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ロリータ・コンプレックス

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アリス・デーなどで少女愛運動の象徴とされるアリス・リデル(不思議の国のアリスのモデル)

ロリータ・コンプレックス(Lolita Complex)とは、幼女少女への恋愛感情。また、その恋愛感情を持つ者である。Lolita(ロリータ)とComplex(コンプレックス)から成る和製英語であり、ロリコンと略されて使われることが多い。ロリータはウラジーミル・ナボコフ小説ロリータ』に由来し、登場人物である中年男性が愛する年の離れた少女の愛称である。

由来

日本でロリータ・コンプレックスという言葉がいつどのようなきっかけで使われるようになったか、明確には判明していない。言葉自体は1969年に出版された『ロリータ・コンプレックス』(ラッセル・トレーナー)の邦訳が日本での初出とされているが、それは「少女が中年男性に関心を抱く」という意味で用いられているものであり、ここで説明している概念とは正反対のものである。1974年和田慎二が『キャベツ畑でつまずいて』のなかでロリータ・コンプレックスという言葉をすでに用いており、これが初出とは判明していないが、ここで説明している概念を表すものとしては初期の用例とされている。尚、1973年萩尾望都ポーの一族メリーベルと銀のばら』に同じ言葉が見られる。また1972年澁澤龍彦は『少女コレクション序説』でロリコン現象を少女視点ではなく男性視点で捉えるべきではという意見を述べていて、これを現在の用法の発祥とする見解もある。

「ロリコン」という略称の発祥もはっきりしておらず、おそらくはマザーコンプレックス同様の過程で作られた略称であることと、1970年代後半頃から用いられ始め、1980年頃から急速に広まったということが判明しているのみである。一説には、アンダーグラウンドなロリコン雑誌で用いられたことを発祥元とする見解もあるが、定かでない。欧米で言うロリータ・シンドロームとは別の概念であり、以前は主に日本で使われ、英語圏ではあまり使われていなかったが、近年は日本語での「ロリコン」を英語化した「lolicon」の語で海外でも使われるようになってきている。

ロリコンは俗称であり明確な定義はなされていないが、一般に侮蔑語差別語として使用されている傾向がある。また実年齢による定義もないため(警察による声かけ事案の対象年齢はあるが都道府県によって異なる)、身体的に成熟しているかは主観的な判断をともない、ロリコンの対象と見なされる年齢は、新生児から成人以上にまで及ぶ可能性がある。例えば、日本ユニセフ協会は、インターネット・ホットラインセンターに寄せられた児童ポルノ関連の通報は「現行法の定義では『児童ポルノ』とされないものがその殆どと伺っております」と報告している。

ロリコンと社会

思春期前・思春期早期の幼女・少女への性的嗜好をもつ人間は、精神医学上も小児性愛という定義がなされている。対して性的に成熟した思春期後期・成人女性への性愛は概ね、精神医学では性嗜好障害とされていない。むしろ(異性愛者の)男性が性的に成熟した女性の中から若い個体をセックスの相手として好むことは普遍的傾向である。女性の卵子は生後新たに作られないため、年齢とともに卵子が老化し、妊娠しにくくなっていくことが原因と考えられている。また、高齢出産に比べて先天的な障害がおきにくい(ただし体が成熟しきっていない10代前半の出産は、難産のリスクが高い)。厚生労働省人口動態統計2015年調査結果によると出生と死産を合わせ妊娠分娩及び産褥による死因は全年齢階級で0.01%を下回り、1950年から5年毎の調査で母の年齢階級14歳以下の出生数が平均約31人程度の中で自然死産(妊娠中絶)の割合は2015年では5%を下回る。出生と死産を合わせた中の人工死産(人工妊娠中絶)は年齢階級14歳以下で約60%、15歳以上19歳以下で約13%、死産の中で人工死産(人工妊娠中絶)の割合は年齢階級14歳以下と15歳以上19歳以下では90%を越える。

もっとも生物学的には10代後半は肉体も成熟し、子供を産むに適した時期であるといっても、高度化し未成年への人権が守られる現代社会においては18歳未満の少女は精神的に未熟で、結婚し子供を産むという人生の岐路に立つには早すぎるとみなされている。精神的に未熟な少女の子育ては困難が大きく、育児放棄児童虐待につながりやすいともされる。特に先進国では高等教育を受けないと経済的な基盤が不安定であるため、学業を中断することになる早婚が好ましいとはされない傾向がある。また、女性の経済的自立や新生児、乳幼児死亡率の低下も少子化・晩婚化に影響があるとされる。

なお、異性に特別な関心をもつ初恋の経験は生殖可能な年齢より前に訪れる傾向があるとされるが、社会的に結婚、出産とは結びつかないものとされているのでこの項では割愛する。

日本における歴史上の扱い

近代以前は日本人の平均寿命が50歳に満たなかったこともあり、数え年で10代半ばのうちに成人(元服)するのが常識で、特に女性に関しては結婚をもって大人の仲間入りとみなしていた。

戦国時代後期から江戸時代にかけての女性は14~15歳までに多くが結婚、また武家公家の娘の場合はそれ以前の段階で他の武将ないしは皇族などの側室後宮に入るのも当たり前で、少女時代というものがあまりなかったのだという。実際に徳川家康の孫の東福門院は13歳の時に後水尾天皇女御となり、16歳で最初の出産を経験している。後水尾天皇の父後陽成天皇の女御だった中和門院は11歳で入内し15歳の時に初産、大典侍局は12歳の時に覚深入道親王を産んだと言われる。

一般庶民の間でも、深刻な人口減少に陥った18世紀東北地方では10代前半の少女婚はごく当たり前に行われていた。しかしその一方で、18世紀後半には中部地方以西では宗門人別改帳等による人口の調査研究によると女子初婚年齢が20歳を越えていたと推測される例が多い。これは江戸時代にはすでに人口増加が原因で自発的な産児抑制が起こり、晩婚化が始まっていたからである。

明治に入ると、旧民法で結婚可能な最低年齢が男子17歳、女子15歳と定められる。実際に童謡赤とんぼ』の3番で「十五で姐(ねえ)やは嫁にゆき」と謡われるなど、成人年齢(20歳)に達する前に結婚する女子は少なくなかった。

日本国外における扱い

上記のように近代以前まではごく当たり前に扱われてきており、日本のみならず諸外国でも同様の文化は見られた。 欧米でも、日本やイスラム世界同様、以前は平均寿命の低さや女性未成年に対しての人権意識の低さなどから十代の少女を恋愛対象や結婚対象にすることは容認されていた。しかし現代では再解釈された道徳に従い、先進国では児童性愛を女児に対する人権問題として捉えるようになった。一概にはいえないが、児童ポルノ問題を経て、幼い少女を成人が欲情の対象とすることに対し対策へ向かった社会も目立つ。

イスラム教は性愛に対する戒律が厳しいが、少女婚に関しては例外的に寛容である。その理由は人生の規範とされる教祖ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフが6歳の少女と結婚し、9歳の頃に性交にいたったという故事があるからである。現代でもイスラムなどの一部の国では早婚が奨励されることがある。

法的にはEUの一部のように法規制が緩やかな国もあれば、イギリスアメリカ合衆国カナダなどの英語圏では小児や未成年への性愛や性犯罪の態度(クリントン署名による法定強姦罪厳密適用令などで、かなりの州で18歳未満の児童との性交を強姦とみなすなど)は非常に厳しいことで知られる。

ただし、禁忌の度合いと法規制は必ずしも直接的な関係にあるわけではない。これは、違法性において法益侵害と規範逸脱のいずれを重視するかが国により異なること、すなわち法体系の相違に起因する。例えば、日本では法益侵害を重視する学説が優勢であり、社会通念上重大なタブーである近親姦もこれ自体を犯罪として取り締まる法律はなく、近親婚を不許可とするのみである。それに対しコモン・ローを法基盤とする英米では社会規範からの逸脱を重く見る傾向がある。

現代日本における扱い

日本では1970年代から1980年代前半にかけてロリコンが社会現象となりブームとなったが、日本国外での流れを汲み次第に規制へと世論が傾きはじめた。1984年、国会で少女誌『ギャルズライフ』を取り上げ、少女向け性情報へ警戒を強めた。1985年から初期のPCゲームの性表現が批判され、ロリコン漫画も折に触れて批判を向けられた。

直接の規制を被ったのは、まず一般紙のグラビアに載るほどメジャーになっていた写真分野(少女ヌード)であり、1985年には警視庁によって『ロリコンランド8』(白夜書房)が猥褻図画頒布の容疑で摘発され、同誌の発禁を契機とする無修正写真の禁止、1987年(昭和62年)の『プチトマト42』発禁事件、児童福祉法の強化による摘発で弱体化していった。

1985年頃から『週刊女性』など女性週刊誌、また一般誌ではロリコン表現に対して「少女がロリコンの欲望の餌食に」といったバッシング記事が載るようになっている。1980年代には「新人類」という言葉に象徴される世代間文化の断絶、自らの嗜好やファンタジーを突き詰めて「内閉的」とみえる文化を作り上げた特定の若者層への、一般社会からの漠然たる不安があった。

1989年以降、漫画・ゲームとも沙織事件のような実際の摘発事件も含めて、規制圧力と自主規制に公然と晒されるようになった。批判に対抗するため漫画表現を守るための団体も作られ、長く論議が続くことになる。

写真分野は決定的な打撃を受け、1989年以降日本国内での生産が困難になり東南アジアロシアに撮影の場所を移したが、1999年児童買春・児童ポルノ禁止法で壊滅状態となり、以降はジュニアアイドル産業に場を譲った。しかし、小中学生に小さなTバックの水着や肌着を着用させローアングルから撮影したDVDが児童ポルノと認定され、摘発を受け逮捕された事件もあった。実店舗からは撤去されたが、インターネットで流通が続いている。それが機ともなり、法的整備の機運が高まり、実在する未成年へのロリコン表現に対する法的規制が整備されつつある。

一方、そういった社会的認識と動きに対して、統計的観点からロリコン表現が出現する以前の方が性犯罪被害児童の数はずっと多かった事を理由に、表現への過度の規制が批判されることもある。

日本の法制度

都道府県によって青少年保護条例(淫行条例)が定められ、既婚者若しくは保護者の同意を得た交際や結婚を前提としている真剣交際以外は18歳未満の青少年との淫行が禁じられている場合が多い。

同法について、福岡県青少年保護育成条例違反被告事件において、谷口正孝判事(当時)が「青少年の中でもたとえば16歳以上である年長者(民法で女子は16歳以上で婚姻が認められている)について両者の自由意思に基づく性的行為の一切を罰則を以て禁止することは、公権力を以てこれらの者の性的自由に対し不当な干渉を加えるものであって、とうてい適正な規定とはいえない」としている。

また17歳の女子高生と性的関係を持った事で愛知県青少年保護育成条例(淫行の禁止)違反の罪に問われていた会社員男性(32)に対して2007年5月23日に名古屋簡裁にて下された判決では、山本正名裁判長は「一定期間に映画を見に行くなどのデートを重ねたこと、女子高生も男性に対して好意を抱いており、合意や心的交流があったうえでのセックスだったことなどから、「淫行」に相当するというには相当な疑問が残る」と述べ、「結婚を前提にしないというだけでは刑事罰との対象とはならない」「『社会通念』を基準にして判断すべき」として無罪判決を言い渡している。

ロリコン・ブーム

日本では1970年代から1980年代前半にかけて、性的に未熟な幼女・少女を描写した写真やビデオやマンガが大量に出版され、俗にロリコン・ブームといわれる社会現象となった。それらの消費者は主に思春期から青年前期の男性とされ、心理的な発達の未熟さから同年代の女性ではなく空想上の幼い少女に憧れるという解釈や、当時は性的に成熟した女性の性器やヘアの描写は法的に規制されていたが、性的に未熟な少女については対象外であったためポルノグラフィとして流行したともされる。

ただし、当時の少女写真の愛好家は、ロリコン・ブーム以後に登場した猥褻なビデオや漫画などと、旧来からある少女写真は別物だと考えていた(少なくとも、少女写真評論家はそのように公に論じていた)。例えば、1980年代から1990年代にかけて少女写真評論家として重きをなした飯沢耕太郎は、「少女」とは「性交不可能な年齢」と定義して性的なイメージを排除し、1989年の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件後のロリコンバッシングの時代において、(少女の写真と髪の毛を一緒にコレクションしていた)ペーター・アルテンベルクのような少女写真愛好家には「M君(編注:連続幼女誘拐殺人事件の犯人)のような密室の陰湿さはない」とし、少女写真コレクターと「少女ヴィデオとかロリコン漫画」「セックスしちゃう方」を愛好するM君のような人間が混同されることを拒絶した。もっとも、「ロリコン漫画」が2000年代以後も出版が許可されているのに対し、当時の飯沢が擁護した実在少女の裸体写真は1998年の児ポ法施行以降、飯沢の『少女古写真館』(2001年)や『少女アリス』(2003年復刊)などごくわずかの例外を除いて出版が禁止された。

1970年代
1970年代から『12歳の神話』(剣持加津夫)や『少女アリス』(沢渡朔)など少しずつ現れた少女ヌード写真集が一般書店の店頭に並べられ、1979年の『プティ・フェ』(石川洋司)や『Little Pretenders 小さなおすまし屋さんたち』(山木隆夫)のような話題作が発表されるようになる。
1980年代
「謎の黒本」と呼ばれた日本初のロリコン漫画同人誌『シベール
黎明期のロリコン同人誌『愛栗鼠』『シベール』『幼女嗜好』創刊者の蛭児神建変質者コスプレ同人誌即売会に出没していたことから当時のコミケの風物詩となった。
こうして1980年頃から幼少女への性愛を扱った表現が人気を集め、ロリコンという言葉は急速に一般化した。日活が「にっかつロマンポルノ」作品として1983年に『ロリコンハウス おしめりジュンコ』(青木琴美主演)を製作したことがある。漫画では内山亜紀の『ロリコン・ラブ』、あるいは吾妻ひでお蛭児神建が関わっていたことでも知られる日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』の発行もこの頃である。吾妻ひでおは内山亜紀と並んでしばしばロリコン漫画の旗手として称され、大塚英志もロリコン漫画の「テンプレート」をつくりあげた彼の功績を強調している。
この1980年頃から1984年頃までは「ロリコン・ブーム」と呼ばれ、多くの写真集・雑誌・特集本などが出版された。少女愛を大っぴらにすることはそれまでタブーとされていたが、このロリコン・ブームによってそれが「解禁」された。また吾妻や米澤嘉博は『月刊OUT』(みのり書房)1982年3月号の対談で漫画ファンの間ではロリコンという言葉がたびたび用いられていたと証言している。劇画が主流となり可愛らしい少女キャラクターやラブコメにページが割かれることの少なかった時代にあって、ロリコンというテーマのもとでかつての正統的な少年漫画が「復権」した、と米澤はいう。その一方で、それまで半ばタブー視されていたロリコンという言葉(あるいは概念)が表舞台に登場し、「金バッジのように」堂々と自分がロリコンであると宣言する人間まで現れるようになった。ロリコンという概念が、今日でいう「萌え」に非常に近い、少女を精神的に愛しむ感覚のことを指していたのである。例えば『アニメージュ』1982年4月号の付録は「ロリコン・トランプ」だった。ナボコフやキャロルといった文学を引き合いに出すことも可能なロリコンという言葉は、ある意味で「トレンディ」なものだったのである。
また、米澤によればこの言葉がアニメファンの間で流行したのは、宮崎駿監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』のヒロインであるクラリスの人気が非常に高まったことによるものであり、具体的には1980年に発行されたファンジン(同人誌)『クラリスマガジン』(さえぐさじゅん)がその発端であるという説もある。
ロリコン漫画雑誌
アニメ/漫画の「ロリコン美学」は、未成年の少女(通常は6〜14歳)を性的に描写することがよくある。
日本初のロリコン漫画雑誌は1981年12月創刊の『レモンピープル』(あまとりあ社)だとされている。当時の主力作家はやはり内山亜紀と吾妻ひでおであった。米澤が注目するのは同誌の1982年9月号である。この号では、読者による誌上討論という形で「ロリコンにエロは必要か」というテーマの是非が争われていたのだ。ただし、ここでの「エロ」とはそれまで主流であった劇画調のエロティシズム描写のことである。大塚英志はロリコン漫画とエロ劇画との最大の違いを「犯す主体」の喪失だとしている。
『レモンピープル』とともにそのようなロリコン誌として知られた『漫画ブリッコ』(白夜書房)が1983年、それまで毎号掲載してきた少女ヌードの写真グラビアを読者からの不評によって廃止した。さらにはリアルな写実劇画からも決別して、より記号的な漫画をメインとする創作誌となっている。
漫画やアニメの幼女・少女キャラクターを自由に物語化して表現することも同人誌活動の間で普及していく。こうした現象は評論家の注目を集めるようになる。1983年、中森明夫は後に有名になる『おたくの研究』(『漫画ブリッコ』連載)において、これらの趣味をロリコンと評しそのなかでも生身のアイドル少女に執着するものと、漫画やアニメの創作キャラクターなどに執着するグループに分けている。しかし中森の研究論に対し、読者からはおたく差別的だとして批判され、のちに編集長の大塚英志によって連載は打ち切られる事となった。

関連年表

ロリコンブーム前史


ロリコンブーム










参考文献

関連文献

脚注

注釈

関連項目

性愛

文化

少女ヌード専門誌

漫画雑誌

関連人物

ロリコンと社会

その他

外部リンク


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