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解離性同一性障害
解離性同一性障害 | |
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分類および外部参照情報 | |
診療科・ 学術分野 |
精神医学, 心理学 |
ICD-10 | F44.8 |
ICD-9-CM | 300.14 |
MeSH | D009105 |
GeneReviews |
解離性同一性障害(かいりせいどういつせいしょうがい、英: Dissociative Identity Disorder ; DID)は、解離性障害のひとつである。かつては多重人格障害(英: Multiple Personality Disorder ; MPD)と呼ばれていた。
解離性障害は本人にとって堪えられない状況を、離人症のようにそれは自分のことではないと感じたり、あるいは解離性健忘などのようにその時期の感情や記憶を切り離して、それを思い出せなくすることで心のダメージを回避しようとすることから引き起こされる障害であるが、解離性同一性障害は、その中でもっとも重く、切り離した感情や記憶が成長して、別の人格となって表に現れるものである。
DSM‒5では、解離性同一症の診断名が併記される。
定義
「解離」には誰にでもある正常な範囲から、治療が必要な障害とみなされる段階までがある。 不幸に見舞われた人が目眩を起こし気を失ったりするがこれは正常な範囲での「解離」である。 さらに大きな精神的苦痛で、かつ子供のように心の耐性が低いとき、限界を超える苦痛や感情を体外離脱体験や記憶喪失という形で切り離し、自分の心を守ろうとするが、それも人間の防衛本能であり日常的ではないが障害ではない。 解離は防衛的適応ともいわれるが一過性のものであれば、急性ストレス障害 (ASD) のように時間の経過とともに治まっていくこともある。この段階では急性ストレス障害と診断されない限り、「障害」とされることは少ない。
しかし防衛的適応も慢性的な場合は反作用や後遺症を伴い、複雑な症状を呈することがある。 障害となるのは次のような段階である。 状況が慢性的であるがゆえにその状態が恒常化し、子供の内か、思春期か、あるいは成人してから、何かのきっかけでバーストしてコントロール(自己統制権)を失い、別の形の苦痛を生じたり、社会生活上の支障まできたす。これが解離性障害である。
解離性同一性障害(以下DIDと略)はその中でもっとも重いものであり、切り離した自分の感情や記憶が裏で成長し、あたかもそれ自身がひとつの人格のようになって、一時的、あるいは長期間にわたって表に現れる状態である。しかしDIDの人の中には、長期にわたって「別人格」の存在や「人格の交代」に気づかない人も多い。 深刻度はさまざまであり、中には治療を受けるも、特別に問題をおこすこともなく、無事に大学を卒業し、就職していくものもいる。
しかし深刻な場合には、例えば「感情の調整」が破壊されることからさらに二次的、三次的な派生効果が生まれ、衝動の統制、メタ認知的機能、自己感覚などへの打撃となり、そうした精神面の動きや行動が生物学的なものを変え、それがまた精神面にも行動面にも跳ね返ってくるという負のスパイラルに陥る。 うつ症状、摂食障害、薬物乱用(アルコール依存症もこれに含まれる)、転換性障害を併発することがあり、そして不安障害(パニック障害)、アスペルガー障害、境界性パーソナリティ障害、統合失調症、てんかんによく似た症状をみせ、リストカットのような自傷行為に留まらず、本当に自殺しようとすることも多い。 スピーゲル (Spiegel,D.) は、その深刻なケースを念頭においてだが、次のように述べている。
- 「この解離性障害に不可欠な精神機能障害は広く誤解されている。これはアイデンティティ、記憶、意識の統合に関するさまざまな見地の統合の失敗である。問題は複数の人格をもつということではなく、ひとつの人格すら持てないということなのだ。」
一般に多重人格といわれるが、ひとつの肉体に複数の人間(人格)が宿った訳ではない。 あたかも独立した人間(人格)のように見えても、それらはその人の「部分」である。 これを一般に交代人格と呼ぶが、そのそれぞれがみなその人(人格)の一部なのだという理解が重要といわれる。 それぞれの交代人格は、その人が生き延びるために必要があって生まれてきたのであり、すべての交代人格は何らかの役割を引き受けている。
治療はそれぞれの交代人格が受け持つ、不安、不信、憎悪その他の負の感情を和らげ、逆に安心感や信頼感そしてなによりも自信、つまり健康な人格を育て、交代人格間の記憶と感情を切り離している障壁を下げていくこととされる。 しかし交代人格は記憶と感情の水密区画化、切り離しであるため、表の人格にとっては健忘となり、先述の通り当人に自覚がない場合も多い。自覚があっても治療者を警戒しているうちは交代人格は姿を現さない。また治療者が懐疑的であったりするとやはり出てこない。逆の表現をすると「DID患者に一度出会うと、すぐ次のDID患者に出会う」。 DIDはそれを熟知した精神科医や臨床心理士が少ないこともあり、他の疾患に誤診されやすい。
解離の因子
解離の因子を最初に整理したものとして1984年にリチャード・クラフト (Kluft,R.)が発表した四因子論があり、そこでは解離能力/催眠感受性などの「解離の資質」が前提とされていたが、現在ではニュアンスが変わっている。ここではまず解離を生むストレス要因を見てから、解離の資質、解離しない能力についてまとめる。
解離を生むストレス要因
生理学的障害ではなく心因性の障害である。 心因性障害の因果関係は外科や内科のように明確に解明されている訳ではなく、時代により人によって見解は統一されていない。 治療の方向性はある程度は見えてきてはいるものの最終的には試行錯誤である。 むしろ多因性と考え、あるいは一人一人違うと考えた方が実情に即しており、以下もあくまで一般的な理解のまとめに留まる。
解離性障害となる人のほとんどは幼児期から児童期に強い精神的ストレスを受けているとされる。 ストレス要因としては、(1)学校や兄弟間のいじめ、(2)親などが精神的に子供を支配していて自由な自己表現ができないなどの人間関係、(3)ネグレクト、(4)家族や周囲からの児童虐待(心理的虐待、身体的虐待、性的虐待)、(5)殺傷事件や交通事故などを間近に見たショックや家族の死などとされる。 この内、(4)(5)がイメージしやすい心的外傷(トラウマ)である。
1980年代頃の北米の事例で象徴的なのは慢性的な(4)のケースである。 パトナム (Putnam,F.W.) は1989年には児童虐待がDIDを「起こす」と証明された訳ではないが、DIDと心的外傷、なかんずく児童虐待との因果関係を疑う治療者はひとりたりともいないと云ったが、同時にそれ以外の児童期外傷として(5)の「地域社会の暴力」「家庭内暴力」「戦争と内乱」「災害」「事故と損傷」もあげている。
(3)のネグレクト (neglect) を原因とするDID症例も多く、ネグレクトは虐待とセットで論じられることも多い。 ネグレクトというと「養育放棄」の重いもの、「充分な食事を与えない」「放置する」というようなイメージが強いが、意味するところは広く、経済的事情・慢性疾患などで子供の感情に対する応答ができないなども含めて、精神の発達に必要な愛情その他の養育が欠如している状態を指す。 ネグレクトも心的外傷 (trauma) に含めてそれを陰性外傷 (negative trauma) と呼び、通常の虐待を陽性外傷 (positive trauma) と呼ぶこともある。陰性外傷としてとらえた場合には、それが親の責任であるかどうかに関わらず、場合によっては子供の過度の感受性故の誤認による主観的な心の傷まで範囲は広がる。 家庭内の虐待を伴わないネグレクトもあるが、家庭内の虐待は多くの場合、陽性外傷であるとともに陰性外傷でもあることがある。ストロロウ (Stolorow,R.) などは、小児期における心的外傷は苦痛自体が外傷体験なのではなく、それに対して養育者(親)が応答してくれない、波長を合わせる(attunement) ことを行わないことが外傷体験であるという。クラフトの四因子論で云えば4つ目の「慰めの不足」に似ている。
日本では(1)(2)を要因とする症例も多い。 (2)は「関係性のストレス」とも呼ばれる。 過保護でありながら支配的な家庭環境によるストレスが中心だが、中には次のようなケースも含まれる。 母親はすごく良い子で手がかからずスムーズに育ってきたと思っていた。 しかし娘は、いい子でいなくてはと親の気持ちをくみ取りながら生きているうちに自分の気持ちが内側にこもり解離が始まりだす。 報告されている事例は娘の場合が多いが、息子の場合もありうる。 このようなケースでは母親は娘(主に)の発症に訳も判らぬまま自分を責めることがしばしばある。 ただしアメリカの治療者がそうした側面を見ていないわけではない。 例えばアリソン (Allison,R.B.) は1980年の自著の中でこう書いている。 特に後半などは岡野憲一郎が「関係性のストレス」として描きだしたものと共通するニュアンスがある。
- 「原因には似通ったパターンがあるということだ。〈児童虐待〉もそのひとつである。・・・精神的・心理的暴力(いじめ)も含まれる。・・・片方の親は〈良い親〉で、もう片方は〈悪い親〉と見られている。・・・〈良い親〉が、子どもを〈捨てる〉といったことも多い。実際には、親が死亡したり、軍務についたり、あるいはいたしかたない別離なのだが、子どもにはそれが理解できない」「他の人格を作り出す子どもは、怒りや悪い感情を抑えなさいと教えられていることが多い。いい子は怒ったりしないというのが、両親や保護者から強制される態度である。」
安心していられる場所の喪失
心的外傷はPTSDなど様々な現れ方をするが、柴山雅俊は解離性障害が重症化しやすい特徴を「安心していられる場所の喪失」ととらえている。 柴山は自らが関わった解離性障害者42人を、自傷傾向や自殺企画が反復して見られる患者群23名とそうでない19名に分けて、患者の生育環境との相関を見た結果、DIDを含む解離性障害の症状を重くする要因は、日本の場合、家庭内の心的外傷では両親の不仲であり、家庭外の心的外傷では学校でのいじめであるとする。 「安心していられる場所の喪失」とは、本来そこにしかいられない場所で「ひとりで抱えることができないような体験を、ひとりで抱え込まざるをえない状況」に追い込まれ、逃げることもできずに不安で不快な気持ちを反復して体験させられるという状況である。
自分を肉体的、あるいは精神的に傷つけた相手が、本来なら自分を癒すはずの相手であるために心の傷を他者との関係で癒すことができない。 こうして居場所の喪失、逃避不能、愛着の裏切り、孤独、現実への絶望から、空想への没入と逃避、そして解離へと至るのではないかとする。 ジェフリー・スミス (Smith. J.) は2005年の「DID(解離性同一性障害)治療の理解」の中でこう述べている。
- 「解離性記憶喪失を感情的トラウマのための一種の回路遮断機と見なすならば、記憶喪失の引き金となりうるほどの深刻なトラウマは何か、という疑問が生じる。第一の、そして最重要の要素は、私見では孤独感、すなわち安心してその事象を分かちあえる人間の欠如である。」
スミスが扱ったケースはいかにもアメリカ的な児童虐待であったが、それでも柴山と同じ結論に至っている。 「安心していられる場所の喪失」も心の傷ではあるが、PTSDでイメージしやすい戦争体験、災害、犯罪被害、事故、性暴力などと比べると性格が異なる。 先に触れたネグレクトもこの問題に関係する。 ここで、クラフトの四因子論でいえば4番目の「十分な慰め」の欠如が、むしろ重要な要因として浮かび上がってくる。
愛着理論からの視点
最近では幼児期の生育環境と解離性障害の関係も指摘されている。 発達心理学の愛着理論(Attachment theory)では、Aタイプ(回避群)、Bタイプ(安定群)、Cタイプ(抵抗群)が有名だが、1986年にメイン (Main,M.) とソロモン (Solomon,J.) が発見したDタイプ(無秩序・無方向型)が新たに加わる。 1991年にはバラック (Barach,P.M.M.) が愛着関係(attachment)とDIDとの関係を示唆し、あるいは2003年にライオンズ-ルース (Lyons-Ruth.K.) が、明確な心的外傷がなくとも、Dアタッチメント・タイプにあった子供は解離性障害になる可能性が高いとするなど、後徐々にこの方面での研究が進んでいる。 そしてリオッタ (Liotti.G.) は2006年に、このDタイプを示すような養育状況が、解離性障害への脆弱性を増大させるというモデルを提唱し、解離性障害の(従ってDIDでも)精神療法は第一にこのアタッチメントに焦点をあてるべきであると主張した
解離の資質
次にクラフトの四因子論ではDIDの条件であった「解離する潜在能力・催眠感受性」である。1982年に、アメリカの心理学者ウイルソン (Wilson,S.C.) とバーバー (Barber,T.X.) は「ファンタジーを起こしやすい性格:理解画像、催眠、および超心理学現象の影響」という論文で、催眠に掛かりやすい人は空想傾向があり、かつ深く没入すると発表した。これを「空想傾向」 (fantasy-proneness) という。 ここでいう「空想傾向」とは普通の人にも当てはまるレベルではなく、その傾向が顕著な一群であり、人口の約4%が該当とする。 彼らは幼児期から空想の世界に浸り、実際に体験したことと空想の記憶を混同してしまう傾向がある。 イマジナリーフレンド(後述)と遊び、小さな妖精や守護天使、樹木の精霊などが実在していると信じ、遊んでいた人形や動物のおもちゃが実際に生きていると信じていたという。 ただしこれには1990年代に入って一部修正する研究も出始めている。
柴山雅俊はDIDを含む解離性障害の患者の幼少期の主観的世界は、ウイルソンらが指摘した「空想傾向」に大きく重なるとする。 ただし「空想傾向」の一群が解離性障害とイコールということではない。 違いは「空想傾向」は願望的でファンタジーであるに対し、解離性障害の患者達は気配敏感のような恐怖や怯えが含まれることであるとする。 両者の違いについては「イマジナリーフレンド」の章でもう一度ふれるが、空想傾向が虐待や解離性障害などの結果なのではなく、そうした資質、ある種の才能を持っている者が幼少期に持続的なストレスに見舞われたとき、空想に逃げ込み、重症の場合はDIDになると理解されている。
レジリエンス・解離しない能力
「解離の資質」は「脆弱性」 (vulnerability) ともいいなおされる。 その「脆弱性」の反対の概念が「レジリエンス」(resilience)である。レジリアンスとも表記される。 精神医学の世界では、ボナノ (Bonanno,G.) の「極度の不利な状況に直面しても、正常な平衡状態を維持することができる能力」という定義が用いられることが多い。
何故これが問題になるのかというと、例えばPTSDである。 1995年のアメリカの論文によると、アメリカ人の50% - 60%がなんらかの外傷的体験に曝されるという。しかしその全ての人がPTSDになるわけではなく、なるのはその8% - 20%とある。 2006年の論文では、深刻な外傷性のストレスに曝された場合、PTSDを発症するのは14%程度と報告されている。 では、なる人とならない人の差は何か、というのがこのレジリエンスである。
2007年にアーミッド (Ahmed) が、目に見えやすい性格的な特徴を「脆弱因子」と「レジリエンス因子」にまとめたが、そこで特徴的だったことは「レジリエンス因子」は「脆弱因子」のネガではないということである。 「脆弱因子」を持っていたとしても、「レジリエンス因子」が十分であればそれが働き、深刻なことにはならない。 その「レジリエンス因子」には「自尊感情」「安定した愛着」から「ユーモアのセンス」「楽観主義」「支持的な人がそばにいてくれること」まで含む。 レジリエンスはいわば自発的治癒力である。 この問題は、単になりやすい人、なりにくい人の差だけでなく、その治療にも大きなヒントを与えるものとして注目されている。
人格の解離
人格の区画化
「ネガティブな心的内容」を離人症状や体外離脱でやり過ごしたり、その記憶を切り離すことは本能的な防衛反応とも云え、一時的なもので済めば障害とはいえない。 しかしそれが恒常化すれば、抑圧し切り離した記憶もまた自分の一部であるので、何らかの形で自分を縛っている。 それがさらに進んで切り離した自分の記憶や感情が表の自分とは別に心の裏で成長し、それ自身が意志をもったひとつの「わたし」となる(以下本稿では「私」と「わたし」を区別して表記する)。 ひとりの人間(人格)の記憶と感情が区画化され、壁で隔てられた状態である。
柴山雅俊は「ネガティブな心的内容」を受け持った「切り離されたわたし」を「身代わり部分」「犠牲者としてのわたし」、「切り離した私」を「存在者としての私」と呼んでいる。 「犠牲者としてのわたし」は心の中で生き続けている「まなざしとしてのわたし」でもある。 「存在者としての私」は「まなざしとしてのわたし」の気配、視線を感じて「後ろに誰かいる」と気配過敏症状を表す。
「切り離した私」は「切り離されたわたし」を知らないが、「切り離されたわたし」は「切り離した私」のことを知っていることが多い。 そして「切り離されたわたし」が一時的にでもその体を支配すると、表では人格の交代となる。 しかしほとんどの場合、周りの者には「急に性格が変わる」と思われるだけで別人格だとは気づかれない。 「元々の私」「切り離した私」を主人格 (host parsonality)、または基本人格 (original pasonality) と呼ぶ。 それに対して「切り離されたわたし」が解離した別人格であり、交代人格 (alter personality) という。 交代人格がその体を支配していることもある。 交代人格しかいない場合もある。
バン・デア・ハート (Van der Hart) らの構造的解離理論では「あたかも正常に見える人格部分 (ANP)」と「情動的人格部分 (EP)」に分けている。 ANPは日常生活をこなそうとする人格部分 (personality parts) であり、EPは心的外傷を受けたときの過覚醒、逃避、闘争などに関わっている。 そしてその組み合わせにより、構造的解離は3つに分類される。
交代人格
交代人格の現れ方は多様であるが、例えば弱々しい自分に腹を立てている自分、奔放に振る舞いたいという押さえつけられた自分の気持ち、堪えられない苦痛を受けた自分、寂しい気持を抱える自分などである。 先に述べたように、「切り離した私(主人格)」は「切り離されたわたし(交代人格)」のことを知らない。 そして、普段は心の奥に切り離されている別の「わたし(交代人格)」が表に出てきて、一時的にその体を支配して行動すると、「切り離した私(主人格)」はその間の記憶が途切れ、戻ってきたときにはその間に何があったのかを知らない。
交代人格は「元々の私」が切り離した主観的体験の一部、あるいは性格の一部であるので極めて多様であるが、事例によく現れるのは次のようなものである。
- 主人格と同性の、同い年の交代人格。ただし性格が全く異なる。
- そのほか、受け持つ事件が起こったときの年齢の交代人格が現れることもある。
- 子供の交代人格もよく出てくる。4 - 7歳児が多いが、2歳児の人格も報告されている。
- 他の交代人格の存在を知らず、別の交代人格が表に現れているときの記憶を全く持たない交代人格がある。主人格もそうであるので、幻聴や健忘に困惑しても本人は交代人格がいることに気がつかない。
- 逆に主人格や、他の交代人格の行動を心の中から見て知っている交代人格もある。
- 怒りを体現する交代人格や、絶望、過去の耐え難い体験を受け持つ交代人格。リストカットや睡眠薬で自殺を図ろうとする自傷的な交代人格もそのなかに多い。性的に奔放な交代人格が現れることもある。
- 異性の交代人格なども現れる。
- 逆にこの子(自分なのだが)はこうあるべきなのだと考えている理知的な交代人格が現れる場合もある。ラルフ・アリソンがISH(内的自己救済者)と呼んだものもこの範疇になる。
- 危機的状況で現れて、その女性の体格では考えられない腕力でその子を守る交代人格もある。
それらの交代人格は表情も、話言葉も、書く文字も異なり、嗜好についても全く異なる。 例えば喫煙の有無、喫煙者の人格どうしではタバコの銘柄の違いまである。 絵も年齢相応になる。 また心理テストを行うとそれぞれの人格毎に全く異なった知能や性格をあらわす。 顔も全く違う。 勿論同じ人間なのだから基本となる骨格、目鼻立ちは同じではあるが、単なる表情の違いとは全く異なる。 そのほか演技では不可能な生理学的反応の差を示す。
多重人格といわれてもひとつの肉体に複数の人格が宿った訳ではない。 あたかも独立した人格のように見えても、それらは一人の人格の「部分」である。 例えていえば人間の多面性の一面一面が独立してしまったようなものであり、逆にその分、主人格は「感情」が薄いことが多い。 なお、治療者はそれぞれの理解と治療方針に基づいて様々な交代人格の分類を行うことがあるが、一般化はできない。
DIDの治療
兆候
以下は治療者にとっての診断基準ではなく、あくまで周囲の者にとっての兆候である。 診断を行うのは医師である。 しかし誰かが気づき、治療者につなげなければ治療は始まらない。 なお、本人にとっての兆候は柴山雅俊監修の『解離性障害のことがよくわかる本』に解りやすくまとめてある。
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突然「貴方だれ!」と
親に対してはあまりないが、友人、恋人、夫または妻、あるいは会社の同僚に対して突然「貴方だれ!」と言い出し、例えば会社の中などで急に怒り出す、突然座り込んで泣く、息ができないと言い出しパニック状態になる。その会社に勤務していることを知らない交代人格が職場で突然表に現れれば、当然同僚の顔は知らず、どこにいるのかも判らない。 -
年齢・性格にそぐわない態度
例えば成人の女性であるのに、恋人や夫に突然子供のような振る舞いで甘えてくる。通常の甘えとは明らかに異なり、4歳とか6歳児のようなしゃべり方をすることもある。自分の娘より子供のようになることもある。あるいは逆に極めて乱暴な口調、場合によっては男言葉で罵倒しはじめる。しぐさや服装、好みがガラリと変わる。 -
自分じゃないと
明らかに自分がやったのに自分じゃないと言い張る。絶対に言い逃れできない状況であって、「嘘つき」ならもっとましな言い逃れをするはずだと思う場合があるかどうか。これは決め手にはならないが、初診時に申し添えておいたら診察者にとって重要な手がかりになる。 -
リストカット
解離が起こっている人間はリストカット等自傷行為を繰り返すことがある。多くは人の気をひくためではない。本当に自殺しようとする場合もあるが、現実感の喪失から痛みで生きていることを実感しようとする場合も多い。普通の人には理解しがたいが、消えようとする自分を取り戻すための防衛的行為であることもある。現実感喪失は離人症状とともにホームズ (Holmes, E.A.)のいう離隔 ( detachment )のひとつである。 -
性格
兆候ではないが(1)幼い頃からおとなしく自己主張できない。(2)受け身で依存的である。(3)自分を抑えていて聞き分けがいいよい子であると親の目には映る。前述のエピソードに加えてその人がこのような性格であればDIDか、または他の解離性障害の可能性は高まる。
周囲の役割
治療は精神科医や臨床心理士などの助けを借りる必要がある。
それなしでは治癒はおぼつかないが、しかし治療は精神科医や臨床心理士だけでできるものではなく、周囲の協力が大きな力になるとされる。
本人にとってストレスの元になっている人を除いてだが、親や兄弟、そしてパートナーの支え、身近なものとの安心できるつながりや、その中で感情表現の機会を作ってあげることはとても大切であるという。
DIDのすべてが重篤な病態というわけではなく、見守っていたり、家族や環境のちょっとした調整で改善する例も少なくない。
患者という船を安心できる港に着岸させることを治療の目的と考えれば、精神科医やセラピストはDIDの治療の水路を熟知している水先案内人であり、実際に牽引して着岸させるタグボートが周囲の者と考えれば解りやすい。
そのためにもパートナーや家族は必要に応じて治療者との面談を行いアドバイスを受けることが推奨される。
特にパートナーや配偶者は非常に大きな力になるといわれる。
周囲の接し方としては以下の3点が基本である。
- 「異常」あつかいをしない。
- どの人格にも愛情をもって接する。依怙贔屓(えこひいき)しない
- 話をちゃんと聴く。気持ちを受け止める。
ただし、友達などが、打ち明けられた直後に「いいお医者さんがいるよ」などというのは異常あつかいをされたと受け取られ、その人に絶望感を与えることになりかねない。
話をちゃんと聴いてあげる、気持ちを受け止める、愛情・友情をもって接することが先であり、そのこと自体が治療的である。
攻撃的人格の場合は憎悪をぶつけてくるので、普通の人間にはその気持ちを受け止めることは非常に難しいが、できる限りきちんと話を聞き、言っていることを理解しようとしている姿勢を見せることは重要とされる。
「暴力的な人格」の「暴力」は、純粋に加害的な暴力ではなく、多分に自己防衛的な「抵抗性の暴力」であることも多い。
やってはいけないこととして、岡野憲一郎は3つあげている。
- 症状の背景になんらかの虐待があると決めつける。
- 本やインターネットの中途半端な情報を信じ、見よう見まねで「治療」を試みる。
- 興味本位であれこれと問いかけ、別人格を呼びだそうとする。
「話をちゃんと聴く」ことと「ほじくりかえす」ことは全く別である。 また、柴山雅俊は、周囲の者が陥りやすいあやまちとして、出版されている多重人格の本を沢山読み「患者とともに知らぬ間に解離の世界へと没入」してしまうことを指摘する。
何を解消するのか
概要に述べたように別の人格がいることが障害なのではない。 そこから引き起こされる精神的混乱、不安定さ、人格の希薄化、実生活面での混乱や困難さが問題なのであり、それを和らげて最後には解消することが治療の目的とされる。 岡野憲一郎は、「臨床家はなぜDIDに苦手意識を持つのだろうか」という文脈の中でだが「実は解離はそれ自体が病理の本質となることは決して多くないと私は考えている」「治療的に扱う対象は解離そのものというよりは、むしろ合併症や患者を取り巻く生活状況ということになろう」とまで言っている。
うつ症状や焦燥感、極度の不安などを感じているときには、抗うつ剤や抗不安剤などでそれらを抑えることはあるが、それは周辺症状に対する補助的なもので、基本は精神療法、簡単にいうとカウンセリングである。 それをどのように行うかは治療者、さらにそれぞれの患者(臨床心理士にとってはクライアント)の状況によって異なる。
精神療法の基本的前提
柴山雅俊は「解離に対する精神療法の基本的前提」として以下の10項目を挙げている。
なおここでは柴山雅俊のものを紹介したが、アメリカの治療者でもニュアンスは共通する。 もちろん昔日本にも紹介されたアメリカのものとは違う部分もある。 例えば1986年時点のブラウン (Braun,B.G.) の治療の12段階には「治療契約をする」という項目が含まれていた。 契約といっても世間一般でいう契約書ではなく「私は、いつ何時でも、偶然か故意かを問わず、自分自身をも外部の誰をも傷つけたり殺したりしません」 というような治療者と患者の約束事であり、治療的意味合いが強い。 柴山の10項目の9番目にある「破壊的行動や自傷行為などについては行動制限を設け」がそれに近い意味合いである。
またマッピングと言って、患者に内部の交代人格の存在とか相互の関係を図に書かせることも、少なくとも1990年代中半まではスタンダードな手法であった。 ロス (Ross,C.A.) も1989年当時はマッピングを重視していたが、1997年には「私は敢えてそれをするよりは、各交代人格が自然に出現してくるに任せるようにしている」と述べている。 パトナムの1997年の『解離』でも、目次はおろか索引からすら姿を消している。 1997年は様々な点でDIDの環境や治療方針が大きく変わった年である。 2020年現在でも使われることもあるが、アメリカでも日本でも必須とはされていない。
上記の10項目の3番目は2つの問題に分割される。 「除反応かレジリエンス(自然治癒力)の強化か」「人格の統合がゴールか」という2点である。
除反応かレジリエンスの強化か
1989年当時、パトナムは治療の焦点を心的外傷からの回復と治療的除反応 (Abreaktion)とおき、「苦しむ患者をこれほど劇的に救出する精神医学的介入方法は他にはそうざらにない」とまで言っていた。 除反応はカタルシス療法とも呼び、フロイト(Freud,S.) の初期の共同研究者であったJ.ブロイアー (Breuer,J.) の患者アンナ・O自身が発明し、「お話し療法 (独 redekur) 」「煙突掃除 (独 kamiegen) 」と呼んだ方法である。 単純に云えば心の奥底にあるものを思い出して言語化すれば症状は消失するという療法である。 催眠を使う場合は催眠により記憶を呼び覚まし、再体験させることもある。
アンナ・Oの場合は口に出すことでその症状は消えたが(もっとも症状は次から次へと現れた)、しかしその「心の奥底にあるもの」が深刻な虐待、またはそれに類する外傷体験 (traumatic experience) である場合には、不用意にそれに直面するとフラッシュバックを起こして収拾がつかなくなり、逆に症状を悪化させることもある。 除反応どころか再外傷体験となってしまうのである。 DIDは精神障害の中で自殺企画率が高いとも云われるが、特に記憶回復、除反応を始めると増加するという報告すらある。 クラフトは1988年段階でも、十分な信頼関係を築けた後に治療者が除反応的なアプローチが必要と思った場合でも、言葉を選んで環境も整え、相手の意志を尊重して、一気にではなく小出しに、分節化 (fractionated abreaktion) してそれに当たるとしていた。 もちろんパトナムも同様に慎重であった。
しかし2020年現在では除反応よりも、それぞれの人格が受け持つ不安、不信、憎悪その他の負の感情を和らげ、逆に安心感や信頼感を育てていくことが重視されはじめている。 ロス (Ross,C.A.) は1989年段階から除反応には慎重な姿勢を示し、1997年には除反応行わないと宣言する。 1989年には除反応を説いていたパトナム自身も1997年の『解離』では、リクラゼーションにより患者の自発的治癒力を強める方向を重視しはじめた。
国内でも「外傷体験を聞き出しての除反応に治療者が夢中になるのは非治療的」と考えられている。 一丸藤太郎は、「DIDであれば性的虐待などの深刻な心的外傷を受けているはずだという前提からアプローチするのは禁忌である」「心的外傷体験はできればそっと置いておきたい」という。 そして細澤仁も「心理療法において、外傷記憶の想起は必ずしも必要ない」とする。しかし「除反応かレジリエンスの強化か」という問題は二者択一の関係にある訳ではなく、いずれをより重視するのかという問題である。「話をちゃんと聴く」ことと「ほじくりかえす」ことは全く別である。患者の安心感を十分に確立できた段階で、「話をちゃんと聴く」「気持ちを受け止める」という文脈の中で、患者が自から語りはじめるなら、それは十分に治療的であるとされる。「話す」ことは「放す」「解き放つ」ことに通じる。
近代医学の中心的思想であった「発病モデル」は、単純化すると人間を機械と同じと見なし、故障した箇所と原因を究明してそこを修理するという考え方である。 しかし現在の内外の治療者は、それよりもむしろ支持的に接し、支え、自発的治癒力(レジリエンス)を強めるという「回復モデル」に向かいつつある。 2006年にリオッタは、Dタイプを示すような養育状況が解離性障害への脆弱性を大させるというモデルを提唱しているが(「愛着理論からの視点」参照)、愛着理論の立場では、統合された自己はその子が成長する過程で獲得されるものであり、その過程が養育状況により頓挫するのが解離性障害の前提となる脆弱性であるという理解である。 リオッタは、深い悲しみをもつDID患者に対して、治療者が共感的理解を提供することで、その治療関係の中でDID患者の愛着システムが活性化され、安定型(Bタイプ)の愛着を経験しはじめる。 また患者は、脱価値化や自他への攻撃ということの背景には他者によって理解されたい、苦しみを癒してほしいという動機が存在していることを理解するようになる。 それらによって患者は統合へ向かうとしている。 現在の日本の治療者も、大筋において同じ方向を向く者が多い。
人格の統合がゴールか
昔は人格の「統合」がゴールとして強調されたが最近はあまり云われていない。 彼らは記憶や意識を分離し、解離することによって、ギリギリで心の安定を保ってきたのであって、むやみに「統合」を焦るとその安定が崩れかねない。 「統合」の話題は「あんた医者だね。 私に消えろ、死ねというんでしょ!」と反発する人格が現れたり、夜中に「怖いよ!私が消えちゃう!」と泣き叫んだりと、今そこにいる人格に恐怖と苦しみを与えることがある。
「今はバラバラなジグソーパズルだけど、ジグソーパズルはピースがひとつでも欠けたら完成しないよ」とか、「みんなが仲良くなってそれぞれの気持ちを大事にできるといいね」「みんなが幸せになれるといいね」というような接し方をしながらやさしく包みこみ、それぞれの人格の「コミュニケーションを促す」、「橋を築く」、分かれてしまっている記憶や体験を「つなげていく」、「融合する」、「むすぶ」方向が大切であるとされる。 解離はその人の人格が薄まっている状態であり、治療者は患者自身の治癒力(レジリエンス)、ジャネ (Janet,P) や構造的解離理論の言葉を借りれば心的エネルギー (mental energy) が強まるように支援してゆくが、統合するかどうかは本人達が決めることである。 パトナムは、1989年時点でさえ以下のように述べていた。
- 「熟練した治療者の間では、交代人格の完全な統合が望ましい治療目的であるということで意見はほぼ一致しているが、これは多くの患者にとっては端的に非現実的な目標かもしれない・・・統合を治療の中心に据えるのは間違いである。治療は非適応的な反応と行動を、より適切な形の対処行動に置き換えることを目標とすべきである。交代人格の統合がこの過程で生じるのが理想ではあるが、たとえそうならなくとも、患者の機能レベルが大きく改善すれば、その治療は成功したといってよいだろう。」
平易に言い直せば前述の「何を解消するのか」に書いた「精神的混乱、不安定さ、人格の希薄化、実生活面での混乱や困難さ・・・を和らげて最後には解消すること」である。 「統合は多重人格患者の治療目的とするべきものではないが、この喜ばしい結果に至る場合もありうる」という程度である。 さらにパトナムは、その「喜ばしい結果」も、断片的な人格の場合を除いて、交代人格は表から消えたように見えても、死にも去りもせず、休眠、不活性化するだけであるという。 休眠状態も含めて、「統合」はあくまでその人その人達の回復、つまり心の安定の結果に過ぎないとされる。
また、統合が今よりも重視されていた1984年段階においても、ブラウン (Braun,B.G.) は「治療過程の70%の標識」と見積もり、クラフトは「治療の〈一局面〉」にすぎないとし、重要な標識ではあっても治療の終結のしるしとはみなしてはいない。 ロバート・オクスナムの治療を行ったジェフリー・スミスは、おそらく「融合」と「統合」は区別しておいた方がよいのだろうと述べ、企業の合併と同じく、「統合」後に、多くの「文化的相違」を処理することが必要になるという。 「融合」は論者により使われ方が異なるが、この場合は「統合」の後の、真の同一性の獲得、成長を指している。
正常な範囲と周辺の疾患
DIDとよく混同されがちな正常な範囲と、DIDが誤診されがちな他の疾患には以下のものがある。 それ以外にもDIDと併発する疾患もあり、アメリカ精神医学会の精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)の基準では複数の疾患名を併記して良いことになっている。
正常な範囲
性格の多面性
酔うと人が変わる。 散々暴言を吐いておきながら翌日にはそのことを覚えていない。 相手によって態度や発言が変わる。 おとなしい人が突然激昂する。 これらは普通の人間にも良くあることであって異常ではない。 時として自分の内なる声を感じるとか別の自分を感じることがある。 しかしこれも通常は人間の多面性の表れ、日常的な迷いや葛藤であって障害ではない。 障害でないだけではなく、正常な範囲の解離ですらない。
軽度または一時的な解離
金縛りや金縛り中の体外離脱体験なども通常は病的な解離ではない。 また憑依現象(日本では狐憑きなど)や宗教性の一時的トランス状態は、その人が住んでいる文化圏で普通に受け入れられているものならDIDではなく、そもそも障害とはみなさない。 「没入」や「白日夢」などの正常範囲の解離は、たしかに知覚と注意の幅は狭くなっているが、しかし記憶や同一性は、正常状態から遠くに隔たってはいない(「解離」の「誰にでも普通にある正常な範囲」を参照)。
逆に病的解離の特徴は自己史記憶と同一性が、状態で大きく変わることである。 DIDとみなされるのはうつ症状や頭痛、原因の解らない不安、その他の著しい精神的な苦痛もたらす症状が継続的である人の中で、交代人格をもっている人であり、そのことのために対人関係の困難が生じている場合である。 かつては正常な範囲の解離から病的な解離まで連続的であると理解されていたが、現在では連続的ではなくその二つの類型が存在するという理解が主流である。 また、DIDでも記憶が共有されている、別人格がふだんは表には現れないなどで、社会生活に支障がなく、本人も苦痛を感じていないのであれば障害ではない。
統合失調症
「付論1」の「精神分裂病概念の影響」でまたふれるが、DIDが再発見されるまで彼らは統合失調症(schizophrenie)として診断されていたと思われている。 現在は日本でもDIDの知名度は上がっているが、しかしそれを熟知し診断経験のある精神科医はまだ少ない。 さらに現在もDIDに懐疑的な精神科医は残っている。 そうした場合はDIDは統合失調症と診断される可能性が高い。 誤診される一番の原因は「幻聴」である。 DIDの場合、別の人格が語りかけてくる声を聞くことが多く、本人は誰でもそうなんだろうと思っている。 ところがDIDに慣れていない医師がその話を聞くと統合失調症が最初に思い浮かぶ。 統合失調症の判定項目として有名なものにシュナイダー(Schneider,K.)の1級症状があり、以下の項目である。
- 対話性幻声 (問答形式の幻声、複数の声が互いに会話しているような幻聴)
- 行動を解説する幻声 (自分の行為にいちいち口出ししてくる幻聴)
- 思考化声 (自分の考えが声になって聴こえる)
- 思考吹入 (他者の考えが自分に吹入れられる)
- 思考奪取 (他者に自分の考えを抜き取られてしまうような感じ)
- 思考伝播 (自分の考えが周囲につつ抜けになっているように感じる)
- させられ体験 (感情、思考、行為が何者かにあやつられているような感じ)
- 身体的被影響体験 (何者かによって身体に何かイタズラをされているような感じ)
- 妄想知覚 (見るもの聞くものが妄想のテーマに一致して曲解・誤認される)
1939年に発表されたもので、シュナイダー (Schneider,K.) はこの1級症状のうち一つ以上が存在すれば「控え目に」統合失調症を疑うことができるとした。 しかしクラフトは、DIDの可能性を示す主な兆候として15項目をあげ、その11番目に「妄想知覚を除くシュナイダーの第1級症状」をあげている。 「身体的被影響体験」も解離性障害でみられることはまずないが、その2つ以外はむしろDIDに多く該当する。 実際に統合失調症患者ではこのシュナイダーの1級症状の適合は1 - 3項目ぐらいであるに対し、DID患者では3 - 6項目とほとんど倍ぐらいである。
シュナイダー (Schneider,K.) が1級症状を考えた時代はDIDが精神科医の意識から消えていた時代である。 統合失調症の原名(独名)「schizophrenie」はオイゲン・ブロイラー (Bleuler,E.) の造語で、語彙は「schizo(分かれた)phrenie(心)」である。 ブロイラー (Bleuler, E.)もシュナイダー (Schneider,K.) も、そしてヤスパース (Jaspers,K.T.) も、現在のDIDの患者を含めてschizophrenie(統合失調症)概念やその1級症状を考えていたとしたら、シュナイダーの1級症状が現在のDID患者に高い比率で、それもしばしば統合失調症患者より高い比率で当てはまるのは当然ということになる。
しかし問題なのは両者の治療方法が異なることである。 現在の統合失調症向けに開発された抗精神病薬は、DIDの治療自体には役にはたたない。 より正確に云えば、周辺症状(緊張症状)を抑えるために一時的に少量使用する範囲なら非常に有効とされるが、しかしそれを統合失調症と思いこみ、抗精神病薬の投与が常態化すると、かえって増悪ないしは遷延しかねない。そしてなかなか効かないからと薬を強くされたら、残るのは副作用だけである。
境界性パーソナリティ障害
DIDは自分が分かれる(解離)のに対して、境界性パーソナリティ障害(以下BPD)の特徴は相手を分ける(スプリッティング)ことである。 DIDとBPDは両者とも分裂した自己像を持つが、それらが外部に投影されるか否によって、構造の差異が明確となる。 解離性同一性障害の場合、虐待者により虐待の秘密を口外することを禁じられるなどした場合、投影や外在化の機制が強く抑制され、葛藤を内部で処理するため病的な解離へと発展する。 それに対して、BPDのスプリッティングは分裂した自己が外部に投影されるため、周囲を非難し攻撃するが、解離のように自己間に完全な意識の断絶は生じていない。
BPDの印象を記述すれば「人が変わったように」「行動が極端から極端に激しく揺れる」となる。 周囲の人間を「良い人」「悪いやつ」の両極端に分ける。 「良い人」あつかいだったものが突然「悪いやつ」に変わる。 攻撃性を他者へ向けるなどである。 しかしこのBPDと解離性障害の鑑別も難しいとされる。 というのはBPDと解離性障害は非常に近い関係にあると認識されており、DSM-IV-TRではBPDの定義の9番目に「一過性のストレス関連性の被害念慮または重篤な解離性症状」が含まれている。 それだけではなく、DSM-IV-TRのBPD診断基準は幅広であり、多くの解離性障害患者はBPDの基準も満たしてしまう。 そしてDIDを含む解離性障害の診断がなされても、BPDも併記されてしまうことになる。 さらにBPDを狭く定義しても、実際にDIDと併発している場合もある。
しかし併記ならDIDの治療も受けられるが、DIDの患者は人格の交代を隠しており、つじつまの合わない言動に対して言い訳を用意している。 そしてその人格の交代が小心で臆病な人格から攻撃的で自己主張の強い人格に変わった場合には、人格交代に気がつかない限り、その極端な変貌はBPDに見えてしまいDIDには気づかれずに誤診されることが多い。 BPDへの医師の接し方は淡々と接して「良い人」「悪いやつ」に巻き込まれないこととされる。 しかしDIDの場合は相手の反応にとても敏感でありその心を読むことに長けている。 長けすぎていて医師のため息ひとつで見捨てられたと絶望し、心を閉じてしまうことすらある。 DIDであることに気づかず、BPDとして扱うと治療はおぼつかない。
うつ病
うつ症状は多くの精神疾患に現れるが、DIDの場合も気分変調症または大うつ病を合併していることがある。 1986年のパトナムらが発表した報告によれば、DID患者の初診時の症状でもっとも多いのがこれであり、約90%にものぼる。 DIDと判定される前に診断されていた病名でも一番多く約70%にもなる。 周辺症状なのだが本人にとっての精神的負担が大きいときにはそれを抑えるために抗うつ剤を処方することがある。 また、近年増えてきたと云われる非定形うつ病には解離傾向を示すものが少なくない。
PTSD
PTSD(Post-traumatic stress disorder)の日本語訳は心的外傷後ストレス障害である。 精神的不安定による不安、不眠などの過覚醒症状や、時としてショック状態に陥り、フラッシュバックを起こす場合がある。 併発という点ではあまり顕著ではないが、心的外傷という共通性と、DSM-IV-TRのPTSD定義にある一部の症状の共通性、例えば「解離性フラッシュバックのエピソード」などからもDIDとは近い関係にある。
複雑性PTSD (C-PTSD)
PTSDというと戦争とか災害などの一過性の心的外傷が原因として有名であるが、ジュディス・ハーマン(Herman,J.L.)などのようにこれを「単純型PTSD」とし、性的暴力や家庭内暴力などの、心的外傷が繰り返し長期間にわたるものを複雑性PTSD(Complex PTSD (C-PTSD))とするなど、PTSDの枠を拡げる見解も発表されている。
しかしC-PTSDの定義は提唱者によって変わり、一定しない。 ヴァン・デア・コーク (Kolk,V.D.) らは1996年の『トラウマティックス・ストレス』において類似の概念DESNOS(Disorder of Extreme Stress not otherwise specified)を提唱した。 C-PTSDを論じた最新のものにはバン・デア・ハート (Hart,V.D.) らの構造的解離理論があるが、そこでは、第1次構造的解離 は単純型PTSDや解離性障害の単純型(離人症、解離性健忘など)。 第2次構造的解離は複雑型PTSD、特定不能の解離性障害、境界性パーソナリティ障害。 第3次構造的解離をDIDとしている(詳細は「解離性障害/構造的解離理論」参照)。
診断基準
DSM-IV-TRにおける診断基準
DSM-IVの編纂委員長アレン・フランセスは、解離性同一性障害の診断名自体を全面的に避けるよう推奨しており、暗示にかかりやすい人から複数の人格を引き出す医原性の障害と考えており、流行しては終止符が打たれることが繰り返されてきたからである。
親分類である解離性障害には解離性同一性障害(DID)の他に解離性健忘、解離性遁走、離人症性障害、特定不能の解離性障害がある。 その内、離人症性障害、解離性健忘、解離性遁走はDIDの症状としても含まれる。 一方DIDとほとんど同じようであっても、以下の基準を厳密に満たさないものは、次項の特定不能の解離性障害に分類される。 ただし、どこで線を引くかは治療者によって異なる。 アメリカ精神医学会 (American Psychiatric Association) の精神疾患の分類と診断の手引 (DSM-IV-TR) でのDIDの診断基準は以下の通りである。
A. 2つまたはそれ以上の、はっきりと他と区別される同一性 (identity) または人格状態 (personality states) の存在 (その各々はそれぞれ固有の比較的持続する様式をもち、環境および自我を知覚し、かかわり、思考する)。
B. これらの同一性 (identity) または人格状態 (personality states) の少なくとも2つが反復的に患者の行動を統制する。
C. 重要な個人的情報の想起が不能であり、普通の物忘れで説明できないほど強い。
D. この障害は物質(例:アルコール中毒時のブラックアウトまたは混乱した行動)または他の一般的疾患(例:複雑部分発作)の直接的な生理的作用によるものではない。注:子供の場合、その症状が想像上の遊び仲間(イマジナリーフレンド imaginary friend)、または他の空想的遊びに由来するものではない。
旧基準DSM-III-Rでは上記のABのみであり、かつ「人格または人格状態」とされていたが、DSM-IV-TRでは「人格」を「同一性」に変更している処がもっとも大きな特徴である。 他に十分説明のできる生理学的原因がある場合はこの疾患には含まれない。 またイマジナリーフレンド(後述)は正常な範囲であり異状ではない。 なおDSM次期改訂版(DSM-5)のために上記の診断基準のの変更が検討されている。
「人格」か「同一性」か
DSMの定義は2回変更されている。 1980年のDSM-IIIでは「患者の内部に2つ以上の異なる人格が存在」とあった部分が、1987年のDSM-III-Rでは「患者の内部に2つ以上の異なる人格または人格状態が存在」となり、1994年のDSM-IVでは「2つまたはそれ以上の、はっきりと他と区別される同一性または人格状態の存在」となっている。 この名称変更は、「解離」の役割を強調し、かつ、人格 (personality) 障害との混乱を避けるため」というのが理由のひとつであるが、もうひとつ「いくつもの人格が実態として存在するのではなく、個人の主観的体験の一部だということをはっきりさせる」ことも目的とされている。 後者について、DIDの代表的な専門家であるコリン・A・ロス (Ross,C.A.) はこう説明している。
- 「多重人格者は複数の人格を持つわけではない。別の人格達は実際は一つの人格の断片である。別の人格は異常な形で擬人化され、お互いに分離して、相互に記憶喪失の状態に陥る。我々はこうした人格の断片を昔から「人格」と呼んでいる。多重人格症の存在を疑う人達がいる。彼らの疑問は、多重人格者は複数の人格を持つという誤解を前提にしている。実際の問題として、一人の人間が複数の人格を持つことはあり得ないのである。」
「identity(同一性)」は「personality(人格)」についての哲学的、あるいはアメリカ法的議論を回避するために選ばれた言葉であり、正確な病名としては「解離性同一性障害」と呼ぶが、その説明の中では「人格」という言葉をあいまいに普通に使っている。 日本語で「同一性」というとピンとこないが、疾患の範囲が変わった訳ではない。 「人格状態」(personality statesの直訳)も含めて、日本語の「人格」「別人」をイメージしておけばよい。 ただしロス (Ross,C.A.) もいうようにそこでの「人格」も「別人」もあくまでその人の一部である。
特定不能の解離性障害
解離性障害ではあるが、解離性健忘、解離性遁走、離人症性障害、DIDなどの基準を満たさない症例のための分類である。その中にDIDとほとんど変わらないものも含まれる。
DIDに類似するもの
DIDに酷似しているがその診断基準を満たさないものも特定不能の解離性障害となる。 治療はDIDと同じであり、どこまでを特定不能の解離性障害とし、どこからをDIDとみなすかは治療者により異なる。 柴山雅俊は2012年の著書で、解離性障害のうちDIDは約30%、離人症性障害が約10%、解離性健忘・遁走は5%、残りの55%が特定不能の解離性障害に分類されるとする。 DSM-IV-TRでの特定不能の解離性障害の定義の1番目にはこうある。
臨床状態がDIDに酷似しているが その疾患の基準全てを満たさないもの。
例としては、a) 2つまたはそれ以上の、はっきりと他と区別される人格状態が存在していない。または b) 重要な個人的情報に関する健忘が生じていない。
DIDとは別のもの
特定不能の解離性障害の 4番目は解離性トランス障害、6番目はガンザー症候群である。 (詳細は解離性障害の特定不能の解離性障害を参照)
ICD-10における臨床記述
世界保健機関 (WHO) によって 1992年に公表された「疾病及び関連保健問題の国際統計分類(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems第10版、略称ICD-10)」の定義では、「解離性障害」に相当するのが「F44 解離性(転換性)障害」であり、その下に「F44.0 解離性健忘」や「F44.7 混合性解離性(転換性)障害」など9つに分かれる。
DIDに該当するものはその8番目「F44.8 他の解離性(転換性)障害」のさらに下の「F44.81 多重人格障害(Multiple Personality Disorder)」である。 つまりDSM-IV-TRよりも1段下がった、ガンザー症候群と同レベルの位置づけである。 そしてその記述の冒頭には「この障害はまれであり、どの程度医原性であるか、あるいは文化特異的であるかについては議論が分かれる」とある。 医原性とは治療者の催眠術や暗示によって作り出されたものではないかということである(後述)。 これはICD-10がリリースされた1992年以前にはその事例が北米に集中し、他国ではあまり報告がなく、多くの国の精神科医が懐疑的であったことをあらわしている。 記述自体はDSMはIII-Rに近く以下の通りである。
主な症像は、2つ以上の別個の人格が同一個人にはっきりと存在し、そのうち1つだけがある時点で明らかであるというものである。 おのおのは独立した記憶、行動、好みをもった完全な人格である。 それらは病前の単一な人格と著しく対照的なこともある。
スクリーニングテスト
臨床の現場で常時用いられている訳ではないが、複数のスクリーニングテストがある。 DES、DDISやSCID-Dなどの構造化面接、診断面接の順に要する時間が長くなり信頼性も増す。 もちろんスクリーニングテストで診断が行われる訳ではない。 診断はあくまで医師の診断であり、他の疾患に分類されることもある。 DDISやSCID-Dなどの構造化面接は、精神科入院患者、外来患者などへの解離性障害有症率調査で主に使用されるツールである。 DESについては解離の「正常な範囲から障害の段階まで」の章を、 DES-Taxon・DDIS・SCID-Dについては解離性障害の「スクリーニングテスト」の章を参照。
歴史
前史:夢遊・二重意識・ヒステリー
18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパで今日の解離やDIDに相当するものは「夢遊」とも「二重意識」「人格の二重化」ともいわれた。 「夢遊」というと「眠ったまま歩く」のイメージがあるが、ドゥニ・ディドロ (Diderot,D.) の『百科全書』(1765年 - 1766年)の「夢遊」の項には「深い眠りに落ちるが、・・・話し、書きなど様々な行動をとり、ときには普段より知的で的確な様子を示す」とある。 また、ハーバート・メイヨー (Mayo,H.) の1834年版の生理学の教科書にある症例は「二重意識」のプロトタイプでもある。 「二重意識」は19世紀の大半における診断名のひとつになった。 ブロイアー (Breuer,J.) はフロイトとの共著『ヒステリーの研究』の中で、アンナ・O の症状を「二つの意識状態の交代」と呼び、 「彼女は一方の状態(第一状態)において我々他の者たちと同じく1881年から1882年にかけての冬を生き、しかし第二状態においては1880年から1881年にかけての冬を生きていたのであり、そして第二状態ではその冬以降に起きたことの全てのことが忘れられていた」と述べている。
19世紀後半にはフランスの精神科医がヒステリー症状の研究の中でとらえられていた。 特にパリのサルベトリエール病院のシャルコー (Charcot) が有名で、ジャネ (Janet,P) やフロイトもその影響を受けている。 「解離」という概念の命名はそのジャネである。 ジャネは1889年の著書『心理自動症』の中で「意識の解離」を論じ、「ある種の心理現象が特殊な一群をなして忘れさられるかのような状態」を「解離による下意識」と呼び、その結果生じる諸症状がヒステリーであるとした。 そして現在のDIDと全く同じ意味で「継続的複数存在」を論じ、その心理規制を「心理的解離」と呼んだ。 同じフランスの心理学者で知能検査の創案者として知られるアルフレッド・ビネー (Binet.A) も、1896年の『人格の変容』の中で「互いに相手を知らない二つの意識状態の精神の中における共存」と、現在の DIDに通じる概念を論じている。
フロイト精神分析の影響
ヒステリーの研究ではフロイトも有名であり、1896年のウイーン精神医学神経学会での「ヒステリーの病因論のために」という講演で「いかなる症例、いかなる症状から出発しようが、最終的には不可避的に性的体験の領域に到達する」と論じている。 つまり「早すぎる性的体験」を無意識の中に抑圧し、それによって自分の精神状態を守ろうとする。 しかし、抑圧されたものはそのままじっとしてはいないで、身体症状に転換されて表れるのがヒステリー症状であるとした。 これを「誘惑理論」と呼ぶが中身は外傷理論に一見似ている。 この段階では、ジャネやピネー (Pinney.A) と近くも見える。 しかし翌年にはフロイト自身がその「誘惑理論」を放棄して、「欲動理論」を中心に据える。 この「欲動理論」においては患者の幼児期の性的体験は患者の幻想であって現実ではないということになる。 そしてフロイトは、ライバルであるジャネの精神的外傷による「解離」論を事実上認めなかった。
20世紀に入ってからの多重人格の事例は、1905年にアメリカのモールトン・プリンス (Prince,M.) が発表したミス・ピーチャムの詳細な症例『人格の解離 (The dissociation of a personality)』 がある。 しかしその後のフロイト精神分析のアメリカへの浸透の中で「虚言症的な患者に騙された虚像、あるいは催眠によって作り出された医原性疾患」との批判を受ける。 こうしてフロイト精神分析の興隆とともに、「解離」という概念は少なくとも北米の精神医学の世界から忘れ去られた。 ジャネ とビネー (Binet.A) が再発見され、「解離」という概念が再び表に現れたのは、1970年のエレンベルガー (Ellenberger, H.F.) 『無意識の発見-力動精神医学発達史』においてである。
精神分裂病概念の影響
多重人格の診断名が消えたもうひとつの原因は、1911年にオイゲン・ブロイラー (Bleuler,E.) が精神分裂病概念(現在の統合失調症)を発表したことである。 1920年代後半にはその診断名が浸透しはじめた。 アメリカのローゼンハム (Rosenham,D.) によると、1914年から1926年までは診断名に統合失調症より多重人格の方が多かったが、それ以降は逆転する。 そして1930年代からは多重人格という診断名は精神医学の世界から事実上消え去っていた。
それ以降DID患者に診断されたのがこの統合失調症である。 実存主義哲学者としても有名なドイツの精神科医カール・ヤスパース (Jaspers,K.T.) は「了解不能」な症状は統合失調症と診断する決め手であるとした。 幻聴や幻覚はまさにそれにあたる。 実際ローゼンハムは1973年に、実験としてローゼンハム自身と8人の仲間がアメリカ各地の12の精神科病院に患者を装って訪れた。 彼らは診察で「ドサッという幻聴が一時的に聞こえた」と訴えたところ、11の病院で統合失調症と診断され入院となったという(残りひとつの病院では躁うつ病の診断だった)。 幻聴は統合失調症と解離性障害、従ってDIDにも共通する症状である。
多重人格概念の復活
1955年にセグペン (Thigpen, C.H.) とクレックレー (Cleckley,H.M.) らが、『イブの三つの顔』という有名な症例の最初の報告を行う。 その症例は1957年に出版(邦題:『私という他人―多重人格の病理』)されベストセラーとなり、映画も大ヒットでアカデミー賞までとった。 精神医学界への影響はあまり無かったが、北米の一般の人に「多重人格」の認識が広まる。
多重人格概念復活の直接の契機は、1973年に精神医学ジャーナリスト、フローラ・シュライバー (Schreiber,F.R.) が、精神分析医コーネリア・ウィルバーン (Wilburn,C.B.) の患者の治療記録『シビル』(邦題『失われた私』)を著したことである。 この本の出版前にはDIDの症例はわずかに75件であったが、『シビル』以降25年で4万件にものぼるとされる。 この本も刊行後数か月にわたってベスト・セラーのトップ10に名を連ね、1976年にはテレビ映画化されてエミー賞を受賞した。 そこはセグペン (Thigpen, C.H.) の『イブの3つの顔』の反響と同様であるが、違うところは精神医学の世界にも大きな影響を及ぼしたことである。 DIDと児童虐待が結びつけられてイメージされるようになったのも同書が始まりであり、16もの人格が認められた。 『シビル』を契機とする多重人格概念復活の裏には以下のような社会的背景があった。
- 1962年に発表されたケンペ (Kempe,C.H.) らの「被虐待児症候群」(The battered-child syndrome)という論文を契機に、1963年から1967年までの間にアメリカ全州に虐待通報制度が制定されたこと。1974年には児童虐待防止法が制定され、通報の範囲が拡大し、さらに実態が明らかになった。
- ベトナム戦争帰還兵の心的外傷が大きな社会問題となりPTSDに代表される外傷性精神障害の研究が進んだこと。
- フェミニズム運動の高まりの中で、児童虐待や、近親姦、レイプなどでもベトナム戦争帰還兵に似た外傷性精神障害が見られることが徐々に明らかになったことである。
そして、ベトナム戦争という因果関係の明らかな、大量の外傷性精神障害の発生を直接の契機とした心的外傷、PTSDの研究とともに、主に児童虐待の観点から多重人格の症例にも光があたり、現在に繋がる「解離」「多重人格」の再発見が始まる。
診断基準への登場
そのような背景のもと米国精神医学会の診断基準(DSM)などにも正式に取り上げられていった。
- 1980年のDSM-IIIにおいて、多重人格 (Multiple Personality) が障害の一症状ではなく、単独の障害に格上げされた。これによって症例数は飛躍的に倍増する。1981年には「Minds of Billy Milligan」(邦訳『24人のビリー・ミリガン』)が出版される。日本国内において「多重人格」が一般に知られるようになったのは、この『24人のビリー・ミリガン』の邦訳出版と、後の宮﨑勤事件である。判決では否定されているのだが、マスコミ主導でDIDとしての宮﨑被告が盛んに議論された。
- 1987年のDSM-III-R において多重人格の診断基準が手直しされる。
1989年にはフランク・W.・パトナムが『多重人格性障害』を著し、しばらくはそれが多重人格研究の教科書のようになった。 - 1992年、ICD-10においても「F44.8 その他の解離性(転換性)障害」の中に「多重人格障害」が取り上げられた。
- 1994年、DSM-IVにおいて、「多重人格障害」から「解離性同一性障害」に名称が変更される。
- 2000年のDSM-IV-TR(テキスト改訂版)においても再録された。
統計報告の日米比較
日本での報告
国内での最初の症例報告は大正時代であり、中村古峡の『変態心理の研究』(大同館書店、1919年)に「二重人格の少年」「再び二重人格の少年に就いて」の2例の報告がある。中村は別の女性患者について「二重人格の女」を『変態心理』(日本精神医学会)1919年1月号より1926年9月号まで15回連載し、『ヒステリーの療法』(精神衛生講話第二冊、主婦之友社、1932年)「附録 二重人格の女」を経て、単行書『二重人格の女』(大東出版社、1937年)に結実した。続いて京都大学の中村敬三が、1947年10月の第34回近畿精神神経学会で17歳の女子学生の症例を報告している。 ただし現在に続くDIDの治療・研究は1990年初頭からである。 従って国内での報告のほとんどは2000年以降に発表されたもので、公表されているものは以下の通りである。 神戸大の安らの報告が唯一1990年代であるが、調査人数はそれ以降のものに比べて少ない。
- 安克昌、 1997年の報告:
調査人数15人。女性87%、情緒的虐待87%、性的虐待73%、身体的虐待60%- 町沢静夫、 2003年の報告:
調査人数 70人。女性 89%、父母との別離および夫婦喧嘩 16%、親の情緒的虐待 4%、身体的虐待 37%、性的虐待 26%、他人からの性的トラウマ 30%、いじめ 29%、交通事故および死の目撃 3% 。- 舛田亮太、中村俊哉、 2007年の報告:
調査人数55人。性被害 36%、死の目撃 6%、性的虐待 22%、身体的虐待 33%、心理的虐待22%、ネグレクト 11%、重要な他者の死亡・別離36%、特に報告無し 36%。- 柴山雅俊、 2007年の報告:
調査人数42人。両親の不仲60%、性的外傷30%、近親姦9%、両親からの虐待30%、学校でのいじめ60%、交通事故20%。- 岡野憲一郎、2009年の報告:
調査人数 28人。女性 96%、情緒的虐待 29%、性的虐待 22%、身体的虐待 18%。- 白川美也子、2009年の報告:
- DID、調査人数 23人。身体的虐待 61%、心理的虐待 74%、ネグレクト 43%、家庭内性的虐待 22%、家庭外性的虐待 30%、DV目撃 65%。
- DD全体では調査人数 105人。身体的虐待 57%、心理的虐待 83%、ネグレクト 49%、家庭内性的虐待 31%、家庭外性的虐待 43%、DV目撃 64%となる。
岡野は一般的見解として、情緒的虐待は軽いものまでふくめれば大多数。 身体的虐待は推定では半数ぐらい。 性的虐待については説によって大きく異なり不明としている。 北米での報告では患者のほとんどが幼児期に身体的虐待、性的虐待を受けているとする。 日本においても、身体的虐待、性的虐待を受けた人は確実に存在する。 DIDとして現れるのはその一部に過ぎない。 しかし日本のDIDの患者にはそれ以外の深刻なストレスを訴える患者もかなり多いのが北米統計との大きな違いとなっている。上記表で、舛田亮太らの報告、一丸藤太郎の報告にある「特に報告無し」とは心的外傷の顕著ではない「一時的ストレス型」「持続的ストレス型」の合計である。また岡野憲一郎の報告では「上記統計とはほかに・・・関係性のストレスを経験した例が28.5%、原因不明の例が多数」とある。
なお、柴山雅俊2007年報告の調査対象はDIDを含む解離性障害であるが、国立精神・神経センター病院からの白川美也子報告に見られるように、DIDだけと、それを含む解離性障害全体での虐待比率には有意差はない。なお、白川美也子報告についてより詳細には「解離性障害」の「ストレス要因」を参照されたい。 解離性障害全体の中でDIDの比率は、日本でも北米でも10% - 20%とされており、特定不能な解離性障害 (DDNOS) が50% - 60%、残りが解離性健忘障害その他とされており、大きな違いはない。。
北米の統計とその背景
1986年 - 1990年の北米統計
一時期の北米での報告には患者のほとんどが幼児期に何らかの虐待、特に性的虐待を受けているとするものが多い。 こうした統計で有名なものはパトナムやロス(Ross,C.A.)らの報告がある。 ただしこれらの統計は北米に限れば1986年から1990年までで、その後はこうした統計は少なくとも日本には聞こえてこない。
- パトナムによる1986年のアメリカの統計報告:
調査人数100人、女性92%、児童虐待体験97%(性的虐待83%、近親姦68%、身体的虐待75%)、死の目撃45%- クーンズ(Coons,P.M.)による1988年のアメリカの統計報告:
調査人数50人、児童虐待体験96%(性的虐待68%、身体的虐待60%、ネグレクト22%)- ロス(Ross,C.A.)の1989年によるカナダの統計報告:
調査人数236人、女性88%、児童虐待体験89%(性的虐待79%、身体的虐待75%)- ロス(Ross,C.A.)の1990年のアメリカとカナダの統計報告:
調査人数102人、女性90%、児童虐待体験95%(性的虐待90%、身体的虐待82%)
これら北米統計での児童虐待、特に性的虐待の多さに、日本の治療者には疑問をもつ者も多い。 何故そうなるのかについては様々な意見がある。 例えば北米では日本以上に児童虐待が多いからという見方。 そして北米での児童虐待、特に性的虐待に対する関心の高さである(「多重人格概念の復活」の3点の「社会的背景」参照)。
一方で、催眠により回復された記憶は信頼性に問題があり、睡眠療法を行う者の先入観がこれほどの性的虐待症例を生み出したのではないかという意見もある。 この意見は日本よりも実はアメリカで強かった。 日本の精神科医らが北米統計の取り扱いに慎重なのは次のような一連の騒動の影響もある。 日本の感覚では医師が悪魔的儀式虐待などというそんな非科学的な騒動に巻き込まれるはずがないと思うが、当時第一線のDID治療者であったアリソンは『「私」が私でない人たち』の「日本語版あとがき」で、1980年以降15年間のDIDをめぐる精神医学界内部での三大論争に、多重人格障害から解離性同一性障害 (DID)への名称変更とともに、以下の「悪魔的儀式虐待論争」「偽りの記憶論争」をあげている。
娘達の回復された記憶
催眠により回復された記憶の信頼性が取りざたされる背景には、1980年以降の悪魔的儀式虐待の「生存者」物語から始まる一連の騒動がある。 発端のひとつは1980年の『ミシェルは覚えている』という本である。 ミシェルは催眠により、自分が悪魔崇拝者集団による黒魔術儀式で性的虐待(Satanic-Ritual Abuse)を受けていたことを思い出した。 そうして始まったモラル・パニックが「保育園などでの性的虐待の可能性に対する社会的恐怖」現象である。 同種の告発は相当数に登ったが客観的な証拠は何もなかった。 この悪魔的儀式虐待の妄想による告訴で有名なものに映画「誘導尋問」のモチーフともなったマクマーティン保育園裁判(1984から1990年)がある。
もうひとつは1981年のジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) の著書『父-娘 近親姦』、に始まる記憶回復療法である。その療法家により書かれた1988年の『生きる勇気と癒す力』は近親姦を思い出す運動のバイブルともされるが、その出版以降、女性が思い出した記憶をもとに親を訴える事態が多発する。 こちらも悪魔的儀式虐待の妄想がらみで事実無根のものも多く含まれていた。 有名なものは1988年のポール・イングラム冤罪事件である。 悪魔的儀式ではないが、1990年の「20年前の殺人事件の目撃者」アイリーンの事件も有名である。 この当時、一部のセラピストは広告に「近親姦と幼児虐待、それを思い出すことこそ癒しへの第一歩」と掲げ、さらにその訴訟を成功報酬で請け負う弁護士も多くいたという。 ただしこうした騒動はそうした怪しげなセラピスト、カウンセラー達だけによって引き起こされたわけではない。 実際1987年の国際多重人格および解離研究学会 (ISSMP&D) の大会では悪魔的儀式虐待(SRA)に関して11本もの論文が発表されている。
1991年のアメリカ心理学協会会員に対するアンケート調査では、悪魔的儀式虐待(SRA)を受けたと主張する患者(DIDに限らない)を経験したものが回答者の30%にも登り、その二次アンケートでは、回答者の93%が患者の主張は真実だと信じていたという。 前述の北米統計はその真っ最中のものであり、アンケート調査の中にそうしたノイズがどれぐらい含まれているのかは不明である。 パトナムは様々な議論や批判を意識し、国立精神衛生研究所という公的な立場で極力公正な調査を心がけているが前述の統計報告の中でこう述べている。
- 「調査対象となった治療者は無作為に選ばれたわけではない。彼らは以前から多重人格に興味をもっていた治療者である。こうした治療者たちが外来患者にもたらした影響は明確には測定できない。」
北米でのDIDの事例を元に、コリン・ロス(Ross,C.A.)は1989年に四経路論を発表したが、 ロス自身の経験によると、感覚的に半分が児童虐待経路、残りはネグレクト経路、虚偽性経路、医原性経路が1/3ずつという。 医原性経路とはロス(Ross,C.A.)によれば「カリスマ的な治療者によって破壊的カルト宗教の洗脳と同様の過程がなされた場合に生じる」という。 一部の治療者は「洗脳と同様の」「治療」をしていたということになる。
親達の反撃・偽りの記憶論争
そうした風潮の中で懐疑的な意見も出てくる。
潮目が変わりだしたのが1992年であり、決定的となったのが1997年である。
1992年に、FBIが悪魔的儀式虐待の存在についてそんな事実はないと結論を下した。
学術誌『解離』の発行元でもあるジョージア州リッジビュー研究所解離障害センターの責任者ギャナウエイ (Ganaway,G.K.) はそれ以前から警鐘を鳴らしていたが、
同年の論文で、一般的には「患者とセラピストの間の相互欺瞞だとするのが妥当」、悪魔的儀式虐待における「共通分母はセラピスト自身に他ならない」とした。
娘に訴えられた親のなかには身に覚えのない者も多数含まれていた。その親たちはこの暗示や催眠による児童の性的虐待に関しての記憶を虚偽記憶症候群(False Memory Syndrome)と呼び、同年に偽記憶症候群財団 (FMSF:False Memory Syndrome Foundation)も結成される。
そして性的虐待の記憶は催眠により引き起こされた医療事故だとした逆訴訟が親の側から始まった。
性的虐待の原因は家父長制にあるとして娘達の告発を後押しするラディカル・フェミニズム(精神科医ではジュディス・ハーマンがその急先鋒)対FMSF(心理学者としてはエリザベス・ロフタス (Loftus,E.F.) )の論争は、訴訟を間においた感情的、政治的対立の様相まで呈している。
1996年には元回復記憶療法家もその効果に疑問を抱き始め、教会カウンセラーで博士号をもつポール・シンプソン (Simpson,P.) がその著書「Second Thoughts」で、自ら実施していた回復記憶療法の結果は破壊的であり、それによって症状が回復したクライアントは一人もおらず、逆に「抑圧された記憶を回復」したとたんに例外なく劇的に悪化したと発表し、教会カウンセラー達に速やかに中止すべきと呼びかけた。 またワシントン州の「犯罪被害者保証プログラム」の職員の標本調査でもそのことが確認され、ワシントン州の同プログラムは回復記憶療法にたいしては今後は補償金の対象としないと表明。 労働産業省に対しても同様の勧告を出す。
1997年の11月には、患者であったバルガス (Burgus) 夫人とその家族に訴えられていたブラウン (Braun,B.G.) とラッシュ・プレズビテリアン・聖ルカ病院の和解金額は1060万ドル(当時の日本円で12億円)という途方もない金額になりメディアの注目を集めた。 同じ1997年にパトナムは強い口調で警告している。
- 「記憶の再構成作業は・・・最大級の注意が必要である。・・・しばしば、内容は現実のものと、想像のものと、恐怖の所産との精神力動的な複雑な混合物である。そしてどれがどうであるかを見分けるちゃんとした法則は存在しない。こういう事件ではないか、こういう体験はしなかったかと暗示するのは絶対に避けるべきである。(パトナム1997,p.373)」
ジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) は『父-娘 近親姦』(原著出版、1981年)の邦訳に際し「あれからの20年」という補遺を付け加えている。 その中でハーマンは、偽記憶症候群財団 (FMSF) やロフタス (Loftus,E.F.) を激しく攻撃しているが、以下の点は認めている。
- 「(同書の出版)当時の主な課題は、近親姦の話題を避けるという臨床家の誤りを正すことであり、その反対の間違いについて警告する必要はほとんどなかった。だが近親姦についての認識が増えてきた昨今では、あたかもトラウマの記憶を浮上させさえすれば病気が治るかのごとく、児童期虐待の可能性を積極的に追い求めすぎるきらいのある臨床家も出てきたように思われる。近親姦の問題はあまりにも強烈な感情を引き起こすため、臨床家といえども共感的で受容的な好奇心という専門家としての基本姿勢から、どちらかの方向へ逸脱してしまうのかもしれない。」
記憶の複雑さ
DIDと診断された者の虐待比率については確実な統計はない。 北米でも日本でも、性的虐待とカウントされるもののほとんどは自己申告である。 DIDの患者が初期に「虐待」を訴えたとしても、本当にそうかもしれないし、そうでないかもしれない。 8歳の女の子が、保護された施設や里親の家のベッドでフラッシュバックを起こし、身悶えしながら「私から下りて!」と金切り声を上げ、普段から色欲過剰でオナニーを抑制できず、赤く腫れ、ついには出血するまでやる となったら、誰しもこれは性的虐待があったと推測する。
その一方で、宇宙人による誘拐記憶をもつ患者の臨床例も有名である。 1992年8月のアメリカ心理学協会の大会でテネシー大学のマイケル・ナッシュは、宇宙人によって誘拐されたという記憶をもつ患者の臨床例を報告し、「臨床面での有効性という点では、事件が本当に起こったのか否かとことは大して重要ではない。 ・・・結局のところ、臨床家としての我々には、過去をめぐって堅く信じこまれた幻想と、過去のれっきとした記憶を区別する術はないのだ。 」と述べている。
「解離の資質」で触れた空想傾向の強い人は、「空想したことの記憶と実際に体験したことの記憶を混同する傾向」があるという。 DIDの患者は暗示や催眠に掛かりやすいかどうかは諸説あるが、少なくとも相手の気持ちに敏感であり、相手の意にそうように振る舞おうという傾向がほとんど条件反射的に染みついているということはある。 従って治療者が意識的に誘導尋問する場合はもちろん、そのつもりはなくとも治療者がそうではないかと思い、質問をある点に集中するだけでも誤った記憶を想起してしまうことがありうる。 ただしこれはDIDの患者だけにいえることではなく、普通の人間にも「偽りの記憶」を植え付けることは非常に簡単であり、またあてにはできないことが、エリザベス・ロフタス (Loftus,E.F.) 以降も多くの心理学者によって実験され、実験以外でも世界中の冤罪事件、冤罪でない事件で証明されている。 回復記憶であるかどうかに関わらず、どんな記憶もアルバムから写真を取り出すようなものではなく、思い出そうとするそのときに構成されるので、人が思うほど正確なものではないとされている。
理解を助ける作品
ここではDIDに関わる精神科医らが肯定的に取り上げているドキュメンタリーや作品をあげる。専門書も含めてこれらを患者本人や家族など周囲の者が読んで理解を深めることは、有益な側面もあると考える治療者もいる。
一方で、治療者の中には患者本人がこういう作品を読むことはあまり良い結果をもたらさないという意見もある。DID患者は没入傾向が強く、影響をうけて解離症状が顕在化、ないしは増悪する場合があるからという理由である。
なお、『ジキル博士とハイド氏』は二重人格の代名詞にまでなっているが、そのモデルは昼間は実業家で夜間に盗賊として盗みを働き、スコットランド税務局の襲撃計画が露見して1788年に処刑された人間であり別物である。映画『サイコ』や、ゲームや漫画にも「多重人格」が登場するが、それは実際のDIDとは全くの別物である。
- 『イブの三つの顔』 監督:ナナリー・ジョンソン (20世紀フォックス、1957年)『私という他人―多重人格の病理』を原案とする映画。
- クリス・コスナー・サイズモア 『私はイヴ―ある多重人格者の自伝』 (上記の映画『イブの三つの顔』のモデルとなった女性の著書)
- シュライバーの『シビル』を原作とするテレビ映画:『Sybil』(サリー・フィールド主演:1976年)、1977年にエミー賞受賞。
- ダニエル・キイス 『24人のビリー・ミリガン―ある多重人格者』 (早川書房 1992年、文庫1999年)
- ダニエル・キイス 『ビリー・ミリガンと23の棺(上下)』(早川書房 文庫:1999年)
- ジェームス三木『存在の深き眠り』 (NHKライブラリー 1997年)
- ロバート・オクスナム 『多重人格者の日記-克服の記録』
参考文献
DIDの理解や治療方針は年代をおって更新されてゆくので、ここでは年代順(邦訳本は原書の)に並べる。
- ピエール・ジャネ『解離の病歴』みすず書房、2011年(原著1886年)。
- フロイト『フロイト全集』 第2巻、岩波書店、2008年(原著1895年)。
- フロイト『フロイト全集』 第3巻、岩波書店、2010年(原著1896年)。
- モートン・プリンス『ミス・ビーチャムあるいは失われた自己』中央洋書出版部、1991年(原著1905年)。
- H.M.クレックレー、C.H.セグペン『私という他人―多重人格の病理(イブの3つの顔)』講談社、1973年(原著1957年)。
- 荻野恒一『精神病理学入門』誠信書房、1964年。
- フローラ・リータ・シュライバー『失われた私』早川書房、1978年(原著1973年)。
- クリス・コスナー・サイズモア『私はイヴ―ある多重人格者の自伝』早川書房、1995年(原著1977年)。
- * ラルフ・B・アリソン『「私」が私でない人たち』作品社、1997年(原著1980年)。
- ジュディス・ハーマン『父-娘 近親姦-「家族」の闇を照らす』誠信書房、2000年(原著1981年)。
- ジュディス・スペンサー『ジェニーのなかの400人』早川書房、1993年(原著1989年)。
- フランク・W・パトナム『多重人格性障害―その診断と治療』岩崎学術出版社、2000年(原著1989年)。
- ジュディス・ハーマン『心的外傷と回復 〈増補版〉』みすず書房、1999年(原著1992年)。
- フランク・W・パトナム他『多重人格障害-その精神生理学的研究』春秋社、1999年(原著1992年)。
- レノア・テア『記憶を消す子供たち』草思社、1995年(原著1994年)。
- E.F.ロフタス、K.ケッチャム『抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって』誠信書房、2000年(原著1994年)。
- コリン・A. ロス『オシリス・コンプレックス―多重人格患者達のカルテ』PHP研究所、1996年(原著1994年)。
- ローレンス・ライト『悪魔を思い出す娘たち―よみがえる性的虐待の「記憶」』柏書房、1999年(原著1994年)。
-
イアン・ハッキング『記憶を書き換える-多重人格の心のメカニズム』早川書房、1998年(原著1995年)。
・・・出版の年に国際解離研究学会でピエールジャネ賞を受賞している。 - 酒井和夫『分析・多重人格のすべて―知られざる世界の探究』リヨン社、1995年。
- 岡野憲一郎『外傷性精神障害―心の傷の病理と治療』岩崎学術出版社、1995年。
- 本明 寛『あなたに潜む多重人格の心理』河出書房新社、1997年。
- フランク・W・パトナム『解離―若年期における病理と治療』みすず書房、2001年(原著1897年)。
- 服部雄一『多重人格者の真実』講談社、1998年。
- 和田秀樹『多重人格』講談社現代新書、1998年。
- 『精神科治療学〈心的外傷/多重人格〉論文集』星和書店、1998年。
- 岡野憲一郎『心のマルチ・ネットワーク』講談社現代新書、2000年。
- 小塩真司・中谷素之・金子一史・長峰伸治「ネガティブな出来事からの立ち直りを導く心理的特性-精神的回復力尺度の作成」『カウンセリング研究』 35巻1号、日本カウンセリング学会、2002年。
- 鈴木 茂『人格の臨床精神病理学―多重人格・PTSD・境界例・統合失調症』金剛出版、2003年。
- 町沢静夫『告白 多重人格―わかって下さい』海竜社、2003年。
- 矢幡洋『危ない精神分析―マインドハッカーたちの詐術』亜紀書房、2003年。
- 高橋三郎・大野裕・染矢俊幸『DSM-IV-TR精神疾患の分類と診断の手引・新訂版』医学書院、2003年。
- 『臨床心理学(特集)心的外傷』 Vol.3 No.6、金剛出版、2003年。
- 岡田斉・松岡和生・轟知佳 「質問紙による空想傾向の測定─ Creative Experience Questionnaire 日本語版(CEQ-J)の作成」『人間科学研究』 第26号、文教大学人間科学部、2004年。
- ロバート・オクスナム『多重人格者の日記-克服の記録』青土社、2006年(原著2005年)。
- ジェフリー・スミス「DID(解離性同一性障害)治療の理解」『多重人格者の日記-克服の記録』青土社、2006年(原著2005年)。
- 監訳:融 道男・中根允文・小見山実・岡崎祐士・大久保善朗『ICD-10 精神および行動の障害-臨床記述と診断ガイドライン (新訂版)』医学書院、2005年11月。
- 高木光太郎『証言の心理学―記憶を信じる、記憶を疑う』中公新書、2006年。
- 西村良二編・樋口輝彦監修『解離性障害』新興医学出版社・新現代精神医学文庫、2006年。
- ヴァンデアハート・オノ他『構造的解離-慢性外傷の理解と治療-上巻(基本概念編)』星和書店、2011年(原著2006年)。
-
柴山雅俊『解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理』ちくま新書、2007年。
・・・まえがきに「本書は一般向けではあるが、私自身の気持ちとしては解離の病態に苦しんでいる人達に向けて書いた」とある。 - 岡野憲一郎『解離性障害―多重人格の理解と治療』岩崎学術出版社、2007年。
- リチャード・ベア『17人のわたし ある多重人格女性の記録』エクスナレッジ、2008年(原著2007年)。
- 『精神科治療学-特集:いま「解離の臨床」を考える I』 Vol.22 No.3、星和書店、2007年。
- 『精神科治療学-特集:いま「解離の臨床」を考える II』 Vol.22 No.4、星和書店、2007年。
- 舛田亮太、中村俊哉 「近年の国内における解離性同一性障害の分類について/一時的ストレス型DIDの心理臨床的研究」『心理臨床学研究』 25巻4号、日本心理臨床学会、2007年。
- 細澤 仁『解離性障害の治療技法』みすず書房、2008年。
- 岡野憲一郎『新外傷性精神障害―トラウマ理論を越えて』岩崎学術出版社、2009年。
- 岡野憲一郎編『解離性障害(専門医のための精神科臨床リュミエール 20)』中山書房、2009年。
-
岡野憲一郎監修『多重人格者-あの人の二面性は病気か、ただの性格か』講談社・こころライブラリーイラスト版、2009年。
・・・巻末に「多重人格の治療はどこで受けられるか」というページがある - 加藤 敏・八木 剛平編著『レジリアンス 現代精神医学の新しいパラダイム』金原出版、2009年。
- 『精神療法(特集:解離とその治療)』 第35巻 2号、金剛出版、2009年。
- 『こころのりんしょう a・la・carte〈特集〉解離性障害』 Vol.28 No.2、星和書店、2009年。
- 榎本博明『記憶はウソをつく』祥伝社新書、2009年。
-
岡野憲一郎編『わかりやすい「解離性障害」入門』星和書店、2010年。
・・・巻末に「対応可能な機関一覧」がある - 柴山雅俊『解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論』岩崎学術出版社、2010年。
- 岡野憲一郎『続解離性障害―脳と身体から見たメカニズムと治療』岩崎学術出版社、2011年。
- 柴山雅俊『解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病』講談社・健康ライブラリーイラスト版、2012年。
- アレン・フランセス、大野裕(翻訳)、中川敦夫(翻訳)、柳沢圭子(翻訳)『精神疾患診断のエッセンス―DSM-5の上手な使い方』金剛出版、2014年3月。ISBN 978-4772413527。 、Essentials of Psychiatric Diagnosis, Revised Edition: Responding to the Challenge of DSM-5®, The Guilford Press, 2013.
- 『わたし、虐待サバイバー』(羽馬千恵、2019) ISBN 978-4-89308-919-9