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タントラ

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ヒンドゥー教のシュリー・ヤントラの図像

タントラतन्त्र Tantra)とは、ヒンドゥー教においては神妃(シヴァ神妃)になぞらえられる女性的力動の概念シャクティ(性力)の教義を説くシャークタ派聖典群、仏教においては中世インドの主に8世紀以降に成立した後期密教聖典の通称である(また、広く密教聖典全般をタントラとみなす場合もある)。スートラは糸を意味し、「経」(縦糸)と漢訳されたが、これに対してタントラはサンスクリットで織機(はた)、縦糸、連続などを意味し、経典に表れない秘密を示した典籍であることを含意する。チベット仏教では「連続」(相続)として定義され、ある種の密教の教えが記された聖典を指す言葉として用いられる。 タントラという宗教文献の存在は、インドを訪れたキリスト教の宣教師によって18世紀末頃に西洋に紹介され、それから後年、タントリズム(タントラ教)という言葉が生まれた。今日、欧米の研究者らは、タントリズムという用語をヒンドゥー教仏教ジャイナ教の各宗教の一部にみられるある種の汎インド的宗教形態を指す言葉として用いている(学的操作概念であり、タントリズムの従事者が自らそう呼んでいるわけではない)。タントラはタントリズムの文献であると言えるが、仏教のタントリズムである密教の聖典がみなタントラと名づけられているわけではなく、ヒンドゥー教の一派であるシャークタ派の聖典はタントラと通称されるが、ヒンドゥー教タントリズムの文献がすべてタントラと呼ばれるわけではない。

思想としては、正統派ヒンドゥー教とは別種の救済、解脱の道を説き、シャクティを重視する秘儀的な潮流、霊的方法論で、のちに仏教チベット仏教において密教(秘密仏教、タントラ仏教、仏教タントリズム)として発展した。タントラは転じて教義一般を指す普通名詞になったため、思想としてのタントラ(タントリズム、タントラ教)は、特定の思想体系を意味するものではない。インド思想史において、思想としてのタントラは最も定義が困難なもののひとつであるが、大まかに言うと、ウパニシャッド梵我一如に表される大宇宙と小宇宙の相関符合の神秘思想によって世界観が基礎づけられたもので、ヴェーダ的な伝統を受け継ぎつつも、軽視あるいは否定する面を持ち、絶対的最高原理を認め、これと融合・合一することで生前解脱することを目指し、現世を肯定し自在に支配しようという、全体として秘儀的な教義と実践の体系である。一般的には、ヴィシュヌ派、特にパンチャラートラ派サンヒター、シャイヴァ・シッダーンタ派(聖典シヴァ派)のアーガマ、シャークタ派のタントラなどを指して「タントラ文献」と称する。思想としてのタントラは、タントラ文献によって代表される思想体系あるいは特定の学派のみを指すわけではない。タントラ文献が全てタントリズムの聖典であるとは限らず、「サンヒター」「アーガマ」「スートラ」など「タントラ」以外の名で呼ばれる文献にも、タントリズムの性格を有するものが多くある。

ヒンドゥー教シャークタ派の聖典はインドで 800年前後(ある種のタントラ文献は7世紀)に作られたと考えられ、64種あるいは 192種あるとされる。タントラ文献には、さらには実践行法に関する規則、神を祀る次第や具体的方法も含む。通説ではタントラは7 - 8世紀に成立したと考えられているが、パンチャラートラ派の最古のサンヒターの成立年代や、タントラ的要素を多く含む仏教の密教仏典の漢訳年代も考えると、5世紀までさかのぼる可能性があり、思想や儀式が洗練されて普及し文献にまとめられた期間を考慮すると、文献成立よりさらに古い可能性がある。ヒンドゥー教のタントラ文献と、密教の文献は同時期に成立している。

アメリカのインド学者デイヴィッド・ゴードン・ホワイトは、タントラ的実践や儀礼が行われていた地域として南アジアチベットモンゴル中国韓国日本カンボジアミャンマーインドネシアなどを挙げ、タントラ的諸神格が汎アジア的に信仰されていたことから、ヒンドゥー教仏教ジャイナ教にそれぞれ別個にタントリズムが存在したというよりむしろ、前近代のアジアの諸宗教では、各宗教のタントリズム的ヴァリエーションという形で、宗教横断的に「タントラ」という伝統が存在していたのだと説明している。

思想潮流

ヒンドゥー教

タントラ文献は、ヴェーダ聖典とはかかわりなく、ヒンドゥー教の神々によって直接啓示されたとされ、ヴェーダとは異なる儀礼、救済、解脱の道を説く。タントラは、カーストや男女の差別を排し、原則としてすべての人に開かれた、より安易な解脱の道を示し、荘厳重厚で閉鎖的なヴェーダやウパニシャッドと対照をなす。ウパニシャッドや原始仏教の厭世・隠遁を良しとする世界観とは異なり、厭世を条件としておらず、この世の生を肯定するタントリズムの大前提は、古いヴェーダの明るく大らかな世界観を受け継ぐものである。元々シヴァ信仰から生じた。

タントリズムでは、紀元前5 - 3世紀にかけて確立した厭世、現世放棄主義による「主体の否定」に対する反動として生じたと考えられており、我は幻想であるという考えに対し、現実に苦しみの主体として実感される「我」が我でありながら救済されることが目指され、我は人格神である絶対者(例えばシヴァ神)の限定された一部である、という形で救済が理論化された。ここで言う絶対者は梵我一如におけるブラフマンのような非人格的存在ではない。

自らの経験を通じて最高真理を知る道であり、神と一体になるために儀式に参加することが重視された。公開された儀式だけではなく、多くの非公開の儀式があり、それはグルを通して明かされる。真理を得るために、男女に代表されるすべての統一が必要とされ、シヴァと神妃、リンガ(男性器すなわちシヴァ)とヨーニ(女性器すなわち神妃)の統一という考えから、性儀式が生じ、性愛または性交を通じて宇宙の最高真理を認識することが目指された。

生前解脱と現世の享受が主な関心事であり、行者は超越者と同化しながら自己の内にそれを取り込み、世界の生成消滅をコントロールし、自己だけでなく宇宙全体の主になることを目指した。

タントリズムで重要な概念にシャクティの概念があり、これは宇宙だけでなく個体に生命あらしめる原動力で、神の属性とも、一様相ともされる女性原理である。二元論のサーンキヤ哲学同様に、宇宙の最高原理である神は永遠不滅で自らは活動しないとし、神妃になぞらえられるシャクティが宇宙の生成消滅を司った。シャクティは、最高女神から下は魔女、妖精まで女性に帰せられ、人間の緊縛も解脱もその中にあるとされる。解脱の障碍にも宇宙支配の手段ともなるシャクティをなだめ支配する必要があるとされ、これは性の謳歌に通じた。一方、退廃の危険性をはらみ、淫乱・狂操という性格も持っていた。人間を生贄にする人身供犠のような、血なまぐさく陰惨な側面もみられた。

タントリズムには、従来のインドの宗教における主体性の放棄の姿勢に対して主体性の回復という側面があり、自己はその「欲望する主体」としての価値が回復されるが、単なる現世肯定ではなく、修行の過程では、瞑想において「これは自己ではない」という徹底的な自己否定がなされ、その積み重ねの果てに、真の我としての人格神である絶対者が見いだされる。

宇宙全体の主になりコントロールするという考えから、治病、蘇生、占星術魔法などの俗信的要素とも結びついた。神通力・神秘力の体得がもてはやされ、特有の行法の秘儀・神秘的人体学が発達した。こうした神秘的な人体生理学は、古くヴェーダの神学者が祭式を宇宙のめぐりの象徴としてみたように、個人の生命力を宇宙のエネルギーと同一視し、そこに人間を参加させるものである。宇宙生命力としてのプラーナが、人体のナーディー(脈管)を循環し、チャクラに集約されると考えられた。ヨーガが真理に到達するための主な方法のひとつである。ヨーガによって会陰部のムーラダーラ・チャクラのクンダリニー女神(プラーナ(気)、シャクティ(明妃)、ビンドゥ(精滴)とも。タントラ仏教の場合はボーディチッタ(菩提心)とも)を目覚めさせ、頭頂のサハスラーラのシヴァ神と合一することで法悦に浸るとされ、このヨーガに関連して、マンダラヤントラ(聖なる幾何学模様)、チャクラ、ムドラー(印契)といった神秘的道具、附属物が考案され、グルによる入信聖別式は秘密性を深めた。秘儀性は常識を超えた社会的禁忌へと接近させ、肉食、飲酒、乱交の勧めともなった。

12-13世紀にはタントラの影響下で、ヨーガの密教版ともいえるクンダリニーの重要性を説くヨーガが生まれ、ハタ・ヨーガ、クンダリニー・ヨーガと呼ばれた。ハタ・ヨーガは体位坐法・調息法・ムドラーなどの身体的修練を重視し、プラーナ(気)の流れを論じ、肉体の限界に挑み、さらに超能力の獲得や神秘体験も目指される。その人体生理学は、シヴァ派のタントラやタントラ仏教(密教)、『バルド・トェ・ドル(チベット死者の書)』の説と共通点が多い。

仏教

仏教もヒンドゥー教のタントラの潮流の影響を受け、パーラ朝 (750頃 - 1199頃) の頃に、大乗仏教から秘密仏教、すなわち密教が生じ、盛んになった。無上稔伽密教とも呼ばれるインドの後期密教を、俗にタントラ仏教とも言う。

人間の世界の外側に象徴的な聖なる仏の世界が実在的にあるものとされ、インドの密教では、俗なる世界にいる修行者が聖なる世界の仏と合一することを目指し、具体的な方法として音(マントラ(真言)、お経の朗読)、目(マンダラ(曼荼羅)の熟視)、身振り(ムドラー(印契)、熟慮など)を通じて涅槃(ニルヴァーナ)に達するとされ、最速で涅槃に至る道であるとされた。マントラ、マンダラ、ムドラーは三密行と呼ばれる。密教はチベット、ブータン、モンゴルで特に発展し、これらの地域では唯一の仏教宗派となり、西洋ではラマ教(ラマイズム)とも呼ばれた。

インドの後期密教では、それまでほとんど行われなかった性的行法や生理的行法が大胆に入され、仏の世界の女性原理を般若波羅蜜仏母、すなわち悟りを生む智恵)とし、般若波羅蜜を生身の女性(大印、マハームドラー mahāmudrā、または明妃、ヴィディヤー vidyā)、特殊な魔術的能力を有するとされ、人身供犠など特異な儀式を行う瑜伽女輪(yoginīcakra)または荼枳尼網(ḍākinījāla)と呼ばれる集会を催すアウトカーストの女性(ヨーギニー、瑜伽女、魔女)たちと同置して、彼女らと性的にヨーガ(瑜伽、合一)することで、中性的真実在の現成(悟り)、即身成仏を目指した。インド密教において瑜伽女(ヨーギニー、ダーキニー)は、下級の鬼神を出自としながらも、半女神から至高の存在にまでなった尊格を体現する女性であり、男性ヨーガ行者にとっての理想的な、仏教徒によって教化された従属的な性ヨーガのパートナーとしての女性でもある。行法としての側面から見ると、男性の女性支配が前面に出ることもあれば、男性ヨーガ行者が畏怖する存在として、彼らから自立し優越する瑜伽女という側面もあり、共に母なるもの、般若波羅蜜を具現した存在であるとされ、その女性観は両義的である。儀式において阿閣梨の性ヨーガの相手を務めた女性については、ヨーガに熟達した女性指導者であるとも、または儀式に捧げられた16歳(または12歳から25歳)の若い処女であるともいわれる。文献には、性ヨーガの相手としての大印、明妃について、容姿と若さへのこだわりが見られ、これは教義の面だけでなく、若い美人を相手にしたいという日常的な観点も無視できない。

性ヨーガによる成仏を唱えたことで、左道密教として嫌悪されたが、その本質は「インド的精神性の原点への復帰」であると考えることもできる。左道密教は儒教的倫理観の強い中国では受け入れられなかったため、日本にも導入されていない。

現代

オショー・ムーブメント

現代のタントラで最も有名なのが、オショー・ムーブメントを率いたインド人指導者Osho(ラジニーシ、オショーとも)である。

ネオタントラ

現代のネオタントラはニューエイジ自己啓発運動の中で広まっており、ネオタントラのセンターの設立者はOshoの弟子が多い。現在活動しているタントラの指導者の大部分は、Oshoの弟子のひとりでベストセラー『性的エクスタシーの技法』を書いたマーゴ・アーナンダの弟子である。指導者としては、ハワイでアート・オブ・ビーイング(The Art of Being)を運営するアラン・ローウェン(Alan Lowen)もよく知られている。1990年代には、ミュージシャンのスティングが、性的エネルギーを高めるタントリック・セックスを実践しており、「7時間でもセックスできる」と発言し話題になった。女優のグウィネス・パルトローもタントリック・セックスを行っているという。

ネオタントラでは、男女の親密な交わりが霊性の発達に必要であると主張され、男女の関係を向上を目指す。センターではタントラの要素の一部を取り入れて、入門として短期間のワークショップを開催している。アメリカのタントラの指導者ロッド・ストライカーは、タントラの行法により「どんなときにも完全なものを感じ、正しい決定を行い、正しいときに正しい方法で行動する」ことができるようになり、人間関係が変わり、キャリアで成功をおさめ、収入レベルは上がり、セックスの満足度も高くなる、と主張している。修行に何年もの時間を費やす伝統的なタントラからは、西洋のタントラは快楽主義・物質主義の実践の一部になってしまっており、お手軽に成就者になれるという考えを起こさせるもので、本来のタントラの方法論が歪められているという批判もある。一方、アジアのタントラは男女の性の技法を扱わないことで衰退しているという批判もある。

聖なるセックスの実践はペイガニズムにも見られ、ペイガニズムの重要な先駆者アレイスター・クロウリーは、意識状態の変化をもたらすために、タントラも取り入れて性的呪術を作った。

現代のタントラ的スピリチュアリティは、軽薄な大衆化として批判されつつも、世界の多くの宗教でみられる女性、生、身体を蔑視、軽視、否定する考えに対抗し、肯定するスピリチュアリティを生み出し、普及させることに寄与している。

日本

1970年代に「精神世界」への興味の高まりからタントリズムも紹介され、邪教と批判される際の見解そのままに評価を肯定的に反転させたかのような、「性的修行を行う現世肯定的な神秘主義」というイメージであったようであるが、これは単純化が過ぎる理解である。

現代日本では、タントラはオウム真理教に利用された。教祖の麻原彰晃が使った用語から、タントラの実践であるハタ・ヨーガを、ヒンディー語を経由した英語文献から学んだと考えられている。オウム真理教には、神秘体験と超能力の素朴な追及が中心にあり、自己の本性についての理論的考察・反省が十分になく、サーンキヤ哲学風の真我論と仏教的な煩惱・無明の論理が無批判的に結合したことで、真我の本来の属性であるはずの「絶対自由」(意欲作用)を「無明」として滅していくという矛盾した修行体系となり、真の自己の成就を求めると言いながらも自己の滅却に帰結した。また、ハタ・ヨーガなど本来のインド的な考え方では、師は弟子の中に潜在する力を目覚めさせる手助けをするのみだが、オウム真理教では師から弟子への一方的な恩恵という風に変質している。

聖典

密教聖典

タントラ(密教聖典)は仏の直説とされ、よって作者名はない。タントラは礼拝の対象でもある。根本タントラとは、タントリズムの実践者たちの集団の基本的な思想が説かれた文献で、その続編が続タントラである。釈タントラは、根本タントラを註釈し、各々の主題を敷衍して説く。註釈書では、このようなタントラが解説される。

インド密教

アティーシャ

8世紀ブッダグヒヤは『大日経』の解説書である『大日経広釈』の中で、タントラを所作kriyāクリヤー〕)、caryā 〔チャリヤー〕)、瑜伽yoga 〔ヨーガ〕)の3種に分類している。また、10世紀に成立したと考えられる『智金剛集タントラ』においては大ヨーガ、両、行、所作、儀軌の5つに分類している。

また、11世紀には後にチベットに訪れたアティーシャが所作、行、儀軌、両、ヨーガ、大ヨーガ、無上ヨーガ(無上瑜伽タントラ)の7種に分類している。この分類はインドの経典においては最も一般的なものであるが、他にもさまざまな分類が乱立しており、学者の間で統一された分類というものはない。

チベット密教

敦煌の洞窟のチベット密教のヤブユムの壁画

チベット密教では、タントラを所作(蔵: bya ba, 梵: kriyā)、(蔵: spyod pa, 梵: caryā)、瑜伽(蔵: rnal 'byor, 梵: yoga)、無上瑜伽(蔵: rnal 'byor bla med, 梵: anuttarayoga)の4種に分けている。これは歴史の中で少しずつ作られていったもので、なぜこの4種なのか、という点に関しては宗派により説明が異なる。

12世紀サキャ派の学者ソナムツェモは、タントラを4つに分類した理由の解説を試みている。ソナムツェモは、インド宗教への信仰、顕教の教え、人の執着を満足させる方法のそれぞれが4種に分類可能であり、タントラ4種はそれぞれに対応するためにあるのだと説く。

13世紀、チベットの大学者プトゥンは、4種タントラが、断じるべき執着、インドの社会カースト、断じるべき煩悩修行者の能力、一時的な薫習、時代を考慮して分類されていると述べている。

14世紀ゲルク派の祖であるツォンカパは、『真言道次第大論』の中で顕教と密教を比較解説し、ソナムツェモの解説に対する批判を試みている。ツォンカパは『サンプタ・タントラ』に「笑う、見る、手と手を繋ぐ、抱く」の4種の煩悩があるとされていることを根拠に、これらの煩悩を菩提への道として転用するためにタントラが存在するのだと説く。

脚注

参考文献

関連文献

  • スワミ・アナンド・チダカッシュ、Osho 著、スワミ・アナンド・チダカッシュ 訳『タントラ : セックス、愛、そして瞑想への道』和尚コーシャ瞑想センター、1992年10月。ISBN 4-900612-11-1OCLC 673722729 

関連項目


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