残っている)半壊した1基が残存している。
- 神奈川県横浜市金沢区に所在する野島には、1945年(昭和20年)に旧日本海軍が建設した「野島掩体壕」が存在する。横須賀海軍航空隊基地の航空機群を退避させるために造られたもので、野島山の山体を貫通し、入口の幅約20 m、高さ約7 m、全長260 mを測り、現存する遺構としては日本最大級とされる。
- 航空自衛隊岐阜基地(各務原市)近くの前度地区の不動山には、岩盤をくりぬいて作られた掩体壕があり、その周辺にも2基残っている。
- 高知空港近くの南国市に7基残されているという[1]。南国市が文化財に指定し、掩体壕について説明する看板を設置。
- 愛媛県松山空港の近傍には3基残されている。
- 福岡県行橋市稲童には、市指定文化財(史跡)となった「稲童1号掩体壕」がある。築城海軍航空隊基地が昭和19年(1944年)8月に建設され、鉄筋コンクリート造の有蓋掩体壕で、入口は幅26.8m・高さ5.5m、奥行きは23.5mを測る。
- 旧熊本空港の近傍には数基残されている。
- 大分県宇佐市にはかつて宇佐海軍航空隊があり、そのうちの一つが宇佐市によって保存整備されている。
- 宮崎県の宮崎空港滑走路西側に戦闘機用の掩体壕が、また、宮崎空港南西の宮崎南バイパスから本郷中学校付近には爆撃機用の掩体壕がそれぞれ複数残されている。
- 鹿児島県の鹿屋航空基地内にも掩体壕が残されている。この壕は現在使用されていない。
- 鹿児島県出水市の出水海軍航空隊跡に掩体壕が3基残っている。
- 喜界島(鹿児島県大島郡喜界町)中里に第二次世界大戦で海軍特攻隊の中継基地で整備に使われていた1基が残っている。
- 韓国済州島南西部の大静洞には、日本海軍が日中戦争当時に建設した飛行場の跡に掩体壕が約20基残っている。済州特別自治道によって文化財指定される予定である[2]。
- 八尾空港(大阪府八尾市)東方の畑の中に1基残っており、農機具などの倉庫として活用されている。
- 滋賀県東近江市には、かつて陸軍八日市飛行場があり、2000-01年の調査によると飛行場跡周辺にはコンクリート製の有蓋掩体壕が2基、無蓋掩体壕が10基、合計12基の現存が確認されている。
- 台湾の宜蘭県員山にある員山機堡(員山神風特攻隊基地)には3基残っている。そのうち1基は、員山旅遊服務中心として利用されており、当時の写真などの資料が展示されている。
その他にも、倉庫として使用されている例があり、例えば、米子空港(航空自衛隊美保基地)構内とその近傍には数基残っているが、一部は地元の農家が農機具・肥料倉庫として活用している。
脚注
関連項目
外部リンク
- 米子建築塾.Web 美保基地周辺の防空壕群 - 一番下の写真には倉庫として使用されている掩体壕がある。
- 千葉県の戦争遺跡/資料室/柏陸軍飛行場の掩体壕
- 飛行機用の防空壕、「掩体壕(えんたいごう)」のたたずまい(デイリーポータルZ)