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木の肺
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木の肺

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1943年に第110オーストラリア軍病院で患者を治療するために使用されている木の肺

木の肺(きのはい)は、ボス・レスピレーターとも呼ばれ、1937年にエドワード・トーマス・ボスによって発明された陰圧換気型の人工呼吸器である。一般的には「鉄の肺」と呼ばれていた物の簡易版で合板で作られていたことから鉄の肺に対して木の肺と呼ばれた。1940年代から1950年代にかけて、ウィリアム・モリスの支援によって英連邦病院に無料で提供されたことにより広く使用されるようになった。

開発

1937年にオーストラリアが直面していたポリオのパンデミックに対して当時、鉄の肺は、病気の合併症である「麻痺性呼吸障害」を治療する主要な方法の1つだった。人工呼吸器は以前にも開発されていたが、鉄の肺自体はまだかなり新しく、1928年にフィリップ・ドリンカールイス・A・ショーによって開発された。「鉄の肺」として知られるようになった彼らの開発した人工呼吸器はポリオに苦しむ患者の寿命を延ばす効果的な手段であることが証明された。ポリオによる呼吸不全で2日後に死亡すると予想された患者は2週間人工呼吸を行い回復した。しかし、オーストラリアでは、鉄の肺の広範な使用は非常に高いコストを始め多くの要因により困難であった。アメリカでも同時期にポリオのパンデミックが起きており輸出が困難になっていたことも問題であった。

アデレード大学に在籍していた発明家であるエドワード・トーマス・ボスは、パンデミックによって起きた人工呼吸器の需要を満たすための代替手段を提供するために木の肺をつくった。エドワードは弟のドナルドと一緒にBoth Equipment Limitedを運営しており、以前に医療機器を開発していた。ボス博士が独自の鉄の肺を作成するのに数週間かかった。これを「ボス・ポータブルキャビネット・レスピレーター」と名付けた。鉄の肺とは異なり、ボスの人工呼吸器は合板で作られていた。これにより、価格が抑えられ、持ち運びが容易になった。どちらの木の肺もわずか100ポンド(鉄の肺の値段は2000ドル以上)で、軽量で車輪が追加されているため移動可能で、病院内部の工房で自作できるほどシンプルであったため、すぐに成功を収めた。携帯性は他の可能性も開き、その結果、デバイスからの拡張支援が必要な人々は、個人の住居で1つを使用できた。実際、2003年には、ビクトリア州内の住居で使用されている木の肺が5台あった。

ボス博士とナフィールド卿

オーストラリア国立博物館に展示されている木の肺

1938年にエドワード・ボスの弟のドナルドは発明した心電計を売るためにイギリスを旅行していた。そこにいる間、彼はBBCラジオで、田舎の病院に住む若い患者の治療を助けるための鉄の肺が必要であることを知った。呼び出しに応じて、ボスは工房を借りて、24時間以内に木の肺を組み立て、そして木の肺はロンドン郡議会の承認をすぐに得ることができた。その後、彼は滞在中にさらに多くの人工呼吸器を作り、1つはラドクリフ診療所のナフィールド病院に送られ、そこで木の肺の短編フィルムが作成された。この映画はその後、医学部教授であるロバート・マッキントッシュによってウィリアム・モリス(ナフィールド卿)が鑑賞した。ナフィールド卿は、自動車メーカーモーリスの創業者であり、慈善家としても知られていた。

ナフィールド卿はその年の11月に、木の肺の製造のために自動車工場の一部を引き渡して必要とする連邦内の病院に呼吸器を無料で提供することを申し出た。医学雑誌BMJで、当初からの反対を押し切ってナフィールド卿が鉄の肺の特許を無断使用し侵害する機器を製造して病院に配布した行いが非難された(後に鉄の肺は特許無効の判決が出て特許権が消滅している)。1700台を超える木の肺が病院に配布された。たとえば、1950年代初頭までに、英国には700を超える木の肺があったが、鉄の肺は50台しかなかった。

参考文献


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