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近親相姦
この項目には性的な表現や記述が含まれます。免責事項もお読みください。
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近親相姦(きんしんそうかん)は、近い親族関係にある者同士による性的行為である。日本語辞書や文学などの分野ではこの用語が用いられることが多い。英語では近親族の関係にある者によるセックスをインセスト(incest)と言う。近親相姦が相互に同意する2人の成人の間でされる場合のみを意味する言葉として、同意近親相姦(Consanguinamory)という表現がある
近親相姦は人類の多くの文化で禁忌扱いされ、この現象のことをインセスト・タブーと呼ぶ。近親者間の性的行為は異性間、同性間を問わず発生し、また大人と子供、子供同士、大人同士のいずれも起こるが、その親族範囲や何をもって性的行為とみなすかに関しては文化的差異が大きく、法的に近親間の同意の上の性的行為を犯罪として裁くか否かに関しても国家間で対応が分かれている。日本では未成年者に手を出した場合は年上側が合意があっても処罰対象となるが、成人同士の合意のある近親相姦は、同性愛と同じで処罰対象にはなっていないものの結婚は認められてはいない。しかし、同性愛の異端化・刑事罰を廃止したキリスト教圏の内、同性婚の導入がされている西欧では、成人している兄弟姉妹など親族間の近親相姦だけてなく、「当人らが成人かつ相互に愛しあっている場合」は、近親婚という法的関係もかつて同じように異端として処罰対象としていたが合法化された同性愛のように認めるべきとの議論が起きている。ドイツ連邦共和国では近親相姦を罰する禁止法があるが、相互に愛しあってる二人を処罰する制度は廃止すべきとの議論が起きている。
なお、近い親族関係にある者による婚姻のことは近親婚と呼び、関連して扱われることはあるが近親相姦とは異なる概念であり、近親相姦を違法化している法域においては、近親相姦罪の対象となる近親の範囲が近親婚の定義する近親の範囲と異なっている場合がある。下側の年齢次第では、臨床心理学などの分野で児童虐待問題で扱われる。この場合は近親姦(きんしんかん)と呼ばれることも多い。
法律
刑罰規定
人類社会の大部分においてインセスト・タブーというものがあり、法律上で近親相姦に刑罰規定を設けている国もある。しかし、成人の近親者間が合意の上で行っている性行為を犯罪として罰することは被害者なき犯罪であるという指摘があり、身体的もしくは心理的な強要を伴わない場合においては、単に道徳的な理由だけで成立している近親相姦法は撤廃されるべきではないかという動きが起こった。
成人同士の合意の上での近親相姦を合法としている主な国には、中華人民共和国、ロシア、トルコ、スペイン、オランダ、イスラエル、コートジボワール、インド、アルゼンチン、ベルギー、ポルトガル、ルクセンブルク、ブラジルがある。ただし、イスラエルは保護者に関しては別に法律を制定しており、直系子孫や被後見者等との関係を持つ場合は相手が21歳以上であることが必要で、20歳以下では合法とならない。
日本
日本国内において、暴行や脅迫を伴わない近親相姦に関する刑罰規定には、さまざまな例がある。 日本の律令では、八虐で尊属及び近親者に対する罪として悪逆・不道・不孝を定め、これらを犯罪行為として禁止していたが、近親相姦の禁止は謳われていない。京都朝廷の格式としては927年に完成された延喜式で述べられている規定で、国つ罪として母及び子との近親相姦が禁止された。江戸幕府の規定においては、1742年の「公事方御定書」では養母、養娘、姑と密通した場合は両者ともにさらし首、姉妹、叔母、姪の場合は両者ともに遠国送りにした上で非人扱いとすると定めた(母子・父子は論外であった模様)。なお、規定上は兄弟姉妹間の密通は非人手下であって死刑ではなかったが、19世紀初頭の記録として、仙台城下で許嫁がいる衣服商の娘が兄と通じたとして兄妹もろとも磔で処刑されたという事例も存在している。
近代以降
近代日本では1873年6月13日に制定された改定律例においては親族相姦の規定があったが、1881年をもって廃止された。刑法に盛り込まれなかった理由は、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードが「近親相姦概念は道徳的観念の限りにおいて有効である」と反対したためである。現在の日本では、成人の近親者同士の合意に基づく性的関係についての刑罰規定は存在しない。1947年8月11日の第1回国会司法委員会公聴会では小川友三が日本において近親相姦を違法化していないのは問題があると主張したが、牧野英一は、外国で近親相姦罪が支持される背景には宗教上の問題がある件を挙げ反論している。
また、廃止前の1873年(明治6年)に15歳以下を理由に35円(現在の価値で70万円)の収贖(刑に服する代わりに,金銭を納めて罪過を贖<あがな>うこと)に刑を換えられた娘以外の5人が、近親相姦により終身懲役の判決が下された記録がある(娘の内1人は、日本で初めて1873年(明治6年)に刑罰の1つとして新設された終身懲役[無期懲役] の判決が下された女性であり、神奈川県が司法省(現法務省)に伺いを出した時は、父娘共に梟首(獄門)するよう求めていた。なお、1873年(明治6年)に終身懲役の判決が下された女性全員が、父との近親相姦を理由に下されている。)
改正刑法草案で「被保護者の姦淫」についての規定を新設する動きもあったが、日本弁護士連合会は1989年にまとめた「親権をめぐる法的諸問題と提言」で、家庭内のことに警察が介入することで余計な問題が引き起こされるのではということを理由の一つに挙げ、基本的にこの動きに反対する姿勢をとったりもした。1995年4月27日の第132回国会法務委員会では1973年の判例である尊属殺重罰規定違憲判決の話で近親相姦の違法化について議題となったが、法務省刑事局長であった則定衛は強姦罪は親告罪であるため未成年の子供が親権者を訴えにくい環境があるとはいえ、現行法でも他の親族の訴えで告訴は可能だとこれに反論した。この事件は長年にわたり性的虐待を実の父親から受けていた女性が、別の男性と結婚したいと言ったところ激怒、脅迫した父親を絞殺したという事件であるが、最高裁判所による史上初の違憲立法審査権行使という側面は注目されたが、当時は社会問題として性的虐待が扱われていなかった。
なお、保護者と18歳未満(17歳以下)の子供の性的関係に関しては児童虐待の防止等に関する法律の対象となりうる。2000年の成立当初は罰則はなかったが、2007年の改正で都道府県知事による接近禁止命令(12条の4)及びそれに違反した場合の罰則(旧17条、児童福祉法での措置を20歳になるまで延長できるようになったため、2017年4月1日より延長者虐待に関する規定が施行されることに伴い、その旨を明記の上で18条に繰下)が制定された。家庭裁判所も、児童福祉法28条に基づく審判中は、家事事件手続法239条に基づき保全処分として接近禁止命令を出すことが可能である。
暴行や脅迫に属する行為があった場合は強姦罪などの法律で対処することになっていたが、明白な身体的暴力がなくとも心理的強制が認められれば準強姦罪などの法律が適用された事例もある。一例としては、青森県在住の男性が孫娘2人に対して性的暴行を加えていたとして準強姦罪及び準強制わいせつ罪で訴えられ、2008年9月2日に青森地方裁判所が懲役12年の実刑判決を下した事件が挙げられる。この事件では孫娘に対する心理的強要があったとされるが、判決当時73歳だった祖父を孫娘は拒絶などしていなかったと裁判で主張していた。
2014年より有識者を集め「性犯罪の罰則に関する検討会」が法務省で開かれ、この中では親子などといった関係性を乱用した性的行為について犯罪類型を新設するかどうかも議題の一つとして扱われることになった。「性犯罪の罰則に関する検討会」では、親子が同意した上で行う場合もありうるという意見もあったため、危機感を抱いた山本潤は有志一同で「性暴力と刑法を考える当事者の会」を結成し、法制審議会に対して要望書を提出した。2016年5月25日に行われた法制審議会のヒアリングに出席した山本潤は、自らも父親に性被害を受けたことがあると述べた上で、性加害という問題を被害者の観点から考察してほしいと訴えた。結果として、2016年9月に法制審議会は、親に代表されるような「監護者」が、18歳未満の者に対しわいせつな行為に及んだ場合の刑罰を新設するよう、金田勝年法務大臣に答申した。そして2017年6月16日に、参議院本会議で改正刑法は可決され「監護者わいせつ罪」(刑法第179条第1項)及び「監護者性交等罪」(同条第2項)の新設が実現した。この改正案はそれまで暴行や脅迫を必要とせずに強姦罪や強制わいせつ罪で罰することができる年齢は13歳未満とされていたのを、監護者による行為の場合は18歳未満に引き上げることを目的とした。なお、この改正の際、性犯罪の親告罪規定は全面撤廃され、強姦罪の名称もなくなった。監護者の範囲であるが、藤井恭子は兄や姉などであっても世話をしている同居人であれば監護者にあたるという見方をしている。
もっとも、2017年の改正後も18歳以上に関しては従来どおり性犯罪一般の規定での運用となっている。2019年3月26日には、名古屋地方裁判所岡崎支部において、19歳になっていた娘と性交したとして準強制性交等罪に問われていた父親に抗拒不能か疑わしいとして無罪判決が下った。ただ、この事件については娘は性交される1ヶ月以内に父親に暴力を振るわれていたとされており、伊藤和子は恐喝罪であれば10日前に脅迫を受けたといった場合であっても成立するのに、これでは同じ畏怖を用いて行った行為でも準強制性交等罪は成立しないことになってしまうと指摘する。伊藤和子は、日本と類似した規定があるフィンランドでは抵抗不能状態の具体例として畏怖状態が明示されていることを引き合いに出し、このように具体例が明記されていれば以前に父親に暴行を受けたといった事例であってもちゃんと適用できたのではないかと指摘している。その後、この判決に対し大きな疑問が一般に巻き起こったことが主なきっかけとなり、フラワーデモと呼ばれる集会が各地で行われる現象が起こった。
中国
中華人民共和国では近親相姦自体が罪として定められていないが、尊属殺人事件の裁判で情状酌量の理由として扱われる場合もある。1980年以降母親と性関係を持ち続けながら、結婚と離婚を2回繰り返した後、3回目の結婚生活を妻と送っていた最中、息子が母親のせいでこれ以上離婚したくないことを動機として、2006年5月に母親を殺害したのだが、死体に精液斑が残っていたため逮捕のち裁判にかけられ、2007年2月に永州市中級人民法院で下された判決では故意殺人罪が適用されたものの、情状酌量が認められ、死緩判決すなわち2年の執行猶予付の死刑判決が宣告されることになった。
かつてはイギリスの領土であり中国に返還後も特別行政区として独自の制度が維持されている香港では、刑事罪行条例の第200章47条及び48条に乱倫罪についての規定があり、近親相姦は違法となっている。ただし、その範囲は近親婚の定義とは異なり、おじおば甥姪に関しては婚姻条例第181章27条で結婚できないとされているが、乱倫罪の定める処罰対象にはなっていない。香港では、両親が離婚し母方の祖父の家に預けられるなどし、学校生活に馴染めずに姉のことを最も敬愛する人だと言い、家にこもってインターネットばかり行っていた当時16歳の弟が、2009年4月のある日に一緒に姉と寝ていたところ、寝ている姉を突然抱きしめ性交し、10月にも無理矢理に迫って性交した後、姉がソーシャルワーカーに相談したことから、弟が乱倫罪を問われ有罪となったが、許しており情を求めると姉と母は郵便で伝え、2010年7月発表の処分では年齢からしても弟は更生施設に送致するのが妥当ということになった。
台湾
台湾では中華民国刑法第230条によって、直系血族及び傍系3親等内血族の近親相姦は違法となっている。もっとも、刑法第236条に血族相姦罪は親告罪と明記されており、当事者達が刑罰を望まない場合は不起訴とすることは可能である。
アメリカ合衆国
アメリカ合衆国では、合意の上の成人の近親相姦である場合は州によって罰すべきか否か異なる。伝統的な近親相姦法を廃止しているミシガン州(1974年廃止)やニュージャージー州(1979年廃止)では近親姦の刑罰規定は客体が児童の場合に限定され、成人の場合は合法化されているが、成人であっても違法とする州も多い。
だが、2003年の合意に基づく性行為は憲法で保障されているとして同性愛に対するソドミー法を違憲としたローレンス対テキサス州事件判決との整合性から、アメリカ合衆国憲法修正第14条に反する違憲立法との主張がある。子供を4人もうけたことで近親相姦罪を問われ親権を剥奪され、1997年に懲役8年を宣告された兄と懲役5年を宣告された妹の事件で、兄が訴訟を起こしたが、ローレンス対テキサス州事件は同性愛を特別に扱ったと判断する形で、2005年に連邦第7巡回区控訴裁判所はこの訴えを棄却している。
また、オハイオ州では22歳の義理の娘との近親相姦で2004年に120日の投獄を宣告された義父が訴訟を起こしたが、州の最高裁はこの訴えを退けた。なお、対象が一定年齢以下の児童の場合は、すべての州で違法である。ミシガン州でも、養子に出していた当時14歳の息子の写真を送ることを2008年にされなかった際、ソーシャル・ネットワーキング・サイトを用いて息子を探し関係をもったとして母親が罪を問われ、2010年7月13日に9 - 30年の投獄を宣告されたという事例もあるが、弁護士は彼らの関係は母と息子間のそれではなく、通常の男女関係に過ぎないと主張していた。また、バージニア州で近親相姦者は性犯罪者としてインターネット上に情報公開しなくてはならないことになった際、かつて18歳の時に当時14歳の妹との近親相姦の罪を問われ1994年に有罪となり、90日の投獄刑に保護観察の場合の執行猶予が付けられる形で処分を宣告されたことがある男性が訴訟を起こし、妹も裁判で兄の訴えを支持したのだが、2006年9月にプリンスウィリアム郡巡回裁判所はこの訴えを棄却した。
イギリス・スコットランド
イギリスでは近親相姦は違法である。
スコットランドでは、夫との娘を出産したものの産後うつに陥り不妊にさせられた異父妹と恋愛関係になった異父兄がおり、彼らの母親は息子と娘が裸でいるところを目撃したため警察に通報し、近親相姦で兄妹は有罪判決を受けていたが、これに対し兄妹は2008年5月にアメリカ合衆国のテレビ番組『グッド・モーニング・アメリカ』に出演し、自分たちの関係について理解を求めた。2011年8月4日には、以前にも近親相姦で有罪になっていたバーミンガムの47歳の父親と26歳の娘が再び近親相姦で有罪を宣告された問題で、BBCは離婚が原因で別々に暮らしていた父娘であり、父親の弁護士が個人の自由を阻害している事件ではない旨を語った話を取り上げた。
アイルランド
アイルランドの現行法は1908年に制定されたものを1995年に少し修正したものであるが、近親相姦は犯罪と定められている。
アルコール依存症の母親が1998年から2004年までの期間に子供達を虐待していた事件があり、政府は2000年の段階で子供達の保護を試みていたが、母親に味方したカトリック系右翼団体の抗議で対応が遅れてしまったという事態になったものの、後に裁判となり母親は13歳の息子に対して近親姦を行ったなどの罪で2009年にロスコモン巡回裁判所で7年の投獄を宣告されたが、この事件はアイルランドでは女性が裁判で近親姦で有罪になった史上初のケースであり、裁判官には母親に関する近親姦法の不備が指摘された。この事件で、飲んだくれの当時36歳の母親に13歳の時に犯された息子は、母親の動機が分からないため泣きながらその時のことを「僕は困惑した」とアイルランドの警察に対し語ったという。
フランス
フランスでは、成人の近親相姦に関しては特に刑法で定められていない。ただし、右翼政党国民運動連合の党員の支持により、2010年に未成年者に対する近親相姦に限定して刑法上の文面が制定された。
ドイツ
ドイツでは直系血族、兄弟姉妹間の性交を刑法典第173条で処罰すると定めている。1913年 - 1924年のドイツにおける近親相姦罪の年間違反者数の最大値は862人で最小値は227人であった。
父親のアルコール依存症が原因で家庭崩壊となり、他の家に養子に出されていたドイツ民主共和国出まれのパトリック・ステュービングが、2000年の母親の死去をきっかけに孤独さから血縁上の妹と性関係を持ち、子供を4人もうけ、このことで兄が近親相姦罪を問われ、裁判にかけられ服役することになったが、釈放後、兄が再び妹との近親相姦罪で裁判を行うのに合わせ、合意に基づく関係であっても犯罪とする当該の規定の撤廃を求める裁判が行われた。なお、妹も近親相姦罪を問われたものの1年の保護観察処分だった。
弁護士は被害者が存在するわけではないと主張し、子供の遺伝的リスクに関しても、障害を持つ親や40歳を超えて高齢出産をする女性などが犯罪者扱いされないのにもかかわらず、近親者間で子供をもうける親を犯罪者扱いするのは差別だと主張し、妹は取材に対して「私は家族と一緒に暮らすことと、政府と裁判所が放っておいてくれることを望んでいるだけ」と語った。
この事件ではドイツ国民から彼らに同情の目が向けられたが、2008年3月に連邦憲法裁判所は家庭内での権力乱用と近親交配を抑止するために近親相姦法は維持されるべきだとして、この訴えを棄却した。
この問題は、さらに欧州人権裁判所でも争われたが、欧州人権裁判所は、欧州評議会加盟国の間で、この問題についての合意が存在していないことを理由に、ドイツの裁判所が下した兄への有罪判決を支持した。ドイツ政府の諮問機関である倫理委員会は、2014年9月24日、刑法の目的は「倫理基準を強要したり自発的な市民の性交渉を制限するものではない」と結論づけ、合意のある近親相姦に対する刑事罰を廃止するよう求めた。
シンガポール
近親相姦罪あるいは乱倫罪においては双方が法律の対象となりうる。シンガポールにおいては、2008年の父娘相姦の事例で父親に対して逮捕状が請求されたが、父親は逃亡し娘が残ったため、娘が指名手配中の父親との近親相姦の罪を問われ、2010年に法律改定後初となる近親相姦の女性被告となった。この娘は事件当時20歳であり、法律上は父親の行為に合意していた場合は乱倫罪を適用できる年齢であったためだが、父親が指名手配中であり事件は未だ捜査中という事情もあり、特に無罪判決が出されたわけではないが、2010年9月に一応は娘は釈放された。
アラブ首長国連邦
アラブ首長国連邦では、2010年2月に姪と関係を持ち妊娠させたオジに対し、その後裁判が行われ、姪はナイフで脅されたと主張したが、オジは薬物中毒状態でよく覚えてなくナイフは持っておらず合意の上だったと主張し、裁判では合意があったと判断されたが、オジに2年の投獄(近親相姦に対しては1年の投獄だが薬物中毒で1年追加)、姪に3ヶ月の投獄が宣告され、首長国ドバイの最高裁判所に上告するも2011年8月に棄却された。
オーストラリア
オーストラリアにおいては近親相姦は州によって罪に問われる場合がある。
1996年以降、モデル刑事法典役員会 (MCCOC) は近親相姦を違法とする法律について検討を行い、当初は犯罪となる近親相姦は児童への性犯罪法の範疇だとしていたが、成年で同意しているように見えても特に若い場合は児童期から虐待が行われていた可能性があり、その場合はどう対処するのかという問題が浮上し、1999年提出の報告書では結局撤廃を断念した。
夫婦の離婚で長いこと離れ離れになっていた父親と娘が再会後に子供をもうけ、父娘が有罪を宣告され裁判所から性交渉を禁止する命令を出された問題で、2008年4月6日にナイン・ネットワークが提供する番組(『60 Minutes』)で、39歳の娘が父親との間にもうけた自分の娘とともに出演し、テレビを通じて「今少しの理解と尊重を求めたいだけ」と訴えた。
なお、事件が起こったとされる時から数十年後になってからでも、過去に起こったとされる事件について裁判所が刑罰を宣告する可能性も存在する。1976年から1977年に当時14歳の娘が夫である義理の父親に虐待されるのを見逃した妻が、1980年に夫の命令で当時16歳の息子とセックスしたとして、2011年6月9日に2年3ヶ月の仮釈放なしの5年3ヶ月の投獄を宣告されたビクトリア州の女性の裁判例もある。この父親も義理の子供3人と実の子供1人に対する性犯罪疑惑で近親相姦等の罪に問われ、15年の仮釈放なしの18年の投獄が2011年8月9日に宣告された。
結婚制度
近親婚の規制はその範囲に関しては民族的な差異は存在しているものの、その規制自体が存在するという点に関してはほとんどの国で共通である。かつて存在したソビエト連邦やブルガリアのように直系姻族間の結婚も可能な国もあるが、禁婚のありようは多種多様であり、日本は大体中ぐらいである。
日本
民法では直系の血族と、傍系の血族で3親等以内の者との結婚が禁止されており(民法第734条第1項)、婚姻届を受理する際はそのことを確認しなければならないとされる(第740条)。たとえば、自分自身の兄弟姉妹との関係は、直系ではなく傍系ということになる。法律的には、甥・姪の子供やいとこは傍系4親等であり結婚可能である。日本の民法において血族というのは養子縁組によるいわゆる「法定血族」も含まれるが(民法第727条)、近親婚の禁止について民法第734条第1項のただし書きには養子の異性(傍系のみ)とはこの限りではないとあるため、傍系の養子ならば婚姻は可能である。なお、直系の場合は離縁しても結婚はできない(民法第736条)。1987年の法改正で特別養子縁組という法律上の実親子関係を終了させる制度もできたが、この場合でも近親婚規制は残ると規定された(民法第734条第2項)。
また、配偶者の両親は血族ではなく姻族と呼ばれるが、法律上は配偶者がいる場合には直系姻族についてだけが禁止の対象になり(民法第735条)、傍系姻族ならば結婚が可能となる。そのため、妻の姉妹あるいは夫の兄弟は傍系姻族であるため結婚することは可能である。だが、妻の母親あるいは夫の父親は直系姻族ということになり、結婚は不可能となる。江戸時代は連れ子同士の結婚も認められていなかったが、現在はこのような規定はない。
なお、日本においては婚姻が禁止される近親者同士でもうけた子であっても、非嫡出子として認知することは可能である。この場合、戸籍の「父」「母」欄には近親者同士が名を連ねることとなる。あるいは、婚姻が禁止される近親者同士でもうけた子を認知せずに養子縁組を行うことも可能である。この場合、戸籍の「父」欄は不明で、実父が養父として記載されることになる。
近親婚では遺産相続の相続権の併有が想定されるが、養子縁組による義兄妹では直系卑属や直系尊属の相続人がいない場合は実際に起こっている話である。例えば妹でかつ妻という場合、配偶者としての相続権を放棄して妹としての相続権のみ残せるかということについて、平成27年9月2日民事二362号法務省民事局長通達により、配偶者としての相続権放棄を確認するための申述書の謄本と、妹としての相続権を放棄していないことを確認するための印鑑証明書を付属させた上申書を、戸籍謄本及び除籍謄本に加えて提出した場合は、そのような所有権移転登記も可能とされた。山本浩司は、兄弟姉妹かつ配偶者という場合、両方の相続権を同時に行使することは認められないのだが、この理由は民法の法定相続分の規定は配偶者に有利にできていると見られているためだと述べている。
なお、近親者同士の内縁関係が事実上の婚姻として社会保障制度の対象になるかどうかは議論がある。具体的には厚生年金保険法第3条2項の規定が議論となるが、判例は事例ごとに判断が割れている。中殿政男は、例えば父と娘が事実婚状態になったところで父親が非難されるだけで、事実を尊重するといった流れになるわけがないと指摘している。
大韓民国
大韓民国で1957年に可決された大韓民国民法第809条第1項 (en:Article 809 of the Korean Civil Code) では、慣習法を明文化し同姓同本不婚が規定されていた。しかしこれでは、非常に遠い血族であっても近親婚的に扱われる恐れがある。例えば慶州金氏の始祖は金閼智であるが、新羅で65年に天から降臨したところを発見されたと伝承される人物である。なお、双方の同意をもって事実婚を選ぶことは阻害されず、生まれた子は非嫡出子として扱われていたが、子供達が社会的侮辱を受けているとの指摘があり社会問題化し、また1980年代には同姓同本で結婚できないカップルは推定約30万組に達したともされていた。韓国政府に対し撤廃を求める声もあったが保守勢力の反対もあり、最終的に1997年に大韓民国憲法の定める幸福追求権に反するとして、同姓同本不婚の項目に対し違憲判決が出され、2005年に改正法の施行によって撤廃された。
1977年2月にソウルで、同姓同本で結婚できない20代のカップルが、ホテルで一夜を過ごした後に別れよりも死を選ぶ旨の遺書を残して、そこから飛び降りを行い心中する事件が発生したことがきっかけで、韓国世論が動くことになり、1977年12月31日には1978年限定で同姓同本婚を許可するとの法律も公布されたが、実際には時限立法のため韓国国民に法律の存在を理解させる時間がなかったとされている。この同姓同本不婚の法律の制定の背景には、日韓併合後の日本統治時代に抑圧された儒教組織による復古運動があったとされ、また国会審議で、4親等同士ですら婚姻が認められている野蛮的国家の模倣をするのか、あるいは日本の行いは禽獣であり韓国人の心情に反する、といった議論になるなど、当時激しいものがあった反日感情も大いに影響したとされており、1957年当時の『韓国日報』の調査では、年配の回答者と女性回答者に規定支持者が多かったが、年配層の中では41 - 50歳の世代に規定廃止論者が多く、世代を物語るようであり興味深い結果だと評した。
フランス
フランス民法典では近親婚の禁止の規定があるが、それに加え子供の認知に関しても制限が存在し、1972年の法改正で直系姻族及びオジオバ甥姪の間にもうけられた子供であれば両親が婚姻中ならば認知は可能ということになったものの、直系血族及び兄弟姉妹の間に生まれた子供に関しては両方の親が同時に子供を認知することはなお認めておらず、異父兄弟姉妹間に生まれ母親に認知された子供が父親と養子縁組することを認めるよう求めた裁判もあったのだが、2004年1月6日に破毀院はそのような養子縁組は認められないとの判断を示した。
スウェーデン
スウェーデンでは婚姻法第2部第2章第3条の規定により、直系血族と同父かつ同母の兄弟姉妹の結婚は認められないが、異父または異母の兄弟姉妹ならば政府当局の許可を得た上であれば結婚は認められる。これは異父兄妹が近親相姦罪で犯罪者扱いされながらも別れろという命令を無視し、子供を2人もうけた事件をきっかけにして、1973年に異父または異母ならば特例で兄弟姉妹婚も可能なよう法改正が行われたためである。
インド
インドでは婚姻規制は宗教に任せることになっているため、国としては近親婚の禁止を強制していないが、事実上宗教に基づき近親婚は規制されている。
クルアーンの第四章「婦人」には、母、妻の母、乳母、娘、継娘(妻と肉体的交渉がある場合)、姉妹、乳姉妹、息子の妻、父の妻、オバ、姪との婚姻、及び婚姻が解消されないうちの姻族の姉妹との重婚を禁じるという表現がある。イスラームの法体系であるシャリーアでは、血族の兄弟姉妹、直系血族、兄弟姉妹の直系血族、直系血族の兄弟姉妹、及びそれに対応する乳親族、義理の父母及び娘息子、養父母及び養子をマフラムとして、彼らどうしの結婚を禁じている。一部のムスリムは叔父と姪の結婚は行っている。2007年11月、インドの西ベンガル州で15歳の娘を妊娠させた36歳のムスリムが、アッラーのお告げによって娘と結婚することにしたのであると言いだしたところ、怒れる隣人たちにリンチされそうになったため、警察が父親を救出する事件が発生した。この事件では、インドのイスラーム神学校であるダルル・ウルーム・デオバンドが、父と娘の結婚は無効であると宣言している。
イギリス
イギリスでは聖公会祈祷書の規定を原型にして、両親と祖父母及び子と孫(姻族含む)及び養子とおじおば甥姪との結婚を認めないことになっている。元々は聖公会祈祷書に基づく教会法は、姻族の兄弟姉妹及びおじおば甥姪との結婚も認めていなかったが、20世紀前半にイギリス議会において配偶者の死亡後の結婚に関しては合法化が次々に決められた。なお、近親者が近親関係を申し出ずに結婚した場合は、近親であると証明されれば法廷で婚姻関係を破棄される。双子が互いに双子と知らずに結婚し、血縁関係が明らかになったため法廷上で婚姻関係を破棄されてしまった事例が存在したことが、2008年1月にイギリス貴族院で言及されている。
いとこ同士の場合
アメリカ合衆国の州の中にはテキサス州などのように、いとこ同士の性関係自体に対し刑罰規定を設け、犯罪と定めている州もある。結婚に関しては、いとこ婚が無条件に可能なのは19の州及びコロンビア特別区のみであり、双方の配偶者が年齢65歳以上または不能に関する証拠を持つ年齢55歳以上の場合に限って許可しているユタ州など、制限付きで可能なのが6州で、残る25の州ではいとことの結婚は禁止されている(2011年現在)。
中華人民共和国や朝鮮半島などの国家・地域では、いとことの結婚が認められない場合がある。1981年1月1日施行の中華人民共和国の修正婚姻法第7条1号では、傍系では3代即ち4親等までの血族の婚姻を認めていないため、いとこ婚は不可となっている。ただし、推奨はされないが民族性などを省みた上で、傍系血族婚規定について弾力的運用をすることは可能であるとしている。一方、大韓民国では8親等以内の血族との結婚は認められないため、いとこやはとこはおろか、みいとことも結婚が認められないことになっている。
ヨーロッパではいとことの結婚は一応は可能であり、進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンなどがいとこと結婚している。ただカトリックの場合、教会法では原則禁止で、あくまで赦免を与えて特別に許可しているというに過ぎないので、個人の信仰上問題視されることならばありうる。アガサ・クリスティ原作のテレビドラマシリーズ『名探偵ポワロ』の一編「葬儀を終えて」では、葬儀のために集まったいとこが性的関係をもってしまい、深刻に悩む描写がある。
日本ではいとことの結婚は合法であり、例えば歴代総理大臣のうち若槻禮次郎、岸信介・佐藤栄作兄弟、菅直人の妻がいとこである。このうち、最初の3人は養家(父方または母方のおじ・おばの家)を継ぐため親族間の合意の下に婿養子となっており、菅の場合は恋愛結婚を親族に認めさせたものである。近年まで都市部以外ではいとこ婚を歓迎する傾向があり、仲人婚と同様に普通に行われていた。
イスラーム国家でもいとことの結婚は合法であり、慣習上推奨すらされる場合もある。有名なケースでは、イスラーム教の開祖である預言者ムハンマドや、イラクの大統領サッダーム・フセインなどがいとこと結婚している。ムハンマドの従妹で妻のザイナブ・ビント・ジャハシは、神の使徒の親戚という家柄に誇りを持っていた。いとことの結婚の中でも、父方叔父の娘との結婚であるビント・アンム婚は理想と考えられている。宗教上においては、従姉妹と結婚する者は、復活の日に神から罰を受けることがないといわれている。イラク戦争でアメリカ軍に射殺されたサッダームの息子ウダイとクサイは、いとこである第一夫人との子供であった。
傍系三親等血族同士の場合
イギリスのように、おじおば甥姪との性関係に対して刑罰規定が適用されうるとする法域も存在するが、ロシアでは家族法典第14条で近親婚扱いされておらず、婚姻が許可されている。ドイツでも婚姻法第4条第1項第21条で近親婚扱いされていないため、婚姻が可能である。フランスでは民法典第163条で一応は禁止されているものの、民法典第164条の規定で重大な理由がある場合はフランス大統領は婚姻を許可することができることになっている。日本でも国家としては婚姻の許可はしないものの、性関係に対する罰則は存在しない上、地域社会で結婚が実質的に受け入れられている場合もある。倉本政雄が1942年(昭和17年)の年度に調査し、1943年(昭和18年)に豐田文一と共同で発表した研究報告では、富山県の産婦人科で取り扱った1197人の調査において、叔姪婚が2組(全ての結婚のうちの約0.17%)存在していたという報告がある。だが、たとえ地域社会で受け入れられていても民法で許可された婚姻と同等に扱うことはできないのでは、という論争が日本ではあった。
茨城県で父方の叔父と1958年以降内縁関係にあった姪が、叔父の死亡後に近親婚を理由として社会保険庁から遺族年金の支給を断られたため裁判となった。2004年6月22日、東京地方裁判所は地域社会で公認されている以上は法的な妻と同等の権利はあると判断した。しかし、控訴審の東京高等裁判所では2005年5月31日、近親婚的内縁関係に権利を認めると民法で守られている秩序が破壊されてしまうとして、社会的に保護される権利はないと逆転判決を出した。これを受け最高裁判所への上告が行われ、2007年3月8日、最高裁判所はこの場合は地域社会に受け入れられているため、倫理性や公益性を省みた上で権利は認められる、と原告の訴えを認める判断を示した。
堕胎について
近親相姦で妊娠した場合に出産するか否かについての問題もある。堕胎(または人工妊娠中絶)が完全に違法になるかなど各国の司法権によって対応が異なる。アメリカ合衆国では女性の権利して堕胎が認められており、近親相姦で妊娠した場合も産む産まないの選択が可能である。しかしながら、胎児の人権を重視する立場のプロライフ派はこの対応を批判しており、激しい論争が発生している。
2006年3月6日にサウスダコタ州で、母体に危険がない場合は近親姦や強姦によるものを含む全ての妊娠における堕胎を犯罪とする法律に、州知事が署名した。しかしこの州法に対し、2006年11月7日に住民投票が行われ、反対56%賛成44%の反対多数で廃止が決定された。だがこの話はその後もアメリカ合衆国で問題となり続け、2019年にもアラバマ州で同様の法律が成立した。このアラバマ州の件を受けて大統領のドナルド・トランプは、近親姦や強姦の場合は堕胎禁止の例外だという自らの見解を2019年5月19日に示した。一方、スティーブ・キングは2019年8月14日に、我々だって近親相姦で生まれた子供の子孫じゃないかと指摘し、人工妊娠中絶に徹底して反対する姿勢を正当化した。
日本では刑法第2編第29章に「堕胎の罪」という章があり堕胎は犯罪とされているが、母体保護法(法令番号は昭和23年7月13日法律第156号)2条2項に定義される「人工妊娠中絶」が、同法14条1項に掲げられる適応事由に当てはまる場合に可能とされているため、事実上は非犯罪化されている。昭和23年7月13日法律156号のかつての名称は優生保護法であり、障害のある胎児が生まれてこないようにすることが目的で、差別的だということで女性の権利を重視する内容にして1996年に改名された経緯がある。だが、適応事由に当てはまるか否かは指定医師の判断に委ねられていることから、実際には安易な運用がなされていないかという問題はある。橘ジュンの『最下層女子校生 無関心社会の罪』(2016年)には、父親との間にできた子供であっても本当は産みたかったのに中絶することになってしまい、自分のことを殺人犯だと感じたという女性の話が載せられている。
もっとも、人工妊娠中絶を行うためは医師に高い金を払う必要があるため、経済的に行いたくてもできない場合がある。自分の子供を殺して埋めたということで新潟地方裁判所において殺人と死体遺棄の罪で2018年に懲役4年が言い渡された女性は、子供の父親であり自身にとっては継父で養父でもある男性に中絶費用を請求したものの断られ、その後の父親の発言を省みた上でこのような事件を起こしたとされる。ちなみにこの養父は養女が主張していることに信憑性はないとして自らの身の潔白を主張したのだが、判決は同様に実刑となった。
アンケート型社会学と発生率調査
社会学的な観点から人間の性の実情を探ろうとする動きがあり、この一環として近親姦の発生率についても扱った調査が存在する。
1940年の精神科の女性患者142人と比較群の健康女性153人の合計295人の女性を対象とした、カーネイ・ランディスによる調査では、性的に成熟する以前の性的虐待の体験率が調べられたが、その調査では近親者による性的虐待率は12.5%であった。
1953年の女性4441人を対象にしたアルフレッド・キンゼイらによるキンゼイ報告でも、同じく性的に成熟する以前の性的虐待の体験率が調べられ、その調査結果によれば近親者からの性的虐待の体験率は5.5%、父親または義理の父親によるものは1.0%であり、近親姦を含む性的虐待の加害者は男性が100%で女性は0%としている。なお、キンゼイ報告は統計学的に不適切な点があることも指摘されている。
1978年にはアメリカ合衆国のカリフォルニア州でダイアナ・ラッセルにより930人の女性を対象に性的な接触行為まで含めた場合の発生率調査が行われた。それによると近親者による性被害率は女性が18歳までで全体の約16%である。このうち4.5%が父親で残り12%が別の肉親であり、全体16%のうち3分の1近くが父親によるものであることを示す。一時期「実の父親による性虐待が多い」と言われたこともあったが、ラッセルの調査では3分の2以上が父親以外の他の肉親によるものであり、さらにその「父親」とされる人物の多くは義父である。
1978年の、大学生796人(女性530人、男性266人)を対象にしたデイビッド・フィンケラーの報告では、女性は家族による性的虐待率は8.4%でうち父親もしくは義理の父親によるものは1.3%、男性は家族による性的虐待率は1.5%で父親もしくは義理の父親によるものは0%だった。
一方、男性の場合は不適切な性的関わりを「虐待」という言葉で表現することに違和感があり、そういった例が過少申告されうるとの指摘もあり、デイビッド・リザックらは1996年に、大学生の男性を対象にして「虐待」という表現を質問では用いずに行った調査報告を発表した。その調査報告では男性の近親者による性被害率は16歳までで全体(N=595)の3 - 4%としている。
一般的には親子の近親姦は父親と娘のパターンが多いと言われているのだが、「虐待」という概念によって感覚的に統計上のバイアスがもたらされている可能性もあり、比率に関しては安易に断定することはできない。また、Ann Banning (1989) は母親による近親姦は、フェミニスト的観点によってまるで存在しないかのように扱われてきたと指摘した。
日本では1972年、五島勉が著書『近親相愛』でアンケート調査の結果を発表した。それによれば、女性1229人から得られた回答を基にした分析で、4.7%が実際に家族と性的行為を行った、もしくはギリギリの状況まで進んだと推定されるとしている。
また、精神科医の斎藤学がラッセルの基準を参考に、1993年に過食症の女性患者52名、比較群の健康女性52人に行った調査がある。その結果、健康女性の2%、過食症の女性患者の21%が18歳までに何らかの近親姦的被害に遭っているという調査結果が得られた。
一方、石川義之は1993年に大学・専門学校生を対象に調査を行ったが、非接触性のものまで含めた場合は女性の12.3%が近親姦的な性虐待被害を報告しており、父親によるものはうち5.7%であったという。
大韓民国では2005年にHyun-Sil KimとHun-Soo Kimが、定義を年長者による暴行もしくは脅迫を伴った何らかの形式での性的挿入を伴った被害に絞った上で近親姦の発生率を調査し発表しているが、それによれば青年1672人中3.7%がそのような近親姦を報告したとされる。
現代社会における実情
兄弟姉妹間の性関係
社会学者デイビッド・フィンケラーは796人の大学生を対象にした調査の兄弟姉妹姦の分析結果を1980年に発表したが、それによれば女性の15%、男性の10%は、性器の愛撫などといった行為が多いものの、何らかの形での兄弟姉妹との近親姦を報告し、その兄弟姉妹の近親姦の4分の1は年齢差などの状況から判断して兄弟姉妹間の虐待とみなされうるものであったと主張している。
兄弟姉妹の近親姦は、両親あるいは片親の欠如など家庭内における両親の機能が存在していないことが、重要なファクターとして機能している可能性がある。久保摂二は1957年の「近親相姦に関する研究」において日本における15例の兄弟姉妹姦の事例を調査したが、両親を喪いしかも兄弟姉妹6人のうち3人が知的障害を持っているという状況で、障害を持たない長男と長女が親代わりとして近親相姦を行っていたため、他人と結婚する権利を放棄してまで家族を養おうとした彼らは世間から同情の目で見られたという事例があったことを報告している。久保は自らの調査では兄弟姉妹姦は長男など家族の実質的中心者でありながら、未熟な状態のまま統率者に据えられた男性に多いと考察している。
Floyd Mansfield Martinsonは1994年の自らの著書『The Sexual Life of Children(訳:子供達の性生活)』で子供の性について扱っている。Floydは、子供時代の男女間の性的行為そのものがかなり普通にあると論じ、互いに近い関係にあることが原因で子供時代の兄弟姉妹の間で性的行為が起こりうるとしている。
だが、性的虐待の分析では、兄弟姉妹の場合と父娘の場合に差異はないとMireille Cyr et al. (2002) は指摘する。
H. Smith and E. Israel (1987) は、コロラド州のボルダー性的虐待チームに1982年5月から1985年12月にかけ報告された25例の兄弟姉妹姦の事例の調査で、兄弟姉妹姦を行っている子供の多くは親と疎遠な関係にある傾向があったとしている。一方、原田武 (2001) は、しばしば両親や片親の不在や機能不全が兄弟姉妹の近親相姦を起こりやすくするという見解が唱えられているが、全く逆に家族の厳格さが子供達を密接な関係にしている可能性もまた存在すると指摘している。
Jankova-Ajanovska R. et al. (2010) は、14歳で妊娠してしまった少女が60歳の男性を強姦で訴えたのだが、妊娠中絶後の胎児のDNA鑑定でその男性は無関係で実はキョウダイ同士の関係による妊娠であったことが明らかになった事例を報告している。
日本の厚生労働省はどう扱っているかということであるが、『子ども虐待対応の手引き 平成25年8月厚生労働省の改正通知』によれば、兄弟姉妹間の性的虐待は統計上は親がネグレクトをしたという扱いになっているとのことである。
兄と妹の場合
久保摂二は自らの調査で、高学歴の兄が優秀な成績の妹に言い寄り妹が喜んでそれに応じ関係を持った事例について、母が厳しくしつけ過ぎたことがある程度は影響していたのかもしれないとしている。また、久保摂二は兄との近親相姦関係においては他の男性との関係に比べ恐怖を感じなかったことを証言する妹の話を載せている。
リチャード・ガートナー (1999) は、性的虐待を受けた男性達の中には、妹の性器を触ったりもしくは舌で舐めたりといった行為を行ったことを自ら証言している人物がいる件について触れており、他にも興味深い例として、5歳の頃に当時8歳の兄に膣を撫でられたり胸の付近を触られたりしたと証言する女性が、兄も性的虐待を受けたことがあるのではないかと心配し聞いたところ、兄は妹に対する性的行為は覚えておらず、また兄も性的虐待を受けたことがあるのではないかという妹の疑いについては、兄は妹が疑うようなことをされた覚えはないと初めは言ったものの、続けて兄は7歳前後の時期に当時18歳だったベビーシッターの胸を触ったことがあり、なぜか両親にシッターを解雇させてしまったため、後になって考えると女性と関わる機会だったのに馬鹿なことをしたと証言した事例を報告している。
姉と弟の場合
原田武 (2001) は、キョウダイではどちらかがもう片方に対し母親的な役割を果たせばキョウダイ姦は起こりにくくなるという久保摂二の説を引き合いに出し、姉が母親的な役割を果たせば姉弟相姦が起こりにくくなるであろうという見解を示している。
秋月菜央は自らの著書『アダルト・チルドレン 生きづらさを抱えたあなたへ』(1997年発行の書籍の文庫版、2016年)で、かつて13歳年上と11歳年上の2人の姉にズボンと下着を脱がされ股間をボールペンでつつかれたことがあるという男性が、結婚後セックスがまともに出来ずに1年で離婚してしまったという事例を報告している。
リチャード・ガートナー (1999) は、11歳ごろに15歳の姉にペニスにキスをされたという男性と会ったことがあるが、姉はもてないから自分を代用にしているわけで正直寂しかったとその男性は語ったという。
阿部恭子は『家族という呪い 加害者と暮らし続けるということ』(2019年)において、年齢が2歳上の姉の「男なんだからしっかりしろって!」という言葉に逆上し姉の服を無理やりに脱がせその体に射精したという弟の、「姉をレイプする妄想はよくしていました。勘違いしないでください。姉に魅力を感じるわけではありません。妄想すると憎しみが収まるんです」という言葉を、引用する形で載せている。
同性の兄弟姉妹の場合
John V. Caffaro and Allison Conn-Caffaro (1998) は、研究で兄弟姉妹間の近親相姦について調査したが、同性によるものも報告されており、男の兄弟同士の性関係を6人の男性が報告し、女の姉妹同士の性関係を2人の女性が報告しているとしている。
リチャード・ガートナー (1999) は、兄弟間の性的関係についても触れているが、彼の扱った事例ではアルコール依存症の両親の下で育った男性が、かつて父親や兄から性的虐待を受けていたと証言しており、また10代の時期には3歳年下だった弟と性的関係を持ち、大人になってからも一回他の男を加えた上で弟と性的行為を行ったことがあるとも証言したが、自分は弟に性的に興奮していたものの、弟は自分に対して性的に興奮していたわけではなく険悪な関係だったと述べており、その弟は最終的にはエイズで死んでしまったのだという。
J. Dennis Fortenberry and Robert F. Hill (1986) は、虐待の連鎖によって引き起こされたとみられる姉妹間の性的関係を報告している。
親子間の性関係
近親者同士の性行為のことを日本語で「近親相姦」というが、論者によっては「近親姦」という用語を用いる場合がある。「近親相姦」ではなく「近親姦」の用語が用いる理由として、「相」という文字を含む語句には双方の合意と言う意味合いが社会通念上含まれていることが多いにもかかわらず、親子間の性行為には、実際には強引な場合がみられるため、性的虐待を表現するには適切とは言いがたいという問題が指摘されている。なお、1995年の第132回国会法務委員会においては、父による娘への強姦絡みで起こった事件とされる「尊属殺重罰規定違憲判決」の話に当て嵌める形で「強姦」であり「相姦」という用語は不適切だとして「近親姦」の用語が使用されたことがある。
父親と娘の場合
ジュディス・ハーマンは、自らの著作『父-娘 近親姦 (Father-Daughter Incest)』 (1981) で、情報提供を行うことができる比較的健康な40人の女性の家庭を対象に、父と娘の近親姦の起こっている家庭について1975年以降4年間の面接データを基に研究を行った。その研究によれば、その家庭は典型的で伝統的で保守的で見かけ上はとても立派な家父長制の家庭であり、父親は社会的には能力が足りないとみなされながらも外部的には家族の責任を果たしていると賞賛される傾向があったのだが、実際には家庭内では男尊女卑の傾向があり、母親は大抵は父親への依存が高い専業主婦で性役割は明瞭化されていて、父親は暴力を振るう可能性をちらつかせ暴君として恐れられており、それはアルコール依存によって悪化する場合が多く、母親は無能で役立たずな人間とみなされ何度も無理矢理妊娠させられることもあり、抑うつ・精神病・アルコール依存の症状をきたしていることが多く、一方で娘は父親の相手をし、機嫌をよく保つ役割を担わされ、さらに兄弟姉妹の養育の責任も担っていることが多かった。
ジュディス・ハーマン (1981) は、生物学的にも心理学的にも社会学的にもインセスト・タブーには男女差が存在することに着目し、父権的な家庭であればあるほど父と娘の間にあるインセスト・タブーは破られやすくなると考え、自らの理論は実際に父娘姦が起こっている家族を観察することによって証明可能であると主張した。だが、実際には父娘姦といってもさまざまな家庭が存在し、S. Kirschner, D.A. Kirschner, R.L. Rappaport (1993) は「父親が優位である家族」「母親が優位である家族」「混沌とした家族」の3つのパターンを記述している。
スーザン・フォワード (1989) は、父親との性行為で生理的にオーガズムに達してしまう娘も存在すると述べており、また、父親と性関係を結んでいる娘は母親に対抗する「女」としての自分を意識している場合があり、自分は父親を母親から奪っているという独特の罪悪感から、母親に秘密を打ち明けることが非常に困難な事態に陥り、母親を裏切っているという意識から余計に罪悪感を深めている場合が多いことを指摘している。
マーガレット・ラインホルドは、1990年に出版した自らの著書において、父と娘の性的関係をたとえ母親が認識していたり感じ取っていたとしても、母親は夫の行為をやめさせようとしないことが多いとされる件について触れており、その原因として、夫の性欲のはけ口に娘がなってくれて助かっていると母親が思いこんでいる可能性や、母親が娘に敵対心を燃やしている可能性や、夫に恐怖しているため逆らえない可能性などを挙げている。山脇由貴子 (2016) は、夫や恋人による自らの娘への性的虐待を母親が容認するような場合、母親が娘に対して嫉妬することになるため娘への心理的虐待という側面もあると指摘する。友田明美 (2017) は、夫が娘に性的マルトリートメントを受けていることを認識していたとしても、自身もドメスティック・バイオレンスを受けているがゆえに沈黙をしている場合もあると指摘する。
Denis M. Donovan and Deborah McIntyre (1990) は、父親から性虐待を受けセラピストが性的同一性に混乱をきたしたと判断した娘の事例で、家族人形で男の子と同一視したことについて、これは自分が男の子だと言いたいのではなく自分が男の子だったらよかったのにと言いたいわけで、性的同一性に混乱はきたしていないと指摘している。
J. M. Goodwinは、父と娘の近親姦においては「目隠し (Blind)」と名付けられる特徴があることを報告しており、その5つの特徴とは、「Brainwash(洗脳…家族では当たり前のことであるという話や秘密にしなければならないという嘘の情報を与え、子供を洗脳すること)」、「Loss(喪失…秘密にしなければ家族崩壊や友人関係の消失が起こると脅迫し口を封じること)」、「Isolation(分離…人に話せば友人から信用されなくなると言い、子供が真実の情報を得る事を出来なくさせること)、「Not awake(未覚醒時…睡眠時、病気の際や身体的虐待時など意識や判断能力の低下時に虐待をすること)」、「Death fears(死の恐怖…人に話せば殺すというメッセージを送ること)」であるとしているが、吉田タカコ (2001) はこれは父娘姦の特徴というよりは性的虐待一般に当てはまることの多い特徴だと指摘している。
James A. Monteleone編著『児童虐待の発見と防止 親や先生のためのハンドブック』 (1998) には、正常な人間には理解不能だろうが私は自分を強姦した父親を愛していたのだという女性の話が載せられている。スティーブン・レベンクロン (1998) は、父親に12歳まで性行為をされていた娘の証言として、自分を切り付けることは、もともとは父親がいないので寂しさのあまり切り付けたのが始まりだったはずで、すっかり嗜癖になっているのではないかという話を記す。原田武 (2001) は、父娘姦を虐待とみなす論者は性的好奇心につけこんで性行為を行うことも虐待であると主張しているのであろうが、父と娘の近親姦では父親による明白な暴力を伴うことはそれほど多くなく、多くの場合は娘は父親に抵抗せず、娘が自発的に参加しているように見える場合も少なくないため、自分にとって頼れる人を娘が求めているがゆえに父親の行為に応じやすくなっているのではないかと指摘している。小林美佳は『性犯罪被害とたたかうということ』(2010年、文庫2016年)で、父親と性関係を持っている娘の「恋人とのセックスなんて、考えただけで気持ち悪い」という証言を引く。岡田尊司 (2014) は、父親に性的虐待を受けた娘は第三者的にはただの被害者のように感じるが、実際には父親の妻としての自負があるため、その部分に対しても配慮すべきと主張する。
信田さよ子編著『子どもの虐待防止最前線』(2001年)には、タイ人女性と結婚した日本で働く継父が、妻の連れ子である継娘に性的虐待をしたとして問題になり、日本にはもう居たくないということでその継娘はタイに向かったものの、結局タイの生活になじめず日本に戻ってきてしまったという話が載せられている。信田さよ子の著作『加害者は変われるか DVと虐待をみつめながら』 (2008年、文庫2015年)には、実際問題として性的虐待があろうと娘と父親が同居せざるを得ない事例は少なくないと述べる。
西澤哲 (1994) は小学5年生の実娘に性的虐待をした30代後半の父親の証言として、そのような行為を行った理由は自分でも理解できないのだが、自分の子供に愛されているんだと思うと止められなくなってしまったのだという話を紹介する。Pamela D. Schultz (2005) は、継娘に前の父親とも同じことをやっていたとして性行為を求められ、医者にも相談したのだが、他の男性についても性被害について訴えがあったのだが精神障害者だということで相手にしてもらえなかった過去のある少女で、その話に反応するなと医師には言われたが、結局はその前の父親と一緒に警察に逮捕されてしまったという証言を引く。森田ゆり (2008) は、『子どもへの性的虐待』で、膣が炎症を起こしたため医師が児童相談所に性的虐待の疑いで通告したものの、結局は児童相談所としては父親による性的虐待を証明することはできなかったという事例を報告している。
鈴木大介は、『家のない少女たち 10代家出少女18人の壮絶な性と生』(2008年)で、小学5年生から義理の父親に性的虐待をされ続け、中学校になっても襲われたため、結局家出したインタビュー当時16歳の少女の、義父といっても母親と結婚したとき自分は2歳だったから実父と変わらないという旨の証言を引いている。鈴木大介 (2014) は、ルポライタ-としての経験上、義父に性的虐待を受けたという女性から話を聞いたこともあるが、こういった女性は救済されることがないどころか差別に晒されてしまっていると日本社会を批判している。
黒川祥子は自らの著書『誕生日を知らない女の子 虐待──その後の子どもたち』(2013年、文庫2015年)で、個人的には自らに性的虐待を行う父親のことを娘は責めるべきと考えるのだが、実際に実父にそういうことをされたという女性に話を聞くと、生活を支えているのは実父である以上どうしようもないのだという話をされた経験を述べている。
法医学者の高瀬泉 (2018) は、淋菌及びクラミジアに陽性を示した父親、淋菌に陽性反応を示した母親、そして兄及び眼部にて淋菌に陽性反応を示した弟と暮らし、本人は淋菌性腟炎とクラミジア感染症と診断された7歳の女児について、6時方向付近の処女膜が陥没し残存部分も全周的に不整であることから、性的虐待によるものの可能性が高いという鑑定を行ったことがあると述べる。なぜ性的虐待の場合処女膜が明確に裂けないのかといえば、指などで膣を十分に広げた後に男性器を挿入するためだと高瀬泉 (2018) は述べている。加藤治子 (2018) は、産婦人科における経験上、父親との経験を思い出すと夫と性交を行うことができないという訴えがあったことを述べている。
羽馬千恵 (2019) には、5歳の時の母親の再婚でできた義父がいたのだが、自分が小学校の6年生になろうとする頃に義父に「抱かせてくれ」と言われ、挿入こそされなかったが布団に押し倒されたりしたことがあったという。その後、義父が母親と離婚することになった際に、自分は「お父さんなんかいらへん!」と言い放ち、それっきり義父と会うことはなく、あんな義父なんか死んでしまえばいいと思っていたのだが、実際に義父の訃報を聞いたときには号泣し、こんなことなら会っていればよかったと後悔したと羽馬千恵 (2019) は語っている。
母親と息子の場合
久保摂二が報告する髄膜炎の後遺障害がある息子がその母親と性的行為を行った事例では、母親の死後は息子は獣姦を行ったとされる。高橋睦郎監修の『禁じられた性 近親相姦・100人の証言』では、心臓病の息子と交わることは間違っていないと主張する母親の証言が載せられている。
母親と息子の近親姦に関しても様々な研究が行われているが、少なからず発生しているにもかかわらず、アメリカ合衆国においては、母と息子の近親姦に対する嫌悪が強く、議論が進みにくい状況がある。アメリカ合衆国では母息子間の近親姦は近親姦の中でも最大の禁忌であり、理論上の可能性として母息子間の近親姦を取り上げただけで白い目で見られたとリチャード・ガートナー (1999) は述べている。
母親からの性的虐待を受けた男児の心理状態として指摘されていることは「自分は特別な存在であり、特権を与えられるに値する人間なのである」という感覚を持つ一方、実のところその感覚はかりそめでいつ壊れても不思議はないものという感覚があり、それに対して過剰に警戒しながら母親の恋人としてふさわしくあろうとするために、パラノイアに近い広範な不安に苛まれてしまっているということである。
この不安は自分自身が母親に嘲られる可能性を予期し、先々それに応じた反応を取ることで心理的な被害を食い止めようとするために起こる反応である、という理論がArnold Rothstein (1979) により述べられた。この理論はグレン・ギャバード and Stuart W. Twemlow (1994) によってさらに発展され、息子は母親によって母親の自己愛を満たすことが自分の役割だと思い込まされるが、そのために間違ってでも母親を不快にさせた場合、それは自分の存在そのものを否定されることに等しくなり、それゆえに息子はまるで綱渡りをしているような状況に陥るのだという。一方、自分が特別だという感情は行為そのものへの武勇伝的感覚などに由来するとみられ、こうした感情は自分が非常に誘惑的で、多くの女を魅惑する力を持っているのだと思い込む力へとつながるが、虐待時の母親の行動は母親の都合で歪められた認識下で起こっていることが多いとリチャード・ガートナー (1999) は述べている。Austin Silber (1979) は、現実を否認してでも自分が母親と主体的に性的関係を結んだと空想で思い込んでしまっているとみられる息子の事例を報告している。
Loretta M. McCarty (1986) は、娘を虐待する母親は娘を自らの拡張のように扱う傾向があるのに対し、息子に近親姦を行う母親の中には父親不在でまるで息子を同世代の仲間であるかのように扱う場合も存在したという報告をしている。
Brooke Hopkins (1993) は、6歳だった頃の話として、自らが夜中にベッドの中で母親との接触行為で激しい性的興奮を覚え、それが良くないことだと自分は感じていたにもかかわらず、自分は自らの欲望を抑えることができず母親は自分はあくまで受動的な立場であるかのような態度をとっていたため、結局父親が無理矢理やめさせるまで母親との性的な行為が続いてしまったことについて触れ、母親が誘惑したかどうかにかかわらず母親に自分が利用されたという意味でそのような行為はたとえ法律上は犯罪扱いはされなくとも不適切な行為であったと主張している。
リチャード・ベレンゼン (1993) は、自らが母親に近親姦を受けた際に、その行為で心理的な憎悪が発生したにもかかわらず、同じことが原因で身体的に快楽を得てしまうために、相反する感情が同時に発生するというパラドックスが発生した体験について触れている。
また、リチャード・ガートナー (1999) は、母親に肛門検査をされた男性がクライアントにいたのだが、こういった行為が性的あるいは虐待的なことと認識されることは稀だとも指摘する。宇野津光緒は、『実録 レイプ裁判 法廷で暴かれた犯行現場』(2013年)において、継母に浣腸をされていた義理の息子が成長後に年上の妻にアナル舐めを要求したものの拒否され、OLにアナル舐めを強要したところその女性は性被害について警察に相談したという話を述べている。
Robert J. Kelly et al. (2002) は、様々な関係の人物からの性的虐待を報告した67人の男性を扱っているが、うち17人が母親からのものだったと報告しており、またそのうちの約半分は母息子近親姦に対して当初は肯定的感情あるいは混合した感情を示していたにもかかわらず、母親との近親姦を報告した男性は他の性的虐待を報告した男性よりも深刻なトラウマを抱えやすい傾向があった事を報告している。
外山滋比古は、『家庭という学校』(2016年)において、母親が息子と手を繋ごうとしたところ、息子からエッチだといわれたという話について、父親が娘とそのようなことをするのを自重することはあるが、昔は母親がそう言われることはなかったと時代の変化を語った上で、昔は子供が多かったので母親が一人の子供に入れ込むというのは起こりにくかったと指摘している。
同性の親子の場合
同性の親子の近親姦の場合は、インセスト・タブーに加え同性愛のタブーも加わるため非常に見えにくくなっている。父親と息子の場合の家族モデルは父親と娘の場合とよく似ている場合が多いが、こういった場合は父性的なものすなわち権力的なものに対する反抗が起こることが多い。
Katharine N. Dixon et al. (1978) は、病院に運ばれた外来患者として6人の父親(実父4人・義父2人)から性的虐待を受けた10人の息子の事例を報告しているが、自己破壊的で他人を殺害したい衝動を持っていた被害者が多かったという。Robert K. Ressler, Ann W. Burgess and John E. Douglas (1988) は、『快楽殺人の心理 FBI心理分析官のノートより』で、自分たちが研究した男性殺人者の中には父親によって性行為を強要されたと語る者もいたという。
Pamela D. Schultz (2005) は、異母弟と性的行為をし、LSDやマリファナを使用、医師からは統合失調症と言われ、継息子と性的関係を持った男性の、継息子に対する性欲を抑えられないため、緊急治療室に行って性欲の治療を求めたのだが、送られた精神療養所では何も治療してもらえなかったという証言を引いた上で、彼は刑務所に入ることで自分を救う機会を得たといえるのではないかと論じている。
宮地尚子 (2013) は、かつてアメリカ合衆国で父親から息子に加えられる性的被害の話を聞いた際は衝撃を受けたが、やがてこういった話を日本でも聞くようになったと自らの経験を語っている。鈴木大介 (2014) は、暴力団から融資を受けている闇金融業の男性の中には、義父に性的虐待を受けた人もいると述べた。
母親と娘の近親姦に関しては、社会における女性が加害者とならないという通念や母性の考えが、この性的虐待の形式を非常に見えにくいものとしている。母親から娘に対する性的虐待を扱った書物としては、1997年に出版されたBobbie Rosencransによる著作『The Last Secret: Daughters Sexually Abused by Mothers(訳:最後の秘密—母親に性的に虐待された娘)』という書物がある。Rosencrans (1997) による93人の被害者への調査は、虐待について誰にも告げられないまま平均28年を過ごしていたことを示す。
日本における話としては、母子家庭で被害を受けてしまったという女性の話が『トラウマとジェンダー 臨床からの声』(2004年)に載せられているが、それによれば母親から「侵襲」されたというような感覚を持つのだが、一方で母親から強烈な女性らしさを要求されるにもかかわらずそれを達成できずに苦闘するといい、性的虐待を受けていなかったらレズビアンになったのではないかという疑惑を持ったとも述べている。
精神医学と人間心理
ベッセル・ヴァン・デア・コークは1960年代の末にマサチューセッツ・メンタルヘルスセンターの研究棟で、統合失調症と診断された患者と病棟スタッフとして、短い時間しか回診しない医師と比較して長時間接したことがあったが、その中には父親または兄弟からの性的虐待を訴える女性患者もいたという。ベッセル・ヴァン・デア・コークはオイゲン・ブロイラーの『早発性痴呆または精神分裂病群』(1911年)に挙げられる統合失調症の症状として性的幻覚というものがあり、だからこそ医師はマサチューセッツ・メンタルヘルスセンターに収容された患者を重度の精神異常者と考えたのであるが、これは実際に患者が経験したことではないのかと疑問に思ったという。
なお、オイゲン・ブロイラーの下、ブルクヘルツリ精神病院で早発性痴呆の患者の治療に当たっていたのがカール・グスタフ・ユングである。カール・グスタフ・ユングは兄に15歳の時に犯され世間から爪弾きにされていた妹を治療したことがあるが、話をさせるだけでも何週間もかかり銃を医者に向けたりなどした後、結局は落ち着き退院したのだが、その際に「あなたが私を見すてていたら、私はあなたを撃ち殺していたでしょう」と持っていた銃をユングに手渡して語ったという。
ジークムント・フロイトが自ら初期の誘惑理論を放棄した後、精神医学、精神分析学、心理学の分野では1980年代に入るまでほとんどの近親姦の話は子供時代の幻想に過ぎないと主張されていたが、その後は大量の文献が発表されている。斎藤学は、自助グループに参加した女性から1992年に自分に言われたこととして、10年前に実の父親からの性的虐待をあなたに訴えたのに取り扱ってもらえなかったという話を紹介する。秋月菜央は、性被害の精神的影響の研究に消極的な精神科医が多い理由として、精神科医自体がインセスト・タブーの影響下にある可能性を指摘している。
あいち小児保健医療総合センターには32病棟という精神保健福祉法に基づき設置された閉鎖病棟があるが、ここにいる患者の中には性被害を受けた患者も含まれるという。2001年11月から2011年10月までの期間であいち小児保健医療総合センターが扱った性的虐待を受けた患者の中には、父親や継父、兄から性的虐待を受けた女性、母親や父親、継父から性的虐待を受けた男性が含まれるという。
スーザン・フォワードは社会には恐らく近親相姦嫌悪を原因とした、近親相姦についてのさまざまな誤解が存在していることを指摘しており、例えば、近親相姦というものはめったに存在しない、あるいは貧困家庭や低教育層や過疎地で起こるものだ、近親相姦を行うものは社会的にも性的にも逸脱した変質者だなどといった誤解を例に挙げており、また性的に満たされない人間が行うと考えられることもあるが、実際は支配欲などが主な動機と考えられており、たとえ最終的に性欲をも満たそうとすることはあっても行為のきっかけにはなりにくいとも述べている。
スーザン・フォワードは、心理学上は近親相姦とは近親者における接触性の性的行為全てを指し、接触のない近親者による性的行動は近親相姦的行為とされるとし、親子のスキンシップなど必要とされる接触行為も存在すると述べた上で、どのような行為が近親相姦行為か否かに関しての区分は、一般にそれを秘密にしなくてはならないかどうかであるとする。友田明美は、実際には風呂上りの父親が裸のままうろうろしているのはどうなのかなど、性的マルトリートメントか否かについて厳密な区分は難しいと述べる。小野修は小学校高学年から高校生の息子が母親のいる布団に潜り込んできたからといって性的行為ではないので、温めてやるのがよいと論じている
マーガレット・ラインホルドは著書において、直接的な母息子間の性行為はないものの、夫との離婚後に他の男たちとの性的行為を家庭内で大っぴらに行っていた母親の下で育った息子が、後に勃起不全気味になり、さらに年上の女性たちとの関係に凝り固まってしまったうえ、高齢になり年上の女性を魅惑することができなくなり、また父親に対する見捨てられ感から自らにまともに価値を見いだせず、最終的には自殺してしまった話を取り上げている。
免疫系のCD45細胞には既知の危機に対応するRA細胞と未知の危機に対応するRO細胞があるのだが、ベッセル・ヴァン・デア・コークがスコット・ウィルソンとリチャード・クラディンと共同で行った薬物未服用の近親姦経験の有る女性と無い女性の比較研究によると、近親姦経験の有る女性は無い女性に比べRA/(RA+RO)の値が高いことが判明した。フランク・パトナムとペネロピ・トリケットが1986年から追跡して行った研究では、アンドロステンジオンとテストステロンの値が近親姦の経験者である女性は比較群の女性に比べ思春期初期で3から5倍高く、性的な成熟が1年半早まることが分かったという。
特に近親姦に限ってはいないが、近親姦を含む児童性的虐待を受けた女性全般について斎藤学 (2001) は、自らの調査では、自殺願望が高く対人恐怖の傾向があり、解離性障害や心的外傷後ストレス障害 (PTSD) を抱えている場合が多くみられるとしている。
日本では、因果関係を巡り民事訴訟となった事例がある。両親が離婚し小学生であった1992年以降祖父の家で暮らしていた女性が、祖父が添い寝をして猥褻行為をするようになり2000年まで性的関係が続き、それが原因でPTSDになったとして損害賠償を祖父に求めた裁判で、2005年10月14日に東京地方裁判所は性的虐待との因果関係を認めて祖父に約6000万円の支払いを命じた。
宮地尚子は、近親姦のごとき社会的にタブーとされる行為をさせられた場合、社会とのずれを自覚すると自分は社会に存在すべきではないと思ってしまうものだと論ずる。トラウマに関する思考の改善法としてEMDRというものがあるが、この治療法は例えば父親に性的虐待を受けたことに対して自責の念を持っているような女性に関しては、その認識を改めさせることに用いることはできるとされている。ベッセル・ヴァン・デア・コークは父親に犯されたことがあるということで自分のセラピーグループに来た心理療法家の女性が、専門家を対象にしたEMDRの研修でトラウマを解決してしまったとして去っていき、自分もEMDRの研修を受けることにした経験があるという。
ベッセル・ヴァン・デア・コークによれば、父親に性的虐待を受ける環境で育つと、人を愛そうとすると恐怖を覚えるように脳の扁桃体において配線されてしまう場合があるという。ベッセル・ヴァン・デア・コークは、父親からの性的虐待でこのような状況に陥った女性に対してはまず生理的混乱を抑えることが第一になるため、中国人から学んだ気功やエモーショナル・フリーダム・テクニック(EFT)として知られる経穴押しを習得させたりしたこともあったという。
近親相姦の記憶について研究を行ったジュディス・ハーマンは、記憶の断片化や喪失が見られるとして多重人格障害とは自らが提唱した複雑性PTSDの一種であると論じた。この複雑性PTSDは世界保健機関が2019年5月に改訂した疾病及び関連保健問題の国際統計分類の第11版で、正式に疾患として認められることとなった。ただし、和田秀樹は近親相姦や性的虐待の被害者が多重人格の人にも多いとはいえ、本来トラウマの後遺症に関する研究は多重人格の研究とは別物だと語っている。金星姫は、父親など保護者に性的加害行為をされた女性が後年に複雑性PTSDを理由に責任を追及しようとすると、保護者側が症状との間には因果関係はないと主張することもありうるため医師の協力が必要となってくると述べている。
EMDRは複雑性PTSDには効果がない場合もあることから、杉山登志郎は複雑性PTSD向けにパルサーによる刺激をEMDRのように左右交互に用いて、それを4セット行う技法を開発した。堀田洋は、15歳の解離性同一性障害の女性にまず自我状態療法を施した後に、いとこから性被害を受けた記憶などを持つそれぞれのパートあるいは人格に対して4セット法を試みたことがあるという。自我状態療法とは人格を複数の自我状態の重ねあわせによって生まれると考えた上で、催眠を用いて行う治療法であるが、同様に人格を複数のスキーマモードからなるとして認知行動療法のように治療する心理療法をスキーマ療法という。ただし、スキーマ療法はクライアントを再養育する目的で行うものであるため、認知行動療法と違って長い時間を要する場合が多い。伊藤絵美は、祖父から性的虐待を受けた女性にスキーマ療法を施したが、終了するまでには約6年もかかったという。
精神医学の世界には、コンピューターと電極を使って脳波を調節するニューロフィードバックという治療法もある。ベッセル・ヴァン・デア・コークはオジに性的虐待を受け、見知らぬ同姓と危険な性的行為を行うようになりHIVに感染した男性の右側頭葉の脳波を、ニューロフィードバックを用いて遅くしてみたところ、そのような性的衝動が収まり、4年後の現在も経過は良好という報告を2014年に行っている。
疾病及び関連保健問題の国際統計分類の第11版では、複雑性PTSDだけではなく強迫的性行動症という疾患名も新設された。原田隆之は、強迫的性行動症の患者のための「無名の性的脅迫症者の集まり」という自助グループができてから五周年となったことを記念したイベントに行った際に、「無名の性的脅迫症者の集まり」のメンバーから聞いた話として、実の父親に6歳のときにセックスされ、後に性器が擦り切れ出血しようとも朝から夕方までマスターベーションを続けるようになり、高等学校時代には同級生の女子生徒の半数と性関係を持つに至ったという女性の話を引いている。ちなみにかつては被害者団体は原田隆之のことを敵視していたような節があったのだが、時の経過とともに性犯罪支援グループの中から原田隆之に直接話をしてくれる人物も登場することになる。原田隆之は、実父に小学校1年生のときから高等学校に入るまで性暴力被害を受け続けていたという「リボンの会」の会員の話として、当時はそもそも暴力的な父親に対して「抵抗する」などといった考えは頭にも浮かばなかったという話を引いている。
精神的行為
たとえ実際に明らかな近親姦もしくは近親姦的行為がなくても、親子間において似たような破壊的力動が起こることもあると主張する研究者がいる。それは情緒的近親姦(じょうちょてききんしんかん、Emotional Incest)と言われる概念である。単に娘が父親と高校三年生まで一緒に入浴していたというだけでも、セクシュアル・アビュースと同様の影響が娘に見られた場合もあると速水由紀子は論ずる。子供との関係が養育から近親姦的な愛への境界線を越えるのは、それが子供の欲求を満たすためではなく、親の欲求を満たすためのものになった時であるというが、このような場合は親は意識レベルでは子供を性的に裏切っていることに気づかない場合も多い。この概念を用いる際は、近親姦は「明白な近親姦」と言われる。
しかし、近親者による視姦などのセクハラ行為は一般的にも問題視されうるが、こういったことを一般的に言われる近親姦と同様の扱いとすることに対しては批判も強い。秋山さと子は息子を恋人の様に扱う母親と多く話をしてきたというが、実際の近親相姦の事例は見たことがないと述べる。スティーブン・レベンクロンには、自傷行為をする14歳の女性が、自分の母親が12歳の弟と一緒に入浴しているため、そのことで母親が刑務所に収監されるのではないかと不安に思っていたため、そんなことはないとその姉に回答した経験があるという。岡田尊司は父親不在の家庭での母親と子供の密着を形容して、母親と子供が精神的に近親相姦関係にあることが普通になったのだと語っている。
息子に対して誘惑的な行動をとる母親の存在はよく指摘されてはいるものの、父親によるものと違い母親による誘惑行為が近親姦的な意図による虐待行為とみなされることは少ない。精神分析家の多くはかつては母親との情緒的癒着によってゲイになるのだろうと言っていたが、現在はゲイだから母親に誘惑されたという解釈も出てきている。この解釈ではゲイの場合母親が子供から得られると思っていたロマンティックな感じが得られないため、無理矢理に母親が誘惑するのであるという。
日本ではマザコンの男性に対する注目が高いとする斎藤学は、野口英世とその母である野口シカの姿を描いた映画『遠き落日』が1992年度の興行成績で『紅の豚』を打ち負かし首位に立ったことについて、日本では情緒的近親姦の幻想が蔓延していることの表れとしている。ただ、マザコンやファザコンという言葉は侮蔑的な意味合いで用いられることが多く、日本で異性の親子関係が破綻しやすいことと関連があるのではないかと日垣隆は論じている。岡田尊司はマザコンの夫というと妻にとっては夫の母親が夫の「先妻」として存在しているようなものなので不満が出てしまうと述べている。斎藤学は日本のような母親と息子の情緒的近親姦の土壌のある社会の下で嫁が姑に勝とうとすると、嫁は母親以上の母性を備える必要があり、結果として異性関係を阻害する事態になるとしている。
リチャード・ガートナーは、LSD、メスカリンやコカインなどの薬物に依存することで誘惑的な母親との関係に溺れていた男性が薬物を止めるには、母親との関係を続けることを諦めるしかなかった事例もあったという話をしている。
2013年5月23日の『朝日新聞』に、恋人だと感じていた中学1年生の息子に気持ち悪がられて辛いという母親の話が乗せられ話題となったが、香山リカは息子の反応は当然としつつも、母親達の間にこれほど共感が広まるとは正直思わなかったとしている。
岡田尊司は、シスターコンプレックスやブラザーコンプレックスの説明として、きょうだいの存在はその人の中で大きな支配力を持つが、相手が異性のきょうだいとなると、性的な憧憬とも重なって理想化された心象となり、その人の人生を親以上の力で縛る場合があるとした上で、男性の場合には姉も妹も永遠のアイドルとして強い支配力を持つことがある一方、司馬遼太郎原作のテレビドラマ『坂の上の雲』でも取り上げられた正岡子規と妹正岡律の関係を引き合いに出し、女性の場合には圧倒的に兄の存在感が大きいと分析した。
本田透は、『シスター・プリンセス』に描かれるような兄と妹の関係は、仮に現実に存在したらシスターコンプレックスやブラザーコンプレックスと言われるのであろうが、これは家族の崩壊とともにかつての理想的な家族像がそのような形でしか把握できなくなっただけではないかと主張した。
精神分析学
精神分析学の創始者であるジークムント・フロイトは子供に近親相姦願望があると考え、自身の主張をギリシア悲劇の一つ『オイディプス王』になぞらえ、エディプスコンプレックスと呼んだ。彼の主張によれば男児の自我は初め最も身近な存在である母親を自己のものにしようとする欲望を抱くが、自我の発達がさらに進展すると男児は母親の所有において父親は競争相手であるという認識をいだき、この際に父親に去勢される可能性から近親相姦的欲望は抑制され、その結果として父親に同一化していた自我の成分が無意識下に導入され「超自我」となり、それが自我の発達に重要な関与をもたらすという。フロイトは母親と幼児の関係は授乳等の関係において性的な意味合いを帯びると考えた。フロイトはあらゆる欲動は結局は死の欲動であると論じたが、向井雅明の解説によれば、これは死の欲動の対象となるdas Dingすなわち無が形態を持たないため、母子関係における乳房等がその具体的対象として想定されているのだという。フロイトはエディプス・コンプレックスの脱性化による超自我の形成という現象は、イマヌエル・カントのいう定言命法に通じるものがあると述べていた。
だが、この理論は父権制社会を前提としたものであるため、ブロニスワフ・マリノフスキの「母権性社会」の話からすると普遍的な話とは考えにくいとの批判がある。ブロニスワフ・マリノフスキは、エディプスコンプレックスはアーリアン語族の言語を用いている社会の家族像を前提にしていると指摘する。ただ、これに関しては当初から批判があり、だからこそ一時はフロイトを支持していたアルフレッド・アドラーもカール・グスタフ・ユングも結局はフロイトから離反したのである。アドラーはエディプスコンプレックスは一部の人にしか見られないと主張したが、岸見一郎はアドラーは母親よりも父親と仲が良かったのだと論じている。また、フロイトもユングも近親相姦の話を神話的と捉えたが、フロイトは近親相姦ファンタジーの処理がうまくいっていないことが問題を引き起こすと考えた一方で、ユングは近親相姦の話はより普遍的なものであり現実的問題はそれ以外の個人的なものに由来するとしたように問題の本質についての思想の差異も存在した。元型心理学派のパトリシア・ベリィによると、近親相姦は人間にとって元型的な領域への扉を開くものである。一方、フロイトからしてみれば、神話というのは過去に実際にあった事件が歪曲され虚構化されたものであり、だからこそ古代人には実際に近親相姦願望があったのだということを何とかして立証しようとしたのである。フロイトは論文「抑圧」で、狼に対する動物恐怖症の実例について、それは父親に対するリビドー的態度の表象の代替として生まれたものなのではないかと分析した。
ジャック・ラカンのように神話的構成自体に我慢がならず、エディプスコンプレックスを言語理論として捉えなおそうとした研究者もいる。ラカンは、エディプスコンプレックスとは、当初は母と子と想像的ファルス(φ)の想像的三角形が存在するところに父親が出現し去勢(-φ)が起こり、父、母、子と象徴的ファルス(Φ)の四項からなる構造になることを言うとした。しかし、1972年から1980年までの後期ラカンのセミネールでは、エディプスコンプレックス理論は、現実界・象徴界・想像界の三界がボロメオの結び目のような構造になっていることを指すものになっていった。ラカンは、性的袋小路を生み出す構造的不可能を合理化するために生み出された、虚構としての家庭における抑制に関する記憶は、想像されたものとして片付けられるものではなく、現実界によって保障されたものなのだと論じた。メラニー・クラインは、超自我が抑制しようとしているのは本来は近親姦的欲望に伴う破壊的欲動であって、結果としてリビドー的欲動も抑制されるというに過ぎないのではないかと主張した。また、エディプスコンプレックス理論はエドワード・ウェスターマークの身近な相手に性的欲望を持つことは少ないという「ウェスターマーク効果」の理論とも衝突しうる。フロイト自身はこの主張に対して、自然に近親相姦が防げるというのであればなぜ法律などで規制が行われなければならないのかと『精神分析入門』で疑問を投げかけていた。また、近親者への性的願望論が正しいとしても、実際の事件での近親相姦の事実そのものが幻想になるわけではないと、アンドリュー・ヴァクスは自らの小説『赤毛のストレーガ』の一エピソードとして挙げている。もっとも、フロイト自身も近親者による誘惑は実際には存在しないということを前提にして考えるべきではないと呼びかけてはいた。水島広子は、例えば親戚の男性に性的虐待を受けた女性が暴力的な男性と交際しているといった場合、トラウマという観点から起こっていることを理解することで自分を自分でコントロールする術を覚えていくことができるのだと論じた。
現在はエディプスコンプレックスの文化普遍性や実際の近親相姦の事例とどう関係するのかは棚上げした上で、フロイトの理論をどのようにみなせるかと考えられることが多く、ポップ・カルチャーでよく用いられる用語である。もっとも人文学でもフロイトの考えは一般的に受け入れられているわけではなく、かつては医師でフロイトと親交があったが小説家に転向したアルトゥル・シュニッツラーは1913年の小説『ベアーテ夫人とその息子』において、夫の死後に妻が息子と関係を持つという、母親主導型の近親相姦を描いている。ゲオルク・グロデックは、子供の体を洗う際、表面的には分からないものの母親はエスの領域で性的快感を子供に与えていることを感じていると主張した。ブロニスワフ・マリノフスキは、そもそも義母に対する回避行動等は立派な社会的文化的な事実であるため、診察室で人々を診ているだけで理論的に分かるわけがないと述べている。仲正昌樹は、そもそもフロイトはエディプス理論に自信がなかったために、1923年の『自我とエス』まで一般的な理論的定式にしなかった可能性もあると指摘する。もっとも、ゲオルク・グロデックは、息子の母親に対する近親姦的な衝動は同性愛のように目を背けられがちな事象であるわけで、フロイトはそのことを言ったということに意味があったと評価する。日本では母親と子供の関係が濃密であり、エディプスコンプレックス理論は成立しないという主張もあるが、きたやまおさむは言及されないということと存在しないということは別であり、保守的な社会秩序が保たれている以上は実際には日本でもエディプスコンプレックスは存在しているはずだとこの主張を批判した。
なお、オイディプスの理論は神経症において発見されたものなのだが、分裂症においても似たような事例があり、1924年にソジーの錯覚で両親を別人と認識する事例として報告された、父親への性的欲望と母親に対する敵意を感じる分裂症の女性の事例は、精神病は現実との断絶なのだというフロイトの理論を支持するものとなった。フロイトは去勢段階の系統的固着が早発性痴呆の素因になったという「転移神経症概要」という論文を準備していたが、草稿を見たフェレンツィから去勢されたら生殖できなくなるので、エディプスのような犯罪者がそれらの段階で出現したとでも考えない限りありえないと批判された。フロイトは近親相姦願望に基づく出来事による心的外傷は遺伝すると考えていた。フロイトとユングが衝突することになったのは、もともとユングの研究領域だった精神分裂症にフロイトがエディプスコンプレックス理論を適応しようとしたため、縄張り争いが発生したという事情もあった。
被害証言の信憑性
1990年代のアメリカ合衆国において、近親者から性的虐待を受けたという訴えについて、今まで抑圧されていた記憶が回復したものだと主張する心理療法家と、そのような記憶の信憑性を疑う記憶心理学者との間で意見対立が発生したことがある。加瀬俊一は、児童心理学において幼い少年の証言を誘導することは簡単らしいことについて触れた上で、ルイ17世が母親であるマリー・アントワネットと近親相姦をしたという証言内容も、実際にはなかったことなのではないかと論じている。
信田さよ子は、性的行為の記憶の真実性をめぐり父と娘が対立したり、兄と妹が絶縁状態になる場合もあると述べる。森田ゆりは、父親から性的虐待を受けたらしい女性に記憶の信憑性について聞かれた際、そもそも治療者は法律上の事実認定をする立場ではないと述べたことを語っている。
文化人類学と婚姻規則
ブロニスワフ・マリノフスキが『未開社会における性と抑圧』(1927年)を書いたころは、近親相姦のタブーが外婚制を生み出したと考えられていた。ブロニスワフ・マリノフスキは、メラネシアでは父親と娘の性関係は外婚規制の対象ではないにもかかわらず問題視されていると指摘する。だが、人類学者にして構造主義者であるクロード・レヴィ=ストロースは、交叉いとこ婚は容認されながらも平行いとこ婚は禁忌扱いされている社会があることに着目し、近親相姦の禁止は族外婚の推奨のため、自らの一族の女性を他の一族に贈与するためであるという説を体系化した。この説における族外婚とは結婚制度における規則であり、それに従うことによって家族間で女性の交換が行われ一つの社会を築き上げることができるのだと解釈できる。特に家族という概念を公的分野にまで持ち込もうとする社会では、このような婚姻規則はより複雑化するわけである。しかし、莫大な財産がある場合はこのように族外婚を行ってしまうと外戚によって一族の財産が乗っ取られてしまうため、人民に対して絶対的な地位にある場合は近親婚が行われる例もある。君主の一族における近親婚は権力の分散を防ぐためと説明されることもあり、倭国の大王家や新羅王家の慶州金氏ではしばしば血族結婚が行われていたとされている。一方、この理論は貨幣として女性を扱う考えであり、レヴィ=ストロースにとってはこのように女性は高い価値があると主張したつもりなのであるが、女性から見た場合は自分達が交換要員として場合によっては全く馴染みがない一族と結婚させられるため必ずしも女性にとって良い思想ではなく、考え方の根本に男性優位的な側面がある可能性も指摘される。日本で行われてきた族内婚の場合、父系と母系の区別があやふやになるため、女性の継承権が必ずしも否定されないという側面も存在する。
近親相姦のイメージとは、婚姻秩序に基づいた抑圧によるでっち上げに過ぎないという見方も存在し、ドゥルーズ=ガタリは『アンチ・オイディプス』において、母親は出自の秩序を守るため、姉妹は縁組の秩序を守るためそれぞれの近親相姦の禁止は存在すると捉えた上で、白人を主体とする植民者などといった存在と接続した原始社会の体系と革命的な「生産的な無意識」こと「欲望する諸機械」との間の境界線として近親相姦のイメージは出現しているとして、実際には代替イメージとしての近親相姦を行うことなど不可能であると主張している。大城道則 (2013) は、アクエンアテンが娘であるアンクエスエンパアテンと親子で結婚したように古代エジプトの王家では近親婚が一般的に行われていたが、これを本人たちの性癖によるものと勘違いしてはならないと注意を促している。かつてはブロニスワフ・マリノフスキやジョージ・マードックのように近親相姦の禁止は家族の維持に不可欠だという研究者もいたが、原田武は古代エジプトの話も交えながらこれは単にいかなるありようが理想的かと述べているだけだと指摘する。ブロニスワフ・マリノフスキは、自分の下で働いていた少年が、父親と性的関係を持っている少女と結婚したいということで援助を求められた経緯を語っている。遊牧民族では、テントに入りきらない家族は分かれて別の家族を作っていく。ある時、遠方の部族と交戦し、相手の女を略奪して妻にした時、それがかつて別れていった一族の女で兄妹・姉弟の関係だったとしても、それは近親相姦とはされないことが多い。エマニュエル・トッドは、アラブ世界では内婚制の共同体家族という家族形式が一般的なのだが、このような世界ではもともと国家が成立しにくく、それでもイラクのサッダーム・フセイン政権のように部族連合が軍隊を掌握することで不自然ながら一応は国家が成り立っていたのに、アメリカ合衆国がイラクに侵攻したことで国家自体が消滅し「イスラム国」が展開する事態になったと指摘する。また、エマニュエル・トッドはドイツのアンゲラ・メルケル首相が進める難民の受け入れについて、いとこ婚に否定的なドイツに内婚に肯定的なシリアの人々を入れるというのは、たとえ経済的に合理的だとしても人類学的には無謀だとも語っている。
一方、中国では父系制社会を維持しようとする儒教的観点から、同じ宗族同士の同姓婚が忌み嫌われた時代があり、この同姓不婚の慣習は他国家にも影響を与え、朝鮮の高麗王朝は元のクビライ(世祖)に同姓不婚の制度を守るよう命令を受け、忠宣王も一応はこれに同意した。だが、高麗では巫俗や仏教が盛んで儒教的思想に馴染みがなかったことなどから、異母兄弟姉妹婚などの族内婚が行われていたため、このような命令を発しても現実には効果がなかったとされる。だが、李氏朝鮮時代になるとこの状況に変化が見られ、満州族が中国を征服し清王朝を樹立し後に同姓不婚の制度を廃止した一方で、朝鮮では自分たちこそ正統な中国文明の後継者という自負から小中華思想が発展し、明王朝時代の中国の法律を模範として同姓同本婚を禁じ、この状況は後の大韓民国に引き継がれることとなった。また、日本においても時代の経過とともに天皇家に近親婚が少なくなっていった理由は中国の同姓不婚制の影響ではないかという見方も存在する。池田信夫は與那覇潤との対談において、中国は戦争が激しかったので中央集権化が進み父系の外婚制になったと論じたが、與那覇潤はこれに対しあなたは経済学者だからそうまとめるのだろうが、日本にも後醍醐天皇など専制を目指した君主はいたわけで、その理論では日本が中国のような国にならなかったと言うことがすんなり説明できないとし、もっと歴史的あるいは社会的な観点を大事にすべきだと指摘した上で、中国が外婚制になったのは科挙の影響で人材を広く求める必要があったことが大きいとしている。エマニュエル・トッドは、外婚制の共同体家族の地域では共産主義が受け入れられやすく、このような家族制度の下にあるロシアや中華人民共和国のような地域では共産主義から実質的に離脱したとしてもその傾向は残り続けるとし、このような一致の理由については権威主義的な親子関係の下で兄弟が平等主義的に扱われるからだと推測している。
また、婚姻による親族関係は血族ではなく姻族と呼ばれるのだが、姻族同士の婚姻についても禁じる社会もあり、日本においては義理の直系親族と結婚を行うことが不可となっている。藤原薬子が婿である安殿親王と性的関係を結んだところ、これを知った安殿親王の父親である桓武天皇によって彼女は宮廷を追放されてしまったらしいという話もあるが、父親の死後に安殿親王が天皇に即位し平城天皇となると彼女は尚侍として宮中に戻された。川喜田二郎は1950年代にヒマラヤのチベット人の調査を行ったが、父親と息子が妻を共有したり母親と娘が夫を共有したりするなどといった慣習のある村の人に、日本で父系並行いとこ婚が認められている事実を話すと、日本はなんと逸脱した地域なのかといった回答をされたことを述べる。父親の死後に継母と結婚したり、兄弟の死後に彼らの未亡人と結婚したりするのは漢では問題視される行動であったが、匈奴では認められていた慣習であった。大周の聖神皇帝となった武則天は、唐の太宗の後宮だった経験がありながら高宗の皇后になった女性であるが、遠山美都男によれば、太宗の死後に感業寺で偶然この二人は出会ったのだとかいう話は間違いなく嘘で、実際のところ太宗の存命中からこの二人は愛し合っており、父親が死んで高宗が自分の気持ちを抑えられなくなったのではないかと推測している。イスラーム教では、『クルアーン』において乳母を娶ることや乳兄弟姉妹間の結婚も禁止されている。
動物学と人類進化論
人間のインセスト・タブーに関しては、今西錦司のようにサルのインセスト回避との連続体として捉える考えもある。現在のバース・コントロールの多様さや密室が多く用意されている文明社会ではインセスト・タブーは不要であるとの指摘もあり、今西錦司はインセスト・タブーは大昔の村落共同体が社会単位であった頃にできたもので、今の文明社会では役に立つものではなく、フリー・セックスの時代になったら母息子、父娘、兄弟姉妹のインセストがどこかで行われていたところで咎めようがないとしている。今西錦司は社会構造を伝統や文化として考える立場だったのだが、伊谷純一郎はまずインセスト回避があって社会構造は後付けだと主張したことから、今西錦司が伊谷純一郎を批判する事態になった。ちなみに西田利貞は、当初は近親交配回避の話について今西錦司の立場に同調するような姿勢を見せていたと中村美知夫は述べる。
山極寿一は三浦雅士との対談において、かつて伊谷純一郎が「霊長類の社会構造」(1972年)で示した仮説としてインセスト回避が霊長類の社会構造の基礎であるという仮説があったが、その後この仮説は哺乳類一般まで普遍化が可能な代物であることがわかってきたとしている。なお、山極寿一によれば、霊長類は普通オスが群れから出て行くインセスト回避の形式だが、人間により近い類人猿の場合メスが親元から出ていくためこの規則は当てはまらず、テナガザルやオランウータンではメスもオスも親元から離れるのだが、ゴリラでは群れに残るオスがぼちぼちと出始め、チンパンジーやボノボに至っては群れから出て行くのはメスだけでオスはもっぱら群れに残るといったように父系重視の傾向が鮮明化するという。また、ゴリラは親元に息子が留まり続けようとすると、父親と息子で交尾する相手が競合しかねないため、通常は息子は親元を離れるのだが、まれに父親が娘と交尾しないのを利用して、その父親の娘たちを交尾相手にして息子が親元に残る場合もあるとも山極寿一は述べる。2015年、近親交配がアフリカ中部のマウンテンゴリラの生存に役立っているとする研究をクリス・タイラースミスらが発表した。
平山朝治 (2003) は、人間はネオテニー進化を経た存在であるという見解について触れ、ボノボやチンパンジーでは性的に成熟した息子が母親と性交することはまず見られないものの、性的に成熟していなければ母親と性交する現象が確認できることから、ネオテニーの子供の場合では母親が息子のことをまだ子供だと錯覚しているため、より母と息子の近親交配が起こりやすいという仮説を立てている。実際にボノボの母と息子の交尾類似行為を観察した橋本千絵と古市剛史は、この行為は母親に性的興味があってやっているというよりも、母親にかまって欲しくてやっている行為のようだと論じている。
桑村哲生は、クマノミ類は親子のように見える三匹には実は血縁関係はなく、雌がいなくなると雄が雌に性転換し未成熟な第三個体と交配するという特性を持つと指摘した上で、カクレクマノミを扱った『ファインディング・ニモ』を実際の話に置き換えると、育ての父親が母親になって育ての息子とカップルになる話になってしまうと論じている。元村有希子は桑村哲生の『ファインディング・ニモ』のたとえ話について、父親と息子が愛し合い子供をもうけることが問題視されるのは人間の世界の話であり、魚の世界の価値観に基づくものではないと指摘している。
尾本恵市 (2017) は、一般論としては身近な相手に性的魅力を感じないといっても、娘を犯す異常な父親は実際に存在すると山極寿一に指摘する。核家族間の交配を含む近親交配の事例は人以外の動物でも、ウタスズメ、ガラパゴスフィンチ、オグロプレーリードッグ、その他類人猿などでも確認されており、一定数存在するこれらの近親交配がその種にとって有利な選択になる可能性が指摘されている。まず、血縁者同士で儲けた子供の方が非血縁者同士で儲けた子供よりも自分の遺伝子のコピーを多く受け継ぐというものである。その結果、生存する子が両方同じ数である場合、個体が後代に残せる遺伝子が血縁者同士で子供を儲けた場合の方が多く残すことが出来る。また、血縁者同士の交配は、非血縁者同士の交配よりも比較的若い年齢で始まることが指摘されている。その結果、その個体の生涯における繁殖成功度が非血縁者同士の交配よりも、血縁者同士の交配の方が高まる。現代社会における結婚年齢は、夫婦が非血縁者同士である場合よりも、いとこ同士である場合の方が低いという。そのためか、いとこ婚の夫婦の子供の出生率は相対的に高い傾向がある。ローマ期エジプトの兄妹婚においても、若い夫婦が多く、非血縁者同士の男女よりも兄妹の方が早く結婚していた可能性が指摘されている。血縁者同士の交配の方が若くで始まる傾向があるということは人以外の動物でも観察され、ウタスズメは、繁殖開始年齢を下げるために近親交配をしているという。東京大学大学院理学系研究科教授の青木健一は、これらの理論をもとに集団生物学的にその種の集団間に存在する一定数の兄妹交配がその種にとって利益をもたらすものであり、その利益に与るために集団間に一定数兄妹交配の夫婦が存在するように適応進化したかどうかを解析するモデルを構築した結果、兄妹交配を行う性向が進化するための条件が満たされている可能性があると言及している。
アダクチリディウムなどのダニの複数の種類、ギョウチュウ、様々な種類の昆虫は日常的に近親交配を行うことが知られている。ガイマイゴミムシダマシに寄生するダニは、親から雄と雌が1体50の割合で生まれるが、行動範囲が狭く他の家族と接触する機会がないため、同じ親から生まれた兄妹で近親交配を行う。トコジラミも近親交配を日常的に行っており、一匹の妊娠した雌がいれば、その子供達同士で交尾し大規模に繁殖をすることができる。哺乳類においても、シママングースは近親交配を日常的に行っており、父親と娘が近親交配していることも観察されている。これは、一つの血縁関係のあるグループ内で近親交配をした方が、家族から離れ、他のグループの成員を探しに行くことで死亡するリスクを支払うことより利益が大きいからだという。明治時代の日本のトキのように人為的な理由から近親交配に追いやられた動物もいるが、結局最後の日本のトキだったキンが2003年に死に、全滅してしまった。酒井仙吉は、ニワトリでは近親交配によって受精率の低下などがみられ、ヒトでも同様の現象が起こると述べている。
遺伝学と生理的反応
近親交配の度合いを近交係数(F)を用いて表す場合があり、例えば兄弟姉妹の間に生まれた子の場合F=0.25となる。もっとも、近親交配を繰り返せばFは高くなるわけであり、ゴンサーロ・アルバレス及びスペイン人遺伝学者のチームはカルロス2世のFを16世代遡って3000人以上のデータから算出したが、その結果はF=0.254であった。また、2015年12月に行われていたイギリスの「1000人ゲノムプロジェクト」では、本来そのことを調べるつもりではなかったのだが、26の国の2500人分の塩基配列の情報を調査しているうちに、3人が叔姪間、1人が半血の兄弟姉妹間、3人が兄弟姉妹間、そして8人が親子間というように近親度が算出されてしまった。
近親相姦によって子供が生まれると、遺伝的リスクが高まるという話がある。遺伝学の知識があったかは不明だが、古くはソクラテスが近親相姦によって子供をもうけた場合は子供の成長に悪影響があると論じており、田中克己は「遺伝学からみたインセスト・タブー」において、全身性のアルビノの発生率が、他人交配の場合は1/40,000の発生率になるところが、親子や兄妹の交配では1/780の発生率になると推定した。
Robin L. Bennett et al. (2002) によれば、遺伝的リスクは第一度近親者同士による交配で元々の遺伝的リスクに加え全体比で6.8%から11.2%の増加が推測されている。実際に単純に調査した結果においては近親相姦の遺伝的影響以外からも子供に障害が発生する可能性があることを差し引く必要はあるが、チェコスロバキアにおいて、親子兄弟姉妹間の交配で生まれた161人のうち、13人が1歳未満で死亡し、30人に先天的に身体的な異状が見られ、40人に精神障害が見られ、3人が聾唖者となり、3人がてんかんを患っていたという1971年の調査もある。
人間など生物における雌雄の生殖においては両親から遺伝子を受け継ぐが、近親婚で生まれた子供でない場合は、ある劣性遺伝子がもし有害であったとしても片方の親からそれをもらっただけでは本人に異常が出ることはないのだが、近親婚で生まれた子供の場合は、先祖を共有していることから同一の種類の劣性遺伝子を両親が保有している可能性が高いため、その遺伝子が一対となり異常が発生する可能性が高くなると説明されていた。
生存に不利な遺伝子はそうでない遺伝子に比べて圧倒的少数であり、劣性遺伝子の中に隠蔽されていることが多いとされた。なぜなら、そのような遺伝子が顕在化した個体は子孫を残すまで生存することは困難で、したがって多くの生存に不利な優性遺伝子は子孫に継承されにくく、結果として淘汰されてきたからであるとされたためである。そのため、近親交配によって子供が生まれた場合は遺伝的リスクが高まるとして、これを近交弱勢と言う。アルバレスらは、カルロス2世の患っていた病気は遠位尿細管性アシドーシス及び、PROP1がホモになることによる複合下垂体ホルモン欠損症という2つの劣性遺伝病ではないかと推測した。また、アダム・ラザフォードは、眼皮膚白皮症(OCA)は劣性遺伝するわけなのだが、スペインのロマ族のOCA1の保因者は3.4%と比較的高いため、同族結婚で金髪の子供が生まれるのは当然と述べていた。
しかし、劣性遺伝子という言葉を用いてはいるが、劣性であることがすなわち有害というわけではないため、理屈上は有益な劣性遺伝子が近親交配で発現する場合も考えられうるという指摘もなされていた。結局、2017年に日本遺伝学会は、優性や劣性という言葉が差別を生む恐れがあるとして、「顕性」及び「潜性」という言葉に変更することを表明した。豐田文一と倉本政雄の1943年(昭和18年)の論文「富山縣下ニ於ケル血族結婚ノ頻度ニ就テ:農村衞生ニ關スル調査報告 第5報」では、自分達とは別の研究で血族結婚を繰り返してきた1786人在住の部落を調査した結果を引用し、この報告では部落の子供達は劣等生だらけではあったのだが、逆に優等生は「全て」血族結婚によって生まれた子供であったとされており、有害な劣性遺伝子が家系に存在しない場合は近親交配によって有害な影響がもたらされるとは考えられないという論も存在しているとはしながらも、有益な遺伝子を特定しこういった側面を利用する技術がない以上は、なお優生学的な意味で血族結婚を避けることの理由となりうるとしていた。
自然界でもボトルネック効果が発生した際に、選択的な遺伝的浮動が起こった場合には、有害な劣性遺伝子が除去され近親交配の負の効果が顕在化しない可能性はある。だが、通常は人間以外の動物の場合、近親交配の有害な影響を避けるために人為的な選択管理が必要となる。エルヴィン・シュレーディンガー (1944) は、人間の場合は自然淘汰の機能が損なわれているどころか、優れた人間のほうが殺害されることが多いため、近親交配の弊害にはより一層の注意が必要となると主張している。
実際には人間を含む有性生殖を行う動物の多くは近親交配を避けることが多く、人間の場合はウェスターマーク効果といって近親相姦の嫌悪は一般的にありうるという研究結果も示されている。生物学的なインセスト・タブーの理論では、人間やその他の動物の近親交配回避機能が人間の意識に影響を与えていると捉えるのだが、この学説は遺伝学との相性が良いとされる。一方で、この親族認識の手段に関してはなお議論があり、ジェネティック・セクシュアル・アトラクションといって、近親者であっても生き別れの親族などでは普通に恋愛感情が湧くことが多いという指摘もある。また、ハンガリー国立ペーチ大学が行った研究では、男性は母親に似た女性、女性は父親に似た男性に惹かれる傾向があるという研究結果が存在する。
これに対して、NHKの教養バラエティ番組「ためしてガッテン!」では、20歳前後の女性に男性の使用済下着の臭いをランダムに嗅がせて、従兄弟まで(4親等以内)の男性血族の体臭は不快と感じるも血縁関係のない(と認識される)男性の体臭はむしろ香しいと感じるという実験を示し、これが近親交配を防ぎ遺伝子の多様性を維持するための遺伝上のメカニズムであるとしたが、この実験は非常に少ない被験者が対象であり、真偽は不明である。
2013年9月13日の『日本経済新聞』によれば、アメリカ合衆国では精子バンクの普及により多くの子供が一人の男性の精子から生まれるという事態が発生したが、このままでは子供達が知らないうちに近親相姦関係になってしまい、やがては子孫に先天的に有害な影響がもたらされるのではないかと危惧されているという。
哲学と政治思想
プラトンの『国家』では、近親相姦の禁止について論じた対話が載せられているが、近親相姦を禁止するといっても具体的に父と娘の如き親族関係はいかにして定めればよいのかという問題に関しては、婚姻関係から親子関係を推定すればよいではないかという意見が載せられている。比較的緩い形で近親相姦の禁止を設けていた社会も存在し、ギリシアなどでは兄弟姉妹婚には寛容であったのだが、これは近親相姦を容認していたというわけではなく、プラトンの『国家』では娘や娘の子供達や母や母方の祖母などとの性関係は許されないとしている。これは男性側の話であり、女性の場合は息子と息子の息子や父と父の父親との性関係が禁じられると『国家』はその後に続けている。
キティオンのストア派古代ギリシア哲学者ゼノンは、「母親の局部を自分の局部で擦るのはおかしなことではない。母親の身体の他の部分を手で触ることを誰もおかしいと言わないように」という見解を持った。また、ストア派のクリュシッポスは、多くの人たちの間で正当な行いとされている通りに、父親は娘によって、母親は息子によって、兄弟は姉妹によって子供を作るのがよいと思われると述べている。また、母親や娘、姉妹と交わることは非合理ではなく、自然本性に反していないと判定しなければならないとしている。ジル・ドゥルーズは『意味の論理学』で、クリュシッポスとキニク派のディオゲネスの近親姦擁護論について触れ、諸々の物体として認識されている物体が実はその深層において混在状態にあるという考えが近親姦擁護論の背景にあると指摘している。ディオゲネスはオイディプスが言うような家族関係の混乱など、犬や驢馬にとってはどうでもいいことだと論じたと伝えられている。
ストア派において、近親者間の性交を認める論は複数見られたが、エピクロス派の創始者であるエピクロスも母親や姉妹と交わることを教えた。
劉邦は自らの部下となった陳平が兄嫁と性的関係を持ったことがあるという噂を聞いて、陳平を紹介した魏無知にどういうことだと追求したが、魏無知は品行方正なだけの役立たずでは困ると考えたためだと反論し、その後も劉邦は陳平を部下として使い続けたとされる。陳平の実名は伏せられているが、陳寿の『三国志』によれば曹操も陳平と魏無知に関する故事を引いて、今は不安定な世の中なので才能さえあればいかなる人物でも採用するという布告を210年に出したという。
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは、『精神現象学』での共同体の法を論じる部分でオイディプスとその母イオカステの娘であるアンティゴネーを扱ったソポクレスの『アンティゴネ』の肉親への愛を語る場面を引き合いに出している。ヘーゲルは家族の関係のうち、人倫的本質を予感する可能性という面において夫と妻よりも兄と妹、姉と弟を重視しており、男女関係を論じるにおいて混じり気のない関係は兄と妹の間にあると述べている。兄と妹は同じ血縁で、この血縁は両者において安定し、均衡を得ているため、互いに情欲を持ち合うこともなく、互いに自由な個人性である。そのため、女性は妹か姉であるとき、人倫的本質を最も高く予感しているとする。また、兄と妹、姉と弟の関係は血縁の均衡と欲望のない関係に結びついているため、兄弟を失うことは姉妹にとって償い得ないことであり、兄弟に対する姉妹の義務は最高のものであると論じている。一方、ヘーゲルは自身の妹のクリスティアーネと激越な悲劇的欲求を帯びた関係を構築しており、他の家族や夫婦の縁を副次的なものに押しやってしまっていたとの指摘がある。クリスティアーネは兄を深く敬慕しており、ヘーゲルの妻に対し激しい嫉妬を感じていた。吉本隆明は、ヘーゲルの兄妹論に沿った見解を述べており、家族のうち、兄と妹、姉と弟の関係だけは空間的にどれほど隔たってもほとんど無傷で、対なる幻想としての本質を保つことができると論じている。それは、兄と妹、姉と弟が自発的な性行為を伴わずに、男性または女性であり得るからだとする。一方、ジュディス・バトラーはアンティゴネーが従っているのは神々の法であってヘーゲルのように共同体の法を持ち出すのはおかしいといった感じの論陣を張るが、このバトラーの考えの背景についてそもそもアンティゴネー自身近親相姦によって生まれたわけだし、アンティゴネーやポリュネイケースはオイディプスにとって妹や弟であるという事情があると仲正昌樹は解説している。また、ヘーゲルは『法哲学講義』においては、オイディプスのように自らの意志に咎がなかったとしても結果が悪い方向に向いた場合は、その責任を負うことで英雄視されると論ずる。ただし、古田徹也はソポクレスの描くオイディプスの自罰行為はやり過ぎだという見方もあるだろうとして、道徳的な義務としてオイディプスの例を捉えることについては批判的な立場をとった。
空想的社会主義の思想家とされるシャルル・フーリエは、『愛の新世界』において傍系の場合の近親姦を擁護する論陣を張った。シャルル・フーリエは家族制度の廃止によって近親相姦を許可し、子供は託児所で社会が育てる形にすればよいと主張したのだが、過激だということで『愛の新世界』は長らく公にされることはなかった。ニカラグアの大統領になったダニエル・オルテガにはかつて継娘と性的関係を結んだという話があるが、本人はニカラグア武闘派左翼の革命運動組織であるサンディニスタ民族解放戦線の活動をする上で性欲を解消することは必要だったと弁明した。
エーリッヒ・フロムは、ネクロフィリア、ナルシシズムと近親相姦的共生が極端な形態で混合したものを「衰退のシンドローム」と呼び、その具体例がアドルフ・ヒトラーであると論じた。アドルフ・ヒトラーは自らの民族を梅毒やユダヤ人から守らねばならないと主張したが、この『我が闘争』で述べられたような主張がヒトラーの近親相姦的固着を表しているとエーリッヒ・フロムは主張した。毛沢東は14歳のとき親戚の18歳の女性と結婚させられたが、学費を援助してもらうためであって正直こんな結婚はしたくなかったらしく、中国の封建的な結婚制度を「間接強姦」だと言い出したのはこの経験が原因ではないかという解釈が、ユン・チアンとジョン・ハリデイの共書である『真説 毛沢東 誰も知らなかった実像』に載せられている。ミシェル・フーコーは『性の歴史I 知への意志』で、そもそも家族とは婚姻という形で性欲を封印する場として存在するものなのだが、18世紀以降の西ヨーロッパではそこを情緒的な繋がりの場となったため、家族がインセストを教唆する格好になってしまっていると論じた。
ジル・ドゥルーズは1956年から1957年にかけリセ・ルイ=ル=グランで行った「基礎づけるとは何か」という題が付された講義において、セーレン・キェルケゴールが『誘惑者の日記』において恋人を同居する妹に譬えている場面があることに触れ、キェルケゴールにとっては婚約者が哲学的概念と化していたと論じたと伝えられる。ジル・ドゥルーズは「ザッヘル・マゾッホからマゾヒズム」において、近親相姦といえば恋愛の話だと思われているわけなのだが、実際にはそれは前性器的な性に回帰するという前提の下で恋愛だと思われているのだと指摘した。
女性という存在の劣等性を主張していたという医師の娘として育ち、後に日本における第二派フェミニズムの先駆けとなった飯島愛子は、遺稿である「生きる――あるフェミニストの半生」の中で「私は父にレイプされることすら想像した。もっとも恥ずべき行為を父にさせることによって復しゅうする」と述べ(2006年に出版された遺稿集である『〈侵略=差別〉の彼方へ――あるフェミニストの半生』の91頁に収録されている)、上野千鶴子の『女ぎらい ニッポンのミソジニー』でもそのまま引用されている。
小川仁志 (2013) によれば、国家機能を縮小させ個人の自由を徹底的に尊重するリバタリアニズムという思想の立場に立てば、自由を主張し結婚制度を終了させ近親相姦でも何でも好きなようにやればよいという論理が成り立つが、周囲を不快にさせるようなことまで自由だというのはおかしいということで、この思想を非難する声が上がっているという。鷲田小彌太 (2016) は、人間は放っておくと欲望を際限なく追求してしまうものであり、だからこそ食人や近親相姦や殺人は禁忌とされているのだと論じた。
高橋和巳は、父親に性的虐待を受けた女性の話として、同一の現象に対し別々の認知が生じうるという認知論は受け入れやすかったが、人間の存在意義は社会など外部的評価と切り離して解明されるべきだという存在論は、社会との繋がりを前提としているため、結論が当然のことと化している自分にとっては違和感があり、少し腹立たしくもなったという話を著書に載せている。
民俗学と宗教論
南方熊楠は、仏教において親族姦は戒めの対象になったが、そもそもこういったことが問題になったのは釈迦が活躍した時代は親族姦が多かったからではないかと論じている。釈迦の祖先も兄妹婚を行った。『陀羅尼雑集』には、釈迦が前世において母親と交わり父親を殺害した罪を除くために用いたとする陀羅尼が載せられている。瀬戸内寂聴は母親が夫と関係を持ったという蓮華色比丘尼の話について、こういった女性を教団に抱え込んだ釈迦が徹底して淫欲を戒めたのは正しいと自らの見解を語っている。やがて仏教は方向性をめぐり上座部と大衆部に分裂することになるが、射精のごとき生理的反応は煩悩ではないと主張しこの分裂の原因を作ったとされる大天は、近親相姦関係にあった母親を殺害した過去を持つ男性だったと伝えられている。チベットの密教の一つのタントラ教は母と妹と娘を愛欲することで、広大なる悟りを得られると主張する。姉妹を妻にした三蔵法師もおり、『宝物集』では、実母と通じた明達律師や、娘を妻にした順源法師が共に往生の素懐を遂げた人物といわれる。南方熊楠は、仏典に親族姦の話がよく見受けられることに注目し、明達律師が母親と交わったとか順源法師が娘を娶ったといった類の日本の話は、仏典を参考に創作されたものである可能性を指摘している。
なお『古事記』には「上通下通婚(おやこたわけ)」という用語が見られ、これが国つ罪の親子相姦禁止規定につながったという見方もある。「上通下通婚」という言葉について、本居宣長は『古事記伝 三十之巻』で、実の親子を対象としたものなら「祖子婚」という用語になるはずであり、そうならないのは「上通下通婚」は性的関係を持った女性の母や娘も含む概念だからだと論ずる。橋本治は「親子丼」と通称される代物まで含むのは、この話がタブーではなくモラルに関する規定だからではないかと論じている。また、日本が形作られた天地開闢ではイザナギとイザナミは兄妹であり、近親相姦というタブーを犯した結果にヒルコが生まれたとする説がある。タブーの末にこうした不具の子が生まれたり罰を受けたりする事象は神話ではよく見られ、ノアの方舟のような洪水の話は、兄妹だけが生き残ってしまったが故に近親相姦はやむを得なかったとしてタブーを乗り越えるための説話であるとされる。
中国語では倫理を乱す行いのことを「乱倫 (luàn lún)」というが、この用語は近親相姦の意味で使われることがある。武則天が偏見の目で見られる一因は、ある男とその子供の両方と性的関係を持つことは儒教の考えでは禽獣同然とされていたためである。玄宗は息子の寿王の嫁だった楊貴妃を寵愛したが、彼女を後宮に入れるにあたり、非難を免れるため一旦道教の寺院である道観に入れるという措置が採られた。ラテン語で近親相姦を意味するincestumは「不敬な」などという意味であり、ドイツ語で近親相姦の意味で用いられるBlutschandeは「血の冒涜」のことを表現している。
近親相姦の禁止について宗教上の聖典に明記されている場合もあり、旧約聖書の『レビ記』18章6 - 18節においては姻族も含めた近親相姦の禁止について言及されている。橋爪大三郎は、『申命記』23章1節に父親の妻に関する規定があることに触れた上で、父親のセクシュアルティを侵害してはならないというのは、父親を敬えということと一緒になった規定のようだと論じている。旧約聖書創世記19章のロトが娘二人と近親相姦をして子をなしたという話はある。ただし、ロトが娘二人と近親相姦をしたという話について、佐藤優はこの話は異常だからこそ話として残された側面があり、近親相姦がタブーではなかったとはいえないのではないかと論じている。また、中村うさぎは、子供を儲けることに焦点を当てているため、ロトの話では近親相姦よりも同性愛のほうが罪深いように書かれているが、我々の感性からすると近親相姦のほうが同性愛より問題に感じると語っている。だが、逆に近親相姦によって偉大な力を得られるという考えもあり、アフリカのマラウィにおいては、母や姉妹との交わりは戦いにおける弾よけになるという信仰もあった。ゾロアスター教においては父と娘、母と息子、兄弟姉妹の結婚は最高の善行であったが、これはフヴァエトヴァダタと呼ばれる。現代でも、経済的な都合上から文化的に許容されている場合もあり、シエラマドレ山脈に住むインディアンの父親と娘は、経済的な理由から近親相姦を行うことがよくあるという。
イスラム教の伝承では、人類最初の夫婦アーダムとハウワーは最初にカービールとカービールの双子の妹を生み、その次にハービールとハービールの双子の妹を生んだ。預言者アーダムは子供たちが成熟すると、カービールはハービールの双子の妹と結婚し、ハービールはカービールの双子の妹と結婚するように指示した。ハービールはその指示に同意したが、カービールは自身の双子の妹と結婚することを望んだ。
南方熊楠はヨーロッパでは肛門性交がかつては伝統的に行われており、ロレーヌ王であるロタール2世は自らの妻であるテウトベルガがフクベルトと妹と兄という関係でありながら肛門性交を行ったと前代未聞の主張をする一幕もあったと論じている。『大乗造像功徳経』によれば、女装をすることや親族関係にある女性を犯すなど四つの縁によって、身体上の性と性欲上の性に不一致が生じ、男に犯されて悦ぶ男に転生するとされる。『池北偶談』には済寧の話として姑が嫁に性的欲望を覚え関係を持つに至った話があるが、この話について南方熊楠は男性器の付いた女性もいるのだがこの話は精神だけ男性化した話のようだと述べている。
未来において近親相姦が広く許容される時代が来るという宗教もある。ユダヤ教シャブタイ派の預言者アブラハム・ナタン(ガザのナタン)によると、シャブタイ・ツヴィが棄教したこの世界をモーセ律法に対してクルアーンが支配する世界だとしたが、それは間もなく来るメシアの時代の前駆的な形態にすぎず、メシアの時代のもとでは既存の規範が有効性を失う。その時、近親相姦を含む全ての性の禁忌が取り去られ、自由な世界において生命の樹の神秘に与ることができるという。
ヒンドゥー教のシャクティ派やモルモン教も兄弟姉妹婚を行っていた。インドのヒンドゥー・サクタセクトの間では近親者間の性交は高次の性関係であって、宗教的完成への一つのステップだった。
カール・グスタフ・ユングは近親相姦は高度に宗教的な側面を有しており、そのために近親相姦はほとんど全ての宇宙進化論や神話の中で決定的な役割を演じていると述べ、フロイトは字義通りの解釈に執着したため、近親相姦の霊的な意義を把握することができなかったと指摘している。
朝鮮の新羅の王族において近親婚が繰り返された理由は、骨品制という身分制度において天降種族たる王族の血の純潔性を尊んだことが一因ではあるが、血が混ざると呪力が落ちてしまうという信仰の影響もあるのではという見方も存在する。
日本では男女の双子は心中者の生まれ変わりと考える文化があり、夫婦にしてやらなければならないと考えた。そのため、片方を養子に出して成人してから他人として結婚させるということが行われた。この場合は双子であっても近親相姦とは考えない傾向があった。
バリ島やサモアでは、男女の双子は母親の胎内で近親相姦をしていると考えられている。バリ島では、この双子が母の胎内にいる時から既に親密であったとして、兄弟姉妹間での性交が許されていた。また、サモアの貴族階級では姉と弟が結婚するという事例が見られる。
13世紀の後半から15世紀の初頭にドイツを中心として興ったキリスト教の一派自由心霊派は、自由心霊を得た人間と神との同一性を説き、母親や姉妹と性交をすることができるとした。他人よりも姉妹と関係することが自然であり、姉妹はこの交接によってかえって貞節を増すものであると考えた。輪廻転生を信じるカタリ派においても、信仰者の中には男女を問わず自分の夫や妻よりも、兄弟や姉妹、息子や娘、甥や姪を相手に関係を持つものが多いという。一人一人がキリストであり聖霊であると説くアモリ派や、古代キリスト教の一小分派アダム派においても近親相姦が認められている。
オナイダ・コミュニティを建設した19世紀の宗教家のジョン・ハンフリー・ノイズは、有性生殖の第一原則である近親者同士の交接を行うとして、弟の娘との間に子供を作った他、妹の娘との間にも子供を作った。彼が引用した品種改良家の親等計算方法によると、兄弟姉妹は両親から50%ずつ血を受け継いでいるので、その血は100%同じであり、兄妹や姉弟間で生まれた子供は父娘や母息子間で生まれた子供よりも近いという。この計算方法に従えば、伯父姪や伯母甥の場合も父娘・母息子の交接と同じことになる。
スコラ哲学者・神学者のトマス・アクィナスは、キリスト教において近親婚がタブーである理由について、人は自然本性的に同じ血縁の者を愛するのであるから、これに性的な愛情が加われば欲望があまりにも激しくなり、貞潔に反するためであるからだと述べている。鷲田小彌太はトマス・アクィナスと同様の主張をしており、姉と弟は人体骨格も似ており、気心も知れているため、性交の相手としてはぴったりだが、性交の相手として良すぎるために近親相姦がタブーとされるとしている。
悪魔崇拝と魔女
悪魔を崇拝し二人の娘を強姦したと自白したことで刑を科された男性について、暗示による虚偽の自白だとしてエリザベス・ロフタスらが抗議する一幕もあった。ヘンリー8世の妻のアン・ブーリンは裁判で魔女とされ兄弟であるジョージと近親姦を行ったとされたが、中野京子はこの近親姦疑惑は捏造であると断じている。
アンリ・ボゲは魔女にとって父と娘、母と息子などの関係にある者が近親相姦を行うのは当然だと主張した。ピエール・ド・ランクルは、サバトにおいて娘と父親、息子と母親、兄弟姉妹同士が交わったという証言があると主張した。サバトというと近親相姦とか乱交とかが連想されがちであるが、Étienne Delcambreの述べるところではロレーヌの記録では3例くらいしかその手の話は見当たらなかったという。
日本のムラ社会関係
日本における話として、赤松啓介が1994年に刊行された『夜這いの民俗学』において、かつて男のフンドシ祝いや女のコシマキ祝い(以前はオハグロ祝いと呼んだ)では儀式的に初体験を行う場合があり、この際に周りの人に阻害された場合などで父娘や母息子といった組み合わせで初体験を済ませてしまう場合は存在したようだが、あまりそういうことについてうるさく話さないという了解があったとしている。
しかし、赤松啓介は障害者に関して本来は他人が行うべき性教育を身内の人が行わざるを得なくなったために近親同士で妊娠させてしまっている場合もあること、またハンセン病患者や知的障害者は近親性交が原因で地元を離れるはめになる場合があったことなどの例を挙げ、一般の研究者がこういった社会の暗黒面の真実を全く見ようとしないことについても批判的に取り上げている。なお、赤松啓介は近親性交を理由に立ち退いた知的障害者は都市部のスラムなどにおいて夫婦同然の暮らしをしている場合もあるとした。
赤松啓介は、青森県下北郡東通村目名の1909年10月に改則された「若者連中規約」に連中に所属していない者に対しては肌を接することもしてはならないという規則があることを指摘するが、実際問題として目名のある尻屋崎周辺の尻屋、尻労や岩屋といった村落はかつては孤立的だったとはいえ、こんなことをしていては血族結婚で村落が内部崩壊を起こしていたはずであるため、おそらく厳密に守られていなかったのではないかと考察する。赤松啓介は、国家の支配に基づく「一夫一婦限定性民俗」を打破し、かつて存在した近親者間の性関係を含む「不特定多数式自由性民俗」を復活させるべきであると主張した。
アメリカ合衆国においては政治家でもあるルイス・リビーが、1996年に『ジ・アプレンティス』という小説を発表した。この小説は1903年の日本を舞台とし、さまざまな性的場面が描写されているが、その中には日本におけるオジ姪相姦についての描写もあった。リビーはその後、副大統領ディック・チェイニーの首席補佐官も務めたが、合衆国政府がイラク戦争において大量破壊兵器をサッダーム・フセイン政権下のイラクが所有しているというプロパガンダを正当化するため、米中央情報局 (CIA) のエージェントの身分の意図的な情報漏洩を行ったとするプレイム事件で、リビーが主導者の隠蔽目的の偽証罪で逮捕・起訴されたことで、この書物がメディアの脚光を浴びることになった。
文学や創作物における近親相姦
アリストテレスは『詩学』において創作物理論を展開しており、この中ではソポクレスの『オイディプス王』が悲劇作品の傑作としてしばしば引き合いに出されているが、藤沢令夫はソポクレスの作品がアイスキュロスの関連作品に比して恐ろしいのは、オイディプスが父親を殺し母親と結婚する事態になったのは自分自身のダイモーンが原因であって、そもそも父親であるライオスがオイディプスという子供を作ったせいなどではないとされている点にあるという。河合祥一郎は、ソポクレスが『オイディプス王』で主題としたのは、日本語で「運」などと訳される「テュケー」であるとする。なお、エウリピデスの『フェニキアの女たち』ではイオカステはオイディプスとの間にできた息子達が死ぬまで生きていることになっているが、これはソポクレスはイオカステは「母」でもあるが「女」でもあるとするのに対し、エウリピデスはイオカステはあくまで「母」であると解したためだと河合祥一郎は論じている。ソポクレスの『コロノスのオイディプス』では、オイディプスは神霊となるが、こんな話にしたのはペロポネソス戦争で滅亡の可能性があったアテネの人々に対して、逆境に耐え不滅となった存在を提示したかったからではないかと吉田敦彦は論じている。マルキ・ド・サドは古典的悲劇のような体裁で『ユージェニー・ド・フランヴァル、悲惨物語』という近親相姦を扱った短編を執筆しているが、澁澤龍彦によれば父親と娘が一緒に家庭というものに対し反旗を翻すこの短編は、誤魔化してはいるが結局のところ作者自身の反家庭思想が表現されている作品なのだと論じている。澁澤龍彦は、近親相姦はこの上なく甘美なものだ、という固定観念を抜きがたく思っていると告白した上で、理由について相手の中に自分の自己愛を注入し、しかもそれを自分の目で見ることが出来るというユートピア的状況を想像してしまうからではないかとした。
『源氏物語』では桐壺帝の妻の藤壺と息子の光源氏の不倫が描かれるのだが、歌舞伎で桐壺帝を演じた市川團十郎に瀬戸内寂聴が不倫を分かっている設定でこの二人の間にできた子供を抱く演技をしたか否かについて聞いてみたところ、分かっているつもりで演技をしたと回答され、光源氏役の市川新之助は頓珍漢だったものの市川團十郎はちゃんと『源氏物語』を読んでいると田中慎弥に語っている。なお、藤壺と光源氏の最初の性関係の場面は書かれないのだが、この理由について三田誠広は、もし仮に女房らには語ったことがあったとしても、一条天皇に見せるのは畏れ多いと判断して写本に含めなかった可能性があると推測している。大塚ひかりは、藤壺というのが藤原彰子の局の名前であることに着目し、藤壺と光源氏の密通の話は彰子と敦康親王の親密な関係を背景に書かれたものかもしれないという見方をしている。橋本治は光源氏が息子の夕霧について「女にてなどかめでざらむ」というまるで父親が息子に欲情しているかのような表現があることについて触れた上で、これはそういうことではなく男同士が親密な関係にあることを意味する用語が紫式部の時代になかったということだろうと述べている。ウィリアム・シェイクスピアの作品である『ハムレット』はサクソ・グラマティクスが義理の姉との結婚をカトリックの価値観から近親相姦だと『デンマーク人の事績』で非難したことが基になっている。ハムレットにとってクローディアスは叔父でかつ義父ということになるのだが、ハムレット自信は母と叔父の結婚を快くは思っていない。河合祥一郎は、ハムレットが母が禍々しい行為に走ったのは結局は叔父への性欲が原因だと考えているため、ハムレット自身もオフィーリアに対する自身の性欲を憎んでいるのだと論じた。志賀直哉は『ハムレット』を題材に『クローディアスの日記』という作品を書いているのだが、宮越勉はこの作品が『濁つた頭』の草稿に描かれる義母との逸話に酷似していることから、志賀直哉自身の義母への性的欲望を反映した作品なのではないかと論じている。
『有明けの別れ』は、左大将に犯されていた継娘を助けようと左大将の姪が奮闘し、この姪と継娘が深い友情で結ばれる話なのだが、大塚ひかりはこのように男性嫌悪が女性同性愛的な傾向が同一の物語で描かれることは興味深いと評する。近松門左衛門の心中を扱った作品について大塚ひかりは若い頃は理解不能な部分があったとしつつも、神谷養勇軒の編纂とされる『新著聞集』には、大坂での話として、継父が継娘に恋慕したが継娘が出家者と家を出て行ってしまったため、継父は訴えを起こし継娘と出家者は二人とも斬首されてしまったという話があることを引き合いに出し、このような社会的背景の下では近松門左衛門の心中を扱った作品の受けが良いのももっともだと論じている。曲亭馬琴らの話をまとめた『兎園小説』には、父親を自称する男が娘と性関係を結ぼうとしたが、拒まれたので遊女にしようとし、それも嫌がったので短刀で殺害し、当然のことだと平然としていたが多くの人々はこれを許さず役所に訴訟を起こす事態となったことが文化14年の実際の事件として載っているが、曲亭馬琴はこの男は父親を自称しているだけで父親ではなかったのではないかと疑っていた模様である。
スタンダールが『アンリ・ブリュラールの生涯』で母親と接吻する描写を出したことについて、原田武はインセスト的ではあるものの不自然と言うには至らないとする。『アンリ・ブリュラールの生涯』というのはスタンダールの自伝のような作品とされているのだが、恋慕の対象として描写されているスタンダールの母親は実際にはスタンダールが7歳の時に亡くなっているわけで、大岡玲は憎しみの感情が混ざっている夏目漱石とは異なる部分もあるものの、同様にスタンダールも母親がいないがゆえにそれを求めてしまう人間だったのだなと分析している。夏目漱石は『行人』においてダンテの『神曲』での兄嫁と義弟の恋愛話を取り上げている。夏目漱石が登場する貧農を獣に喩えた長塚節の『土』のように村における父と娘の近親相姦をそれとなく暗示したとされる作品もあるが、水上勉は、村社会で父親と娘あるいは母親と息子が孤独さの仲で結ばれたとしても、誰も非難できないであろうと論ずる。
島崎藤村は自らの体験を基にして、姪との恋愛を題材にした『新生』という小説を書いたが、自分のための作品であって姪に対しての配慮がろくになされていないということで、単なる偽善ではないかと芥川龍之介は『或阿呆の一生』で批判したとされる。ただし、小谷野敦は『或阿呆の一生』で述べられているのはダンテの『新生』のことではないかと指摘する。田山花袋は、島崎藤村の『新生』を読んで、島崎藤村が自殺してしまうことを危惧したが杞憂に終わった。芥川龍之介は母親に性的に奉仕することが息子にとっての親孝行になりうるということを題材にした箴言を『侏儒の言葉』に残している。母親との性行為を息子にとっての奉仕のような行為として描いた『触角記』の著者である花村萬月は、実際に母子姦は頻発していると主張した。
太宰治は『魚腹記』において父と娘の近親相姦の話を取り上げているが、太宰治自身の入水未遂事件を話題にしているとみられる大蛇への変身譚の挿話と異なり娘が鮒に変身するという話になっているのは、父親に処女を奪われた娘に対する太宰治なりの温情なのではないかと寺山修司は「「魚腹記」手稿」で論じている。一方、鈴木貞美は「太宰治――虚構への転生」で、『魚腹記』の娘が大蛇ではなく鮒になったのは家によって犯された津島修治自身が、その家に対しての復讐に失敗したということを意味するのではないかと論じた。鈴木貞美は『魚腹記』は形態としては民話のように書いているが、これは近代小説を超越するためにあえてこのような形態にしたのであり、娘を犯したことについて父親は罪を負わないという内容はまったくもって伝説の父娘相姦のありようとはいえないと指摘している。鶴谷憲三は「「魚腹記」の「語り」」で、語りによって伝説や民話っぽくすることで、父親が娘を犯すという忌み嫌われる内容がより自然に受け入れやすくなると指摘した。『魚腹記』の近親相姦の性描写が暴力的なことについて笠原伸夫は「太宰治における死とエロス」で、これは愛というものは痛みが伴うものであり、痛みなくして愛の甘美な側面を描くことなどできないと作者が考えていたためだとしている。相馬正一は太宰治が自身の思い出を作品にした『思ひ出』について、育ての親である叔母に似た人物を好きになったという話なので近親相姦の話だろうとするが、花田俊典はこれはそうではなくただ単に叔母達に愛されていた過去には戻れないのだという悲しみを綴っただけだろうと論じている。
三島由紀夫は「肉欲にまで高まった兄妹愛というものに自分は昔から最も甘美なものを感じ続けてきた」と自身の戯曲『熱帯樹』の解題で述べており、自身も『音楽』、『熱帯樹』などの近親相姦を含んだ作品を執筆している。三島由紀夫は夭折した実妹、美津子について「ふしぎなくらい愛していた」と『終末感からの出発―昭和二十年の自画像』で回想し、妹の死が以後の文学的情熱を推進する出来事の一つだったと論じている。平岡兄妹と親しかった湯浅あつ子は、三島由紀夫は妹を女(異性)として第一番に感じ、それは肉親愛ともちょっと違う初めての「愛」だったのだと思えるとしている。中上健次は被差別部落を舞台に、囚人となった入れ墨を全身に施した父親に対する復讐として、売春婦である異母妹と交わり異母弟を殺害する『枯木灘』という小説を書いたが、樋口ヒロユキは被差別部落を出自に持つ中上健次はこの作品を通して身分制度とエロスを結びつける三島由紀夫を批判したかったのではないかと論じている。新藤謙は、今村昌平の近親相姦を扱った作品に着目し、今村が近親相姦を肉親の最高の親愛、あるいは性の愉悦の極北と捉えているかどうかはつまびらかでないとした上で、そこに基層社会の猥雑さと貧困、また性のおおらかさを見ていることは確かであろうと指摘している。無人島に愛の巣を築こうとする兄妹を描いた『神々の深き欲望』は近代への反措定と古代への憧憬があり、そこからは今村が近親相姦の性の親和力の面に力点を置き、近親相姦を断罪しようとはしない姿勢と、基層人間への愛情が読み取れると分析している。
山本周五郎の『季節のない街』には、「がんもどき」という育ての父親に性的虐待を受ける少女についての話がある。この男性と少女の関係性は、少女から見て母の姉の夫であるが、自分たちが戸籍上の親だという男性の台詞もある。中野新治は「善悪を超えた世界の住人たち」において、この少女の自分が死にたいと思ったとき、少年に忘れられたくないということで刺したという証言について、マルティン・ブーバーの「我と汝」と「我とそれ」の概念を引き合いに出し、伯父にとって性欲の捌け口すなわち「それ」でしかなかった彼女が、少年とは「我と汝」の関係でありたいと願う心がこのような行動を引き起こしたのだと論じた。
倉橋由美子の『聖少女』は、父親と近親姦関係となった少女の存在しない母の恋人についての空想を描いた小説であるが、この話は後に作られた自分を養女として引き取った男が実は実の父親であると暗示される桜庭一樹の『私の男』に通じるところがあると上野千鶴子は指摘する。性関係を結んだかつての恋人の娘が実の娘という題材は、中村文則の『あなたが消えた夜に』でも父親側からの語りとして用いられている。桜庭一樹は、少年は殺人者になることによって現実を超越しようとするのに対し、少女は近親相姦で俗物たる大人の頭上を越えようと考えると倉橋由美子の『聖少女』の解説で記述している。倉橋由美子は、自身が近親相姦を小説に書く理由について、「真実を突きつけてショック療法を行うというような意図は全くない」と断った上で、「『近親相姦をいかにして聖化するか』という課題に魅力を感じるから」と述べており、自身の「理論」からいけば最高の組み合わせは双生の姉弟(兄妹)であるとしている。矢川澄子は、相思相愛の兄妹というテーマは、各種の男女の愛の形式の中でも最も純粋で、かつまた宿命的に悲劇性を帯びたものとして私の心を捉えてやまないものの一つであると述べている。兄妹といったが、場合によっては姉弟でも起こりうるだろうし、何なら男女二卵性の双生児だってよいとしている。また、兄弟姉妹の間に真に緊密な一体感が生まれるためには、互いに物心が付く前から相手が存在していた方がよく、したがって年の差は大きすぎない方がよいともという。宮沢賢治と妹とし子の関係について触れ、妹の存在が宮沢賢治に与えた影響の大きさを指摘している。
近親者間の性愛を書いた作品を描くことが複数あった野坂昭如は、ただ単に欲望を持つというだけならばともかく、父親が幼い娘に、あるいは母親が年少の息子に性行為をするのは、みっともない行為であると主張する。野坂昭如の『エロ事師たち』には義母に性行為を強要されそうになった男が義母について蛍を潰したような臭いがしたという話があるが、同じく蛍が登場する野坂昭如の『火垂るの墓』にもよく見ると兄が妹に欲情する描写があり、これらの作品では蛍は性的な存在としての女の喩えとなっていると樋口ヒロユキは論じている。筒井康隆の『エディプスの恋人』には主人公の女性が恋人の母親に憑依され宇宙に偏在する精神体となり、恋人はその母親に憑依された自分と性行為をして童貞を喪失するという描写があるのだが、青木はるみはこの表現について別に息子の主観としては母親ではないのだから気色悪い表現ではないと述べる。内田春菊の『ファザーファッカー』は養父に性的虐待を受けた自身の経験を基にした自伝風小説ということで売り出したが、本人はこれは商業上致し方なくやった部分があって、本当はただのお話として読んでほしかった旨を語っている。『ファザーファッカー』の新装版に収録された内田春菊の「25年後のあとがき」によれば、この小説を長編として仕上げるよう勧めたのは筒井康隆であったという。ちなみに、『ファザーファッカー』がイタリア語に翻訳されたのが漫画の『南くんの恋人』より早かったため、ボローニャ大学に内田春菊が行った際にはてっきり小説家だと思っていたと言われたとのことである。佐野眞一は、天童荒太の『永遠の仔』で父親に近親姦をされた女性が扱われていることについて触れた上で、近親姦があったかどうかは判断を留保しつつもこの小説の家族の構造は東電OL殺人事件の被害者の家族の構造と似ている気がすると指摘している。
村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』は、それまで三島由紀夫が自決しようとどうでもいいといったポストモダンな小説を書いていた村上春樹が歴史や政治を扱う小説家になったと評されるきっかけとなった作品で、ノモンハン事件を扱っているのだが、同時に妹に対して近親相姦的欲望を抱く兄が登場する話でもある。村上春樹が『少年カフカ』で述べるところによれば、『海辺のカフカ』はオイディプス伝説を基にした部分があるとのことである。ただし、村上春樹は『少年カフカ』で、母親的存在は実際には母親ではないので、交わったところで近親相姦にはならずあくまでメタフォリカルなものにとどまり不自然さはないと述べている。清水良典は『海辺のカフカ』についての解説で、田村カフカが母親かもしれない佐伯とセックスするという表現は、小説内の現実として描かれているわけではなく、深層心理をメタファー化しているわけだと指摘した。清水良典は、父親が死ぬことで物語が動き出す『1Q84』も、潜在的には『海辺のカフカ』に描かれたエディプス的なモチーフを引き継いでいると論じた。東野圭吾の『秘密』は、死んだ妻の魂が娘に宿るという設定なのだが、井上ひさしは設定自体は評価しつつも、内容が近親相姦的なため作者自身がきつい内容に耐え切れずについ常識的な作品に仕上げてしまったように見えると指摘した。皆川博子は、娘としての肉体を持つ妻と夫は性交渉できるのかという内容を、東野圭吾は誠実に冷静に描こうとするわけであるが、これは東野圭吾の作家としての理念に基づくものだと自分は考えていると『秘密』の文庫版解説で評している。川上弘美の『水声』は姉と弟の近親相姦を扱った作品なのだが、文庫版解説を執筆した江國香織は執筆の際に浮かんだ「一般的」という言葉について、そもそも「一般的」とはどういうことなのかと考え込んでしまったと述べている。村田沙耶香の『消滅世界』では夫婦が行う性行為が近親相姦として扱われるが、斎藤環は『消滅世界』のこのアイディアには自身が特別に感動したと語っている。
永田守弘は、官能小説においては近親相姦などの男女関係の要素にフェティシズムなどを組み合わせることで多様なストーリー展開が生み出されていると指摘する。永田守弘は、藤堂慎太郎による著作『ママの美尻』で母親と息子のアナルセックスが扱われていることを例にとり、官能小説の世界では尻フェチが高じてアナルフェチに至る場合もあると論ずる。櫻木充の『僕と義母とランジェリー』では息子との性行為の際の潮吹きや陰核の脈動の描写があるのだが、永田守弘はこのようにエクスタシー表現においては「イク」という台詞にいかなる表現を伴わせるかが重要であると論じた。藍川京は、自らの作品『継母』を引き合いに出し、関係する相手としては継母という設定の方が他人という設定より官能小説向きだし、実際継母との性関係を扱った話は人気もあると述べている。
デーヴィッド・ハーバート・ローレンスは、親子の間には生物学的に性的には惹かれあわないという特徴があると考える。ローレンスは、家族の愛はあくまで基底的なものであり、それが大人同士のような愛に発展するなどということはありえないと論じた。その一方でローレンスは、仮にまったく肉体的なものでなかったとしても強烈な親の愛は子供の性的な中枢を刺激するものであると論じている。ローレンスは、精神的な近親相姦は本能的な嫌悪の対象に比較的なりにくいため肉体的な近親相姦より問題だと述べ、思春期以後の家族は相互にタブーな存在として接触の制限が行われるべきだと主張した。
アナイス・ニンは30歳の時、音楽家であった実の父親ホアキン・ニンとの近親相姦を体験し、そのことを自身の日記に肉体的な性交の描写に留まらず、自身のあらゆる感情について克明に記録し、出版した。エリカ・ジョングは父娘間の性交を扱った自著『ファニー』が映画や舞台になる際、それらを担当した脚本家がその部分をどうしても変えるといって聞かなかったという出来事に触れ、当時の近親相姦のタブーの強さを指摘し、アナイス・ニンはこのタブーを自分の人生によって破り、しかもそのことを書くという今まで誰もやったことがない大胆さを持っていたと述べた。エリカは20世紀が終わるにあたって、アナイス・ニンの革新性は文学の一部となり、女性文学の中で近親相姦を描写することのタブーは破られ、現代の女性作家はニンの世代が夢想したこともない驚くほどの作劇上の自由を手にしていると評価している。アナイス・ニンの愛人だったオットー・ランクはアナイスから彼女と父親との性行為の話を聞いた際、「あなたは人生を神話のように生きようとしている」と評した。ジュディス・ハーマンは、ウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』においては義理の父親が義理の娘に誘惑されるという話が扱われていることを指摘した上で、男性誌で扱われている実話ということにされている話について話の流れが似ていることから『ロリータ』を芸術的に劣化させた話のように感じられてならないと感想を述べている。アメリカにおいては、性的自由の風潮が育ってきたことによるものかどうかは判定するのは難しいが、近親相姦を扱った漫画や映画、書物は増加しているとされ、1921年から1930年の間に封切られた長編映画で近親相姦を含むものは全6606本のうち6本だったのに対し、1961年から1970年の間では全5775本の内79本あった。近親相姦を扱った物語の内容としても、『オイディプス王』に見られるような悲劇のテーマとは異にしてきており、暗い結末を持っておらず、性的束縛に対する全体的な挑戦の一つとして映画や書物の中で気軽に扱われるのが流行してきている。リチャード・ガートナーは、映画においては少年と関係する年上の女性が経験豊富で魅力的な女性として描かれることが多く、『好奇心』のようにこの考えをそのまま母親と息子の関係に当てはめた作品もあると指摘する。
ワーナー・ソラーズは近親相姦と混血が正反対の位置にあるにもかかわらず、奴隷制を持つ社会を舞台としたフィクションでの表象においてはしばしば密接な関係を持って描かれると指摘している。ナサニエル・ホーソーンの母方の4代前の祖先のニコラス・マニングは、自身の二人の妹と性的関係を結んでおり、またホーソン自身も姉のエリザベスと固着的な姉弟関係を持っていた。岩田強はホーソンにとって聡明な姉のエリザベスが常に発達同一化の対象であったと指摘している。また、エリザベスが生涯独身であったことについて触れ、彼女が弟を愛し崇拝していたということ、また弟の結婚相手を憎悪していたということを慮ると、近親相姦的感情の存在は否定しきれないと分析している。テネシー・ウィリアムズは少年時代より唯一の遊び相手だった姉のローズと仲が良かったが、精神を病んだ姉が自身の知らない間にロボトミー手術を受けて廃人となってしまったことで、結婚もせず、生涯償いであるかのように姉の面倒を見ることになった。姉ローズへの思いは、『浄化』『ガラスの動物園』『欲望という名の電車』『二人だけの芝居』といったテネシーの作品の中で登場人物の中に投影されていて、それは時に痛みを伴うものであり、時には近親相姦を思わせるものでもあるという。
トーマス・マンは『選ばれし人』、『エジプトのヨセフ』など近親相姦を扱った作品を執筆しているが、トーマス・マンが育った一家には性的色彩を濃厚に帯びた兄妹愛が存在していたことが長男ハインリヒ・マンの著作などから指摘されている。長男ハインリヒと次女カルラ、次男トーマスと長女ルーラのそれぞれの組み合わせには恋愛感情ないしはそれに近いものが存在していた。また、トーマス・マンが妹カルラに宛てた短編『衣装戸棚』の内容から、トーマス・マンはもう一人の妹である次女カルラにも性的な愛情を向けていた可能性があるという。トーマス・マンは双子の兄妹の近親相姦を扱った『ヴェルズンゲンの血』を書く数か月前にカーチャ・プリングスハイムを妻にしているが、彼女は双子の兄にクラウス・プリングスハイムがおり、トーマス・マンは『ヴェルズンゲンの血』が何らかの出来事の焼き直しであるということを示唆する手紙を書いていた。そのため、『ヴェルズンゲンの血』はプリングスハイム家の双子の兄妹をモデルにしていると話題になった。高山秀三は近親愛は他人よりも自分に近い者への愛としてナルシシズムを原点に持つと述べ、近親愛に関心があったトーマス・マンと三島由紀夫をナルシシズムの観点から共通性が見い出されると論じている。パーシー・ビッシュ・シェリーは、自身の著作『チェンチ家』『レイオンとシスナ』『ロザリンドとヘレン』で近親相姦を扱っているが、「近親相姦は、非常に詩的な題材である。それは、愛情の過度か憎悪の過度かのいずれかである。それは、最高の英雄的な行為の栄光に身を包むもののために、他の総てを無視するものであるか、或いは、利己主義と嫌悪に耽る目的のために、思想の内にある善と悪の観念を混同し、これらを無視する冷笑的な憤怒であるかのいずれかである」と述べている。マルグリット・ユルスナールは文学における近親相姦の歴史を『姉アンナ…』の自作解説で振り返り、父娘や母息子の場合は双方の意志に基づかないものが多く、兄弟姉妹だけには意志的なものが成り立つと主張した。マルグリット・ユルスナールは近親相姦が可能性の状態で人間の感受性の中に偏在していることは神話や伝説、夢想、統計、新聞記事などが充分に証明していると述べた。
民間説話とメルヘン
2004年にATU510Bという分類番号が付けられた、毛皮を被ることで身分を隠すという類話群があるのだが、浜本隆志はこれらの作品では冒頭で近親相姦の素材が扱われる場合が多いと指摘している。例えば、ジャンバティスタ・バジーレの『ペンタメローネ』に収録された「牝熊」では、父親の王に求婚された娘が熊に変身し森に逃げ込むが、王子のキスで変身が解けその王子と結婚するという話で、シャルル・ペローの『ペロー童話集』の『ペンタメローネ』所収の話をフランスの宮廷向けに改変した「ロバの皮」では、父親の王に求婚された娘が、ロバの皮を被り国外に脱出し王子と結婚する話となっている。
浜本隆志は、『グリム童話』の初版の「白雪姫」で実母が娘を殺害しようとするという不自然な内容になっているのは、本当は「白雪姫」も「ロバの皮」の類話群と同じ父と娘の近親相姦を扱うはずの話だったからではないのかと指摘している。『グリム童話』の初版では、父親が実際に娘と結婚する「千匹皮」という作品もあったのだが、読者からの猛抗議で改変する事態になった。『グリム童話』には父親が娘に性的関係を強要しようとして拒まれたため胸と腕を切り落とす「手なし娘」という話も収録される予定だったが、この話を問題視したヴィルヘルム・グリムによって近親相姦的描写は全面カットになってしまった。
漫画とオタク向け産業
中条省平は現在BLと呼ばれるジャンルの一番の源流として、父と息子の近親相姦を扱った竹宮惠子の『風と木の詩』を挙げる。竹宮惠子自身は父と息子の近親相姦を描いたりした『風と木の詩』について、そもそも連載開始を実現するまでが大変だったので、連載開始後に何と悪口が立とうと動じなかったと回想している。内田春菊の『物陰に足拍子』では、仲の悪い兄嫁に兄との近親相姦を疑われる女性が登場するが、この作品は後の『ファザーファッカー』などの自伝的小説に先行した作品であり個人的な題材を取り入れていると中条省平は指摘している。
幾原邦彦はフィクションの世界で兄妹の関係にセクシュアリティが表現されることが多い理由は「血縁の関係は永遠だ」というイリュージョンがあるからだと分析し、そのことを「永遠の恋人の夢」と表現した。仙石寛子は「私にとってNLは微笑ましい(見守る)もの、BLはむらむらする(ひーってうずくまる)もの、GLはにこにこする(拍手で祝福)もの」と解釈し、「姉弟または双子はNL、BL、GLのすべてのときめきを満たしている気もする」と述べている。藤本由香里は、少女漫画における近親相姦というテーマの関心の高さについて、「自分の生まれる前まで遡って自分のルーツを肌で実感したい」という欲求に根差しているのではないかとした。高橋裕子は、少女漫画の近親相姦的兄妹愛は、他者に投影された自己への愛、他から孤立した同族間の愛として理解し得ると分析している。
宇野常寛は、アムロ・レイとシャア・アズナブルが母への拘りを口にしながら死ぬ『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』において富野由悠季が表現した思想を「母性のディストピア」と呼んだ。宇野常寛の言う「母性のディストピア」とは、妻を母と同一視する母子相姦的構造のことを指す。この『逆襲のシャア』へのアンサーとして製作されたのが庵野秀明の『新世紀エヴァンゲリオン』なのであるが、宇野常寛は綾波レイと碇ユイが同一視される『新世紀エヴァンゲリオン』は母子相姦的モチーフは取り入れてはいるが、『逆襲のシャア』にあった母性の毒々しさはなくなってしまっていると指摘した。宮台真司は『シン・ゴジラ』についての評論で、庵野秀明の作品によく見られるのはオイディプス構造だと指摘した。宇野常寛は宮台真司のこの分析を吉本隆明流に読み替えると、政治と文学の再接続のためには夫婦/親子的な対幻想からの脱出が必要とされているのだと主張した。その点、宇野常寛は「日常系」と呼ばれる萌え四コマ漫画において夫婦/親子的な対幻想が排除され、同姓同士の友情に基づく対幻想が強調されている点を評価する。宇野常寛はこの「日常系」の例として『らき☆すた』や『けいおん!』といった京都アニメーションが関係した作品を挙げる。ただ、宇野常寛はこの「日常系」の流れから生まれた山田尚子が監督を務めた『聲の形』については、結局は「母性のディストピア」の構造に緩く絡めとられてしまった作品だとしており、このように無自覚に「母性のディストピア」の構造を反復じているという点では、同じ2016年公開の新海誠が監督を務めた『君の名は。』も同様であると指摘した。
本田透は、空想上の妹が萌えの対象となるという概念が流行したことがあり、漫画作品では吉田基已の『恋風』のように兄と妹が恋愛をすることについてより現実社会に近づけて描く作品も出現したが、結局この概念が衰退してしまったのはインセスト・タブーのある現実に影響を及ぼすような概念ではなかったからではないかと推測している。本田透は、義理の兄と妹の恋愛を扱った1980年代のあだち充の『みゆき』と異なり、1990年代発祥の『シスター・プリンセス』は兄と妹を扱っているといってもそもそも男女関係を扱った作品ではないし、『シスター・プリンセス』の小説版は妹視点で描かれていることから、自らの内面に潜む女性性すなわちアニマへの欲求が高まっているのではないかと論じ、この傾向は擬似姉妹の姿を描いた今野緒雪の『マリア様がみてる』ではより鮮明に表れていると主張している。
日垣隆によれば、萌えが話題になっていたころ、子供がいない今は軽い気持ちで扱っているが、将来父親になったときどうすればいいのかと危惧する声が業界関係者から上がっていたという。山脇由貴子は、姉妹に実際に恋愛感情を抱いている人もいるが、この現象は兄弟姉妹間の恋愛を扱った漫画や映画が流行したことが背景にあると主張する。槇村さとるは父親に性的虐待を受けた記憶に向かい合いながら作品を生み出していったことを『イマジン・ノート』に記している。橘ジュンは『透明なゆりかご』の作者である沖田×華をタブーにひるまず凄い作品を描くと評価するが、沖田×華本人は設定は多少変えているんだけれども義理の父親による実際の性虐待を描くのは大変だったと述べている。ちなみに沖田×華自身も酔っ払った父親に体を触られることはあったというが、酒のせいで父親はそのことを覚えていないと述べている。
畑健二郎は自らの作品である『ハヤテのごとく!』について、もともとは綾崎マリアとその異母弟のハヤテの恋愛を描くつもりで始めたのだが、連載が続いたため姉弟という設定自体がなくなってしまった作品なのだと述べている。井中だちまは自らの作品である『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?』について、この作品におけるメインヒロインである母親は一方的に愛を与える存在のため、母親なんか嫁にできないという一般的な読者にも受け入れやすくしたつもりなのだが、それでもライトノベルにおけるヒロインは愛される存在を目標とするという固定観念があるせいか、担当からはかなり先鋭的な作品との評価をもらったという。
成人向け映像作品
熟女を扱ったアダルトビデオにおいては、継母と継息子の性的関係を題材にしたものも少なからずあるが、酒井順子は『源氏物語』においては光源氏とその継母あるいはそれに相当する関係の女性である藤壺の性的関係が描かれることと比較して、人間の感性というものは千年が経過しても変わらないものだと論じている。藤木TDCによれば、かつては実の母親と息子の性関係を描きたくても、日本ビデオ倫理協会の都合でそのような表現ができなかったため、致し方なく実母という設定を継母に変えていた場合があったという。また、そもそもこういった母親を扱った作品が商業的に成功を収めたのは、日本では男性が中性的になってきているからという見方が正しいような気がすると藤木TDCは語っている。森林原人は、かつて男優を始めて4年ぐらい経ったころに、好きな女性ができたことでインポテンツ気味になり男優を辞めたのだが、その際最近の若者はちゃんとした絡みができないので母親役に対する息子役がいなくなって監督達が困るので、嫌な現場には出なくてもいいから続けるべきと男優仲間に慰留され、交際相手からも必要とされている人がこれだけいるんだからということで引き止められ復帰したという。湯山玲子は、自分と同世代の女性の息子たちがセックスにいい印象を持っていないのは、インターネットにアダルト映像が氾濫したためと、息子がまるで母親の恋人のようになってしまったための二つの要素が重なり合ったためではないかと論じた
西澤哲は、アダルトビデオを視聴しているうちに父方の叔父に性的虐待をされたことを思い出したという女性の逸話を紹介する。永沢光雄が行ったインタビューの中には、養父と養娘の性関係を題材にした内田春菊の小説『ファザーファッカー』について、読んでみて興味深かったものの自分と重ねあわせて嫌な気分にもなったと語るAV女優の話もある。代々木忠の回想によれば、アダルトビデオの面接で親あるいは身近にいる大人に性的虐待や暴力を受けたという女性が増えたのは団塊ジュニア世代からだったという。代々木忠は、退行催眠を性的なトラウマを持つ女性にかけた上で、安心できる環境下において父親役の男優と性行為をさせてみたりしたこともあったという。代々木忠が催眠術で父親による性的虐待のトラウマを上書きするという話について、父親役を務めたという森林原人は正直演技なんじゃないかと疑ってしまうところもあるとしつつも、演技の学習をしていなのにあのような行動が可能かというと難しいんじゃないかと思ってしまうという。
アケミンの『うちの娘はAV女優です』(2017年)には、小学6年のときに父親に膣内射精をされたことがあるのだが、近親相姦を扱った作品に出るまでそのことを近親相姦だと思ったことはなかったという女性の話が載せられている。アケミンは、この父と娘の性的行為の話についてはウェブサイトで連載したときは虐待なのではないかと反応されたとしつつも、当事者がそのことを不幸だと思っていないということは重視されるべきだと主張している。
美術
近親相姦は16世紀頃に入ってから多く描かれるようになり、旧約聖書のロトと娘の近親相姦はアルブレヒト・アルトドルファーなどによって盛んに描かれた。ロトとその娘達の話に関しては、ヘンドリック・ホルツィウスのようにその話を説明する内容の絵画もあれば、フランチェスコ・フリーニのように父親に迫る場面そのものを描いた作品もある。19世紀に描かれたギュスターヴ・クールベの作品は、ロトの目元と娘の目元がよく似ており、見る者に父と娘であることを教える構成となっている。
望月麻美子と三浦たまみによる著書『名画が描く 罪深き旧約聖書』によれば、ハムが実の父親であるノアの裸を見たという話は、息子のハムがノアに対して性的暴行を行ったことを意味するという説があり、グイド・カニャッチの『泥酔するノア』(1645年)が妙にエロティックなのはこの解釈に基づいているからなのではないかと指摘されている。
ギリシャ神話でも、双子の兄であるカウノスに恋をして、叶わぬ想いに絶望して涙を流し続け、泉の妖精と化してしまったビュブリスがウィリアム・アドルフ・ブグローによって描かれている。
喜多川歌麿は兄妹・姉弟の近親相姦の絵画を複数描いており、『絵本笑上戸』の書入れには「兄さんが、妹のぼゞをするに、誰がなんというものだ」と書かれている。『會本都功密那倍』では姉弟の行為が描かれている他、『會本色能知功佐』では、兄が「さすがは、俺が妹ほどあつて、まらには巧者なものださ」と言っており、双方共にあまり罪の意識が感じ取れない。いとこ同士は鴨の味だが、兄妹では家鴨の味であり、さらに格別であるという表現がいくつかの作品で共通して見られる。また、姉の情事を脇見しながら男根を握り締める弟の絵など、直接的な性行為を描かずとも血族間の性愛的な関係を描いた春画もある。
喜多川歌麿以外では、勝川春章作画かといわれる『腹受想』でも姉弟の性行為が描かれる他、渓斎英泉の『美多礼嘉見』では母親の乳首を弄りながら男根を勃起させている子供の絵が描かれている。
19世紀から20世紀にかけて活動した画家エゴン・シーレは、妹のゲルトルーデを日頃から裸婦画のモデルとしてよく使い、裸でポーズをとってもらって『腕を組む裸の少女』(1910)、『右腕を挙げて座る裸の女』(1910)などの作品を描いた。これらの作品は近親相姦の空想であるともいわれる。シーレとゲルトルーデは両親から見ても非常に親しい関係であり、性的に関係していると思われることもあった。シーレの妹への愛情は後年になっても変わることはなく、シーレは後にゲルトルーデと結婚したアントン・ペシュカに対して嫉妬している。
ギャラリー
ヤン・ブリューゲル 『ロトとその娘たち』アルテ・ピナコテーク所蔵
ギュスターヴ・クールベ 『ロトとその娘たち』個人蔵
フェデリコ・セルベーリ 『ロトとその娘たち』
ヨアヒム・ウテワール 『ロトとその娘たち』エルミタージュ美術館所蔵
ヘンドリック・ホルツィウス 『ユーピテルとユーノー』アムステルダム国立美術館所蔵
音楽
後世では歌謡というと芸術といわれるが、かつては性的な意味合いがあったことがあり、笛吹きといわれたプトレマイオス12世の娘であるクレオパトラが、「父を愛する者」を意味する「フィロパトル」と言われたのも、父親と近親相姦関係にあったからなのかもしれないとフィリップ・ファンデンベルクは論じている。ロックバンドであるドアーズの『ジ・エンド』のように、オイディプスの話を楽曲化した作品もある。
ジュゼッペ・ヴェルディ作曲の『ドン・カルロ』では、息子のドン・カルロス(イタリア語ではドン・カルロ)が妻のイサベルと性的関係を結んでいるのではと疑うフェリペ2世の姿が描かれる。カルロスがイサベルと恋人同士だったなどというのはサン=レアルの歴史小説『ドン・カルロス』の中の架空の話であり、本当はフェリペ2世とイサベルの中は悪くなかったのだが、カルロスとイサベルはもともと婚約者で宮廷でも仲が悪くなかったことからこのような話が生まれたのではないかと、加藤浩子は論じている。
戦後の日本においては兄妹の性的な愛情について唄った唄が複数聴かれるようになり、山崎ハコの『きょうだい心中』、小川節子の『紅花物語』はレコードになっている。久世光彦は昭和29年の春に高円寺の呑み屋で兄妹相姦の唄を聴いたという自らの体験を明かしている。
ジャン・シベリウスはフィンランドの民族叙事詩『カレワラ』の一部を構成するクレルヴォ神話を題材にした楽曲『クレルヴォ交響曲』において、クレルヴォ神話で描かれる兄妹の近親相姦の場面をとらえた第三楽章<クレルヴォとその妹>を全体の中枢に置いて構成しているという指摘がある。この理由について、シベリウスは当時エミール・ゾラをはじめとするリアリズムの芸術動向に影響を受けていたことから、ロマンティックに脚色、美化された英雄像を退けてその真実の姿に迫ろうとしたからこそ『クレルヴォ交響曲』の創作に際し近親相姦を主たる題材に選んだのだという。当時、クレルヴォ神話の兄妹性愛を描いた芸術作品には他にルイス・スパレの水彩画『そりの上のクレルヴォとその妹』がある。
歴史
先史時代
2010年にロシアのシベリアで出土した5万年前のネアンデルタール人女性の骨から採取したDNAを解析した結果、両親は近親者同士であることが判明した。半血兄弟または叔父と姪などの関係であると見られ、当時の人類は集団が小さいため近親での交配が一般的であったことが指摘された。ネアンデルタール人はアフリカにいた人類と混血し、ヨーロッパ人や東アジア人などの先祖になったとされるが、彼らのネアンデルタール人由来と見られるDNAは弱い負の自然淘汰を受け続けているとされる。アダム・ラザフォードは、ネアンデルタール人の繁殖集団が小規模だったのが、自然淘汰上今でも不利に働いているのではないかと指摘している。
ルイス・ヘンリー・モルガンは、北米先住民のイロコイ族やオジブワ族が、父と父の兄弟、母と母の姉妹、兄弟姉妹の子供は全て自分の子供と同じ親族名称で呼んでいることから、本人が兄弟たちの妻や自分の姉妹たちとの間に子をつくっても自分の子供と区別がつかない、として、原始乱婚制、つまり兄妹姉弟間に近親相姦があった、という仮説を立てたが、批判も浴びた。
古代 - 1000年
カムチャツカ人王室、またシャム・ポリネシア・インドシナでは一般的に兄妹姉弟間の結婚が認められていた。バギルミー、ビルマの王家、ワンゴロ人やゴアムにおいても兄妹婚は珍しくなかった。インドネシアのバドウィス族は数百年来近親相姦のみによって存続している。
王家の兄妹婚は、タイ、エラム王国、セイロン島のシンハレーズ族、フェニキア人、カリア人、ヨーロッパのジョルジァ、イベリア人、アフリカのカナリア諸島のガウンチ族、ウルア族、オロモ人、バガンダ王国、バニョロ王国、バヒマ王国、メロエ王国、モノモタバ王国、オセアニアのマルケサス、コロンビアでも行われていた。
小アジアにあったポントス王国の国王ミトリダテス6世エウパトルは妹のラオディケを妻とした。
アルメニア王国ではアルタクシアス朝のティグラネス四世は妹のエラトーと結婚した。近親婚はアルメニア人の間で根強く広まっていたようで、アルメニア使徒教会(合性論派キリスト教)が普及した後も変わらなかった。
エフタルの祭司階級がエフタル滅亡後にインド西北部に土着した集団といわれる「ガンダーラ・ブラーフマナ」は兄弟姉妹間で性交する習慣があったという。 タタール人は自分の娘と結婚ができ、アッシリア人はセミラミスに対する宗教的尊敬から自分の母親と結婚した。
カンボジア地域の上層階級において父と娘、兄と妹が結婚する慣行があることが指摘されており、ギリシアの作家達は一般的にほとんど全ての外国民族にこの慣行があったと述べている。アテネで、テミストクレスの娘の一人はその同血の兄と結婚している。
父親を同じくする兄妹・姉弟間の結婚は、アラビア人、イスラム教を奉ずる南方スラブ人の間に見出される。
カール大帝は妹と近親相姦の関係にあり、勇将ローランはカール大帝と妹の近親相姦で生まれたという伝説が中世において流布した。カール大帝にはギスラという妹がおり、カール大帝は妹を母と同様に深い愛情を込めて尊敬した。また、カール大帝には6人の娘がいたが、彼は娘を寵愛し、娘を一人も自国民にも多民族にも嫁にやろうとはせず、自分が死ぬまで家に留めて一緒に暮らした。近親相姦はフランク族の間に広く行きわたっていた習慣だった。
アケメネス朝ペルシアの王カンビュセス2世、両親を同じくする妹である下の妹ロクサーナと上の妹アトッサと結婚した。最近親婚(フヴァエトヴァダタ)を善行とするゾロアスター教において、この結婚は現在確認できる最初の王家による最近親婚であった。ササン朝のカワード1世は娘と一緒になった。
スメリヤ王家では兄妹・姉弟間の結婚が行われていた。
アラビア湾岸地帯では母親と交わる慣習が存在した。マーシャル諸島や古代アイルランドでは兄弟姉妹間の結婚、ソロモン諸島では父娘間の結婚が認められている。
エジプト
古代エジプトでは、皇位継承権は第一皇女にあったが、実質的な君主(ファラオ)は第一皇女の夫であり、古代エジプトの王家で見られた兄妹・姉弟間の婚姻は、本来女系皇族が継承する皇位を、男系皇族が実質的に継承する機能を果たしていたという説がある。例えば、クフの息子であるジェドエフラーは、兄のカワブの死後、その妻でクフの娘のヘテプヘレス2世と結婚し君主になったとされる。
ただし、大城道則によれば2013年時点では王の娘に王位継承権があるとか言うのはもはや過去の説だとのことである。ヘロドトスは著書『歴史』において、信憑性はないとしつつもメンカウラーの娘が父親との性的関係を苦にして自殺したという話を載せる。また、ラムセス2世のように妻であるネフェルタリが死んでしまったため、彼女との間にできた娘であるメリトアメンを妻として寵愛した例もある。古代エジプト最後のファラオであるクレオパトラも、弟のプトレマイオス13世と結婚して殺した後、さらにその下の弟のプトレマイオス14世と結婚している。
エジプトにおいては上の階級だけではなく、下の階級もこれに倣ったので、あらゆる階級の人々の間で近親婚が行われていた。全体の内訳としては、ローマ期エジプトの時点で121組の夫婦の内、20組が全血の兄妹婚、4組が半血の兄妹婚、2組がいとこ婚、95組が非血縁者婚だった。ローマ期エジプトには、8人の子が生存している多産な兄妹夫婦もいたことが判明している。また、山内昶 (1996) は2世紀のエジプトの話として記録された婚姻の20%(113例中23例)がキョウダイ婚とされる事実を引用する。
イスラエル・ユダヤ
ダビデ王の王子アブサロムの妹タマルを異母兄アムノンが犯してしまう(旧約聖書サムエル記下13章)。ヘブライでは、異母兄妹同士の結婚は許されており、ネルデケは妹のことを花嫁と呼ぶ恋愛詩を紹介している。
古代ユダヤの王族アグリッパ2世とベレニケの兄妹はほとんどの時間を宮殿の中で一緒に過ごした。血を分けた兄妹が常に一緒であることから、近親相姦の関係にあったとされている。
また、イエス・キリストを裏切ったユダには、オイディプスそっくりの伝説が存在していたことをオットー・ランクは指摘する。無論事実ではないが、母と寝たために父殺しの運命を背負ったという考えから生まれた風説である。
ローマ帝国
古代ローマ帝国の皇帝カリグラは、自身の妹であるユリア・ドルシッラ、小アグリッピナ、ユリア・リウィッラ全員と性的関係を持っていたという。中でもカリグラは二番目の妹で、自身が処女を奪ったドルシッラを熱烈に愛し、彼が病気の時にはドルシッラを財産と統治権の相続人に指名した。ドルシッラが亡くなると、カリグラは国喪を布告し、以後宣誓する時は常にドルシッラに誓って宣誓するようになった。カリグラの妹達の一人とされる小アグリッピナは叔父であるクラウディウスと後に結婚しており、息子ネロとの関係もかなりの噂となった。ネロに関しては、アグリッピナの代わりにとアグリッピナに似た売春婦を愛人としたという話もある。
中国
中国では、春秋時代の斉の襄公とその異母妹文姜の事例がある。徐送迎 (2001) は、兄妹の性関係について父権制社会においては夫を持ちながら兄と通じることになりかねないため嫌われたものの、母系制社会においては特に嫌う理由がなく残存していたのではと考え、春秋時代の斉で長女が嫁に行かず家を守るという風習は母系制社会の影響があるのではないかと指摘し、君主の襄公が異母妹である文姜と通じたという話は、単に古代中国が東夷と呼んでいた民族において兄妹での性関係が垣間見られたため地元に土着した君主がその風習に合わせただけだろうと指摘している。
南朝宋の孝武帝は母親の路恵男と近親相姦関係にあったという噂がある。東道定雄は、孝武帝の母親との近親相姦疑惑の真偽は分からないとしながらも、噂の出所は孝武帝の母親が孝武帝と顕陽殿で一緒にいることに嫉妬した后妃だろうと推測している。
『資治通鑑』には、賀蘭敏之が祖母の楊氏(武則天の母)と近親相姦関係にあったという話があるが、まず事実だとは考えられてはいない。
朝鮮半島
朝鮮半島にあった新羅においても、王族同士の婚姻で生まれた子供は聖骨(ソンゴル)として尊ばれたこともあり、親族結婚によって生まれた子供が王位に就くことはざらにあった。傍系三親等血族同士で生まれた子供が王になった例としては、葛文王立宗と姪である只召夫人の間に生まれた第24代国王真興王や、銅輪(真興王の息子)とオバである万呼夫人の間に生まれた第26代国王真平王が挙げられる。
『高麗史節要』によれば、高麗では同姓の相手と結婚するのに母方の姓を名乗らせ形式的に異なる姓であるかのように装うことが行われていたという。
日本
日本国初代天皇神武天皇の即位前の時代は神代とされるため神話扱いされているが、鸕鶿草葺不合尊とその母の豊玉毘売の妹(つまり叔母)である玉依毘売との間に神武天皇は生まれたとされている。ただし古代に異世代は考えられず、他氏族との世代数との乖離もあるため、実際には鸕鶿草葺不合尊と神武天皇は異母兄弟で、記紀の系譜は原典が改変されたものであるとする論もある。欠史八代の実在性には疑問が投げかけられているものの、孝安天皇は姪である押媛との間に孝霊天皇をもうけている。記録上は皇族の義理の母子結婚も存在しており、孝霊天皇の息子の孝元天皇の妻の伊香色謎命は、孝元天皇の息子である開化天皇に嫁ぎ崇神天皇を産んでいる。大塚ひかりは、孝元天皇の妻と結婚したということは、開化天皇は孝元天皇の後継者とほとんど目されていなかったか、あるいは本当は親子でなかったかであると推測されるとしている。伝説性が強い人物ではあるが、ヤマトタケルはオバである両道入姫命との間に仲哀天皇をもうけている。仁徳天皇は異母妹である八田皇女と宇遅之若郎女を妻としている。
また、『古事記』には景行天皇が玄孫である迦具漏比売命(ヤマトタケルの曾孫)を妻とし、子供であり来孫でもある存在の大江王をもうけたという内容があり、記録上の年代を無視して子孫が20歳で結婚し子供をもうけ続けたと仮定した場合、100歳まで生きることができれば理論上は可能なのだが、現実的にこのような関係が成立するとは考えにくく、これについて『古事記伝』は伝記の混乱によるものだとしている。
なお、古代日本では同母兄妹(または姉弟)の間の性関係はタブーであったとされる。有名なものでは木梨軽皇子と軽大娘皇女が挙げられる(詳しくは「衣通姫伝説」の項を参照)。しかし、異母の場合およびおじ=姪・おば=甥の関係はかなり普通にあり、むしろ理想の結婚と考えられていたようである。
また、記紀には、木梨軽皇子・長田大娘皇女・境黒彦皇子・安康天皇・軽大娘皇女・八釣白彦皇子・雄略天皇・橘大娘皇女・酒見娘皇女が同父母兄弟姉妹であるという記載があるのだが、『古事記』によれば、安康天皇が臣下の嘘の証言を信じ、大草香皇子を殺しその妻であった長田大娘皇女を妻としたとされているため、これは姉弟姦なのではという意見もある。ただし『日本書紀』の雄略紀では安康天皇の妻は履中天皇の皇女である中磯皇女とし、亦の名は長田大娘皇女と註を付けるという言い方をしている。この場合はいとこ婚となる。一方で『日本書紀』では木梨軽皇子と軽大娘皇女のロマンティックな絡みは見られず、人間的に木梨軽皇子寄りの記述が『古事記』ほどうかがえないのも特徴的である。この部分は記紀の記述が異なっている有名な事例の一つである。このため、山上伊豆母は記紀に書かれた記述はあくまでも記紀編纂者の観念の反映であり、それよりも200年も前の木梨軽皇子の時代にも同じ倫理観(同母兄妹(または姉弟)の間の性関係に対する禁忌)が存在していたとする確証はないとしている。なお、安康天皇は後に長田大娘皇女の連れ子である眉輪王に暗殺され、弟の雄略天皇が即位する。雄略天皇はオバである草香幡梭姫皇女を妻とするが彼らの間に子供は産まれなかった。
記紀に記述されている兄の狭穂彦王に「お前は夫と兄のどちらが愛しいか」と尋ねられ「兄が愛しい」と答えた狭穂姫命の説話は、兄との血の結び付きの方が夫婦の契りよりも強かったということを表した話であるが、兄の中大兄皇子(天智天皇)の跡を追って夫である孝徳天皇を残して難波京を去った間人皇女や、斎宮である姉を訪ねた大津皇子のような例もあり、古代においては夫婦の契りを超える兄妹姉弟の関係、血の絆があった。夫婦以上に強い兄妹の関係は考古学の研究からも明らかにされており、弥生時代終末期から5世紀代までの古墳時代前半期の被葬者は同世代の血縁者だけで構成されるのが基本で、血縁関係にない配偶者は6世紀まで同じ墓に葬られなかった。生前では同世代の男女であったと考えられる場合でも歯冠計測値等による分析を行うと、被葬者間は兄妹や姉弟等血縁関係にあるという結果が得られる。これらの被葬者は兄、妹いずれの配偶者も共に葬られておらず、骨盤の寛骨前耳状溝から経産婦と推定される女性もきょうだいと共に葬られている。このことは統治・経営が男女のきょうだいで共同して行われた可能性を示しており、卑弥呼と弟で共同統治を行ったという魏志倭人伝の記述との一致が指摘されている。
また、狭穂彦王と狭穂姫命による叛乱の説話における「もしこの御子を、天皇の御子と思ほしめさば、治めたまふべし」という記述から、狭穂姫命が「この子は天皇の子である」と言わずに「この子が天皇の子と思うなら」という回りくどい言い方をしたのは不自然だとして、狭穂姫命の子である誉津別命は夫の垂仁天皇との子ではなく、実兄の狭穂毘古との子であるという説がある。
この頃は一般的な日本人にも近親婚がみられたことが、『日本書紀』の第15巻の仁賢天皇6年の、国策で夫が高句麗に送られることを嘆く難波(現在の大阪)での女性の逸話に見られる。その記録によれば、その女性の母と母方の祖父は既に死去してはいるのだが、彼女の夫は彼女の父と彼女の母方の祖母との間に生まれた息子であるため、彼女にとって夫は母方の叔父でありかつ異母兄弟なのだということを伝えている。
さらに、『古事記』によると用明天皇の皇子である田目(多米)皇子の母親は「オオキタシヒメ(意富芸多志比売)」となっており、名前を素直に解釈すると用明天皇の母親の「キタシヒメ(堅塩媛)」の姉ということになり、皇子は伯母と甥の結婚で生まれた子供ということことになる。ただ、池澤夏樹は「意富芸多志比売」なる名前について、このような続柄の人物同士が結婚するとは考えられないとして、誤伝の可能性を指摘している。
聖徳太子は欽明天皇の息子である用明天皇と娘である穴穂部間人皇女の間から生まれたと「記紀」共に認めているのだが、聖人として認められている。また、『日本書紀』によると用明天皇の母の堅塩媛は、穴穂部間人皇女の母の小姉君の同母姉にあたり、蘇我稲目の娘であると記す。つまり兄妹であり従兄妹であったということになる。しかしながら、一方で『古事記』は、小姉君を堅塩媛のオバと記している。これについて『捜聖記』(中山市朗と木原浩勝による共著本)においては、堅塩媛が「媛」なのに対し、小姉君が「君」であることから、小姉君は稲目の養女なのではないかと推測しているが、これは推測の域を出ない。なお、聖徳太子の母である穴穂部間人皇女は用明天皇の没後、その皇子である田目皇子と結婚している(『上宮記』による)。これは今で言うところの義理の母子結婚に当たるし、田目皇子は異母兄の子であるため叔母と甥の結婚でもある。豊田有恒は、田目皇子と穴穂部間人皇女の関係は近親相姦ではないとしつつも、聖徳太子からしてみれば耐えられたものではないだろうと論じている。
欽明天皇は姪の石姫皇女との間に敏達天皇をもうけ、敏達天皇は異母妹である推古天皇との間に竹田皇子をもうけるも、竹田皇子は皇位に就くことなく亡くなってしまう。聖徳太子と推古天皇の死後は、舒明天皇が即位するが、舒明天皇の両親である押坂彦人大兄皇子と糠手姫皇女は敏達天皇の腹違いの息子と娘で異母兄妹とされている。舒明天皇は姪である寶女王(後の皇極天皇)を妻とし中大兄皇子(後の天智天皇)・間人皇女・大海人皇子(後の天武天皇)をもうけたとされる。
大化の改新が起こり、孝徳天皇は姪の間人皇女を妻とするが、『万葉集』に孝徳天皇が間人皇女に宛てたとする歌の中に、間人と同母兄である中大兄皇子との不倫を示唆しているとも解釈できる歌が収録されている。中西進の『天智伝』は、中大兄皇子が間人皇女のことを女性として見ていたという解釈に基づき書かれている。直接的な証拠はないが、このことで批判されたため中大兄皇子は天皇位になかなか就けなかったのではないかとも言われている。入江曜子は、そもそも間人皇女が皇極天皇によって孝徳天皇と結婚させられたのも、中大兄皇子との恋愛問題が原因だったのではないかと推測する。
同時期、大海人皇子は鸕野讚良皇女(後の持統天皇)及び3人の天智天皇の娘、すなわち姪を妻にしているほか、阿閇皇女(後の元明天皇)は甥の草壁皇子の妻となっている。他にも異母近親婚、おじ・おばとの近親婚の例は多い。
また、葛城王(後の橘諸兄)の妻の藤原多比能は異父妹とされ、事実ならば同母の兄弟姉妹でも場合によってはタブー視されていなかった可能性もある。
信憑性に問題はあるものの『水鏡』には井上内親王が藤原百川の推薦で、光仁天皇の息子、すなわち自分の義理の息子である山部親王時代の桓武天皇と性的関係を結んだという話が乗せられている。この件があったため、光仁天皇は山部親王を皇太子にすべきだという藤原百川の提案を受け入れるのを渋ったのだと『水鏡』はしている。
平安時代初期にも異母近親婚は行われる。桓武天皇は異母妹の酒人内親王を妃にした。ただ、これは当時緊張感が漂っていた朝廷を鎮めるための政略結婚だったと言われる。桓武天皇は父の光仁天皇の妾の高野新笠(『続日本紀』によると朝鮮半島の亡国百済の王族の子孫)の息子であるのに対し、酒人内親王の母の井上内親王は聖武天皇の子であるため、妹とあえて結婚することで天皇としての正当性を高めようとした、という説である。彼らの間には朝原内親王が生まれたが、彼女も異母兄平城天皇の妃となった。
また、桓武天皇の息子である嵯峨天皇も異母妹である高津内親王を妻にはしたのだが、皇后には橘嘉智子が選ばれ後の仁明天皇を産むことになる。橘嘉智子は橘諸兄と藤原多比能の夫婦の息子である橘奈良麻呂の孫娘に当たる存在である。また、同じく桓武天皇の息子である淳和天皇も異母妹である高志内親王を妻としているが、彼らの息子である恒世親王は父親の存命中に亡くなってしまった。
11世紀 - 19世紀
金の首都を中都(のちの北京)に移した海陵王は、兄嫁だった阿里虎と性的関係を持った後、その娘で自身にとっては姪である重節とも性的関係を持ち、この件が一因となって一般の人民感情とは関係なく「獣性狂」などという不名誉な呼称で語られる羽目になった。
『高麗史節要』によれば、忠恵王は庶母で寿妃の権氏と通じ、父の妻で元から来た慶華公主を無理矢理に犯したとされる。
インカ帝国においては、インカ王家の始祖であるマンコ・カパックの婚姻形式を模倣し、皇族の純血性を守ろうとする考えから近親婚が行われ続けた。マンコ・カパックは、財産相続を巡る争いを防止し、神の子孫である一族の血の純潔を保つため王位継承者は常に一番年長の姉妹と結婚するようにとの命令を下した。だが、14代に亘り兄弟姉妹婚が繰り返されたにもかかわらず、健康上問題は起こらなかった。
ハワイでは王家にのみ許される特権として近親婚が容認されるだけではなく、奨励されており、カメハメハ3世は実の妹ナヒエナエナ王妃と通じていた 。古代ハワイの最も位が高い族長が姉か妹と結婚して産まれた息子は高貴な存在と見なされ、その前では誰もがひれ伏さなければならなかった。族長が腹違いの姉か妹と結婚して産まれた息子の場合は威光はさほどでもなく、その前では座るだけでよかった。ハワイにおける兄妹・姉弟間の婚姻はピオ婚と呼ばれている。ニューギニアのキワイ族は父娘間の結婚が認められ、マレー群島やミナハッサ地方では親子、兄妹・姉弟の結婚が行われた。
西アフリカのダホメの王家では兄妹・姉弟間での結婚、ムブティ族では母と息子間での結婚が行われていた。
アザンデ族では貴紳家族などで近親相姦が歓迎される傾向が存在し、ドブ族では父親が死んだ場合は母親と息子の間での近親相姦がそれほど珍しいものではなかった。トンガでは力量を持ったハンターが大きな狩猟の準備の際に自分の娘と性交渉を持つことがあった。マダガスカルでは主長や王は、姉妹と結婚することができる。マダガスカルのアンタムバホアカ族は、兄妹・姉弟の結婚は幸福の基であると信じる。
日本
平安時代に藤原氏のように天皇家と近づこうとした貴族が現れたことで、天皇家と藤原氏の二氏族の近親相姦のような状況が作り出されていた。藤原道長の時代に藤原氏による摂関政治は頂点に達し、後一条天皇は叔母の藤原威子を、後朱雀天皇は叔母の藤原嬉子を妻としている。このため、父系を共有する父母から生まれた皇子が天皇位に就くことは非常に困難となっていた。
だが、藤原嬉子は親仁親王(後の後冷泉天皇)を産んだ直後に亡くなり、後朱雀天皇の母方のいとこであると同時に父方のはとこ・亡妻の姪でもある禎子内親王が妻として迎えられた。後冷泉天皇は、父方及び母方の従妹の章子内親王、母方の従姉の藤原歓子、母方の従妹の藤原寛子を妻としたが、結局は没した際に直系の跡継ぎが存在しなかったため、後朱雀天皇と禎子内親王との間に生まれた後三条天皇が即位し、藤原氏の影響力は弱まった。
鳥羽上皇の愛人とされる藤原家成の甥の藤原忠雅は藤原頼長と男色の関係にあったとされるが、橋本治は藤原家成と藤原忠雅も性的関係を結んでいたのではないかと推測する。安徳天皇は表向きは高倉天皇と従姉の平徳子との子供とされる。一方で、平宗盛は妹の平徳子と性的関係にあり、安徳天皇は宗盛と徳子の間に出来た子だという話もある。
時代が下るにつれて近親相姦の禁忌視は強くなっていく。鎌倉時代には、後深草天皇が義理の姉である西園寺公子(血縁上の叔母)を中宮にしたが、父後嵯峨上皇に情緒不安定を理由に廃された。これにより弟の亀山天皇が即位した後、後深草天皇の系統の持明院統と亀山天皇の系統の大覚寺統との間で皇位継承に関する争いが起き、最終的に南北朝時代に突入することとなった。ちなみに『とはずがたり』には後深草上皇が異母妹の愷子内親王の下に通ったという記載もあり、逢い引きを手伝った後深草院二条は、妹が全く抵抗せず兄を迎え入れたので抵抗する展開を期待していた彼女としては期待外れで全然面白くなかったと感想を書いている。『増鏡』には、亀山院が異母妹の懌子内親王を妊娠させ、生まれた子供が世間体が悪いということで亀山院の乳母に預けられたという話が載せられている。
乃至政彦は、足利義満が弟といわれる六角満高と男色関係にあったという話が成り立ってしまうことについて、おそらくこれは徳川家光によって制度化された小姓の起源が足利義満とされることからこじつけられたもので、足利義満が六角満高を寵愛したのは単位政治的な理由だろうと推測している。
「彼の法」集団(俗に言う立川流)がインセストを容認したという事実は認められないが、過激な性思想が著名となったことで、後世になって大衆小説でまるでインセストを容認しているようなイメージがまとわりついた。
1779年に後桃園天皇が突如崩御したが、この際に男系の後継者がいなかったことから、親戚の兼仁親王が後桃園天皇の養子に迎えられ光格天皇となった。その後、光格天皇の中宮に後桃園天皇の皇女の欣子内親王が迎えられたが、これは義理の兄妹婚に当たる。なお、血族で見た場合は傍系八親等同士の親族婚である。
江戸時代中期の医師・思想家の安藤昌益は、同じ両親から産まれた兄妹が性的に結ばれ夫婦になることは、普通のことであり、人道であると述べている。
作家武林無想庵は実妹を犯したことがあるとされる。その後、無想庵の妹はカトリックの修道女となった。明治の初めごろ、大阪府の河内や和泉で伯父と姪の結婚がおりおりあって、それをサシアタリと呼んでいた。岩手県などの東北地方でも伯父と姪の夫婦の実例が見られ、盛岡市付近では、実の父と娘の性関係をイモノコと呼んでいる。
ヨーロッパ
ヨーロッパの大貴族であったハプスブルク家は血縁が近い者同士でしばしば結婚を行っていたが、病弱な子供が生まれたりもしていた。スペイン王フェリペ2世は姪のアナ・デ・アウストリアを、フェリペ4世は姪のマリアナ・デ・アウストリアを妻にしている。スペイン・ハプスブルク朝は17世紀にカルロス2世で断絶し、スペイン王家は女系でのつながりからスペイン・ブルボン朝に交代したが、19世紀になってもフェルナンド7世は姪のマリア・クリスティーナ・デ・ボルボンを妻にし、後の女王イサベル2世をもうけたりしている。
ローマ法王アレクサンデル6世の娘ルクレツィア・ボルジアは兄チェーザレ・ボルジアや父と近親相姦を行っていたという話を流されたりした。ルクレツィアのものであるとして流布された肖像画が黒百合の風情によく似ていることからこの話は広まったとも言われている。また、アレクサンデル6世は法王教書の中で自分が自分の娘の子供の父だと述べた。ローマ法王では他にヨハネス12世が妹や母マロツィアと近親相姦を行ったとされた他、法王バルサザル・コーサは1414年に近親相姦を行ったことを告白した。法王ヨハネス13世も近親相姦を行ったという。ピエール・ゲラン・ド・タンサン枢機卿は、自身の姉妹の乳房を好んで愛撫し、彼女を愛人にした。スービーズ枢機卿は姉妹マルサンの乳房にあらゆる意味で夢中になった。シクストゥス4世は、姉妹3人の処女を奪い、姉には2人の娘を産ませた。後にその娘達も彼の相手となった。同じように姉妹と性交し、産ませた娘とも関係を持った者はパウルス3世がいる。
中世ヨーロッパではこういったことで訴えられる例が多く、全くの無実とみられる場合も少なくなかった。有名な例として、イングランド王ヘンリー8世がアン・ブーリンと離婚したいがために、彼女が弟(兄の可能性もあり)のジョージ・ブーリンと近親相姦をしたとして訴え、弟もろとも死刑にしたことなどが挙げられる。なお、彼女の娘がエリザベス1世である。中世の暗黒時代において、魔女の宴で息子は母と、兄弟は姉妹と性交するものと信じられていた。
イタリアのベアトリーチェ・チェンチは、家族と謀って従者に父親であるフランチェスコ・チェンチを殺害させた。父親を殺害した理由は父娘姦に耐えかねたためだったという伝承が残っているが、父親を殺害したことで死刑判決を受け1599年9月11日に斬首刑によって処刑された。
フランスのラヴァレ家のジュリアンとマルグリットの兄妹は、兄と妹でありながら姦通したとして1603年12月2日にパリで斬首された。
フランス国王の娘であるマルグリット・ド・ヴァロワは、兄であるシャルル、アンリや弟のエルキュールと肉体関係を結んだ。中でもアンリとは兄妹間を超えた男と女の愛情があったとされ、アグリッパ・ドービニェやブラントームやロンサールは彼らの兄妹関係についての詩を謳っている。彼らの周囲の人間はその愛情を別段特殊だとも感じていなかった。
1662年に、モリエールは20歳年下の一座の女優アルマンド・ベジャールと結婚した。だが、母親は実は彼の恋人であったマドレーヌ・ベジャールではないかということで、娘と結婚したという疑惑が出た。モリエール自身はこれについてアルマンドはマドレーヌの妹であると主張した。公式記録を信じる限りは妹なのだが、マドレーヌの母親が娘の非嫡出子を自分の子供として届け出た可能性もあるため、はっきりとしたことは分かっていない。
フランスでは18世紀に入りあらゆる価値が相対化し、自由思想家の主張した精神の開放が体系化され、思想においてもマルキ・ド・サドなど家族間の性愛を称揚する動きも生まれたのだが、この時代のフランスのインセストは「哲学の罪」と言われ、一部の特権階級、すなわち神話やかつての王族に見られるインセストの特権意識を模倣したものであった。
フランス革命の際、極左勢力のジャック・ルネ・エベールは王妃マリー・アントワネットを息子ルイ17世と近親相姦をしたとして訴えた。本人は裁判所にいた女性達に対して母親に対する侮辱だと訴えたが、最終的に反革命の行いがあったとして死刑判決を受けギロチンで斬首された。このエベールの訴えについては傍聴人から反発を食らい、マクシミリアン・ロベスピエールが怒る事態を招いたが、そもそも検事長であるアントワーヌ・フーキエ=タンヴィルに王妃の裁判を始めさせる決定打になったのがこの近親相姦の訴えであった。ところが、この革命後の混乱のさなかフランス帝国の皇帝に即位したナポレオン・ボナパルトはフランスで近親相姦を合法化する。
ナポレオン自身も妹ポーリーヌに気に入られていたことが知られている。後に皇帝位を追われた際に一時期ナポレオンはポーリーヌとともにエルバ島で過ごすことがあったのだが、実はこのころのナポレオンとポーリーヌは男女の関係だったのではとの噂がある。ナポレオンの妻であるジョゼフィーヌは夫と夫の妹の関係について「あまりにも親密すぎる」と主張した。ポーリーヌは兄との近親相姦の関係についてそれとなく触れることによって、人々から反応を得ることを面白がった。ジャコモ・カサノヴァはかつての愛人ルクレチアとの間に生まれた娘レオニルデと関係を結んだことを、『我が生涯の物語』(邦題:『カザノヴァ回想録』)で誇らしげに述べている。
ドイツの作曲家フェリックス・メンデルスゾーンとその姉ファニーの姉弟愛は有名であるが、ファニーがフェリックスの妻レアに対して弟を奪ったことをなじる書簡を送っていることや、フェリックスもファニーの死がもとで精神病にかかり後を追うように死んでいることなど、姉弟愛を超えた恋愛に近い感情を持っていたと考えられる事績が多く伝わる。
オーブリー・ビアズリーとその姉メイベル・ビアズリーは、フランク・ハリスとパーク・レインで昼食を共にした後話していたが、オーブリーはその時明け透けに自分が姉のメイベルと近親相姦をしていることを言った。マックス・ビアボームは「ビアズリー姉弟はますます疑惑の眼で見られている」という手紙を遺している。メイベルは1892年に未婚の母として出産するが、1892年から1893年にかけてオーブリ―の作品に胎児が登場し始めたため、オーブリ―がメイベルの子の父親ではないかとも言われている。
20世紀以降
エディプス・コンプレックス理論を作り上げたジークムント・フロイトにとって、本当に重要だった近親性愛は幼い頃兄妹同然に育った1歳年下の姪パウリーネなどとの同世代異性近親との性的な関係だったという。また、フロイトは妹アンナにも近親相姦感情を抱いている 他、娘のアンナとも近親相姦を行ったという。
シモーヌ・ヴェイユは14歳の時に兄アンドレ・ヴェイユとの距離に絶望して自殺を考えた。兄との距離とは兄の才能に対する劣等感にとどまらず、兄への初恋であったとも解されている。
ゲオルク・トラークルは4歳年下の妹マルガレーテとの間に近親相姦的な愛が生じていた。
1912年頃、島崎藤村は姪のこま子と通じた。姪を妊娠させた藤村は、留学という名目で日本国外に逃亡した。藤村は自分の父親も妹と関係を持っていたことなどを知る。彼は『新生』でその体験をつづるが、このため姪は内地にいられなくなった。
フランスの画家のピエール・モリニエは妹のジュリエンヌを深く愛し神が磔になっている所を模して妹を壁に貼り付かせ、脚にキスをした。1918年、ジュリエンヌはスペイン風邪により若くしてこの世を去る。モリニエはその身体を撮影し、妹の遺体と性的接触を行って射精した。モリニエは娘のフランソワーズにも魅力を感じ、ボルドーの人々はフランソワーズは父親の愛人だと噂をしていたが、フランソワーズは「父親は自分を恋愛的な目で見ていたのは今では知っているし、結婚の6か月前には嫉妬に狂ってはいたが、自分に対しては実行したことは最後までなかった」と述べた。
日中戦争で日本軍は南京を攻略するが混乱が発生(南京事件)。信憑性に疑問の声もあるが、当時南京にあったドイツ大使館において書記官を勤めていたゲオルグ・ローゼンによって編纂された『南京ドイツ大使館公文書綴「日支紛争」』によれば、棲霞山で日本軍が母親を持つ息子に対してその母親と交わるよう命令したとされる。日本に勝利した中国は国民政府国防部審判戦犯軍事法廷を開き、郭岐の『陥都血涙録』が証拠として採用される。郭岐は日本軍の兵士は息子が母を犯すのを見て楽しんでいたと述べたが、黒鉄ヒロシはこんなのは恐らく日本兵の反倫理性を強調するために創作された話であって、日本人がこんなことを絶対にやるわけがないと主張している。
1939年、ペルーでリナ・メディナが史上最低年齢の5歳7カ月21日で出産。父親が逮捕されたが証拠不十分で釈放。現在もこれより低年齢での出産は確認されていないが、その息子は40歳で死去した。
1939年、アドルフ・ヒトラー率いるドイツ国防軍はポーランド侵攻を開始し、第二次世界大戦が開始される。アドルフの両親は一家の育ての子と孫娘の関係だが、戸籍上はアドルフの父親はアドルフの母親の母親のいとことしている。このため、全く血がつながっていない可能性も含めて、アドルフの両親の関係に関しては論争が存在する。その彼は異母姉の娘ゲリ・ラウバルを愛人にしていたという噂もあるが、その姪ゲリが自殺しヒトラーはその代わりのものに入れ込むようになったと、セバスチャン・ハフナーは論ずる。ヒトラーはゲリの死後自分の恋人はドイツだと言うようになった。ヒトラーは戦争が始まるまで毎年クリスマス・イヴにはゲリが自殺したミュンヘンで瞑想していた。
パウル・ティリッヒは実妹に性欲を抱いていたという。
1957年、久保摂二の日本初の実態調査による近親相姦論文「近親相姦に関する研究」が発表される。1960年代より以前は、近親姦とは人里はなれた山奥において、変質的な父と知的に低い娘との間でまれに発生する行為だとみなされていた。だがその後、欧米社会では性の革命が起き、近親姦の悲惨な実態が明らかになり始める。1972年、五島勉は『近親相愛』を出版する。
1968年に発足した世界100カ国で展開するキリスト教福音派の宗教組織ファミリー・インターナショナルは、「近親相姦は神によって禁じられていない」という認識を示し、共同体内で近親相姦が行われた。
1968年、日本では父親に子供時代から長期に渡る近親姦をされ続け子供を産まされるなどしていた娘が、父親を殺害する尊属殺重罰規定違憲判決が起こる。1973年4月4日に最高裁判所において、刑法第200条(尊属殺重罰規定・法定刑は死刑か無期懲役だったが削除され現行刑法典には存在しない)が日本国憲法第14条で規定された「法の下の平等」に違反し違法であるとの憲法判断が示されたことで適用される刑の変更が行われ、執行猶予付判決となった。なお、この事件で殺害されたこの父親は殺される際に「お前に殺されるのは本望だ」と述べたとされている。
1975年、エスキモー、アメリカ・インディアンのティンネ族、ジャバのカラン族、セレベス島のミナハッサ族、ニューカレドニアの原住民、アフリカのバンジョロ族では母と息子の結婚が行われておりセレベス島のミナハッサ族、ビルマのカレン族、ソロモン諸島、マーシャル諸島、ペレウ諸島の原住民では父と娘の結婚が行われている。また、ミクロネシアの一部、マーシャル諸島、ハワイでは兄妹結婚または姉弟結婚が行われている。トロブリアンド諸島にも兄妹相姦の実例が複数ある。
1980年5月、日本で母子姦を取り扱った『密室の母と子』が発行されるが論争となる。1980年11月には神奈川金属バット両親殺害事件が起こり、一部のワイドショーでは母親と息子の近親姦があったのではという話が流れるが、警察は公式には否定している。
1984年、ゴーラー一族のスキャンダルがカナダで明らかにされ、一族内で近親姦が多く行われていたことが明らかとなった。
アメリカでは1980年代以降、多くの無作為抽出調査により少ないという認識は反転し、多くの人が近親姦を行っていることが明らかとなった。だが、この研究の最中で抑圧された記憶の概念が浮上したために、臨床において曖昧な記憶や治療者の勘が簡単に信用されすぎて「偽りの記憶」が作り出される可能性があるという批判がエリザベス・ロフタスらによってなされた。悪魔的儀式虐待についての証言内容の中には奇妙なものも存在したこともあって、1990年代にかけ虚偽記憶の論争が起こり、それらの批判の結果として催眠療法は用いられなくなっていった。
1991年、アメリカでラトーヤ・ジャクソン(マイケル・ジャクソンの姉)が本『La Toya: Growing Up in the Jackson Family』を出版した。この際、ラトーヤは父ジョセフ・ジャクソンがラトーヤと姉リビー・ジャクソンに対して性的虐待を行ったとも主張したが、リビーはこの疑惑を否定した。
1993年、元アメリカン大学学長のリチャード・ベレンゼンが自らの母親との近親姦の体験について語った本『Come Here: A Man Overcomes the Tragic Aftermath of Childhood Sexual Abuse』を出版した。
1995年1月1日、多くの女性たちを解体し殺害した罪及び娘に対する性的虐待行為の容疑で刑務所に入れられていたイギリスのフレデリック・ウェストが刑務所で首を吊り自殺した。彼に関しては、母親にセックスされたり、父親に獣姦の教育をされたなど、さまざまな話が流れていた。連続殺人者であったと考えられているが、裁判前に自殺したため本人は有罪になっていない。
2000年3月26日、女優のアンジェリーナ・ジョリーは助演女優賞を受賞した第72回アカデミー賞授賞式で、実兄のジェイムズ・ヘイヴンとマスメディアの前でディープキスを披露し、「兄を心から愛しています」と述べた。これによって、マスメディアからは近親相姦の疑惑についての記事が掲載された。尚、アンジェリーナは実子に元々兄に付けられる予定だった名前を付けている。
2000年7月には奈良長女薬殺未遂事件が発生。法廷で加害者とされた彼女は、父親に近親姦を行わされていたこと、複数の男性に性的虐待を受けたことを証言し、判決では被告の責任能力に差し支えることはないとしたが情状酌量は認められた。
2006年、テリー・ハッチャーはかつて叔父から近親姦の被害を受けていたことを語った。その叔父は少女を虐待した、その少女が自殺。叔父は実刑判決を受けていた。
2009年9月、マッケンジー・フィリップスは回想録『High on Arrival』を公刊。この中で彼女は、19歳の時に自身の結婚式の直前に実父ジョン・フィリップス(ママス&パパスの元メンバー)に犯されたと述べた。娘の結婚式の妨害目的とし、無理矢理だったのは最初だけでそれ以後は自らその行為に合意していたという。彼女が父にかつての強姦について尋ねたところ、父は愛し合った時のことかと返答したという。
2012年7月、オーストラリアのコルト一家が4世代にわたって数十人規模で叔父姪・叔母甥や兄妹・姉弟間で近親相姦を行っていたことが発覚した。
神話
人類の起源の神話にしばしば見られる特徴として、最初の夫婦が兄妹・姉弟や親子であるというものがある。世界各地の44事例に基づく研究では、兄妹(姉弟)婚は父系出自、母系出自、双系出自のどれとも結びつくが、親子婚は父系出自や、選系出自を持つ社会に多い。また、双系出自や母系出自の社会では親子婚は少なく、ほとんどが兄妹(姉弟)婚である。
宇宙の起源に絡めて人類の起源を語る神話群をローラシア型神話群というが、これは西アジアで4万年前(マイケル・ヴィツェルによる推定。後藤明は2~3万年前と推定。)に生まれたと推測されている比較的新しい神話群であり、初期のホモ・サピエンスの神話あるいは神話的思考に起源を持つとされるゴンドワナ型神話群では、ローラシア型神話群においては「なぜ我々は存在するのか」という問いかけの影に隠されている、「なぜ我々は死ななければならないのか」という問いかけが前面に押し出されてくる傾向がある。例えば、メラネシアのビスマルク諸島にあるタンガ島の神話は、祖母が脱皮して若返ったところ孫が求愛してきたため、仕方なく皮を纏い直して元に戻ったという神話で、近親相姦を避けるために人間は死ななければならないという内容となっている。
兄妹相姦
神話においては、兄妹の神々により作られたこととなっている場所もある。男女ペアの神が兄妹として扱われることも多い。「兄妹始祖」と言われる。
- エジプト神話
- ユダヤ民族の創世神話
- カフカス - 兄妹に嫉妬した兄の妻が、自分の赤ん坊を殺して妹に責任を負わせ、家を追い払うというストーリーがある(兄と妹が結ばれるわけではない)。
- ヤマとヤミー(リグ・ヴェーダ)
-
イラン神話
- マシュヤグとマシュヤーナグとその子孫
-
東南アジア神話
- マル・カチン神話では、虹には人間の兄妹がいて、この二人は結婚した。アラカンのチャク族の神話では、喉が渇いて仕方がない兄妹が鍛冶屋に水を求めに行くと、鍛冶屋からもし二人が夫婦のように暮らせるなら水をやれると言われた。兄妹は渇きを癒すために夫婦として暮らした。それから水を飲み、間もなくして死んだ。兄妹は死後虹になって時々空に現れるが、明るい色が妹で、淡い色が兄である。カンボジアでは、虹は兄妹相姦の痕跡だとされている。虹と近親相姦を結びつける考えは、インドのムンダ族、チッタゴンのチャク族、スマトラのバタク族に見られる。
- 双子の兄妹が女に農耕を教わった神話 - 双子の兄妹が年頃になっても結婚せず、お互い愛し合うようになってしまったので、村人が話し合った結果、誰もいない土地を探して兄妹をそこに住まわせることになった。二人と少量の食糧だけを残し、村人達は帰ってしまったので、兄妹は飢え死にしそうになるが、一人の女性が現れ、兄妹に山刀と耕作に必要な道具を与えた。月日が経ち、トウモロコシと稲の収穫が終わった。その日から兄妹に農耕を教えた女性の姿は見えなくなった。兄妹には双子の男女が生まれ、その双子の男女は成長して結婚し、双子の男女が生まれた。そういうことが長く続いた。
- ゲルマン神話
-
ケルト神話
- エラタとエーリウ
- マースとドーン
- イヌイット神話
-
ラテンアメリカ神話
- 月は兄、太陽は妹であるとされ、月の斑点は兄妹の近親相姦によってできたものだとされている。
- パチャカマックと月の女神の息子と娘
- 北アメリカ神話
- コンドルの兄妹 - ウィヨット族の神話。神は人間を創造したが、皆毛むくじゃらだったので、洪水で一掃することにした。コンドルがこれを知り、籠を作って妹と一緒に入り、洪水を凌いだ。しばらくしてから籠から出ると、毛むくじゃらの人間はどこにもいなかった。コンドルは妹と結婚して、コンドルの兄妹の間からようやく本物の人間が生まれた。
- 日本の神話
- ヤオ族の兄妹始祖・洪水神話(中国神話)
- 琉球神話と琉球文化(奄美から沖縄にかけて島々の創世神話を「島建て」といい、例えば波照間の創世神話はイザナギ・イザナミに洪水神話を合わせたような形である)(兄妹始祖・洪水/参照:波照間島の聖地・波照間島の兄妹始祖創世神話)
このように、洪水と兄妹始祖神話が合一したものが、中国南部から東南アジアにかけて見られる。琉球諸島には日本神話が成立する以前の神話や信仰が残る可能性はある(cf.おもろさうし)(しかし中国からの借り物である可能性はある)。琉球王朝の誕生譚ではニライカナイから来た兄シネリキョと妹アマミキョが久高島に降り、その後首里で王朝を開いたことになっている(二人の子供が琉球王朝の祖先)。まんきつは、沖縄に行ったとき兄妹の性行為で国が生まれたと堂々と看板に書かれていて驚いた経験を大塚ひかりに語っている。
また、日本を産んだとされるイザナミの呼称を「妹」と『古事記』は記す。「妹」という文字は「イモ」と読み、上代日本語では愛しい女性への呼称とされる。 だが、西郷信綱は「近親相姦と神話—イザナキ・イザナミのこと」(『古事記研究』、1973年)で、これは文字通り解するべきであり、日本は兄妹の近親相姦によって創造されたとする記録なのではないかと論じる。桐村英一郎も日本書紀の記述とも照らし合わせ、ここでの妹は兄妹の妹と解釈するべきだとする。
琉球方言には丁度英語の sister に似た親族名称のカテゴリーとして「ヲナリ」というものがある(異性から見ているというのが英語とは異なる)(参照:をなり神)。
琉球ではかつて、兄・弟が漁などで旅立つ時に姉・妹が毛髪またはティーサージ(布)をお守りとして贈った(日本の漁師町に似た文化があるようだが、姉妹ではない)。舟の外艫に留まった鳥を姉妹の「をなり(生き魂)」として扱う信仰もあったようである。このような異性のキョウダイの間の親密なつながりと信仰を「をなり神」信仰と呼ぶことがある。ここでは兄から見た妹を「をなり」、妹から見た兄を「えけり」と呼ぶ。『おもろさうし』の中に恋歌が13首あるが、その内6首がをなりとえけりの恋を主題にしたものだという。また「ヲナリ」は日本の「イモ」と同じく愛人の比喩に意味が分化したとされる。
首里では、兄妹のうち兄が王になると、妹を聞得大君(キコエオオギミ)になるという歴史もあった。
姉弟相姦
神話においては、姉弟の神々により作られたこととなっている場所もある。
- ギリシャ神話
- 東南アジア神話
- 弟の月は姉の太陽に恋をした。月ははじめは太陽と同じくらい明るかった。弟の心を知った姉は灰を弟に被せ、それ以来月は白い光を出すようになった。月面に見える雲のようなものは太陽にかけられて以来固着した灰である。
- 日本神話
- 天岩戸(アマテラスとスサノオが「誓約(うけひ)」を交わす場面は近親相姦の象徴、と説明されることもある。ただし、わざわざ誓なんて手段を使ってるのは近親相姦を避けるためではないかと後藤明は指摘している。契約の詳細については、アマテラスとスサノオの誓約の項を参照されたし)。
- プリンス「シスター」「ダーテイ・マインド」に収録されているこの曲はあからさまにこの行為を歌った為全米で放送禁止にされた。
父娘相姦
- ユダヤ民族の創世神話
- ギリシャ神話
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シュメール神話
- エンキとニンム
母子相姦
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ギリシャ神話
- ガイアと息子ウーラノス - クロノスらティーターン12神をもうけるが、ウーラノスはキュクロープスやヘカトンケイルの醜怪さを嫌い、彼らを地獄タルタロスに幽閉する。ガイアはこれに怒り、末子クロノスに命じウーラノスの男性器を切り落とさせた。この際アプロディーテーが生まれる。ウーラノスは天王星の名前の語源。
- エキドナ - 怪物達の母親とされる。自分の子であるオルトロスとの間にスキュラ・スフィンクス・不死身のライオンなど怪物のほとんどを産んだとされる。もともと他民族の神で、古くは大地母神として崇拝されたというが、ギリシア人と戦争で敗れたため、ギリシャ神話では怪物へと堕とされたという。ギリシアでは好まれない母子相姦の題材であったため怪物とされた、という説もある。
- 印欧系神話
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エクアドル神話
- ミカとアインビ
- ブラジル神話
- ボロロ族の神話では成人儀礼に用いるためのペニスケースを作る材料を探しに行った母親を強姦する息子が登場し、これをレヴィ=ストロースは基準となる神話(mythe)ということでM1と呼んだ。レヴィ=ストロースはこのM1の神話について母親を強姦するのはメンズ・ハウスの世界へと入っていくことを拒むということを意味するのではないかと論じている。
-
オーストラリア神話
- 中央オーストラリアのピンチェンタラ族は、銀河は母子相姦している男女であると考える。
脚注
注釈
参考文献
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- B・マリノフスキー『未開社会における性と抑圧』阿部年晴、真崎義博 訳、筑摩書房、2017年(原著1927年)。ISBN 978-4-480-09775-0。
- 南方熊楠 著、中沢新一 編『南方熊楠コレクション 浄のセクソロジー』河出書房新社、2015年(原著1991年)。ISBN 978-4-309-42063-9。
- 宮地尚子 編『トラウマとジェンダー 臨床からの声』金剛出版、2004年。ISBN 4-7724-0815-0。
- 宮地尚子『トラウマ』岩波書店、2013年。ISBN 978-4-00-431404-2。
- 向井雅明『ラカン入門』筑摩書房、2016年(原著1988年)。ISBN 978-4-480-09676-0。 原題『ラカン対ラカン』
- 望月麻美子、三浦たまみ『名画が描く 罪深き旧約聖書』大和書房、2015年。ISBN 978-4-479-30527-9。
- 森田ゆり『子どもへの性的虐待』岩波書店、2008年。ISBN 978-4-00-431155-3。
- 森林原人『偏差値78のAV男優が考える セックス幸福論』講談社、2016年。ISBN 978-4-06-293431-2。
- 山内昶『タブーの謎を解く―食と性の文化学』筑摩書房、1996年。ISBN 978-4-480-05691-7。
- 山極寿一『父という余分なもの サルに探る文明の起源』新潮社、2015年(原著1997年)。ISBN 978-4-10-126591-9。
- 山本周五郎『季節のない街(第二版)』新潮社、2019年(原著1962年)。ISBN 978-4-10-113490-1。
- 山本潤『13歳、「私」をなくした私 性暴力と生きることのリアル』朝日新聞出版、2017年。ISBN 978-4-02-251453-0。
- 山脇由貴子『告発 児童相談所が子供を殺す』文藝春秋、2016年。ISBN 978-4-16-661090-7。
- 吉田敦彦『一冊でまるごとわかるギリシア神話』大和書房、2013年。ISBN 978-4-479-30445-6。
- 代々木忠『つながる セックスが愛に変わるために』新潮社、2016年(原著2012年)。ISBN 978-4-10-120416-1。
- マーガレット・ラインホルド『親から自分をとり戻すための本―「傷ついた子ども」だったあなたへ』朝長梨枝子 訳、朝日新聞社、1999年(原著1990年)。ISBN 4-02-261257-6。
- オットー・ランク『文学作品と伝説における近親相姦モチーフ』前野光弘 訳、中央大学出版部、2006年(原著1926年)。ISBN 4-8057-5163-0。
- アダム・ラザフォード『ゲノムが語る人類全史』垂水雄二 訳、文藝春秋、2017年(原著2016年)。ISBN 978-4-16-390774-1。
- デービッド・リーミング、マーガレット・リーミング『創造神話の事典』松浦俊輔 他訳、青土社、1998年。ISBN 978-4-7917-5657-5。
- スティーブン・レベンクロン『CUTTING リストカットする少女たち』森川那智子 訳、集英社、2005年(原著1998年)。ISBN 4-08-760479-9。
- D・H・ロレンス『無意識の幻想』照屋佳男 訳、中央公論新社、2017年(原著1922年)。ISBN 978-4-12-206370-9。
- 和田秀樹『多重人格』講談社、1998年。ISBN 4-06-149390-6。
- 『親族による性的虐待 近親姦の実態と病理』(石川義之、2004年) ISBN 4-623-03891-2
- 『十二夜――闇と罪の王朝文学史』(高橋睦郎著。集英社。2003年)ISBN 4-08-774674-7
- 『教育相談重要用語300の基礎知識』(鑪幹八郎・一丸藤太郎・鈴木康之編、1999年)ISBN 4-18-026611-3
- 『FUGITIVES OF INCEST: A PERSPECTIVE FROM PSYCHOANALYSIS AND GROUPS』 (Ramon C., and Bonnie J. Buchele Ganzarain, 1989) B000IACV7C=『近親姦に別れを 精神分析的集団精神療法の現場から』(R.C. ガンザレイン, B.J. ビュークリ, 白波瀬 丈一郎訳、2000年) ISBN 4-7533-0003-X
- 『The Secret Trauma: Incest in the Lives of Girls and Women』(Diana Russell,1986) ISBN 0-465-07595-9=『シークレット・トラウマ 少女・女性の人生と近親姦』(ダイアナ・ラッセル、監訳:斎藤学、訳:白根伊登恵・山本美貴子、2002年)ISBN 4-938844-54-0
- 『神話と近親相姦』(吉田敦彦著。青土社。1982年) B000J7CO3A
関連項目
- いとこ婚
- インセスト・タブー
- 宗教的禁忌- 同性愛
- インブリード
- ウェスターマーク効果
- 近親愛
- 近親交配
- 近親婚 - 親子婚 - 兄弟姉妹婚 - 叔姪婚
- 近親相姦被害者の国際組織
- 大衆文化における近親相姦
- 文学における近親相姦
- 映画とテレビ番組における近親相姦
- 民間伝承における近親相姦
- 聖書における近親相姦
- 近親相姦ポルノ
- 子供の性
- 性的虐待 - 児童性的虐待 - 少年への性的虐待 - 女性による性的虐待
- 兄弟姉妹間の虐待
- 機能不全家族
- ツインセスト
- ファラオ
- スペイン・ハプスブルク朝
- フヴァエトヴァダタ
- 複雑性PTSD
- ジェネティック・セクシュアル・アトラクション
- 洪水型兄妹始祖神話
- ブラザーコンプレックス
- シスターコンプレックス
- ソニー・ビーン
- コルト一家の近親相姦
外部リンク
- SIAb.PROJECT - 近親姦被害の当事者団体(日本)
- 性的虐待と中絶
- 「神と人とファラオ」 三重県立美術館