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配給 (物資)

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配給(はいきゅう、英語: Rationing)とは、国家等の公権力が特定の政策目的のために特定の物資の配分について、その流通や配分方法を規制する構造や制度をいう。

概要

配給には主に福祉目的などのために特定物品の普及を促進する無償配給と、戦争や自然災害などにより物資の供給量が一時的に需要を満たさなくなるときに、生活必需品等を一定の所得階層に集中させることなく全体にいきわたらせることを目的として行われる有償配給がある。

いずれの場合でもミクロ経済学的には需要を抑制することにより市場価額を下落させる効果がある。市場経済学において配給を実施する功罪については賛否両論であり、市場によるコントロールを重視する視点からは、いかに価額が高騰しても配給制の実施は行うべきではなく逆に高価になった物資を効率的に利用するようになることを通じて需要側の調整が行われるべきだと論じられる。

その他、金融市場に政府が介入して特定の事業者に金融資源を集約することを信用割当と称し、金融市場における配給制度として取り扱われることがある。信用割当は戦後、日本において日本銀行の「窓口指導」として実施され1982年に公式に窓口指導の廃止が命じられるまで民間金融機関の貸し出しを公然と規制していたとされる。

また特定の商品が品薄になった場合などに「お一人様○個限り」のように商店がその商品の購入数を制限する行為や、渋滞緩和策として打ち出されるロードプライシングテーマパークの人気アトラクションにおける時間指定券も政策的に需要をコントロールするという点から配給制の一種と見ることができる。

通常、配給制度が実施されると規制対象物資を買うためには金銭だけでなく、配給切符や購入通帳、許可証などを提示することが求められる。このような配給制度について供給者の理解が得られない場合(多くは配給に対応する供出価格の低さが挙げられる)、需要者の要求に応じて配給制度外流通品(横流し品とも言われる)が発生することが多く、そうした物品の取引市場を闇市場と称する。闇市場では配給切符等は不要である代わりに、配給の公定価格に比して著しく高い値段で商品が取引されることが多い。

事例

大規模に一般国民を対象にした配給制度が実施されたのは、第一次世界大戦第二次世界大戦に参加した国々である。第一次世界大戦では、Uボートによる商船の沈没により食品配給制度を余儀なくされたイギリスや、オーストリア=ハンガリー帝国を筆頭に実施された。第二次世界大戦では配給を布く国家も増えて、「全てのものを戦場へ」とのスローガンを打ち出したソビエト連邦や、国家総力戦を遂行したドイツ日本などの枢軸国、イギリスやアメリカ合衆国などの連合国も、主に食料品やガソリン、ゴム製品を対象に配給制度を導入した。

第二次世界大戦後は、主に社会主義国家で続けられ、社会主義体制の崩壊や市場経済の導入で廃止されつつあるが、現在でもキューバでは配給制が続けられている。また、西側諸国でも1973年第一次オイルショックの際に、オランダガソリンの配給制度が実施されている。

日本

日本では日中戦争以降、主に商工省を中心として1938年(昭和13年)4月に公布された国家総動員法の制定をきっかけに広く生活必需品が配給制になったことが知られている。

配給する品目等は、1940年4月24日に設置された価格形成中央委員会で決定され、同年6月1日以降、味噌醤油マッチ砂糖木炭など生活必需品10品目について順次、配給切符制が導入された。

1940年5月3日、東京市で外米6割混入米を配給。同年6月5日から東京など六大都市においてマッチ、砂糖の配給制を先行的に開始。それに遅れて、同年10月4日、商工省は全国に普及させるべく砂糖・マッチ配給統制規則(省令)を公布。同年12月28日、商工省は洋紙配給統制規則(省令)を公布、施行は1941年1月21日。

1942年1月1日、塩通帳制配給実施。同年2月1日、味噌醤油切符制配給実施。同年4月1日、六大都市で米穀配給通帳制・外食券制実施(1日2合3勺)。同年5月、家庭用木炭配給通帳制・酒切符制実施。同年9月1日、東京市が砂糖・マッチ・小麦粉食用油の集成配給切符制実施。同年12月23日、東京でガス割当量超過使用の家庭に閉塞班出動、1戸1孔に封印。

1944年8月15日、東京・大阪で防空備蓄米5日分の特別配給を決定。同年11月1日、たばこ隣組配給となる(男子1日6本)。同年11月20日、紫蘇糖が隣組を通じ抽選配給となる。1945年7月1日、戦災に伴い配給機構を整理し、配給品一切を扱う公営綜合配給所を設置。同年7月11日、主食の配給を1割減の2合1勺とする。

さらに市民生活に大きな影響を与えた「綿衣料品の切符配給制」は1942年(昭和17年)2月に実施された。これについては同年1月20日の新聞報道の前から一部で情報が漏れており、百貨店などでは買い占めなどの庶民の生活防衛策により、流通に混乱をきたした。その後、対象となる衣料の素材は羊毛などにも拡大した。背広運動服スカート下着など種類ごとに細かく点数化されており、各個人に配布される切符の点数を上限に購入することができた。妊婦新生児の点数は割増措置がなされた。1人1年に都市部100点・郡部80点(背広50、48、ワイシャツ12、手拭3など)。

太平洋戦争終戦後も、たばこ1947年(昭和22年)まで、1949年(昭和24年)まで、衣料1950年(昭和25年)まで切符による配給が続けられた。米穀については1982年(昭和57年)まで配給制が行われていた。もっとも1955年(昭和30年)頃までには米の生産量が需要量を上回ったため、少なくともこの時期以降は、食糧管理法の「米穀配給通帳」は消費者段階では有名無実化していた。また1970年(昭和45年)以降は、この制度の対象とならない「自主流通米」も多く流通している。

なお、現在の日本の法制上、国民生活安定緊急措置法第26条で「物価が著しく高騰し又は高騰するおそれがある場合において、生活関連物資等の供給が著しく不足し、かつ、その需給の均衡を回復することが相当の期間極めて困難であることにより、国民生活の安定又は国民経済の円滑な運営に重大な支障が生じ又は生ずるおそれがあると認められるときは、政令で定めることにより、当該生活関連物資等の割当て若しくは配給又は当該生活関連物資等の使用若しくは譲渡若しくは譲受の制限若しくは禁止をすることができる」と規定されている。

米穀については、食糧法第40条により「米穀の供給が大幅に不足し、又は不足するおそれがあるため、米穀の適正かつ円滑な供給が相当の期間極めて困難となることにより、国民生活の安定及び国民経済の円滑な運営に著しい支障を生じ、又は生ずるおそれがある場合があり米穀の出荷販売業者への販売の制限に関する命令や、生産者への政府への売渡し命令をもってしては、この事態を克服することが著しく困難であると認められる場合においては、政令で、米穀の割当て若しくは配給又は米穀の使用、譲渡若しくは譲受の制限若しくは禁止に関し必要な事項を定めることができる」とされている。

ベネズエラ

2017年現在、社会主義政権下のベネズエラでは、食肉の配給は市場価格の1/30の価格で供給される。しかしながら国内経済を支えてきた柱である原油価格が低迷していることにより、ベネズエラ経済は大混乱に陥っており、満足な供給体制は機能していない。

朝鮮民主主義人民共和国

北朝鮮では、1990年代半ばに苦難の行軍と呼ばれる飢饉が発生。それまで維持され続けてきた食料配給制度の大部分が崩壊した。

その後は、軍人などの特権階級的な者への配給や指導者の誕生日などの国家的記念日の前後を中心に行われる期間限定的な配給、首都平壌市内など、地域的な配給は続けられてきたが、2010年代後半には配給の質や量が低下、2020年に入ると配給そのものが滞り始め、市民は否応なしに自由経済に移行しつつある。

脚注

関連項目


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