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同性愛(どうせいあい)、ホモセクシュアリティ(英: Homosexuality)は、男性同士または女性同士の間での性愛や、同性への性的指向を指す。同性愛の性質を持っている人のことを同性愛者(どうせいあいしゃ)、ホモセクシュアル(英: Homosexual)という。ホモセクシャルの略語であるホモが主に男性同性愛者に対して使われる場合があるが、差別的に使われてきた歴史的文脈から蔑称だとする考えもある。
本項では同性愛の一般概要について記す。「日本における同性愛」は同項を参照。
概説
かつて同性愛は多くの国・地域で違法または異端視された。世界保健機関(WHO)は同性愛を、1990年に疾病及び関連保健問題の国際統計分類(ICD)からの削除を決議するまで、病気の一種とみなしていた。
近年は普遍的な人権として尊重されるべきと欧米では行動している。2001年、世界で初めてオランダが同性カップルに結婚する権利(同性結婚)を認め、2006年、カナダで開催されたLGBTの競技大会「ワールドアウトゲームズ」の第1回大会の場で宣言された「モントリオール宣言」、2006年に採択され2007年に国連人権理事会で承認された「ジョグジャカルタ原則」、2008年に国際連合に提出された「性的指向と性自認に関する声明」は、同性愛者やLGBTなど性的少数者の権利を高らかに謳い、差別の撤廃を求めている。2011年12月には世界人権デーに合わせてジュネーヴの欧州国連本部でアメリカ合衆国ヒラリー・クリントン国務長官が演説し、「同性愛者の権利は人権であり、人権は同性愛者の権利だ」と述べた。
ゲイ(Gay)という単語は、男性だけでなく女性の同性愛者であるレズビアン(Lesbian)も含んだ「同性愛者一般」という意味で用いられることもあり、さらに性的少数者一般を指すこともある。しかし近年は、両性愛者(バイセクシュアル、Bisexual)とトランスジェンダー(Transgender、性同一性障害)も含めた性的少数者一般を指す頭字語として、「LGBTQ+」が推奨されている。
関連する用語
性的指向
詳細は「性的指向」を参照
性的指向とは、人の恋愛・性愛がどういう対象に向かうのかを示す概念であり、具体的には、恋愛・性愛の対象が異性に向かう異性愛(ヘテロセクシュアル)、同性に向かう同性愛、男女両方に向かう両性愛(バイセクシュアル)などを指す。
同性愛は性的嗜好ではなく性的指向である。
性的嗜好(Sexual Preference)と性的指向(Sexual Orientation)はその意味が大きく重なる用語である。心理学研究では英語の含意から、性的嗜好は自発的選択の結果得られた後天的性質、性的指向は生来不変である先天的性質として区別されている。
異性愛が性的指向であるのと同じように、同性愛や両性愛も性的指向である。
ホモセクシュアル
ホモセクシュアルとは、同性愛者のことである。男性が男性に対して、女性が女性に対して性的指向を持っていることを同性愛といい、同性愛的指向を持った人を同性愛者、英語でホモセクシュアルという。語源は「同じ」という意味のギリシャ語起源の接頭辞「Homo-」に性を意味する英単語「Sexual」を付属したもの。日本ではこの言葉の本来の意味が十分に認知されておらず、男性同性愛者をホモセクシュアル、女性同性愛者をレズビアンと呼んできた歴史があり、男性同性愛者(ゲイ)の意味で用いられることが今も多い。それゆえにホモセクシュアルが男性同性者のみを指す言葉であるとの誤解も存在するが、実際は同性愛者全般を指す言葉である。しかし、ホモセクシュアルの略である「ホモ」は差別的なニュアンスがある蔑称であるという考えがある。
ゲイ
男性同性愛者のことを特にゲイと呼ぶ。「Queer(クィア)」などの言葉が侮蔑的な意味を持つというので、英語圏の男性同性愛者らが自分たちを肯定的に再定義するために、「陽気な」「派手な」などの意味を持つ英単語の「Gay(ゲイ)」を使い始めた。ただ「ホモ」やクィアほどでないにせよ、この言葉には差別的な意味の内包される場合があり、しばしばそうした使い方をされる。広義には性別を問わず同性愛者全てを含むが、日本語社会では単にゲイという場合は、後述のレズビアンと区別し、男性同性愛者のみを指すことがほとんどである。ただし、アメリカ合衆国などの英語圏ではゲイは男性同性愛者を指す場合が多いものの、レズビアンも含め全同性愛者を指す場合もある。
この単語(名詞)の英語の文献における初出は、オックスフォード英語辞典によれば1935年である。ヴィクトリア朝のイギリスでは、売春婦・男娼が「Gay(ゲイ)」と呼ばれていた(これは彼らが「Gaily(ゲイリー)」、つまり「派手に」「華やかに」着飾っていたからである)。それが語源となり男性の同性愛者を指して用いられるようになった。 1990年代以降、海外ではLGBTが一般認識として広まり、「ゲイ」を男性同性愛者を指す言葉という認識が世界的にも標準化されつつある。
レズビアン
女性同性愛者のことをレズビアンと呼ぶ。
日本では「レズ」という略語が良く用いられるが、歴史的に含まれてしまった侮蔑的なニュアンスを嫌い、フランス語の「Bien(ビアン)」が「素敵」を意味することから、意図的に「ビアン」と略す者もいる。
語源はギリシアのレスボス島に因む。古代ギリシア時代にこの島に暮らしていた詩人のサッポーが、少女の教育を担っていたと考えられる宗教的女性結社の指導者で、アプロディタ女神への讃歌や官能的な恋愛の詩を多数作り、古代において恋愛詩の閨秀詩人として著名だったためである。サッポーは1度男性と結婚し1女を儲けているが、彼女が女性に宛てた恋愛詩は男性へのそれより多い。
同性愛の定義
アメリカ心理学会、アメリカ精神医学会は 次のように同性愛を定義する。
同性愛は性的指向 の一種で、先天的に同性(男性、女性)間に、性的・愛情的・ロマンチックな魅力の経験の持続的なパターンを意味する。これは性的行動だけでなく、パートナー共有の目標と価値、相互支援、持続的な努力、非セクシャル物理的な愛情を含む。そして同性愛者らが共有するコミュニティメンバーシップと同性愛を表現する行動と魅力を根幹とする社会的アイデンティティを意味する。
同性愛感情を経験した人
同性愛感情を有している、もしくは有していた人のことを同性愛者と定義する考え方もある。
同性愛に抑圧的な文化においては、調査の回答者が同性愛感情の経験を隠そうとする可能性も高い。この意味での同性愛者の割合は実は安定しており、それを公にする人の割合が異なるだけではないかという指摘もある。
唯一確実だと見なされていることは、この定義のもとで、同性愛者が人口の100%を占める文化や、0%の文化は知られていないということである。
欧米における2006年の匿名下の研究では母数の20%の人が幾分かの同性愛感情を抱いたことを報告しているが、自身を「同性愛者」としてラベリングしている人はごく僅かだったとされる。
同性愛感情の素因を持っている人
「生育環境が同性愛感情を育む要因を持っており、よい出会いに恵まれたならば、異性愛感情を抱いた可能性がある人」を同性愛者と定義する考え方がある。言い換えるなら、「生物学的にどうしても異性愛感情を抱き得ないというわけではない人」である。
フロイトの考えによれば全ての人間はこの意味での同性愛者である。これは、彼が「先天的にはいかなる対象とも不可逆的に結びついているわけではない幼児性欲が、後天的にいかなる対象に結びつけられるか」が同性愛/異性愛を決定すると考えていたことによる。ただし、フロイト自身はこの意味で同性愛者という言葉を使ったことはない。
より穏当な意見の人々からも、同性愛に抑圧的でない文化においては同性愛感情を経験したことがある人が多く見られることから、この意味での同性愛者の割合は極めて高いと見積もられている。
ただし、この定義における「同性愛者(ホモセクシャル)」は「異性愛者(ヘテロセクシャル)」と背反な概念ではないため、その大部分は「両性愛者(バイセクシャル)」とみなすこともできる。「両性愛者」を除く狭い意味での「同性愛者」、すなわち「生物学的にどうしても同性以外に恋愛感情を抱き得ない人」はより少ない。厳密なパーセンテージについては諸説あるが、人口の10パーセントを超えるとする報告は最近では見られない。
医学的に、人の一生の心の変遷の中では、思春期に恋愛や同性愛を経験するのが普通とされる 。
同性間の性行為を経験した人
同性間の性行為、すなわち同性同士での性的な接触を取り上げて、その経験の有無によって同性愛であるか否かを区別しようとする考え方もある。ただし、この場合日本語においては同性「愛」となっているので言語上の問題がある。また、異性愛者に関しては、性行為がなくても異性愛者と呼ぶことを(異性愛者とも呼ばないほど自然に)受け入れるのに対し、同性愛者を性行為の経験の有無によって定義するのは非対称であり、整合性はないといえ、同性愛をもっぱら性行為のみに限定しようとする多数派意識の反映という指摘もある。
この定義を、感情経験といった主観的なものに比べて科学的な優れた尺度であると考える人もいる。しかし、幾つかの点で問題もある。
- 同性間の性交行為は文化・制度的に強く規制されることも多く、感情という内面的なものに比べて文化・制度が影響しやすい
- 同性間の性行為に及ぶに必要とされるパートナーは、人口密度の低い地域では全く見つけられない可能性がある。
そのため、同性愛の生物学的な側面を検討する上では、この定義は役に立たないと考える人もいる。
また、同性愛感情が無くても同性間の性交行為をすることは可能であるので、このことが統計的なズレをもたらしている可能性もあると指摘される。単なる興味本位や、制度的な強制、売春、強姦、刑務所や寄宿舎などで、異性と接する機会がない場合は、そのような事態になるのは実際に知られている(参考:機会的同性愛)。
同性に対して性欲を感じる人
これは定義とは言いがたいものではあるが、これは同性愛であるとする/ないとするで意見が分かれがちである。いわゆる同性の画像・映像に性欲を抱く人、同性の身体やその一部に性欲を抱く人のことである。
多くの場合、(同性に対して恋愛感情を持つ)同性愛者から見ると、「これは同性愛には含めない」と考える人が多く、(同性には一切性欲を感じない)異性愛者から見ると、「これは同性愛の一種である」と考える人が多いようである。
- 前者の人から見た場合、これらの人は単に性欲を感じているだけであり、実際に同性に対して恋愛感情がある訳ではなく、単純に生理的な欲求の対象としていると感じられるため、実質的な同性愛ではないとしている事が多い。なんとなれば、恋愛感情という極めて個人的で繊細な主観を以って選択的に対象へ臨む行動様式、つまり「ほれた、すき」を抜きにしており、たとえば異性愛者がいちいち雑誌の異性グラビア頁に恋愛しないのと同等である、といえよう。
- 逆に後者の人から見た場合、これらの人は多かれ少なかれ、異性ではない同性に性的な感情を抱いていると感じられるため、同性愛の一種とみなしている事が多い。同性愛者とは常に必ず同性を、なんらかの感情、対象として視野においている、という前提の固定観念に基いている。
偏見と実像
同性愛の割合
近年の多くの英米の調査では人口の2-13%(50人に1人から8人に1人)の割合で同性愛者が存在していると言われている。
電通ダイバーシティ・ラボが、2018年10月に全国20~59歳の個人60,000名を対象に、LGBTを含む性的少数者=セクシュアル・マイノリティに関する広範な調査を行った結果、LGBT層に該当する人は8.9%だった。
治療対象からの除外
WHO(世界保健機関)の疾病分類「ICD-10」、アメリカ精神医学会「DSM」では、同性愛は「異常」「倒錯」「精神疾患」とはみなさず、治療の対象から外されている。そして同性愛などの性的指向について、矯正するのは間違いであると記載している。
かつて「DSM-Ⅰ」で同性愛は「病的性欲をともなった精神病質人格」と規定されていたが、1973年12月、アメリカ精神医学会の理事会が、同性愛自体は「精神障害として扱わない」と決議した。それにより、1974年の『DSM-Ⅱ第7刷』以降は「同性愛」という診断名は削除され、代わって「性的指向障害」という診断名になった。
1980年の「DSM-Ⅲ」では「自我異和的同性愛」という診断名が登場した。「自我異和的同性愛」とは、自らの性的指向で悩み、それを変えたいという持続的願望を持つ場合の診断名である(同性愛者であることを自ら肯定できている場合は病気ではない)。しかし、この診断名も同性愛自体が障害と考えられているとの誤解を生んだことや、自らの性的指向で悩むのは本人に問題があるからではなく、社会の偏見に起因するという問題意識から、1987年のDSM-Ⅲの修正版「DSM-Ⅲ-R」では、これも性障害から除外された。そして1990年の「DSM-Ⅳ」で、精神疾患リストから同性愛は完全に削除された。
またWHOのICD国際疾病分類の第9版「ICD-9」(1975年)では「性的逸脱及び障害」の項の1つに「同性愛」という分類名が挙げられていたが、1979年には「精神障害と考えられるべきか否かにかかわらず、同性愛をここに分類」との注釈がついた。そして1990年採択の「ICD-10」では「同性愛」の分類名は廃止され、「自我異和的性的定位」という分類名が用いられたが、「性的指向自体は、障害と考えられるべきではない。」と注釈がついた。これにより、同性愛自体は精神障害とされなくなった。1993年、WHOは再び「同性愛は、いかなる意味でも治療の対象にならない」と宣言した。
日本の厚生省は、1994年にWHOの見解を踏襲し、日本精神神経学会も1995年にWHOなどの見解を尊重すると表明し、「同性愛は、いかなる意味でも治療の対象とはならない」と宣言している。文部省も1994年に、指導書の「性非行」の項目から同性愛を削除した。
このように、同性愛そのものは疾患では無いとされるようになった。ただ同性愛である事によって差別されたり、社会規範との適合性から思い悩み、鬱病など精神障害を発症するケースがある(後述も参照)。その場合は『同性愛者を差別する社会病理に根ざした鬱病』として捉えられる。
同性愛者は異性装をするのか
同性愛者は異性装(女装、男装)をする人がいる。一般的には、性同一性障害(持って生まれた身体に違和感があり、異性になりたい人。例:はるな愛)、異性装をする同性愛者(異性装はするが身体は元の性でいたい同性愛者。例:ミッツ・マングローブ)、異性装をする異性愛者、そして同性愛者の違いが分からないという人が多く、ニューハーフやMtF-GIDや女装家とゲイを混同している場合、ゲイの多くが女装をしているように見えてしまうことがある。
しかし、実際には大部分の同性愛者は異性装をしない。異性装をする同性愛者は極少数であり、異性装をする異性愛者もいる。
同性愛者と異性の関係
特にレズビアンに対し、男性恐怖症ではないかという誤解が見受けられる。『ゲイ 新しき隣人たち』(モートン・ハント著、窪田高明訳、河出書房新社)では、男性同性愛者の場合、約半数はいずれかの時点で女性との性交を経験しており、女性に関心も性的感情も過去に1度も抱いたことのないゲイ男性は、全体の4分の1としている(ただし、『ゲイ 新しき隣人たち』の出版年が1982年であることを考慮すると、この本ではバイセクシュアル男性をゲイに含めていた可能性が高い。1982年当時はゲイとバイセクシュアル男性の区別が曖昧であった)。
同性愛カップルには男役と女役がいるのか
イェール大学のQ Magazineは、「ゲイ男性はタチ(Top)とネコ(Bottom)に分かれる」、「同性間のリレーションシップは片方が女性的な役割でもう一方が男性的役割である」といった異性愛社会の通念や慣習をに当てはめる考えは、彼らの実態に則していないとしている。それでも敢えてその無意味な性役割の概念を同性愛者に適用していうならば、そのような状態に近いカップルと、そうでないカップルが存在するということになる。
アクセプタンスとカミングアウト
自分が同性愛者と自覚しはじめた初期段階において、少なからずの者が自己嫌悪や自己否定の感情に苛まれることがあるとされる。アクセプタンスはゲイやレズビアンであることを受け容れ、自己承認すること。カミングアウトの一つ前の段階で、セクシュアル・アイデンティティを自己肯定するための大切な過程とされる。一方のカミングアウトは自らが同性愛者であることを確認した上で、それを自分や周囲に隠さず素直に生きることを指す。カミングアウトで自身の性的指向や性自認をカミングアウトしたレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの人々を祝い、人々の認識向上を目的とした記念日が10月11日にある。モントリオール大学系のラ・フォンテーヌ病院のチームは、カミングアウトした同性愛者は、それをしていない同性愛者よりもストレスが少なく、異性愛者よりもリラックスしていることがあるとする研究結果を発表した。
同性愛者と健康
- 同性愛者の精神疾患
差別や偏見のせいで鬱病になる同性愛者もいる。
1989年のアメリカの保健社会福祉省の調査によれば、思春期の自殺者のうち約30%が同性愛者を中心にしたセクシャルマイノリティである。
ゲイ・バイセクシュアル男性を対象として、2005年、京都大学大学院医学研究科の日高庸晴氏(当時。現在は関西看護医療大学講師)らが国の補助を受けてインターネット・ホームページ上で行ったアンケート調査(2005年8月~11月調査実施)によると、約6000人が回答したうち、3人に2人がこれまでに自殺を考えたことがあり、14%は実際に自殺未遂の経験があるとの結果が出た(有効回答数5731)。この割合は1999年実施調査(有効回答数1025)とほぼ同率であった。
同性愛の歴史
日本での同性愛の歴史は、「日本における同性愛」に詳しく書かれている。
男性の同性愛を指す言葉として、「男色」「断袖(だんしゅう)」がある。どちらも中国由来の言葉で、武士同士の男色の場合は衆道とも言う。断袖は、紀元前の中国皇帝哀帝 (漢)が同衾した董賢を起こさぬよう、董賢の頭の下にあった自分の衣の片袖を切ったという故事から男色の別称となった。
古代ギリシャのアテナイなどにおいて、男色(少年愛)は公然と行われており、プラトンの著作(『プロタゴラス』『饗宴』『パイドロス』など)でも、頻繁に描かれている。テーバイの精鋭部隊である神聖隊は男性の恋人同士によって編成されていたとされる。
1969年6月28日未明に、アメリカ合衆国ニューヨーク市内グリニッジ・ヴィレッジにあったゲイバー「ストーンウォール・イン(Stonewall Inn)」に警察の弾圧的手入れが行われ、これに端を発した数千人規模の暴動「ストンウォールの反乱」が発生した。この事件は世界中でLGBTの権利を求める声が拡まる大きな契機となり、事件の翌年(1970年)に行われた暴動発生1年を記念するデモンストレーションがアメリカ国内の各地で行われ、これがプライド・パレードの始まりとなった。1989年5月26日にデンマークで、世界で初めて登録パートナーシップ法が成立し、10月1日に施行された。
1990年5月17日、世界保健機関(WHO)が疾病及び関連保健問題の国際統計分類(ICD)から同性愛を削除し、同性愛は病気の一種ではないことを決議する。
2001年4月1日に世界初の同性結婚(異性同士の結婚と全く同一の婚姻制度)が、オランダで認められた。
アイスランドの女性政治家、ヨハンナ・シグルザルドッティルは、私生活ではレズビアンで、2009年2月1日に同国首相に就任し、同性愛者を公言した世界初の国家首脳になった。さらに、2010年6月27日に女性脚本家と結婚し、同性結婚をした世界初の国家首脳となった。
2019年5月17日、中華民国(台湾)で、アジアで初めて法的に同性婚が認められた。
文化・宗教における同性愛
同性愛に対する文化・宗教の態度は様々である。文化・宗教で同性愛に言及する場合、そのほとんどは男性同性愛への言及であり、女性同性愛についての記述は非常に限られている。
宗教における同性愛
同性愛に対する宗教上の解釈も人や宗派によりさまざまであるが、同性愛をさほどタブー視しない日本に比べ、概ね欧米の伝統的な文化では同性愛は否定的に評価されている。同性愛を表向き禁止している文化・宗教は幾つか存在し、例えば、アブラハムの宗教の中の少なからぬ宗派は同性愛を禁じている。欧米の否定的評価は、この宗教的倫理によるものである。
キリスト教の中でも比較的保守的な宗派においては、『コリントの信徒への手紙一』の6章9節、『ローマの信徒への手紙』の1章26-27節などを基に、同性愛を罪であると見做している場合が多い。そのためカトリック教会では、ヨーロッパにおいて中世・近世を経て近代に至るまで、同性愛者に対する厳しい迫害が行われ、多数の者が処刑された。現代では、同性愛は異性愛と同様に神の意思に従った自然な存在であると考える宗派もある。同性間の性的行為についても、容認している教派と許されないとする教派に分かれる。2020年10月21日、カトリック教会の最高位聖職者であるローマ教皇のフランシスコは、「彼らは神の子であり、家族になる権利がある」と、同性カップルの法的権利を認めるパートナーシップ制度「シビル・ユニオン」への支持を表明した。
また、イスラム教も教義上は同性愛については否定的な見解を示している信者が少なくない。『クルアーン』の7章80節~81節と26章162節~166節には、預言者ルート(聖書ではロト)が男性に性欲を抱く人々を非難する記述がある。これを受けてイスラム国家では同性愛が犯罪として処罰の対象となり、現在でもサウジアラビアやイランのように同性愛者を死刑に処する国や地域も存在する。その一方、前近代イスラームにおいて同性間性行為が許容された地域があり、同性間性行為を謡った詩なども多く詠まれている。現代では同性愛差別に反対しているムスリムも存在する。同性愛者やトランスジェンダーのムスリムの団体「アル=ファーティハ財団」がある。
仏教においては、『正法念処経』の十六小地獄で不倫をした者が落ちる地獄、女性の口を使ってみだらな行為をした者が落ちる地獄などと並んで、多苦悩処という男色者が落ちる地獄があると設定されている。迦才の『浄土論』、源信著『往生要集』でも、この多苦悩処について言及されている。
ヒンドゥー教においては、アイヤッパンやアルダーナリシュヴァラのように性の垣根を越えたような神格が登場するものの、地上世界における同性愛には否定的で法典類では罰金が定められている。ただし『マヌ法典』などではカーストからの追放といった厳罰を定めている。
日本の宗教である神道は、教祖・教典のない創唱宗教で、これといった戒律はないため、同性愛をタブー視していない。
今日の日本で、一般に向けて強制的に行使すれば、人権侵害やテロ行為等の犯罪となるような宗教上の禁止事項に実質的な意味はまったくないが、禁止や罪となる理由が「聖典に書かれているから」といったものである以上、これにより聖典の信頼性が問われることがある。現時点では、聖典の作成者、及び作成経緯などを含め、その成立については、各宗派の信者からの推定のみに留まっており、諸説に実証があるというわけではない。すなわち、「神」が判断したのではなく、「神」の判断と思い込んだ考え方の異なる複数の人間の判断である可能性が聖典には常に横たわっている。「神」と呼ばれる存在の解釈ひとつをとっても、あらゆる宗派や教義によって多少異なっており、一貫しているわけではない(参考:宗教戦争)。
制度化された同性愛
歴史的には、中世から近世初期にかけての日本の武士や、古代ギリシア・古代ローマのように、男性間の同性愛行為が制度化されていたり、公然と行われた文化も存在する。
古代ギリシアでは、制度化されていた少年愛を同性愛として含めると、同性愛は単なる恋愛・性愛のバリエーションの1つだったともいえる。異性愛との区別自体が無く、同性と肉体関係を持っても同性愛者という概念自体が存在しなかったという。当時のギリシアにおける自由民成人男性の性対象は女性、少年、奴隷、外国人のうちどれを選んでもよく、むしろ生涯で片方の性にしか性欲が湧かないことは通常ではないとされていたという。但し、制度少年愛における同性愛的関係は、概ね成人男性と思春期前後の少年のあいだで結ばれるもので、これらが集団の結束を強固にする目的があったり、何らかの意味で現代的な同性愛とは異なるものだと指摘する見方もある。周辺時代に登場する主な史説に、アレクサンドロス3世(大王)のヘファイスティオンとの同性愛関係やユリウス・カエサルのスエトニウスによるニコメデス4世との関係などがある。
ニューギニアではサンビアなどメラネシアの幾つかの社会で通過儀礼の一環として男性同士のフェラチオや肛交が定められているという。但し、これは同性どうしの行為という意味では一般的であるが、これが社会的な義務観念であることから、「性愛」ないし「愛情」をともなう同性愛の行為であるとは必ずしもいえない。
同性愛に関する法と政治
世界においては、同性愛自体が合法である国家と、違法である国家が存在する。同性愛が合法である地域の中には、同性結婚を認めている地域(スペインやオランダ、カナダ、アメリカ合衆国、イギリスなど)や、婚姻とは別の形で、パートナーシップ制度や内縁関係を認めている国家(ドイツ、オーストラリア、台湾など) がある。
一方で違法でなくても、同性カップルに関する認知制度が無く、同性カップル自体は社会制度上認められていない地域 (日本や中国など)も多く存在する。但し日本では養子縁組を結べば、対等なカップルではなく親子関係になるものの、婚姻者とほぼ同等の権利が認められる。南アフリカ共和国は、1996年に制定した新憲法でアパルトヘイトの禁止と同時に、性的指向にも言及し、同性愛と異性愛について一切の差別を行わないことを宣言している。
サウジアラビアなどイスラム国家では、同性愛は違法である場合が多い(イスラム教が多数を占める国家であっても、トルコやインドネシアのように世俗主義を採る国家は、社会的認知制度は無いものの合法)。違法である国家においては、リベリアのように軽犯罪に分類される国家はほとんど無く、多くの国家で重罪とみなされ、場合によっては終身刑が適用されうる国家(パキスタンなど)、さらには死刑が適用されうる国家(イラン、サウジアラビアなど)もある。
2008年12月に、国際連合総会において「性的指向と性自認に基づく差別の撤廃と人権保護の促進を求める」旨の声明が出された。日本はこれに賛同している。なお賛同した66ヶ国中アジア圏で賛同した国家は日本のみで、先進諸国のなかでもアメリカ合衆国は賛同しなかった。ただしアメリカ合衆国は、後にオバマ政権に移行したこともあり、賛同する方針に転換している。
加えて、以前は重罪であった国家でも、合法化へと進んでいる国家も存在する。インドは以前は重罪 (終身刑が適用されうる) であった。これはイギリス領インド帝国の時に作られた法律であったが、2008年には国連が非違法化すべきであると提案し、2009年7月にインドの高等裁判所が、同性愛は違法ではないという判決を出した。詳しくはインドにおける同性愛を参照。
日本では、1872(明治5)年に発令された「鶏姦律条例」および1873(明治6)年に発令された「改定律例」では男性同士の肛門性交(鶏姦)が犯罪とされた(後者の第266条では懲役刑)。しかし、1880(明治13)年に制定(施行は1882年1月1日)された旧刑法には、この規定はなくなった。それ以来日本の法において、同性愛は違法とされておらず、現在法務省は性的指向による差別をなくす呼びかけを行っている。一方で、同性結婚を認める法律は存在しない。G7(フランス、アメリカ合衆国、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ)のうち、同性結婚もシビル・ユニオンも法制化されていない国は日本のみである。
2013年現在、ロシアにおいては、同性結婚は認められておらず、同性愛そのものが、異性愛よりも下等であるとされている。2013年6月30日、ウラジーミル・プーチン大統領は、同性愛の宣伝行為に対して罰則を与える法案に署名、法律は成立した。この法律では、同性愛と異性愛の関係が「社会的に同等」であるという「歪んだ理解」を持たせる情報を、未成年者に広めた者に対し、最大5000 ルーブル(約1万5000円)の罰金を科すとしている。外国人にも適用され、罰金だけでなく、身柄拘束、国外退去も可能としている。
同性愛と社会
同性愛者同士のコミュニケーションや運動
古来から、通過儀礼として社会的に同性愛が認められている場合を除き、自身が同性愛者であると公に明かすことをためらう人が少なくない。また同性愛者の数も相対的には少ない。ゆえに、同性愛者同士のコミュニケーションは時・場所が異性愛者同士のそれと比べると、ウェブサイトの同性愛者専用の掲示板やSNS、同性愛者を客層とするバーなど狭い範囲に限られている。
但し、異性愛社会の中では時・場所が限られているからといって、特にゲイ男性同士の場合、出会いが少ないことは意味しない。
日本では、1980年代半ばまでは同性愛者同士のコミュニケーションはゲイ雑誌の出会い投稿欄やバー、発展場などに限られていたが、1980年代後半に伝言ダイヤルやダイヤルQ2が普及したことで様変わりした。90年代半ば以降はインターネットの急激な普及と出会い系サイトの登場で、同性愛者同士の出会いは更に容易になった。(参照:日本における同性愛#ゲイのコミュニケーション)
近年では、自己に誇りを持とうとするための運動として、プライド・パレードのようなイベントや、インターネット上でのコミュニケーション、同性愛者への差別意識(参考:ホモフォビア)撤廃などを訴える運動が行われている。
インターネットが発達することによって、かつて少数派として孤独になりがちだった同性愛者は、世界中の同性愛者と繋がることができる環境になった。
アイルランドの作家で、同性愛者であるコルム・トビーンは「インターネットができる前は大いなる孤独があった。今は連帯がある」と語り、インターネットを始めとするテクノロジーの発達が、同性愛者の生活を変えたと指摘している。
異性愛者の同性愛の受容
同性愛者に対する異性愛者の受容といった観点においての心理学的なアプローチでは、男性同性愛者と女性同性愛者に対して、女性異性愛者は双方の受容傾向に差は見られなかったが、男性異性愛者については男性同性愛者に対してのみ受容の傾向が有意に低いという実験結果が複数の実験で出ている。これについては、男性と女性の「性の対象」としての視線に慣れているかいないか、言い換えれば、女性は水着のグラビアなどを筆頭に性的な対象としての視線に晒されることが多くある程度耐性がついているが、男性にはそれがついておらず自身が性の対象になる可能性のある男性同性愛者に対して拒絶感があるからではないかという推察もある。ちなみに、カミングアウトされた経験がある(つまり友人といった他人から自身は同性愛者であると告げられたことがある)人は、全体的に受容傾向が強いとする実験結果が出ている。
ポルノ等における同性愛者
ポルノ雑誌やポルノ媒体などにおける男性同性愛や、「レズもの」における女性同性愛などに対しては、性的観点を重視し過ぎている、娯楽的観点に偏重しているとして不快に感じる人もいる。また男性同性愛者の性を商品化している、男性同性愛者を異性愛社会に隷属させるためのステレオタイプに押し込めている、などの批判もある。佐藤雅樹は「異性愛女性が自分より弱い立場の存在(ゲイ)にステレオタイプを押し付けることが『差別』なのだ」といっている。
同性愛にまつわる事件
- アメリカ
- ドイツ
- 日本
- 東京都青年の家事件(府中青年の家事件) - 現在同施設は閉鎖。
原因
同性愛になる原因として、以下で触れる脳の機能説や環境ホルモン説のほか、妊娠中の母親のストレス説、或いは育て方が影響するとする環境説などがある。
脳の機能説
同性愛など人間の性的な傾向は、自律神経をつかさどる脳の機能に規定されている可能性が有力であり、研究がなされている。有名なものとしてはスウェーデンの研究がある。
環境ホルモン説
環境ホルモン説は週刊誌やいわゆる実用書、また陰謀論的テクスト等によく登場する説であり、医学界・心理学界等の大勢の評価を得ている説ではないが、概ね19世紀以後に開発・使用された人工的な化学物質が人間および動物の同性愛化に影響を与えているという説である(現時点においては、少なくともいわゆる環境ホルモンの人体への影響は極小のものであると考えられており、この点に関して、本説は疑似科学に近い説であるという見解が有力である。環境ホルモンの項目参照)。
本説がもしも事実であれば、一般販売されている農薬汚染・肥料汚染された食品、化粧品や石鹸、ペンキ等の工業品などを通じて、同性愛傾向を備える可能性が高くなるということになるが、これには遺伝子の持つ免疫力の強さに応じて個人差が出るという。つまり、この裏づけには人の遺伝子の免疫力への影響度そのものの検証データが必要となってくる。しかし、現在までのところこうしたことに関する信頼性の高い確実なデータが提示されているわけではない。また現状として現代社会においても、それらの製品によって、何ら影響を受けた形跡のない異性愛者がほとんどであることからも、この説の信憑性は現段階でかなり低いものとなっている。
動物の同性愛
人間以外の生物においても同性愛と解釈できる行動は決して珍しいものではなく、オス同士で互いに精子をかけ合うクジラをはじめ、猿や昆虫の間で見られた等多数の例が報告されている。2006年にノルウェーのオスロ自然史博物館では、世界で初めて「生物の同性愛」をテーマとした展示会が開催された。同性愛的行動が確認された動物は1500種以上であり、そのうち500種の同性愛が立証されている。
関連文献
- 『クィア・サイエンス―同性愛をめぐる科学言説の変遷』(サイモン・ルベイ著、伏見憲明監修、玉野真路・岡田太郎訳、勁草書房、2002年) ISBN 4326601507
- 『同性愛の基礎知識』(伊藤悟、あゆみ出版、1996年)
- 『同性愛者として生きる』(伊藤悟 他、明石書店、1998年)
- 『同性愛がわかる本』(伊藤悟、明石書店、2000年)
- 『同性愛って何?』(伊藤悟、緑風出版、2003年)
- 『310人の性意識―異性愛者ではない女たちのアンケート調査』(性意識調査グループ、七つ森書館、1998年)
- 『江戸の性愛術』(渡辺信一郎、新潮社)
- 『カミングアウト・レターズ』(砂川秀樹、RYOJI、太郎次郎社エディタス、2007年)
- 『同性愛者における他者からの拒絶と受容―ダイアリー法と質問紙によるマルチメソッド・アプローチ 臨床心理学研究の最前線 1』(石丸径一郎、ミネルヴァ書房、2008年)
- 『同性愛入門[ゲイ編]』(伏見憲明、ポット出版、2003年)
- 『現代ロックの基礎知識』(鈴木あかね、渋谷陽一、ロッキング・オン、1999年)
- 『ボクの彼氏はどこにいる?』(石川大我、講談社、2002年)
- 『戦後日本女装・同性愛研究 中央大学社会科学研究所研究叢書』(矢島正見、中央大学出版部、2006年)
- 『セクシュアルマイノリティ―同性愛、性同一性障害、インターセックスの当事者が語る人間の多様な性』(セクシュアルマイノリティ教職員ネットワーク、明石書店、2006年)
- 『ゲイ@パリ 現代フランス同性愛事情』(及川健二、長崎出版、2006年)
- 『先生のレズビアン宣言―つながるためのカムアウト』(池田久美子、かもがわ出版、1999年)
- 『もうひとつの青春 同性愛者たち』(井田真木子、文藝春秋、2006年)
- 『バニラセックス』(柿澤あずき、日本文学館、2008年)
- 『アレクサンドロスの征服と神話 (興亡の世界史)』 (森谷公俊、講談社、2007年)
- 『医療・看護スタッフのためのLGBTIサポートブック』(藤井ひろみ他編、メディカ出版、2007年)
- 『NHK「ハートをつなごう」LGBT BOOK』(NHK「ハートをつなごう」制作班編、太田出版、2010年)
脚注
注釈
関連項目
外部リンク
- 法務省 - 人権擁護局 「人権週間・強調事項」
- 47NEWS「オバマ氏、同性愛差別根絶に賛同 ブッシュ前政権の方針転換」 - ウェイバックマシン(2009年5月21日アーカイブ分)
- 南アフリカ共和国憲法
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