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悪性腫瘍
悪性腫瘍 | |
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悪性中皮腫の冠状断面CT画像
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分類および外部参照情報 | |
発音 | あくせいしゅよう |
ICD-10 | C00—C97 |
ICD-9-CM | 140—239 |
DiseasesDB | 28843 |
MedlinePlus | 001289 |
MeSH | D009369 |
GeneReviews |
悪性腫瘍(あくせいしゅよう、Malignant Tumor, Cancer)は、生体の自律制御を外れて自己増殖する細胞集団である。腫瘍のうちで周囲の組織に浸潤して転移するものを指す。がん(ガンまたは癌)や「悪性新生物」とも称し、死亡につながることも多い。国立がん研究センターによると、2007年以降登録した院内がんデータでは、2018年の10年生存率は59.4パーセント (%) で部位や病期(ステージ)により差が大きい。
概要
ヒトの身体の細胞は、正常な状態では、細胞数をほぼ一定に保つために分裂・増殖を制御する機構が働いている。腫瘍は、生体細胞の遺伝子に発生した異常に起因して、正常な制御を外れて自律的に増殖を開始したものを指す。腫瘍と正常組織の区画が不明瞭で、異物が組織や細胞内に蓄積する浸潤現象 (Infiltration) が発現し、転移現象が認められる状態を「悪性腫瘍」と称する。
治療を施さない場合は全身に転移して死の転帰をみる。
表記・呼称
腫瘍は良性腫瘍と悪性腫瘍とに分類され、後者を「癌」と称する。癌は、上皮組織系由来の癌腫 (Carcinoma) と非上皮組織系細胞由来の肉腫 (Sarcoma) に分類される。癌腫の診断名は「臓器名(組織名)+癌」で表記される。ひらがなの「がん」は悪性腫瘍全体を示し、漢字の「癌」は上皮細胞から発生する癌腫と使い分けられることがあるが、区別はされないことも多い。
戦後に定めた当用漢字は「癌」を含まず「がん」が広く一般に用いられ、学問では「癌」を用いたが、「がんは悪性腫瘍の総称、癌は癌腫を意味する」との主張が1990年以前から一部で見られるようになった。日本口腔外科学会は「がんは悪性腫瘍の総称、癌は癌腫を意味する」と定義しているが、内科医の藤田浄秀は、当用漢字による漢字制限と必然的に生じた仮名書きの強制の歴史的観点から「不適切だ」と主張している。
国際疾病分類
国際疾病分類の日本語訳では「Cancer」の訳語として、「がん」(「癌」)を当てており、悪性腫瘍一般を意味する。
「がん」を意味する「Cancer」は、かに座を意味する「Cancer」と同じ単語であり、乳癌の腫瘍が蟹の脚のような広がりを見せた ところから、「医学の父」と呼ばれるヒポクラテスが「蟹」の意味として「καρκίνος」(Carcinos)と名づけ、これをアウルス・コルネリウス・ケルススが「Cancer」とラテン語に翻訳した。
広義の「Cancer」は「悪性新生物」(Malignant Neoplasm) の総称であり、ひらがなで「がん」と表記する。ひらがなの「がん」は、「癌腫」や非上皮由来の「肉腫」(sarcoma)、白血病のような血液悪性腫瘍も含めた広義的な意味で悪性腫瘍を表す言葉として使われており、「国立がん研究センター」、各都道府県における「〇〇県がんセンター」と表記している。
広義の「Cancer」は、狭義の「Cancer」にあたる「Carcinoma」(癌腫)、「Sarcoma」(肉腫)、その他(白血病、悪性リンパ腫、骨髄腫、悪性中皮腫)に分けられる。
漢字の「癌」は、「岩」の異体字である「嵒」と、病垂との会意形声文字であり、本来は「乳がん」の意味である。触診すると岩のようにこりこりしているからで、江戸時代のころには「岩」と書かれた文書も残っている。
社会の機構や組織について「○○は△△のがんだ」「△△のガン細胞」と比喩表現の1つとして使われることがある。
腫瘍
「腫瘍」は国際疾病分類の「Tumor」の日本語訳であり、「生体内において、その個体自身に由来する細胞でありながら、その個体全体としての調和を破り、時に他から何らの制御を受けることなく、又自らの規律に従い、過剰の発育をとげる組織をいう」と定義されている。
新生物 (Neoplasm) も腫瘍と同義に用いられており、良性と悪性があり、悪性新生物は癌、癌腫及び肉腫を意味する。
医学的分類
癌腫 | 肉腫 | |
---|---|---|
由来 | 上皮性 | 非上皮性 |
発育速度 | 速い | より速い |
年齢 | 高齢者 | 若年者 |
転移行性 | リンパ行性 | 血行性 |
構造 | 胞巣構造 | 混合 |
悪性腫瘍の用語は病理学において以下のように分類される。
- 癌腫 (Carcinoma):上皮組織由来の悪性腫瘍、皮膚の上という意味において、皮膚表面からつながる内臓の内側つまり胃の中、腸の中に発生するものが上皮由来となる。カルシノーマ。
- 肉腫 (Sarcoma):非上皮組織由来の悪性腫瘍、皮膚の上でない部位、平滑筋の中や後腹膜に発生するものを非上皮由来となる。サルコーマ。
- その他:白血病 以上を合わせた悪性腫瘍全体を指し示すのがひらがなの「がん」(Cancer) となる。
主な作用
悪性腫瘍は、
- 無制限に栄養を使って増殖するため、生体は急速に消耗する。
- 全身に転移することにより、多数の臓器を機能不全に陥れる。
これらに伴い、癌性疼痛を惹き起こすことも多い。
がんの代謝
通常の細胞では、酸素が十分に供給されている時は、ATP合成のエネルギー効率が高いが合成速度の遅いミトコンドリアでの酸化的リン酸化でエネルギー生産を行う。酸素が十分に供給されない時は、エネルギー効率が悪いが速度の速い解糖系によって、エネルギーを得ている。がん細胞は酸素が十分に供給されている環境下でもエネルギー効率の悪い解糖系で活動する。これはワールブルク効果(「ウォーバーグ効果」とも)と呼ばれている。この現象は以前から知られていたが、代謝物を一斉に測定・解析を行なうメタボロミクスによって、非がん組織と比較してがん組織で解糖系の代謝中間体のプロファイルが明らかになり、解糖系の活性化が明確に示された。なお、通常の細胞の代謝に関しては解糖系によるATP合成速度は電子伝達系によるATP合成速度の約100倍の速度を有している。
癌組織の多くがブドウ糖代謝に活発(言い換えると、「癌細胞はブドウ糖をエサにして増殖する」)な性質を利用したポジトロン断層法(PET)が、がん診断に利用されている。
疫学
世界保健機関 (WHO) によれば、2005年の世界の5800万人の死亡のうち、悪性腫瘍による死亡は13%(760万人)を占める。死亡原因となった悪性腫瘍のうち、最多のものは肺がんが130万人で、胃がんは100万人、肝がん、大腸がん、乳がんが続く。悪性腫瘍による死亡は増加し続け、2030年には1140万人が悪性腫瘍で死亡すると予測されている。
日本の原因疾患別死亡者数の割合と順位では1951年から1980年まで30年間1位の脳血管疾患に代わり、1981年から2015年まで35年連続で1位で、2015年度は死亡者数129万0428人のうち、がんによる死者数は37万0131人であり、死亡者総数に対する割合は28.7%である。
死亡数 (2017年) | 罹患数 (2014年) | |||||
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男 | 女 | 男女 | 男 | 女 | 男女 | |
1位 | 肺 | 大腸 | 肺 | 胃 | 乳房 | 大腸 |
2位 | 胃 | 肺 | 大腸 | 肺 | 大腸 | 胃 |
3位 | 大腸 | 膵臓 | 胃 | 大腸 | 胃 | 肺 |
4位 | 肝臓 | 胃 | 膵臓 | 前立腺 | 肺 | 乳房 |
5位 | 膵臓 | 乳房 | 肝臓 | 肝臓 | 子宮 | 前立腺 |
分類
「がん」は単一の細胞を起源とし、発生母地となった細胞の種類(組織学的分類)と細胞の身体的部位(解剖学的分類)とで分類できる。
組織学的分類
組織型および各腫瘍組織型の記事を参照。
病期分類は、腫瘍学、癌に詳述がある。
成人のがん
成人の「がん」は通常は上皮組織に形成され、遺伝的あるいは内因的特性を持つ人々が外的要因に曝された影響による長期間にわたる生物学的プロセスの結果として生じる、と大方の場合は考えられている。肉腫は上皮由来ではないが、悪性腫瘍として癌と同様に検査・診断・加療される。
次に例を示す:
幼児期のがん
「がん」は幼い子供にも発生し、場合によっては新生児にも発生する。異常な遺伝形質プロセスのために細胞の複製幼若化に対して抑制が利かないので、制御されない増殖が早期より亢進し、進行も速い。肉腫が多いことも特徴として挙げられる。そのため、外科治療による治癒が難しいとされるが、抗がん剤が効きやすいともいわれる。
幼児期のがんの発生ピーク年齢は生後一年以内にある。神経芽細胞腫は最も普通に見られる新生児の悪性腫瘍であり、白血病 (leukemia) と中枢神経がんがその次に続く。女子新生児と男子新生児とは概して同じ発生率である。しかし、白人の新生児は黒人の新生児に比べてほとんどの種類のがんにおいて大幅に発生率が高い。
新生児の神経芽細胞腫は生存率が非常に良く、ウィルムス腫瘍、網膜芽細胞腫も非常に良いが、他のものはそれほど良くない。
幼児期がんを次に示す:
分化度
身体を構成する細胞は、1個の受精卵から発生を開始し、当初は形態的機能的な違いが見られなかった細胞は各種幹細胞を経て組織固有の形態および機能を持った細胞へと変化してゆく。この形態的機能的な細胞の変化を分化という。細胞の発生学的特徴の一つとして、未分化細胞ほど細胞周期が短く盛んに分裂増殖を繰り返す傾向がある。通常、分化の方向は一方向であり、正常組織では分化の方向に逆行する細胞の「幼若化」(脱分化)は、損傷した組織の再生を除き、発生しない。
がん細胞は特徴の一つに幼若化/脱分化するという性質あり、分化度の高いがん細胞や、非がん組織から、「低分化」あるいは「未分化」ながん細胞が生じる。細胞検体を検査したとき、細胞分化度が高いものほど臓器の構造・機能的性質を残し、比較的悪性度が低いと言える。インスリノーマのような例外もある。通常は分化度の低いものほど転移後の増殖も早く、治療予後も不良である。
化学療法は、特定の細胞周期に依存して作用するものが多いため、細胞周期が亢進している分化度が低いがんほど化学療法に対して感受性が高いという傾向がある。腫瘍細胞への作用原理・特性は「化学療法 (悪性腫瘍)」に詳述がある。
接触阻害の機能喪失と無限増殖能
細胞生物学における接触阻害とは、細胞がお互いに接触するまで増殖した場合に起こる細胞の増殖が停止する細胞の性質のことである。癌細胞では通常、この接触阻害の性質を失っており、隣の細胞に接触した場合でも増殖を停止できない状況に至っている。癌細胞は、接触時に増殖を停止したり成長方向を変更したりすることはないため、お互いの細胞の上に積み上がって成長を続けることとなる。癌細胞は、この接触阻害の性質を失っており、かつ、無限に増殖できる能力を獲得している。癌細胞の特徴として、接触阻害の消失、増殖因子要求性の低下、転移能の前提である足場非依存性増殖能の獲得、不死化、転移能の獲得、脱分化の発現が掲げられ、発癌はこのような過度の増殖亢進の結果である。
がんと細胞死
「トゥーモア・イニシエーション」(Tumor Initiation, 正常な細胞が、腫瘍を形成できるよう変化する過程のこと)と「プロモーション」(Promotion, 発癌促進)によって細胞増殖が起こり、過形成になると「アポトーシス」(Apoptosis, 細胞が死ぬ現象)の機構が働き、細胞の増殖が抑えられる。しかし、細胞死が進行して細胞数が減ると、体内で細胞死は抑制され、細胞増殖が促進される。放射線で誘発されるリンパ腫の実験では細胞死を起こしやすい動物系統がリンパ腫を発生させやすい。細胞死が起こり、細胞が減少すると細胞死を抑制して細胞増殖を促進させるようになり、これが癌化への引き金となる。ウイルス感染(エプスタインバーウイルス (EBV)、パピローマウイルス (HPV)、ヒトT細胞白血病ウイルス、B型及びC型肝炎ウイルス)、化学物質による発がんも放射線誘発発がんと同様に細胞死の亢進に引き続く細胞死の抑制(遺伝子bcl-2の活性化)が癌化に際して重要な要因となっている。がん抑制遺伝子p53はDNA損傷の修復を助けるが、損傷を修復できない場合には細胞死を誘発させて細胞ごと消去する。p53に異常があると細胞死が起こりにくくなり発がんにつながることになる。
発生要因
悪性腫瘍(がん)は、細胞のDNAの特定部位に幾重もの異常が積み重なって発生する、と説明されることが多い。異常が生じるメカニズムは多様であり、全てが知られているわけではない。遺伝子の異常は、通常の細胞分裂に伴ってもしばしば生じていることも知られ、偶発的に癌遺伝子の変異が起こることもありうるし、発癌の確率、すなわち遺伝子の変異の確率を高めるウイルス、化学物質、放射線(環境放射線、人工放射線、X線検査やCTスキャンによる医療被曝)が挙げられている。
健康状態の生体内ではDNA修復機構や細胞免疫、悪性腫瘍を修復したり抑え込んだり排除したりする機構も働いている。
すでに悪性腫瘍が生体内にある状態になっている場合、そこにはDNA修復機構の不調や細胞免疫の不調が複雑に絡んでいる場合もあり、「水疱瘡は水痘・帯状疱疹ウイルス (Varicella-zoster virus) の感染で起こる」など一対一の因果関係の説明は、癌では示しにくいことが多い。
喫煙
喫煙と癌の相関は、数十年にわたる調査での一貫した結果でも明らかになっている。数百の疫学調査により、たばことがんとの関係が確認されている。アメリカ合衆国における肺がんによる死亡の比率とたばこ消費量の増加パターンは鏡写しのようであり、喫煙が増加すると肺がん死比率も劇的に増加した。渡邊昌は「日本政府が日本たばこ産業 (JT) 株式の半数以上を保有しているため、喫煙規制や禁煙に関する動きが進みにくかった」と指摘しており、がんの死亡率の1位は肺がんとなっている。
食事
厚生労働省は「『食生活の欧米化』 が癌による死を増やした」と考えている。
一方で、北極圏に住むエスキモーたちと暮らした経験がある探検家、ヴィルヒャムル・ステファンソン(Vilhjálmur Stefánsson)の事例もある。ステファンソンはエスキモーたちとの共同生活で、「脂肪が多い肉と魚」を毎日食べ、赤身肉よりも脂肪を優先的に食べるようにし、脂肪の摂取量が少ないと体調不良に陥った。
炭水化物を含む食事
ヴィルヒャムル・ステファンソンは、食事療法、とりわけ、炭水化物が少ない食事療法に大いに関心を抱いていた。ステファンソンはイヌイットたちの食事について、「全体の90%が肉と魚で構成されている」と記録している。彼らの食事は「Zero Carb」「No Carb」(「炭水化物をほとんど含まない食事」)と見なされるかもしれない(彼らが食べていた魚にはわずかな量のグリコーゲン (Glycogen) が含まれてはいたが、炭水化物の摂取量は全体的にごく僅かであった)。ステファンソンの仲間の探検家たちも、この食事法で完全に健康体であった。イヌイット(ステファンソンの時代には「エスキモー」と呼ばれていた)たちとの暮らしから数年後、ステファンソンは、アメリカ自然史博物館からの要請で、同僚のカーステン・アンダーソン (Karsten Anderson) とともに再び北極を訪れた。2人のもとには「文明化された」食料が1年分補給される予定であったが、2人はこれをやんわりと断った。当初の計画は1年間であったものが、最終的には4年間に延長された。北極圏にいた2人がその4年間で食べていたものは、捕えて殺して得られた動物の肉と魚だけであった。4年に亘る肉食生活を送る過程で、2人の身体には異常も悪影響も見られなかった。ウィリアム・バンティング (William Banting) と同じく、炭水化物のみを制限し、身体が本当に必要としている食べ物を食べ続けた場合、身体は完全に機能し、壮健さと細身を維持できることが明らかとなった。「カロリー」については一切無視された。
肉だけを食べる食事法が続行可能かどうかについての見解をステファンソンが報告した際には多くの懐疑論が出たが、のちに行われた研究と分析で、それは可能であることが裏付けられた。複数の研究結果により、エスキモーたちの食事法は「ケトン食療法」であることが示された。彼らは主に魚や肉を煮込んで食べており、時には魚を生で食べることもあった。この食事療法は、ミネソタ州ロチェスター市にあるメイヨー・クリニック (Mayo Clinic) の医師、ラッセル・ワイルダー (Russell Wilder) が1920年代前半に開発したもので、元々は癲癇 (Epilepsy) を治療するために開発し、患者に処方していた。砂糖、甘い果物全般、デンプンが豊富なもの全般を避け、各種ナッツ、生クリーム、バターの摂取を増やす。栄養素の構成比率は「脂肪(4):タンパク質と炭水化物(1)」である。脂肪分が90%、タンパク質が6%で、炭水化物の摂取は可能な限り避ける食事法である。
1928年、ステファンソンとアンダーソンの2人はニューヨークにあるベルヴュー病院(Bellevue Hospital)に入院し、完全肉食生活が体に及ぼす影響についての実験台となった。実験の期間は1年間であり、コーネル大学のウジェーヌ・フロイド・デュボア(Eugene Floyd DuBois)が実験を指揮した。ステファンソンとアンダーソンの2人は、注意深く観察された実験室という設定で、最初の数週間、肉だけを食べ続けても問題無いことを証明する研究の着手に同意し、「食事における決まり事」を確かなものにするために観察者が付いた。スコット・カトリップ(Scott Cutlip)による著書『The Unseen Power: Public Relations』によれば、ペンドルトン・ダッドリー(Pendleton Dudley)がアメリカ食肉協会(American Meat Institute)に対して、この研究に資金を提供してもらえないか、と説得したという。この間にアンダーソンには糖尿病の症状が発現した。糖尿病における病理とは異なり、この研究の過程でアンダーソンの身体に見られた糖尿病の病状の期間は4日間であった。耐性を調べるためにブドウ糖100gを投与させたことと、肺炎の発症はいずれも同時期であった。この時のアンダーソンは、水分と炭水化物が多い食事を取っており、これを排除すると、糖尿病の症状は消滅した。ステファンソンは、研究者から「脂肪が少ない赤身肉だけを食べる」よう依頼された。ステファンソンには脂肪がほとんど無い肉を食べ続けると2-3週間後に健康を損なった経験があり、「脂肪がほとんど無い肉」は「消化不良」を惹き起こす可能性がある、と指摘した。この肉を食べ続けて3日目、ステファンソンは吐き気と下痢に見舞われ、そのあとに便秘が10日間続いた。早い段階で体調不良に陥ったのは、自身が以前に食べていたカリブー(トナカイ)の肉と比べて脂肪が少ない肉を食べ続けたのが原因である、とステファンソンは考えた。脂肪が多い肉を食べるようにすると、2日以内に身体は完全に回復した。最初の2日間、ステファンソンが取っていた食事は、脂肪の摂取量が三分の一に減っていた点を除けば、エスキモーが取っていた食事に近いものであった。タンパク質の摂取カロリーは全体の45%を占めており、3日目には腸に異常が見え始めた。次の2日間でステファンソンはタンパク質の摂取量を減らし、脂肪の摂取量を増やした。摂取カロリーの約20%をタンパク質で、残りの80%を脂肪で占めるようにした。この2日間での高脂肪食でステファンソンの腸の状態は投薬無しで正常に戻った。その後、ステファンソンはタンパク質の1日の摂取カロリーが25%を超えないようにした。2人の身体は健康を保ち、腸も正常なままであった。彼らの便は小さく、匂いも無かった。ステファンソンには歯肉炎があり、歯石の沈着が増加するも、実験が終わるまでには消えていた。実験中のステファンソンの摂取カロリーは2000~3100kcalで、そのうちの20%はタンパク質であり、残りの80%は動物性脂肪から得ていた。栄養素の1日の摂取量については、タンパク質は100-140g、脂肪は200-300gで、炭水化物については7-12gであった。1929年に発表された論文では、この時の臨床研究について詳述されている。ステファンソンによれば、エスキモーたちは赤身肉(タンパク質)の摂取を制限し、余分な赤身肉は犬に与えて食べさせ、脂肪を確保して食べたという。これらの事例と証拠から、「脂肪が多い肉を食べると癌になる」という主張には説得力が無い。
タンパク質の摂取量が多過ぎ、脂肪の摂取量が足りない食事を摂り続けていると、「タンパク質中毒」(Protein Poisoning)と呼ばれる急性の栄養失調状態に陥ることがある。これは「ウサギ飢餓」「カリブー飢餓」「脂肪飢餓」とも呼ばれる。「ウサギ飢餓」(Rabbit Starvation)という用語は、ウサギの肉は脂肪が少なく、そのほとんどがタンパク質で構成されており、それだけを食べ続けると中毒症状を惹き起こす食べ物である点に由来する。報告されている症状として、最初は吐き気や疲労感に襲われ、下痢を起こし、最終的には死に至る。
1960年代以降、「動物性脂肪を豊富に含む動物性食品は、健康に悪影響を及ぼす可能性がある」と言われるようになると、栄養学者たちは「動物の肉には、生命維持に欠かせない全ての必須アミノ酸、全ての必須脂肪酸、13種類ある必須ビタミンのうちの12種類がたくさん含まれている」という栄養学上の事実の指摘を控えるようになった。ビタミンDとビタミンB12の両方を含む食べ物は「動物性食品だけ」である。
エスキモーとステファンソンによるケトン食療法(炭水化物を徹底的に避け、脂肪を大量に摂取する)は癌の治療や予防に有効である可能性を示している。
1946年、ステファンソンは、エスキモーたちとの食生活について綴った著書『Not by Bread Alone』(『パンのみにあらず』)を出版し、1956年にはこの本の拡張版とも言える内容の著書『The Fat of the Land』(『大地の脂肪』)を出版した。
高血糖、糖尿病、癌
- 久山町研究
1998年に福岡県久山町で行われた「久山町研究」 では、「糖尿病は悪性腫瘍死の発生のリスクを有意に増大させ、高血糖の程度を示すヘモグロビンA1cの高値の者ほど胃がんの発生率が高かった」という研究結果が得られた。この一町村の調査報告の中では糖尿病及び高血糖は悪性腫瘍の重要な危険因子である可能性を指摘している。糖尿病と診断されたことのある人は、そうでない人に比べて、がんを患いやすくなる確率20-30%ほど上がり、男性では肝がん、腎臓がん、膵がん、結腸がん、胃がん、女性では胃がん、肝がん、卵巣がんでこの傾向が強いことがコホート研究で示唆された。C-ペプチドは、インスリンを生成する際、インスリンの前駆体であるプロインスリンから切り放された部分を指すが、男性では、C-ペプチド値が高いと大腸癌リスクが高くなる。C-ペプチドは男性の結腸癌と関連がある。
1988年以降、久山町では、九州大学をはじめとする複数の大学の研究者たちが、炭水化物が多く、脂肪は少なく、摂取カロリーも低めの食事を住民に食べさせ続けたところ、糖尿病だけでなく、アルツハイマー型認知症を患う住民が増えた。前述のとおり、糖尿病は癌を患うリスクをさらに上昇させる。
血糖コントロール悪化から入院した糖尿病患者の6.85%に新規に悪性腫瘍が指摘され、高い罹患率を認めたことから、急激な血糖コントロールの悪化を認めた際には、悪性腫瘍の鑑別が必要となる。糖尿病患者はがんを患いやすくなるが、これには膵臓のβ細胞から分泌されるホルモン、インスリン(Insulin)が関わっている(後述)。
WHOと国際がん研究機関(IARC)による「生活習慣とがんの関連」についての報告がある。
関連の強さ | リスクを下げるもの(部位) | リスクを上げるもの(部位) |
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確実 | 身体活動(結腸) |
たばこ(口腔、咽頭、喉頭、食道、胃、肺、膵臓、肝臓、腎臓、尿路、膀胱、子宮頸部、骨髄性白血病) 他人のたばこの煙(肺) 過体重と肥満(食道<腺がん>、結腸、直腸、乳房<閉経後>、子宮体部、腎臓) 飲酒(口腔、咽頭、喉頭、食道、肝臓、乳房)、 アフラトキシン(肝臓)、 中国式塩蔵魚(zh:鹹魚)(鼻咽頭) |
可能性大 |
野菜・果物(口腔、食道、胃、結腸、直腸) 身体活動(乳房) |
貯蔵肉(結腸、直腸) 塩蔵品および食塩(胃) 熱い飲食物(口腔、咽頭、食道) |
可能性あり データ不十分 |
食物繊維、大豆、魚、ω-3脂肪酸、 カロテノイド、ビタミンB2、ビタミンB6、 葉酸、ビタミンB12、ビタミンC、ビタミンD、 ビタミンE、カルシウム、亜鉛、セレン、 非栄養性植物機能成分 (例:アリウム化合物、フラボノイド、イソフラボン、リグナン) |
動物性脂肪 複素環式アミン 多環芳香族炭化水素 ニトロソ化合物 |
発がん性を有する化学物質や放射線への暴露
化学物質への暴露が発がんを惹き起こすことがあり、国際がん研究機関(IARC)はヒトに対する発癌性が認められる化学物質(Group1)として、石綿、ベンゼン、六価クロム、ヒ素、カドミウム、ベンジジン、1,2-ジクロロプロパン、放射線としてγ線、X線を掲げている(詳細は「IARC発がん性リスク一覧」を参照のこと)。
病因微生物(ウイルスや細菌)
一部の悪性腫瘍(がん)については、ウイルスや細菌による感染が、その発生の重要な原因であることが判明している。現在、因果関係が疑われているものまで含めると以下の通り。
- 子宮頸部扁平上皮癌 - ヒトパピローマウイルス16型、18型(HPV-16, 18)
- バーキットリンパ腫、咽頭癌、胃癌 - EBウイルス(EBV)
- 成人T細胞白血病 - ヒトTリンパ球好性ウイルス
- 肝細胞癌 - B型肝炎ウイルス(HBV)、C型肝炎ウイルス(HCV)
- カポジ肉腫 - ヒトヘルペスウイルス8型(HHV-8)
- 胃癌および胃MALTリンパ腫 - ヘリコバクター・ピロリ
これらの病原微生物によってがんが発生する機構は様々である。ヒトパピローマウイルスやEBウイルス、ヒトTリンパ球好性ウイルスの場合、ウイルスの持つウイルスがん遺伝子の働きによって細胞の増殖が亢進したり、p53遺伝子やRB遺伝子の機能が抑制されることで細胞ががん化に向かったりする。肝炎ウイルスやヘリコバクター・ピロリでは、これらの微生物感染によって肝炎や胃炎の炎症が頻発した結果、がんの発生リスクが増大すると考えられている。またレトロウイルスの遺伝子が正常な宿主細胞の遺伝子に組み込まれる過程で、宿主の持つがん抑制遺伝子が欠損することがあることも知られている。ただしこれらの病原微生物による感染も多段階発癌の1ステップであり、それ単独のみでは癌が発生するには至らないと考えられている。
2005年にスウェーデンのマルメ大学で行われた研究では、ヒトパピローマウイルス(HPV)に感染した人間との、予防手段を用いないオーラルセックスは口腔癌のリスクを高める、と示唆した。この研究によると、癌患者の36%がHPVに感染していたのに対し、健康な対照群では1%しか感染していなかった。
『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』誌で発表された最近の別の研究は、オーラルセックスと咽喉癌には相関関係があることを示唆している。HPVは頸部癌の大半に関係しているので、この相関関係はHPVの感染によるものと考えられている。この研究は、生涯に1-5人のパートナーとオーラルセックスを行った者は全く行わなかった者に比べおよそ2倍、6人以上のパートナーと行った者は3.5倍の咽喉癌のリスクがあると結論付けている。
遺伝的原因
大部分のがんは偶発的であり、特定遺伝子の遺伝的な欠損や変異によるものではない。しかし遺伝的要素を持ちあわせる、がん症候群が存在する。
- 女性のBRCA1/BRCA2遺伝子がもたらす、乳癌あるいは卵巣癌
- 多発性内分泌腺腫 (multiple endocrine neoplasia) - 遺伝子「MEN types 1, 2a, 2b」による種々の内分泌腺の腫瘍
- p53遺伝子の変異により発症するLi-Fraumeni症候群 (Li-Fraumeni syndrome) (骨肉腫、乳がん、軟組織肉腫、脳腫瘍)
- (脳腫瘍や大腸ポリポーシスを起す)Turcot症候群 (Turcot syndrome)
- 若年期に大腸癌を発症する、「APC」遺伝子の変異が遺伝した家族性大腸腺腫症 (Familial adenomatous polyposis)
- 若年期に大腸癌を発症する、「hMLH1, hMSH2, hMSH6」DNA修復遺伝子の変異が遺伝した遺伝性非ポリポーシス大腸癌 (Hereditary nonpolyposis colorectal cancer)
- 幼少期に網膜内にがんが発生する、Rb遺伝子の変異が遺伝した網膜芽細胞腫 (Retinoblastoma)
- 若年期に高頻度に多発性嚢胞腎を発症し、のちに腎がんが発生する、VHL遺伝子の変異が遺伝したフォン・ヒッペル・リンドウ病
- 原因となる遺伝子は不詳であるが、家族内集積のみられる非アルコール性脂肪性肝炎 (NASH) や原発性胆汁性胆管炎 (PBC) による肝細胞癌 (Hepatocellular carcinoma)
遺伝的素因と環境因子の双方により発癌リスクが高くなるものとして、アルコール脱水素酵素の低活性とアルコール多飲がある。これらが揃うと頭頸部癌(咽頭癌・食道癌)の罹患率が上昇する。日本を含むアジアではアルコール脱水素酵素(ADH1B)の活性が低い人が多い。
予防
子宮頸癌は発癌リスクを軽減できるHPVワクチンが日本でも認可された。胃癌はヘリコバクター・ピロリを除菌することにより、発癌リスクを軽減できることが報告されている。B型肝炎はエンテカビルによりHBVウイルスを減少させることで、C型肝炎はインターフェロン療法によりHCVを駆除することにより、発癌リスクを軽減できることがわかっている。
がん予防10か条(世界がん研究基金)
2007年11月1日、世界がん研究基金とアメリカがん研究協会によって7,000以上の研究を根拠に「食べもの、栄養、運動とがん予防」が報告されている。これは1997年に公表され、日本では「がん予防15か条」と呼ばれていた4500以上の研究を元にした報告の大きな更新である。
- 肥満:BMIは21-23の範囲に。推薦:標準体重の維持。
- 運動 :(※インスリン抵抗性は運動では防げない)。
- 体重を増やす飲食物 推薦:高エネルギーの食べものや砂糖入り飲料やフルーツジュース、ファーストフードの摂取を制限する。飲料として水や茶や無糖コーヒーが推奨される。
- 植物性食品:毎日、少なくとも600グラムの野菜や果物(※甘い果物は癌の危険を増加させる)と、少なくとも25グラムの食物繊維を摂取するための精白されていない穀物である全粒穀物と豆を食べる。推奨:毎日400グラム以上の野菜や果物と、全粒穀物と豆を食べる。精白された穀物を制限する。
- 動物性食品 赤肉(牛・豚・羊)を制限し、加工肉(ハム、ベーコン、サラミ、燻製肉、熟成肉、塩蔵肉)は避ける。赤肉より、鶏肉や魚が推奨される。赤身肉は週300グラム以下に。推奨:赤肉は週500グラム以下に。乳製品は議論があるため推奨されていない。
- アルコール(お酒) 男性は1日2杯、女性は1日1杯まで。
- 保存、調理:塩分摂取量を1日に5グラム以下に。推奨:塩辛い食べものを避ける。塩分摂取量を1日に6グラム以下に。カビのある穀物や豆を避ける。
- サプリメント:サプリメントには頼らず、食事のみで栄養を満たす。
- 母乳哺育 6か月間、母乳のみで育てる。
- がん治療後:生存者は、栄養、体重、運動について、訓練を受けた専門家の指導を受ける。
喫煙は肺、口腔、膀胱がんの主因であり、タバコの煙は最も明確に多くの部位のがんの原因であると強調。また、タバコとアルコールは相乗作用で発癌物質となる。
がん対策の目標(健康日本21-日本厚生労働省)
2000年、厚生労働省の健康日本21 によってがん対策の目標が提唱されている。
- 喫煙が及ぼす健康影響についての知識の普及、分煙、節煙。
- 食塩摂取量を1日10g未満に減らす(※塩分を制限しても高血圧は治らない)。
- 野菜の平均摂取量を1日350g以上に増やす。
- 果物類を摂取している人の割合を増やす(※甘い果物は癌の危険を増加させる)。
- 食事中の脂肪の比率を25%以下にする。
- 純アルコールで1日に約60g飲酒する人の割合を減少する。「節度ある適度な飲酒」は、約20gという知識の普及。
- がん検診。胃がん、乳がん、大腸がんの検診受診者の5割以上の増加。
日本人のためのがん予防法(国立がん研究センター)
国立がん研究センターがん予防・検診研究センター(現・社会と健康研究センター)は日本人にとって優先度の高く、予防効果が確かな要因に絞って内容を取りまとめ、2006年に「日本人のためのがん予防法」を提言した。以下は2017年8月1日改訂版における6つの推奨項目である。
喫煙 | たばこは吸わない。他人のたばこの煙を避ける。 |
飲酒 | 飲むなら、節度のある飲酒をする。 |
食事 | 偏らずバランスよくとる。 * 塩蔵食品、食塩の摂取は最小限にする(※塩分を制限しても高血圧は治らない)。 |
身体活動 | 日常生活を活動的に。 |
体形 | 適正な範囲内に。 |
感染 | 肝炎ウイルス感染検査と適切な措置を。機会があればピロリ菌検査を。 |
がんを防ぐための新12か条(がん研究振興財団)
1978年、日本の国立がんセンター(現・国立研究開発法人 国立がん研究センター)は学問的に常識とされていた知見を踏まえ、カレンダーの12か月に合わせて「がんを防ぐための12ヵ条」を提唱した。当時としては科学的に妥当な提言であったが、その後の研究で「かび」や「日光」、「焦げ」の暴露を避けるべきとされていた要因について、発がんリスクの上昇が認められるまでに必要な曝露量や避けた場合に予防可能ながんの割合という観点から見直しがなされ、上述の「日本人のためのがん予防法」の内容を含め、2011年にがん研究振興財団が「がんを防ぐための新12か条」として改訂版を公表した。たばこについての記述を禁煙と受動喫煙の2項目設けたこと、早期発見を掲げたことや正確な情報を入手することに言及している点でも改訂前と異なる。
- たばこは吸わない
- 他人のたばこの煙を避ける
- お酒はほどほどに
- バランスのとれた食生活を
- 塩辛い食品は控えめに
- 野菜や果物は不足にならないように
- 適度に運動
- 適切な体重維持
- ウイルスや細菌の感染予防と治療
- 定期的ながん検診を
- 身体の異常に気がついたら、すぐに受診を
- 正しいがん情報でがんを知ることから
がん検診
その他
アセチルサリチル酸(アスピリン)の少量長期服用で発癌のリスクを減少させることができるとの報告もある。
診断
「がん」の診断には2つの状況がある。一つは臨床診断(特に病理検査)と、もう一つは集団検診(がん検診; 術後検診を含む)である。がんを根治する上で重要な点は自覚症状がない段階での「早期発見」と「全摘出手術の可能性検証」が挙げられる。言い換えると、集団検診と臨床診断とが効果的に機能して初めて、がん治療が成功に導かれる。また全摘出手術が困難な状況において、がんの種類によって異なる有効な治療法を選択する目的でも、臨床診断は重要である。
検診の方法としては、X線撮影、超音波検査、コンピュータ断層撮影(CT)、核磁気共鳴画像法(MRI)、ポジトロン断層法(PET)、骨シンチグラフィ、消化器への内視鏡検査 がある。
他の検査方法よりさらに早期発見でき、苦痛や侵襲が少ない技術も実用化されつつある。腫瘍マーカーやそれより精度が高い血液中からのがん細胞検出、尿に含まれるがん患者特有の物質の臭いを嗅ぎ分ける犬(がん探知犬)や線虫の利用。
一方、全摘出手術が成功した場合においても、再発がん、二次性がんの発生の懸念があるため、その局面においても術後定期検診は重要になる。
細胞診断・生検組織診断
「がん」の組織は顕微鏡下での観察、すなわち検鏡によって、形態から鑑別される。判定像では多くの分裂中の細胞が観察され、細胞核のサイズや形状はばらばらであり、(分化した)細胞の特徴が消失している。これらは細胞診でも生検組織診でも確認できる特徴である。組織診では正常な組織構造が失われている点や、周囲の組織(が一緒に採取されていれば、そこ)と腫瘍との境界が不明瞭であることが観察される。
生検組織診は、過形成、異形成、上皮内癌と浸潤癌との鑑別に有用である。
進行度
「がん」の進行度を表すものとして「TNM分類」や「ステージ分類」がある。
TNM分類
T(tumor、腫瘍)、N(nodes、所属リンパ節)、M(metastasis、遠隔転移)の3つの観点から進行度を分類したもの。T1~4、N0~3、M0~1の組み合わせで表現する。
ステージ分類
TNM分類を元に、がんの進行度と広がりの程度を合わせて表すことができるように、と新たに作成された。臨床に沿った分類であり、「臨床進行期分類」と呼ばれる。
ステージ0(上皮内癌)〜ステージIVの五段階で分類される。個体としての死を迎えた段階で体内には1kg前後のがん細胞が生成されている。
- ステージ0 がん腫瘍が上皮内にとどまっている。リンパ節への転移はない。
- ステージI がん腫瘍が広がっているが、筋肉層でとどまっている。リンパ節への転移はない。
- ステージII がん腫瘍が筋肉層を超えて浸潤しているがリンパ節への転移はない。または、腫瘍は広がっていないが弱若リンパ節への転移が見られる。
- ステージIII がん腫瘍の浸潤が大きくなり、リンパ節に転移している。
- ステージIV がん腫瘍がはじめにできた原発巣を超えて、他の臓器に転移(遠隔転移)している。ステージIV(ステージ4)は末期がんとは異なり様々な治療法が存在し、医療の進歩によりその選択肢も増えている。
TMN分類と同様に、臓器別に細かく分類されているため、上記の分類から更に詳細に分類される場合がある。胃がんの場合は、TNM分類との対比で以下のように定義されている。
NO リンパ節転移がない |
N1 胃の領域リンパ節(※)のうち、 1~2個に転移している |
N2 胃の領域リンパ節のうち、 3~6個に転移している |
N3 胃の領域リンパ節のうち、 7個以上に転移している |
M1 胃の領域リンパ節以外の リンパ節に転移している |
|
---|---|---|---|---|---|
T1a (M) 胃の粘膜に限局している |
IA | IB | IIA | IIB | IV |
T1b (SM) 胃の粘膜下層に達している |
IA | ||||
T2 (MP) 胃の筋層に達している |
IB | IIA | IIB | IIIA | |
T3 (SS) 胃の筋層を越え、 漿膜下層に達している |
IIA | IIB | IIIA | IIIB | |
T4a (SE) がんが漿膜を越え、 胃の表面に出ている |
IIB | IIIA | IIIB | IIIC | |
T4b (SI) がんが胃の表面に出たうえに、 他臓器にもがんが続いている |
IIB | IIIB | IIIC | IIIC |
※胃の近くにあって転移しやすいリンパ節のことで、日本臨床外科学会の『胃治療ガイドライン』では13個のリンパ節を「領域リンパ節」 としている。
治療
日本において昭和の頃は、「がん」といえば死の宣告と同義であった。日本は1984年に「対がん10ヵ年総合戦略」、1994年に「がん克服新10か年戦略」を策定し、多額の研究資金を投入してきた。また、日本だけでなく欧米諸国でも死因の上位であるがんの研究には多額の人材及び資金を投じてきた。2010年代までに、がんの治療成績は急激に上がった。実際、多くのがんでは初期(1期)であれば9割以上の5年生存率(事実上の完治)となっている。ただし、基本的に治りにくい病気であることは変わらないほか、膵癌のように今でも治療が困難ながんも存在する。また、医学の世界では、がんの治癒を完治とは呼ばず、とりあえず病変が見えなくなった状態として「寛解(かんかい)」と呼ぶ。
治療の代表的なものを次に挙げる。これらのうち、かつて主流だった患部の切除(外科手術)、放射線療法、抗がん剤(化学療法)に加わったという歴史的文脈で、がん免疫療法を「第4のがん治療法」、研究中の光免疫療法を「第5のがん治療法」と呼ぶこともある。
- 外科手術
- 化学療法(抗がん剤)
- 放射線療法
- 血管内治療
- 光免疫療法 - 2011年に米国国立がん研究所(NCI)と米国国立衛生研究所(NIH)の主任研究員である小林久隆らの研究グループが開発した手法で、特殊な薬剤との併用で近赤外線を照射することでがん細胞を破壊する治験に成功している。現在は臨床試験段階だが小林らはNIR-PIT が、臨床的にがん治療のアプローチを根本的に変える可能性があると考えている。
- 免疫療法
- ウイルス療法
- がんワクチン
- 温熱療法(ハイパーサーミア)
- 超音波治療
- 造血幹細胞移植(骨髄移植/臍帯血移植)
- 補完代替医療
- 支持療法
- 緩和ケア
- 痛みのコントロール
- カンナビノイド療法
- がんの心理療法(精神面・心理面のサポート)
ガン細胞は血管新生を誘引して大量の血管を生成するが、この結果できた血管は細い上に層構造の表皮部分が完全には形成されない脆い血管である。そのため、この血管新生を阻害する治療法や、逆にガンに伸びた血管の表皮を正常な状態にして、抗がん剤をガン細胞に届きやすくする治療が研究されている。
2014年1月、鳥取大学医学部は、「自身がクローニングしたRNA遺伝子の機能解析に従事している際、この遺伝子に関連して発現変動する単一のマイクロRNAを悪性度の高い未分化癌に導入すると、容易に悪性度を喪失させることができ、正常幹細胞へ形質転換できるという画期的な治療法を発見した」と発表した。大学では「動物実験段階までである」としているが、「研究グループ代表によると、あらゆる癌に対応が可能で、現在実用化に向けて研究中であるという。
精密医療
「精密医療」という用語があり、これは「Precision Medicine」の訳語である。患者の個人レベルで最適な治療方法を分析・選択し、それを施す。最先端の技術を用い、細胞を遺伝子レベルで分析し、適切な薬のみを投与する。アメリカ合衆国では既に一般的な方法として選択されている。
がん闘病中・治療後の生活の質の向上
がんは発見から闘病中において、病気や死への不安感、癌性疼痛による苦痛、生活や経済状態への打撃により、患者本人や家族らの「生活の質」(QOL, Quality Of Life)に大きな影響を与える。
がん治療後の最大の関心事は再発・転移の有無であり、がんが残っている場合にはその推移にある。このため、治療後も主治医による定期的な検診を受けて状況を正しく把握しつつ生活を再建していくことが肝要である。
がん治療は手術による切除を伴うことが多く、治療後の生活は、例えば治療によってがんそのものは完治した場合であっても、大きく影響を受けることが多い。がんができた場所によって治療により影響を受ける機能は千差万別であり、対処法もそれぞれに異なる。一般に、切除によって失われる体の機能をできる限り小さくし、失われた機能を補う手段を用いて、治療後のQOLを従来よりも向上させる努力が進められている。
患者の心のケアも重視されるようになってきており、精神腫瘍学という分野が開拓されている。日本では、がん患者のうつ病治療に加えて、前向きな気持ちを取り戻すよう支援するレジリエンス外来、死亡したがん患者の家族へ精神的に寄り添う遺族外来も開設されている。
肉体面では、失われた機能を補う手段として以下のものがある。術後は局所的な失われた機能そのものだけでなく、関連して周囲の障害や不自由さが生じることも多いので、それぞれにおいて必要なリハビリテーションを行うことも重要である。
ストーマ
直腸がんで肛門に近いところにがんができた場合や肛門にがんができた場合、人工肛門(消化器ストーマ)が作られる。また、膀胱がんで膀胱と尿道をとる必要がある場合、人工膀胱を用い、尿の排泄口である尿路出口(尿路ストーマ)が作られる。手術後、ストーマによる排泄をスムーズに行えるようにするケア(ストーマケア)の方法が十分に習得できてから退院する。ストーマがあっても入浴はでき、体力が回復すれば仕事や学業に復帰することも可能である。
気管孔
気管孔は鼻または口から肺へ空気を導入して呼吸困難になる場合、気管を外部へつなげる穴を開けて(気道切開)呼吸を確保する。首の付け根の前の位置に丸い穴をあける。気管孔は治療の過程で呼吸を確保するために一時的に設ける場合もあり、この場合は通常の呼吸が可能になると共に閉じられる。他方、咽頭、喉頭、またはその近くにがんがあり、治療により咽頭を全部切除しなければならない場合、そのままでは食事も呼吸もできなくなるので、口に通じる食道を気管と完全に分けて形成し、気管の出口を気管孔につなげる。この場合を永久気管孔という。
永久気管孔を設けた場合、首に穴があいたままになる。術後の日常生活が受ける主な影響を以下に挙げる。
- 入浴時に気管孔に水が入らないように注意する。水泳および潜水はできない
- 声帯を切除することで声が出なくなる。筆談やジェスチャーでの会話、電気発声法(人工喉頭)、食道発声法を習得する
- 食事においてはにおいを嗅ぐ能力が失われる
再建術
エピテーゼ
体の表面につける人工物をエピテーゼという。手術によって体の外見に関わる変化を生じてしまった場合、機能的な不自由さのみならず、精神的なダメージを被ってしまう場合もあるが、エピテーゼを用いることで改善を図れる場合がある。日本では2006年9月時点でエピテーゼは医療行為として認められておらず、保険適用外となる。
人工乳房
乳がんの治療では、抗癌剤、放射線治療の併用により乳房を温存できる場合が増えている。治療法とそれによる様々な影響、治療後のリスクについて、十分に医師と患者の双方が納得して治療を行うことが重要である。切除手術を行った場合、人工乳房が各種開発されているので用いることができる。「乳房再建」も参照。
顔面エピテーゼ
頭頸部がんでは治療によって、顔面の一部の機能が損なわれたり一部が失われたりする場合がある。手術に放射線治療、化学療法を併用することにより、失われる機能を最小限にする努力が進められており、切除範囲は縮小する傾向である。また、再建術も多く行われている。術後に予想される変化とリスクを医師と患者が話し合い、双方が納得して治療を進めることが重要である。喪失した顔面の各部に応じてエピテーゼを制作できる。医療用の接着剤またはインプラントにより装着する。近年は極めて自然な仕上がりのエピテーゼを用いることが可能になってきている。詳細は「顔面エピテーゼ」の項目参照。
- 耳のエピテーゼ
- 耳下腺がんの治療では、がんの進行の度合いによって治療により聴力をはじめどの機能までを残せるか、十分な検討が必用である。耳の切除が必要となった場合、外耳の一部が残せれば耳エピテーゼを用いても強度を保て、眼鏡の使用にも耐える。
- 鼻のエピテーゼ
- 鼻は呼吸によって湿気にさらされる部分であり、外見のみでなく機能的部分も要求され、開発が進められている。
- 目およびその周囲のエピテーゼ
- 上顎がんが深く進行して目を含めて切除する必要がある時、残った眼窩の上に用いるエピテーゼを制作して装着できる。
- 顎義歯
義肢(義手・義足)
骨肉腫が四肢に発生した場合、かつては切断することが必須とされたが、最近では切断せずに腫瘍を切除することも可能になった。切断した場合に用いる義肢の機能も大幅に改善されている。
補遺
がんの治療によって失われた臓器の機能を補う手段が得られない場合もある。このような場合には、生活の仕方で対応するか、医療的に補充する。
胃がんによって胃を全摘出した場合、胃に代わるものは用意できないため、食道から直接小腸へと食べ物が入るようになる。少しずつ時間をかけ、何回にも分けて食べることにより、対応できる。
甲状腺がんの場合、少しでも甲状腺が残せた場合甲状腺ホルモンは分泌されるが、甲状腺を全摘出した場合には分泌されなくなる。この場合、術後は甲状腺ホルモンを生涯にわたって処方してもらう。
がんと統合失調症
統合失調症の患者はがんによる死亡率が低いと言われている。統合失調症治療に使われる向精神薬が抗腫瘍効果を持つためであるとされている。
がんの原因の理解史
がんを理解しようとする人たちは古代からおり、悪戦苦闘が繰り広げられてきた。
「Cancer」は古代ギリシア語「Καρκινοσ」(「カルキノス」, 「カニ」の意味)に由来する。あちこちに爪を伸ばし食い込んでゆく様子をこの言葉で表現した。「がんについての研究である腫瘍学を意味する「Oncology」の語源も、古代ギリシア語「Ογκος」(「オンコス」と読む。「塊」の意味)である。
紀元前1500年頃に書かれたエーベルス・パピルスにも癌に関する記述がある。
古代ローマのガレノス(2〜3世紀頃)は、がんは四体液の一つの黒胆汁が過剰になると生じる、と考えた(1500年頃までは医学の領域で「権威」とされていた)。ガレノスの後継者のなかには、情欲にふけることや、禁欲や、憂鬱が原因だとする者もいた。また同後継者には、ある種のがんが特定の家系に集中することに着目して、がんというのは遺伝的な病苦だ、と説明する者もいた。
18世紀後半を過ぎる頃になると、がんの一因として環境中の毒(タバコ、煙突掃除夫の皮膚につく煙突の煤、鉱坑の粉じん、アニリン染料が含有する化学物質 等)もあるのでは、とする説が、多くの人によって提唱された。
19世紀の中頃に、フィラデルフィアの外科医サミュエル・グロスは「(がんについて)確実にわかっていることは、我々はがんについて何も知らない、ということだけである」と書いた。そして、そのような「何も知らない」という状況は、19世紀末の時点でも、ほとんど変わっていなかった。
それから1世紀が経過し、理解が進む度に研究者の間で新たな疑問が登場し、科学的な知識が徐々に増えてきた。がんの研究は研究者たちにとって多くの困難と挫折に満ちたものであった。
20世紀初頭には、「感染症は特定の微生物によって引き起こされる」という説を支持する例が実験によって多数確認されたため、他の病気も容易に解明されるだろうと考えたり、がんも解明されるだろうと予想する人は多かった。
1955年、オットー・ワールブルクは、体細胞が低酸素状態に長時間晒されると呼吸障害を引き起こし、通常酸素濃度環境下に戻しても大半の細胞が変性や壊死を起こし、ごく一部の細胞が酸素呼吸に代わるエネルギー生成経路を昂進させて生存する細胞が癌細胞となる説を発表した。酸素呼吸よりも発酵によるエネルギー産生に依存するものは下等動物や胎生期の未熟な細胞が一般的であり、体細胞が酸素呼吸によらず発酵に依存することで細胞が退化し癌細胞が発生するとしている。
ウイルス説
「がんは感染症ではない」とも考えられていた。白血病のように、患者から家族や医療関係者に伝染することがないためである。だが、動物(の個体)からとった腫瘍を他の動物(の個体)に移植すると癌が誘発されることがわかった19世紀末以降は、がんにも感染性の病原体があるのかも知れないと考える人も出てきて、彼らは20世紀初頭までに、原生動物やバクテリア、スピロヘータ、かびを調べた。それらの研究はうまくゆかず、がんの原因に感染症があると考える諸説は信用を失いそうになった。だが、ペイトン・ラウスが腫瘍から細胞とバクテリアを取り除いた抽出液をつくることを思いつき、それを調べれば細胞の他に作用している因子が見つかるかも知れないと考え、ニワトリの肉腫をろ過した抽出液を健康なニワトリに注射し、その鶏にも肉腫が発生するのを実験によって確認。その腫瘍は、微小な寄生生物、おそらくウイルスに刺激されて生じたものかも知れない、とした。当時はウイルスの正体は分かっておらず、「…でないもの」という否定表現でしか記述できなかった。科学者はがんが感染するという実験的事実から、未知の病原体が存在するであろうことにも気付いた。その後、ウサギでも同様の実験結果が得られたが、腫瘍を伝染させることに成功したのは主にニワトリ(やウサギ)の場合に限られていたので、やがて、がんの一因にウイルスがあるとする説は評判が悪くなってしまい、これを支持する科学者は評判を落としてしまいかねないような状況になった。異端の説だと見なされ、疑似科学者扱いされかねない空気が科学界に蔓延した。
ジャクソン研究所は、1929年に設立された組織で、今日では基礎医学研究用の規格化マウスを供給する組織として米国最大のものであり、その研究所でのがん発生研究のプログラムというのは「問題は遺伝子であって、ウイルスではない」という前提の下に行われていた。だが、同研究所のジョン・ビットナーが、マウスのある種のがんは、母乳中の発がん因子が授乳を通じて子に移される仕組みであるという、ウイルスが関与しているという証拠を偶然に発見した。だが、当時の科学界は上述のようにウイルス説を異端視していたのでビットナーは躊躇して、それを「ウイルス」とは呼ばず、あえて「ミルク因子」と呼んだ。
ルドウィク・グロスも、ウイルスが癌の原因になることがあることを、マウスの白血病がウイルスによってうつることを示す実験を行うことで確かめ、それを発表・報告したのだが、がん研究者の大半はその報告をまともに受け取らず、データ捏造をしているのでは、と考える者すらいた(ワシントンにある研究公正局に出頭を求められかねないような扱いを受けた。
アメリカ国立癌研究所が設立された時期、公衆衛生局局長の諮問委員会は「がんの原因としてウイルスは無視できる」と結論づけた。
「《ミルク因子》というのは、ウイルスだ」と解釈することを科学的なこととして認め、ウイルス説を科学的に真面目に検討すべきだ、という認識ができてきたのはようやく1940年代末のことだった。状況を変えた人物はジェイコブ・ファース(Jacob Furth、1896-1979) であった。ファースは既に高名な科学者であったが、その彼がグロスの実験を、それに用いるマウスの種類まで正確になぞることで、実験に再現性があること、そして事実であることを証明した。それによって基礎医学者たちがようやく、悪性腫瘍にウイルスが関与することがあるということを理解するようになった。かくして、長らく異端者のように扱われてきたペイトン・ラウスは、1966年に85歳でノーベル生理学・医学賞を受賞した。
炎症と癌
1863年、ドイツ人の医師で病理学者、ルドルフ・ヴィルヒョウ(Rudolf Virchow) は、「浸潤した免疫細胞は、炎症組織における癌病変が発生する場所を反映している」とする仮説を発表した。ヴィルヒョウの研究は、癌の起源が慢性炎症の領域にある可能性があることを示唆した。
1986年、ハロルド・ドヴォルジャーク(Harold Dvorak)は、発癌と炎症には、「増殖、細胞の生存と移動の増加、および成長因子、炎症性サイトカイン、血管新生促進因子(Proangiogenic Factors)が制御する血管新生の強化促進」といった共通の発生経路があることを示した。ドヴォルジャークは、炎症に関与する細胞が癌組織にも浸潤している事実を観察したうえで、癌について「wound that does not heal」(「治癒が不可能な傷」)と定義した。
The Women's Health Initiative
1990年代初期、アメリカ国立衛生研究所(The National Institutes of Health)は、『Women's Health Initiative』(『女性の健康構想』)と題した、約10億ドルに及ぶ研究を行った。このとき、「低脂肪の食事で心臓病や癌を本当に予防できるか」という研究も同時に行われた。5万人近くの女性を登録し、そのうち19541人を無作為に選んだ。研究は1993年に開始し、8年間続けられた。研究者たちは、参加した女性たちに対し、果物・野菜・全粒穀物・食物繊維が豊富なもの・脂肪が少ないもの・・・これらを優先的に食べるよう指示した。この食事を続けるにあたり、女性たちは定期的にカウンセリングを受けた。脂肪の摂取量については、摂取カロリーのうちの38%から20%に減らすことを目標とし、参加した女性たちについて、体重の増減、コレステロールの数値、脳卒中、心臓発作、乳癌、直腸癌、その他の心血管疾患を発症するかどうかについても調べた。毎日の食事の摂取カロリーは360kcal分減らし、少ない量を食べ続けた。参加した女性たちは「少なく食べるように」「脂肪が少ないものを食べるように」「運動するように」という指示も与えられ、「食べる量を減らして運動量を増やす」を忠実にこなし続けた。
この生活を8年間続けた結果、女性たちは(実験開始前と比べて)1人あたり平均で約1kg体重が減ったが、その腰回りは膨らんだ。この事実が意味するところは、「彼女らの身体から減ったのは脂肪ではなく、筋肉である」ということである。また、研究者たちは「脂肪分の少ない食事は、心疾患、癌、その他の病気を予防できなかった」とも報告している。脂肪の摂取量が少ない食事には、乳癌、心臓病、脳卒中の発症リスクを下げる効果も、閉経後の女性の結腸直腸癌のリスクを下げる効果も一切無かった。彼女らが受けたカウンセリングおよび食事の意味として、意識的か無意識的かを問わず、「少なく食べるよう心掛けた」ことである。「消費カロリーが摂取カロリーを上回れば体重は減る」のが本当であるのなら、この試験に参加した女性たちが太った理由が説明できなくなる。脂肪は1kgにつき、約7,000kcalのエネルギーに相当する。彼女らが、毎日の食事の摂取カロリーを360kcal減らしていたのなら、実験を開始して3週間で約1kgの脂肪が減っていたはずであり、1年続ければ約16㎏の脂肪が減る計算になる。試験開始の時点で、参加した女性たちの半数は肥満体であり、大多数は少なくとも過体重であった。研究者たちは、「低脂肪食は乳癌を患うリスクを下げるだろう」と考え、栄養士たちは「脂肪の摂取量について、目標の数値である20%まで下げれば、低脂肪食の効果が明白になった可能性がある」と述べた。8年間かけて行われたこの研究結果はアメリカ医師会雑誌(『Journal of the American Medical Association』)に掲載された。『女性の健康構想』の研究結果が示しているのは、「癌や心血管疾患を防ぐという目的において、低脂肪食には何の効果も無い」ということである。
肥満の女性は乳癌を患いやすくなる。『女性の健康構想』研究終了後の追跡期間中、実験に参加した被験者のうち、7415人が死亡し、そのうちの1820人が癌で死亡し、151人が乳癌で死亡した。閉経後の女性において、後述するインスリン抵抗性(Insulin Resistance)が身体で強まっている場合、さまざまな癌を患いやすくなり、癌による死亡率も上昇する。インスリン抵抗性が強いほど、乳癌になりやすくなり、その後の死亡率も上昇する。
炭水化物、インスリン抵抗性、癌
メタボリック症候群
1980年代、スタンフォード大学の教授で内分泌学者、ジェラルド・リーヴン(Gerald Reaven)は、「高血糖(Hyperglycemia)、インスリン(Insulin)の過剰分泌、ならびにインスリン抵抗性(Insulin Resistance)と高インスリン血症(Hyperinsulinemia)こそがメタボリック症候群(Metabolic Syndrome)の根本的な原因である」と考え、「高血糖とインスリンの過剰分泌をもたらすのは炭水化物および砂糖・果糖である」とした。1987年、アメリカ国立衛生研究所は総意委員会を招集し、糖尿病の予防や治療について、集まった委員たちに議論させた。出席者の1人であったリーヴンは、「Anyone who consumes more carbohydrates has to dispose of the load by secreting more insulin.」(「誰であれ、炭水化物の摂取量が多いほど、その人の体内ではインスリンがさらに分泌され、身体はその処理に追われることになる」)と述べた。1988年、アメリカ糖尿病協会(The American Diabetes Association)が主催した「バンティング・レクチャー」(Banting Lecture, インスリンの共同発見者の1人、フレデリック・バンティング〈Frederick Banting, 1891~1941〉に敬意を払っている)に出席したリーヴンは、メタボリック症候群は肥満・糖尿病・高血圧とも密接に関係している趣旨を述べた。
メタボリック症候群を患っているということは、身体がインスリン抵抗性を惹き起こしていることと同義である。インスリン抵抗性は、肥満ならびにメタボリック症候群の特徴である。インスリン抵抗性は、肥満、高血糖、糖尿病、メタボリック症候群、癌とも密接に関係している。
高血糖
炭水化物を摂取すると、体内でブドウ糖に合成され、高血糖状態になる。インスリンはブドウ糖の細胞への取り込みを促進し、脂肪細胞からの脂肪酸の放出を抑制・妨害し、それによって身体が脂肪ではなくブドウ糖を最優先でエネルギー源にするよう促進する。インスリンは肝臓でのケトン体の産生を抑制し、脂肪の沈着を促進し、主要な代謝燃料の循環濃度までも低下させる。
炭水化物を食べて高血糖になり、そのたびにインスリンを注射する、というのを繰り返していると、さまざまな合併症や癌を患う危険性が上昇し、インスリンの強制的な注射やインスリンの強制分泌を促進する薬物の服用は、身体に深刻な不利益をもたらす。インスリン療法を受けている患者は、インスリン療法を受けていない患者に比べて、心血管疾患(Cardiovascular Disease)で死亡する危険性が上昇する。さらに、インスリンを注射して血糖値を下げようとすると、心血管疾患の発症率は低下せず、死亡率は上昇する。体重については、インスリンを注射していただけで10㎏以上も増加した。インスリンは脂肪の蓄積を強力に促進し、空腹感を高め、体重増加を惹き起こす。たとえカロリーを制限したところで、インスリンを注射された動物には過剰な量の体脂肪が蓄積する。インスリンの過剰分泌を促進する食事は、インスリンを注射した時と同様の作用をもたらす。
血糖値が正常範囲内(90~99)であっても、血糖値が90未満の人間と比較すると、膵臓癌の累積発生率は有意に増加し、空腹時の血糖値が110を超えると、あらゆる癌で死亡する確率が有意に上昇する。「GLUT5」と呼ばれる果糖輸送体は乳癌の発生に関わっている。果糖は前立腺癌の腫瘍の増殖を強力に促進する。
炭水化物が多い食事は高血糖を有意に惹き起こす。砂糖を含む飲み物も高血糖の明確な原因となる。
インスリン抵抗性
インスリンとは、膵臓のランゲルハンス島にあるβ細胞(Beta Cell)から分泌されるペプチドホルモンである。細胞によるブドウ糖の取り込みを促進し、炭水化物、脂質、タンパク質の代謝を調節し、分裂を促進する効果を通じて細胞分裂と成長を促進し、正常な血糖値を維持する。
インスリン抵抗性は、インスリンが肝臓、脂肪組織、骨格筋といった抹消標的組織において、インスリンの機能が損なわれたり、弱まったり、機能を発揮できない状態を指す。インスリン抵抗性は、2型糖尿病の発症にも関与する極めて重要な病因因子である。
たとえ運動していても、炭水化物を食べている限り高血糖は防げず、インスリン感受性は運動を終えた途端に低下する(インスリン抵抗性が高くなる)。インスリン抵抗性は運動では防げない。
「インスリン感受性が低い」ということは、「インスリン抵抗性が高い」(インスリンの効き目が悪い)状態を意味する。
インスリン抵抗性に伴い、血糖値が慢性的に高い状態が続くと、インスリン抵抗性は、高血糖症、高インスリン血症、および全身の細胞に酸化ストレス(Oxidative Stress)をもたらす。高血糖は、体内でAGEs(Advanced Glycation End Products, 「最終糖化産物」と呼ばれる)の産生を促進する。これは身体の老化を強力に促進する物体で、タンパク質に糖が結合することでタンパク質が変性する。果糖はAGEsをブドウ糖以上に強力に生成し、ブドウ糖を摂取したときの10倍もできやすくなる。インスリン抵抗性において、高血糖は、最終糖化産物の形成を促進する。インスリンは全身の脂肪細胞に強く作用し、摂取した炭水化物を中性脂肪に合成して脂肪細胞内に閉じ込め、脂肪細胞は肥大していく。インスリンは脂肪細胞にエネルギーを貯蔵するにあたり、重要なホルモン信号を持つ。脂肪細胞は肝臓や骨格筋においてインスリン抵抗性に直面したとしても、インスリン感受性(インスリンの効き目の強さ)を維持する傾向が強く、インスリン抵抗性が強まれば強まるほど、脂肪組織の形成を促進し、体重の増加が加速する。脂肪細胞は、肥大するにつれて「サイトカイン・ストーム」(Cytokine Storm, 「免疫機能暴走」)を惹き起こし、これは全身に有害な影響をもたらす。サイトカイン・ストームは「高サイトカイン血症」(Hypercytokinemia)とも呼ばれ、もともと身体に備わっている免疫系統(Immune System)が「サイトカイン」と呼ばれる炎症信号伝達分子を制御不能状態で過剰に放出する現象であり、ヒトや動物にみられる生理的な反応である。サイトカインそのものは感染に対して身体が示す免疫反応の一部であるが、この分子が突然大量に放出されると、多臓器不全(Multisystem Organ Failure)を惹き起こしたり、死につながる。炎症反応を誘発する性質を持つサイトカイン(Proinflammatory Cytokine)である「IL-6」(「インターロイキン-6」, Interleukin-6, 炎症性サイトカインの一種)は、さまざまな代謝、内分泌、および腫瘍性疾患に関与する。IL-6の信号伝達はインスリン抵抗性を誘発し、タンパク質、脂質、脂肪酸の代謝を変化させ、貧血と食欲不振を刺激する。また、内臓脂肪は炎症誘発性のサイトカインを生成する。このサイトカインは血流に直接輸送され、サイトカイン・ストームを惹き起こす直接の原因となる。炎症誘発性のサイトカインは、腫瘍の発生に影響を与える。サイトカインは癌を促進する役割も果たす。
高血糖になると、膵臓は、血糖値を正常な状態に戻そうとしてさらに多くのインスリンを分泌するが、これは高インスリン血症の原因となる。筋肉細胞や脂肪細胞におけるインスリン感受性は低下し、血糖値は低下せず、インスリン抵抗性に対処するために膵臓のβ細胞は過剰な量のインスリンを分泌しようとする。
メタボリック症候群は、肥満、糖尿病、アルツハイマー病、さらには各種の癌とも密接に関わっている。また、砂糖および果糖は脳においてもインスリン抵抗性を惹き起こし、脳の神経組織を破壊し、アルツハイマー病を惹き起こす直接の原因となる。
砂糖および果糖はインスリン感受性を低下させ、内臓脂肪の蓄積を促進し、空腹時の血糖値とインスリンの濃度を上昇させ、肝臓に脂肪を蓄積させ、ミトコンドリアの機能を妨害し、炎症の誘発を刺激し、脂質異常症、インスリン抵抗性を惹き起こし、糖尿病発症を促進する。150gの米を食べた場合、砂糖10杯分を摂取した時と同等の高血糖を惹き起こす。
砂糖は膵臓癌 を初めとする各種の癌を患う可能性を高める。これの摂取を断つことが、癌の予防や治療への取り組みとなりうることを示唆している。砂糖の摂取を減らすことにより、脂肪肝、肥満、各種疾患を防げる可能性が出てくる。
ヒトはストレス(精神的な重圧や緊張状態)に晒されると、副腎皮質からコルチゾール(Cortisol)と呼ばれるホルモンが分泌され、血中に流れ出る。これは「ストレス・ホルモン」(Stress Hormone)と呼ばれ、慢性的なストレス反応に対して身体が示す正常な反応であるが、コルチゾールの濃度が高い状態が続くと、内臓脂肪の蓄積やインスリンの分泌を刺激し、インスリン抵抗性につながる可能性がある。インスリン抵抗性が認められる患者の体内では、コルチゾールとインスリンの濃度が高い。
臨床研究では、高血圧患者の約50%が高インスリン血症や耐糖能異常(Impaired Glucose Tolerance)を示し、2型糖尿病患者の最大80%が高血圧症を示している。インスリンは内皮において一酸化窒素の産生を刺激し、血管弛緩(Vasorelaxation)を誘発する作用も持つ。また、インスリンは腎臓に対して「ナトリウムを再吸収せよ」との信号を送る。腎臓は体内のナトリウムの量を保持し、インスリンはナトリウムの体外への排泄を抑制・妨害する。ナトリウムの蓄積は余分な水分貯留につながり、高血圧を惹き起こす。正常な血糖値を維持するためにインスリンが分泌され、それに伴う高インスリン血症は、インスリンによるナトリウム保持作用を悪化させ、高血圧をもたらす。
食事を終えて時間が経過したり、糖分が少ない食事を摂ったり、長時間絶食すると、血糖値と血中のインスリンの濃度が低下する。血中のインスリン濃度が低下すると、腎臓は貯蔵していたナトリウムを、体内に溜まった余分な水分と一緒に体外に排出する。炭水化物の摂取を制限すると血圧は低下し、降圧剤の服用回数を減らせる。高血圧をもたらすのは、インスリン抵抗性を直接惹き起こす砂糖であり、砂糖の摂取を減らすと、空腹時のインスリン濃度は低下し、血圧も低下する。ナトリウムとカリウムの摂取量が多いほど血圧は低くなり、この両方の摂取量が少ないほうが血圧は高くなる。
慢性的な高インスリン血症は、癌を促進する可能性を高める。また、インスリンは腫瘍の成長、増殖、転移を直接誘導する力を持つ。
慢性的な高血糖と酸化ストレスの増加も、癌を患う危険の増加につながる。さまざまな証拠が示すところでは、インスリン抵抗性と癌は密接に関係している。多くの臨床的および疫学的証拠は、高インスリン血症、インスリン抵抗性、および脂質異常症に関連する体重の過剰な増加は、結腸癌や乳癌を含む腫瘍の重大な危険因子である可能性を示している。
多くの疫学的研究は、インスリン抵抗性が強い患者の体内においては、乳癌、結腸直腸癌、肝臓癌、および膵臓癌を患う危険性が高いことを一貫して示している。インスリンは強力な分裂促進因子(Mitogen)であり、膵臓癌、結腸直腸癌、前立腺癌、子宮内膜癌、肝臓癌、卵巣癌、その他のありとあらゆる癌の発生にはインスリンが直接関与している証拠を提供する。高インスリン血症は、癌による死亡率を2倍に増やす。体重やBMIの数値が正常であったとしても、インスリンの濃度が上がるだけで、癌の発生率のみならず、その死亡率までもが上昇する。
インスリンは身体の老化を強力に促進し、脳の認知機能を破壊し、寿命を縮める。糖尿病患者がインスリン療法(インスリンを注射して血糖値を下げる)を受けるだけで、動脈疾患のみらず、アテローム性動脈硬化症(Atherosclerosis)の危険も上昇する。また、糖尿病患者はインスリンを注射しているだけで死亡率が倍になる。高血糖においては、癌細胞は大量のブドウ糖をエサにして増殖していく。
医学博士のウィリアム・ファルーン(William Faloon)は、「多過ぎる量のインスリンは、すべての老化関連疾患に関与する。長寿の達成においてインスリンの制御は不可欠だ」「インスリンは、インスリンの分泌機能が損なわれている1型糖尿病患者にとっては命綱であるが、分泌が過剰な場合、有毒なホルモンとなる」「余分なインスリンを減らすことで脂肪の減少を促進し、寿命を延ばす」と書いた。タンパク質の摂取は、インスリンとグルカゴン(Glucagon)の両方の分泌を刺激する。タンパク質の摂取量を増やした場合、インスリンの分泌量も増えるため、タンパク質の過剰摂取に注意する必要がある。
血中のインスリン濃度が高いと、脳を損傷したり、失明したり、低血糖症(Hypoglycemia)を惹き起こして死亡することがあるため、インスリンを服用する行為自体が非常に危険である。
血中のインスリン濃度が低下すると、腫瘍の増殖は抑制される。慢性的な高インスリン血症とインスリン抵抗性を弱めることは、癌の予防に向けての取り組みにつながる。インスリンの濃度が低下する生活習慣や治療手段は、癌の予防や治療につながる。
5大陸、18か国に住む135,335人を対象に行われた大規模な疫学コホート研究の結果が『The Lancet』にて発表された(2017年)。これは炭水化物の摂取量および脂肪の摂取量と、心血管疾患に罹るリスクおよびその死亡率との関係についての調査であった。これによると、炭水化物の摂取を増やせば増やすほど死亡率は上昇し、脂肪の摂取を増やせば増やすほど死亡率は低下するという結果が示された。とくに、飽和脂肪酸の摂取量が多ければ多いほど、脳卒中に罹るリスクは低下した。また、飽和脂肪酸・不飽和脂肪酸を問わず、脂肪の摂取は死亡率を低下させ、心筋梗塞および心血管疾患の発症とは何の関係も無かった。
飽和脂肪酸の摂取は、冠状動脈性心臓病、脳卒中、心血管疾患の発症とは何の関係も無く、飽和脂肪酸がこれらの病気と明確に関係していることを示す証拠は無い。
また、多価不飽和脂肪酸の摂取量を増やし、飽和脂肪酸の摂取量を減らしても、心血管疾患の発症リスクは減らせない。
肥満、インスリン抵抗性、メタボリック症候群、2型糖尿病を患っている患者が、炭水化物の摂取を制限し、脂肪に置き換えて食べると、最大限の効果が得られる可能性がある。さらに、84時間に亘って絶食状態にあった被験者と、84時間に亘って脂肪「だけ」を摂取し続けた被験者の血中の状態は「全く同じ」であった。双方とも、血糖値とインスリンの濃度は低下し、遊離脂肪酸とケトン体の濃度、脂肪分解の速度がいずれも上昇した。
体重を減らしたい人、心血管疾患の危険因子を減らしたい人にとって、炭水化物が少なく、脂肪(トランス脂肪酸を除く全ての脂肪。飽和脂肪酸、一価不飽和脂肪酸、多価不飽和脂肪酸)が多い食事はその選択肢となりうる。
炭水化物は、脂肪やタンパク質に比べてインスリンの分泌にはるかに大きな影響を及ぼす。インスリンは食事における満腹感を減少させ、摂食行動にも影響を及ぼす。炭水化物の摂取を減らすと、インスリン抵抗性は緩和される。炭水化物を制限する食事は、インスリンの濃度が高い患者に有益である証拠が示された。食後の血糖値の上昇とインスリンの分泌を最も強力に促進するのは炭水化物である。タンパク質もインスリンの分泌を刺激するが、インスリンと拮抗する異化ホルモン、グルカゴン(Glucagon)の分泌も誘発する。一方、食べ物に含まれる脂肪分は、インスリンの分泌にほとんど影響を与えない。この生理学的な事実は、低糖質・高脂肪食が人体に有益であることを示す理論的根拠となる。
炭水化物が少なく、脂肪が多い食事は、空腹感と満腹感に大いに影響を与える。炭水化物が多く、脂肪が少ない食事(カロリー制限食)と比較すると、高脂肪食は体脂肪を減少させ、身体のエネルギー消費量の増加を促進する。
また、炭水化物を制限する食事は、低脂肪食よりも大幅に体重を減らし、心血管疾患の危険因子も減少させる。
炭水化物の少ない食事は、血糖値とその制御の大幅な改善につながり、薬物の服用回数を減らせるだけでなく、服用の必要も無くなる可能性があり、この食事法は2型糖尿病の改善と回復にも効果的である証拠が示された。
食事を終えたのち、脂肪細胞へのブドウ糖の取り込みは、「Glucose Transporter Type 4, GLUT4」(「ブドウ糖輸送体」)を介してインスリンが行う。インスリンはブドウ糖の取り込みを促進し、脂肪分解を抑制し、脂肪生成を促進し、それに伴って遊離脂肪酸(Free Fatty Acid)が血流に流入していく。インスリンの濃度が低いとき、脂肪酸の酸化によって細胞内にエネルギーが供給されるが、心臓や肝臓のような臓器が脂肪をエネルギー源として利用するため、遊離脂肪酸が血流に放出されて循環し、遊離脂肪酸はケトン体(Ketone Bodies)に変換される。このケトン体は、空腹状態のときに、脳にエネルギーを供給する。
ケトン生成食はミトコンドリアの機能と血糖値を改善し、酸化ストレスを減少させ、糖尿病性心筋症(Diabetic Cardiomyopathy)から身体を保護する作用がある。また、ケトン食は記憶力の改善と死亡率の低下をもたらし、末梢軸索(Peripheral Axons)と感覚機能障害(Sensory Dysfunction)を回復させ、糖尿病の合併症も防げる可能性が出てくる。
ケトン食療法(炭水化物を徹底的に避け、脂肪を大量に摂取する)は癌の治療や予防に有効である可能性を示している。癌細胞はケトン体をエネルギー源にはできないため、ケトン食療法を「癌の治療手段として採用すべきだ」と考える研究者もいる。
ケトン食を含めて、炭水化物を制限する食事法は安全であり、長期に亘って健康を維持し、さまざまな病理学的状態を防止または逆転させる力がある。ケトン食を止めると(炭水化物の摂取を増やし、脂肪の摂取を減らすと)、片頭痛や癲癇発作が再発する。
臨床研究(Clinical Trials)であるが、乳癌の患者にケトン食を12週間処方し続けたところ、ケトン食群(炭水化物6%、中鎖中性脂肪20%、脂肪55%)ではインスリンの濃度が低下し、腫瘍が「27mm」だったのが「6mm」に縮小した。一方、対照群(摂取エネルギーの55%を炭水化物から摂る、タンパク質15%、脂肪30%)では、「40mm」から「34mm」への縮小のみに留まった。
「炭水化物は肥満およびそれに伴う疾患の主要な推進力であり、精製された炭水化物や糖分の過剰摂取を減らすべきである」と結論付け、炭水化物を「Carbotoxicity」(「炭水化物には毒性がある」)という造語で表現する研究者もいる。
砂糖および果糖の摂取は肝臓への脂肪の蓄積を促すが、炭水化物および砂糖が少ない食事を摂ると、蓄積した脂肪が急速に減少することが確認された。外部からの資金提供を受けることなく書かれた研究論文の著者は、「身体の健康を守るために砂糖の摂取を制限すべきである」と結論付けている。
オーストリアの医師、ヴォルフガング・ルッツ(Wolfgang Lutz, 1913-2010)は、1967年に『Leben ohne Brot』(『パンの無い暮らし』)を出版し、「炭水化物の摂取を減らすことこそが、脂肪を燃焼させる唯一の方法である」「この食事法により、肥満、糖尿病、心臓病、癌を予防できる」「狩猟採集生活者として暮らしてきた人類は動物の肉を長きに亘って食べてきた」「食べ物に含まれる脂肪は、ほとんどの慢性疾患とは何の関係も無い」と断言している(ルッツは炭水化物の1日の摂取上限を「72gまで」と定めた)。ルッツによれば、40年間で10000人を超える患者を診察し、クローン病、潰瘍性大腸炎、胃疾患、痛風、メタボリック症候群、癲癇、多発性硬化症・・・この食事法を処方することでこれらの慢性疾患を治療したという。
クイーン・エリザベス大学の栄養学教授、ジョン・ユドキン(John Yudkin)は、著書『Pure, White and Deadly』(1972)の中で、「肥満や心臓病を惹き起こす犯人は砂糖であり、食べ物に含まれる脂肪分は、これらの病気とは何の関係も無い」と断じている。1960年代、ユドキンはミネソタ大学の生理学者アンセル・キース(Ancel Keys)と、「砂糖・脂肪論争」を繰り広げた。この論争では、「心臓病を惹き起こす原因は(食べ物に含まれる)脂肪分にある」というキースの主張が通り、ユドキンの「砂糖が原因である」との主張は通らなかった。1970年代後半、アメリカ合衆国政府は「脂肪の摂取を減らし、炭水化物の摂取を増やせ」と国民に呼びかけたが、肥満・糖尿病・心臓病を患う国民の数は増加の一途を辿るようになった。
ウィリアム・ファルーンは「多過ぎる量のインスリンは毒」であり、「癌の原因となる」と明言している。カナダの医師、ジェイスン・ファンも「糖尿病患者は、さまざまな癌になりやすくなる」「高血糖状態でインスリンをたくさん投与すると血糖値は下がるが、高インスリン血症やインスリン抵抗性は改善されず、悪化する」「必要以上の量のインスリンは有毒である」と断じている。
サイエンス・ジャーナリストのゲアリー・タウブス(Gary Taubes)は、炭水化物は身体を太らせるだけでなく、肥満、心臓病、糖尿病、高血糖、インスリン抵抗性、メタボリック症候群の原因であり、最終的には癌をも惹き起こす根本的な原因でもある趣旨を明言しており、「砂糖は肥満、糖尿病、心臓病、メタボリック症候群を惹き起こす原因であり、これにはインスリン抵抗性が関わっている」「砂糖はインスリン抵抗性の直接の原因となる」「インスリン抵抗性は癌の原因となる」と断じている。
植物
植物は基本的に悪性腫瘍を患うことはない。
これは細胞壁と血管より大幅に細く細胞輸送が行われない導管、師管の構造に因る。植物は悪性新生物が生じても浸潤も転移も起こらず、極めて局所的なものとなり、病気にはならない。
脚注
注釈
参考文献
- World Cancer Research Fund and American Institute for Cancer Research Food, Nutrition, Physical Activity, and the Prevention of Cancer: A Global Perspective, The second expert report, 2007
- Kushi Lawrence Haruo et al. (2006). “American Cancer Society Guidelines on Nutrition and Physical Activity for cancer prevention: reducing the risk of cancer with healthy food choices and physical activity”. CA Cancer J. Clin. 56: 254-281. doi:10.3322/canjclin.56.5.254. PMID 17005596. https://web.archive.org/web/20101205173751/http://caonline.amcancersoc.org/cgi/content/full/56/5/254.
- 『がんの補完代替医療ガイドブック-第2版 (PDF) 』編集:厚生労働省がん研究助成金研究「がんの代替療法の科学的検証と臨床応用に関する研究」班、2008年7月。
- 大西 俊造、梶原 博毅、神山 隆一 監修『スタンダード病理学』第3版、文光堂、2009年、ISBN 978-4-8306-0468-3
- Geoffrey M.Cooper, Robert E.Hausman 著『クーパー細胞生物学』須藤和夫,他 訳、東京化学同人、ISBN 978-4-8079-0686-4
関連項目
- インスリン
- インスリン抵抗性
- 高血糖症
- 腫瘍
- 腫瘍学
- 癌腫/肉腫
- がん遺伝子/p53遺伝子
- 良性腫瘍/境界悪性腫瘍
- ターミナルケア/緩和医療
- がん予防研究
- がん保険
- がん診療連携拠点病院/国立がん研究センター
- 関連学会
- がん治療おける臨床試験を実施するグループ
- 日本臨床腫瘍研究グループ (JCOG) /日本がん臨床試験推進機構 (JACCRO) /婦人科悪性腫瘍化学療法研究機構 (JGOG)
- World Community Grid がん治療のための分散コンピューティング
- 日本対がん協会 - 患者支援団体
外部リンク
- Low-fat dietary pattern and risk of colorectal cancer: the Women's Health Initiative Randomized Controlled Dietary Modification Trial Beresford SA, Johnson KC, Ritenbaugh C, Lasser NL, Snetselaar LG, Black HR, et al. (February 2006). JAMA. 295 (6): 643–654.
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外部リソース(外部リンクは英語) |